ニヤリと笑う坑道
バラックのカーテンは窓よりも少し短い。炉に火がくべられ、機械が稼働を始め、町が目覚めるその前に、カーテンの下から差し込む夜明けの日差しが人々を夢から覚まさせる。
それでも、カーテンを継ぎ足そうとしたことはない。
なぜなら、寝ぼけ眼でうとうとしている時、その光は短い幻覚を、大きな影をうちに見せてくれるから。
そして頭を振って、自分が誰だかを思い出した時、その光は教えてくれる――早く準備して出発しなきゃって。
日雇いの仕事を転々としながら食いつなぐ者は、始業前の時間から採掘場に着いていなければ、まともな職にはありつけないのだ。
レイ
行こう、サンドビースト。
あっ、そっちじゃないよ。忘れたの? あの採掘場はもうプロの点検員を雇ったって。
……今日は北西のほうの採掘場に運試しに行ってみよう。
サンドビースト
(背びれを気持ち良さそうに伸ばす)
採掘隊隊長
ほう、そのデカさからしたら、もう大人の個体だな?
レイ
はい。
採掘隊隊長
探査用のサンドビーストがこの年まで生き延びられるのも珍しい。なかなかツイてるじゃねぇか、嬢ちゃん。
レイ
そうかも。
採掘隊隊長
こういう時分の操業にゃツキが必要だからな。もし今日の坑道探査に行ってくれるんなら、規定通り報酬は倍額支払わせてもらおう。もちろん、目ぼしいもんがあれば好きに持っていって構わねぇ。
レイ
わかった。じゃあ案内お願いします。
採掘隊隊長
おいおい、ちょっと待ちな。何の質問もねぇのか?
あんた、この仕事を始めたばかりの新人には見えねぇけど、なんで倍額って聞いても何のリアクションもねぇんだ?
実は先日、こっから西へ何百キロか行った辺りで天災が起きて、大地震に繋がった。その結果、うちの坑道内の源石結晶まで増殖し始めて、地下は今やひでぇ有様で……てことは全部把握済みなのか?
レイ
はい、今知りました。
採掘隊隊長
その素っ気ない感じ、ずいぶんと呑気な性格らしいな。
それともなにか、この手の現場に慣れたプロってのか?
レイ
プロ? ……多分違う。うちはただ、ここ数年ずっと探査員の仕事をやってるってだけ。
安全には注意するから。うちが死んだら、サンドビーストの面倒を見る人がいなくなっちゃう。
採掘隊隊長
うーん、それもそうだな。プロの点検員が日雇いを転々としてるはずもねぇし。
とりあえず、伝えるべきことはちゃんと伝えたからな。
おい、指欠けオーリー! 飲んでねぇでさっさと準備にかかれ。命綱をそいつに繋いだら、坑道の中に下ろすんだ。
坑道と聞いて、ほかの人たちは何を連想するんだろう。
岩を叩く乾いた音、じめじめしたカビの臭い、暑くて乾いた空気、したたる汗の苦い味……そういったものかもしれない。
うちは鉱山探査員。毎日採掘隊が仕事を始める前に、状況探査のため一人で坑道に降りなきゃならない。そういう時の坑道に広がってるのは、一面の暗闇だけ。
昇降台が降りていく間、頭上で響く音は徐々に曖昧になっていき、あらゆるものが輪郭を失っていく。それに反比例して、うちの感覚は研ぎ澄まされていく。
真っ暗な場所にいるのは嫌い。でも、闇の手触りはうちが一番慣れ親しんでいるものだ。
採掘隊隊長
探査員、下の状況はどうだ?
レイ
サンドビーストの背びれは開いてるけど、血管の色にそれほど変化は見られない。正常な反応です。今のところは安全みたい。
平面図は更新されてますか?
採掘隊隊長
新設された通路はまだ描かれてねぇが、重要な坑室はどれも変わりはねぇぜ。
レイ
了解。
――
採掘隊隊長
ん、どうした?
レイ
バクダンムシです。もう片付けました。
でも、あまりいい兆候ではありません。
採掘隊隊長
ところ構わず爆発しやがるそのクソッタレは、うちの坑道じゃめったに見ないはずなんだがな。下の状況は予想してたのより酷いかもしれん。
一つ注意だが、今の深度から更に下へ進むと、通信はもう繋がらないからな。
レイ
はい。
何かあったらここへ報告に戻ります。
どんどん暗くなってきた。
防水シャッターのシーリング材は特に問題ないね。スラグ輸送パイプも詰まってない。正常に動作する。
ほかに確認すべき事項は……源石結晶の成長範囲と活性状態。
骨組みの状況、落盤リスクの有無。
排水システムの状況、漏水リスクの有無。
それから空気の状況、ガス漏れリスクの有無。
サンドビースト、気をつけて進もう。
坑道内の照明も壊れてたのか。
ヘッドライトの灯りだけじゃ、見える範囲が狭すぎる。
サンドビースト、行って確かめてきて。
通風口が源石結晶に貫かれて、そこら中破片だらけ。結晶体の外殻がかなり薄いみたい。生えてきたばかりのものだね。
けどそこに広がるのは、ただ暗闇だけ。
レイ
木板の後ろに大きな空洞があるみたい。焼け落ちてできたのか……それとも虫に食われたのかな? オリジムシが、いっぱい這い回ってる。
けどそこに広がるのは、ただ暗闇だけ。
レイ
天井に水が溜まってる。漏水の痕跡はないけど、泡立ちが激しい。水中に異常な気流の動きがある。
けどそこに広がるのは、ただ暗闇だけ。
レイ
君の背びれ、源石粉塵がいっぱいついてる。
血管の色は……
――
ガス漏れだ。
逃げるよ。
昇降台で地下から地上へ移動するのには、かなりの時間がかかる。
それが具体的にどれほどなのかは計ったこともないけど、そんな必要はなくて、ただ上を見上げていればそれでよかった。
こういう時、ほかの皆は抱えてる石を数えるみたい。探査員が鉱石をいくら持ち去ろうと、鉱主は普通は目を瞑ってくれる。
日雇いの探査員を使うのは、私営の小規模な採掘場だけ。深く掘れば掘るほど、採掘できる源石結晶鉱物のグレードも、坑道内の危険も増していくものだ。
レイ
サンドビースト、まだいてくれてる?
今日、うちの懐には鉱石はない。
まだ近くに感染生物がいるかもしれないけど、武器はもうしまっていた。それでも防水シャッターを片手で操作するのは難しくて、かなりの時間がかかった。
サンドビーストの萎れた背びれが腕に当たる感触を覚えながら、うちは必死に外へと駆けていた。
この子は、うちが初めて買ったサンドビーストだった。
二年前にこの子を買った時、店主からカラーチャートと写真の束をもらったな。
それからサンドビーストの背びれに光を当て、そこから見える毛細血管の色で坑道内の空気の状況を判断できるって教えてもらった。
この方法は確かに役立った。実際に今回、呼吸困難になる前に、サンドビーストの背びれが毒々しい紫色に変わるのを見た。
店長はこうも言っていた。この環境に敏感な小さな獣がいれば、自分が命を落とす必要はなくなると。
レイ
隊長、昇降台を上げてください。
サンドビースト、いま地上に向かってるからね。
今回は報酬がたっぷりもらえるから、新しいエサも買えるし……お医者さんにだって診てもらえるよ。君はきっと無事でいられる。
以前、採掘場の人は坑道内の危険について特に教えることなく、本当に降りる気があるかどうかだけうちに尋ねる。ほかは地上に戻た後で、呼吸や、傷口の血の色を直接観察すればそれで済むから。
昇降台はどんどん上り、辺りには風の音と機械の騒音だけが響いていて、そんな中でサンドビーストの呼吸音は判別がつかなかった。
あの子はぴくりとも動かなかった。うちもただ、上だけを見つめていた。
やがて、暗闇の真ん中に一筋の光が走る瞬間がやってきた。うちにはわかる、それが長時間暗がりにいたことによる錯覚や幻覚ではないと。
あれが陽の光だ。
レイ
きっと良くなるからね。
うちはいつも、その瞬間を待ってるような気がした。
レイ
地上に出て、新鮮な空気を吸って、お日様の光を浴びれば、今日も無事生き残れたってわかるから。
いつも、その幻覚を待ってるのと同じように。
レイ
ほら、出口だ――
うちは思い出した。地上は震災の影響がまだ続いていて、砂埃が酷いことを。
坑道の出口に、太陽の光は差し込んできていなかった。
レイ
サンドビーストの健康状態は簡単に判断ができるんだ。背びれの薄膜が充血していれば、毒が体内に溜まってるってことだから。
もしこの子が死んじゃったら、新しい子を買って来なくては。
家にまだエサが二袋もあるから。人間じゃ食べられない。
明日の朝起きたら、別の方角の採掘場に行ってみよう。
明日の朝……
太陽が昇れば、何もかも良くなるはず。
採掘隊隊長
あんた、サンドビーストはどうした? 死んじまったのか?
それじゃあダメだ。サンドビーストも連れていないような探査員はお呼びじゃない。
あいつらはそもそも早死にする運命なんだ。その程度の金もケチるようじゃ、いつか坑道の中でくたばっちまうぞ。
それにあんた感染者だろ? チッ、厄介ごとに巻き込まれんのは、うちらとしてもごめんだ。
どうした、聞こえなかったのか? なぜ答えない? まさかあんたがヘマをやらかしてサンドビーストを死なせちまったわけじゃないだろうな?
もういい、邪魔だ。さっさとどっかへ行っちまいな。
動物販売人
サンドビースト用の薬? うちにはないし、聞いたこともないね。
普段自分が病気になった時にだって、薬なんかはめったに飲まないだろ? サンドビーストに薬を飲ませる人間なんて、なおのこといるはずがないじゃないか。
新しいのを買いなよ。どのみち短命な生き物だけど、うちの子たちは少なくとも先天的な病気はないから、坑道に入る前に病気で死んじまうようなことはないぜ。
買わないんなら、商売の邪魔はしないでくれ。もう一度言うけど、サンドビースト用の薬なんて普通はどこにも売ってないよ。
そんな常識もなしに鉱山探査員をやってるのか? 死んだのがあんたじゃなく、サンドビーストの方でラッキーだったな。
レイ
サンドビースト、うちは――
……
夜が明けた。
空っぽのケージの隙間をすり抜けるようにして、部屋に差し込む朝日がやけに眩しい。長い悪夢がようやく終わった気がした。
でも、何一つ良くはならなかった。
レイ
大したことじゃないよ。
……空っぽになっちゃった檻よ……うちの話を聞いて。
うちはあの子を死なせてなんかない。
うちは頑張った。でも坑道探査で、ガス漏れは避けて通れない。それに、空気を測定するのがサンドビーストの本来の役割だから……
坑道の中も、ずっと真っ暗だったし……
……どうしてうち、震えてるの?
レイ
ねえ、ここから一番早く出るトレーラーはどの便か、知ってる?
アレを探しに行くの?
レイ
うん。アレと出会った場所はまだ覚えてるから、その近くにさえ行ければ、なんとか探せるはず。
あの光を……まだ覚えてるの。
暗闇以外のものって、どんな手触りだったっけ?
きっと思い出せるよ。
レイ
アレは……確かにうちを救い出してくれた。そのおかげで、うちは生き延びることができた。
ねぇ、アレって本当に存在するんだよね?
サンドビースト
うん、存在するよ。
レイ
――
――サンドビーストは目を開いた。
レイ
待って、サンドビースト。どこに向かってるの?
サンドビースト
君の求めるものを探しに行くのさ。
レイ
うちも連れていってくれる?
サンドビースト
いや、僕一匹じゃそれは無理だ。
レイ
でも、うちには君しか……
「サンドビースト」の声
わわっ、放して!
フード、フードが……
レイ
……フード?
アーミヤ
どうしてドクターのフードを離してくれないんですか……!
岩壁からも、砂地からも、あらゆる穴から湧き出た水がくぼんだ地面へと流れて行き、中心で沼地を形成していた。
アーミヤ
いい子だから、放してください! これ以上引っ張ったらほんとに取れちゃいます――
石柱や岩壁が連なった崖は、吹き荒ぶ砂嵐を防ぎ、陰になったこちら側を守ってくれている。
鍋蓋ちゃん
えへへっ、おいでサンドビーストちゃん! キャロットクッキーですよ! こんなの食べたことないでしょう?
雑貨屋の店主から聞いた話でもそうだったし、動物図鑑にも、こういう場所なんだって書いてた……
一匹のサンドビーストが、穴の中から顔を出した。二匹が枝の上で幹にもたれかかっている。それから三匹が沼で水浴びをしてる……四匹、五匹、もっとたくさん。
どの子も背びれを伸びやかに広げていて、そこから健康的な色の血管が見えた。
鍋蓋ちゃん
サワーベリーパイもどうぞ! それから、はい、野草せんべい!
うんうん……どうやらドクターさんよりも、わたしの方がこの子たちと仲良くできてるみたいですね!
アーミヤ
はい、でも……ずっとこの子の頭を撫でてるんですけど、ちっとも興奮が収まらないんです……
ドクター、心配しないでくださいね。フードを破いちゃうような真似はさせませんから!
鍋蓋ちゃん
えっ、そんなに顔に出て――あー! 鍋蓋ちゃんって呼んだのは仕返しですか? ダメですよ、そう呼んじゃ!
レイ
……
……どうして?
どうしてここに、こんなにたくさんの元気なサンドビーストが?
鍋蓋ちゃん
わあ、また一匹がドクターさんに飛び乗りました!
アーミヤ
ドクター、どうか持ちこたえてください……
レイ
うちに任せて。
鍋蓋ちゃん
あっ、やっぱりレイお姉ちゃんに秘策があるみたいですよ!
さっきずっとサンドビーストを追いかけ回してましたから、きっと動物が好きなんだろうなってみんなに話してたとこなんです!
レイ
さっき……?
アーミヤ
私たちがずっと後ろにいたことに、本当に気付いてなかったみたいですね……
ブレーキシステムが自然冷却するまで車を止めて休憩してたじゃないですか、するとレイさんが急に魂が抜けたみたいになって、ふらふらとどこかへ行くものですから、みんなで心配になって……
レイ
……ごめん。
ドクター、落ち着いてね。じっとしてて……
鍋蓋ちゃん
わぁ……
おっきなくしゃみ! ……あ、離れました!
アーミヤ
今のって……葉っぱの先をサンドビーストの背中の穴に入れて……くすぐったんですか?
レイ
大丈夫だよ。さあ、もう行って。
サンドビーストの反応はわかりやすいんだ。この子たちは背びれで呼吸を補助してるから、気流と温度にすごく敏感なの。
……今の子たち、小柄だった。人為的に繁殖してるサンドビーストと似たような体格だけど、たぶん生まれてまだ三、四ヶ月の幼獣だと思う。
これからどんどん大きくなるし、何年も生きられるだろうね。
鍋蓋ちゃん
じゃあ、レイお姉ちゃんの後をついてきてるこの子は?
レイ
……
さっきは暗くてわからなかったけど、君、毛の色があの子より少し薄いね。見間違えちゃった。
でも、どうしてついて来ちゃったの?
アランナ
こら! あんたたち!
どんだけ探したかわかってんのか! それになんでこんなとこまで……
ってなんじゃこりゃ!? 多すぎるだろ!
レイ
サンドビーストだよ。
アランナ
それは知ってるよ。
けどこの子たち……いや、それは今はどうでもいい。ドクター、あんた、車に積んである測定計器のデータが読み取れるって言ってたよな?
その数値に変動があってさ。けど今まで九割九分なにも起こらないから、あたしにも法則がよくわかんなくて……
……は?
まさか、本当に……天災なのか?
アーミヤ
わかりません。天災トランスポーターが一時乗車の際に使う予備装置は探知範囲が限られているので…そのデータで正確な予測を立てるのは不可能。それが以前ドクターの調べた結果でした。
ですが、ドクターがどうにか身を隠すのではなく、急いでこの場を離れるべきだと判断したということは……
つまりきっと、今ならまだ間に合うということです。
アランナ
なるほど、わかった。
じゃあ逃げなきゃな。天災がここ一帯のすべてを飲み込む前に、なるべく遠くまで!
レイ
……
ここの、すべてを……
アランナ
ハァ、ハァ……ダッシュであんたらに知らせに行って、また走って戻るなんて……こりゃ……ハァ……間違いなく、うちの工場区画の記録更新だぜ!
鍋蓋ちゃん! タイムとってくれた?
鍋蓋ちゃん
ランナお姉ちゃん、自分が走るのにそんなに夢中になっちゃダメですよ! 後ろの人たちを待ってあげないと……
アランナ
サンドビーストと戯れ過ぎたのか? みんなトロ過ぎるんだよ!
あたしが待っても、天災は待っちゃくれないぜ!
相棒よ、頼むからスパッと動いてくれよな……
ドクター、アーミヤ、準備はできたか?
アーミヤ
大丈夫です! ……え?
ドクターは走り疲れててまだうまく話せないみたいで……はい、はい……わかりました。問題ないそうです!
アランナ
よし、準備オッケー、出発だ! あばよ、天災雲!
サベージ
今のスピードで間に合うの?
アランナ
問題ない。あたしに追いつけるのなんて、全速力のあたし以外いないんだ。ちっぽけな天災雲なんざ……ふん、相手にもならねぇさ。
サベージ
ならいいけど……
アーミヤ
え?
ドクター……なんですか?
れ……? れひ……れい……レイ?
そうだ、レイさんは!?
レイさんがまだ来てないみたいです!
一同
……
ええっ!?
レイ
うっ……
大丈夫だよ、サンドビースト。まだ……間に合うはずだから。
天災はまだ来てない。今はただ、砂嵐が酷いだけ。強風の中でも、まだ前には進める。
今、避難する場所を見つけてあげるからね……
サンドビースト
(警戒した様子で砂を掘る)
レイ
……うん、やっぱりサンドビーストは喋らないよね。さっきのはうちの幻覚だったんだ。
(ホイッスルを吹く)こっち。ついてきて。
真っ黒な雲に追いつかれる……
もう目も開けてられない。
……もしかしたら、うちが君たちのシェルターになれるかも。
熟練のハンター
仕方ない。砂嵐が悪化していく一方だろうと、もう進むしかない。
レイエーラには苦労させちまってるな。初めて隊で狩りに来たってのに、こんな悪天候に見舞われちまうとは。
お前たち、この子の足を持つのを手伝ってくれ。
全身焼けるように熱いし、足の裏もマメだらけ。まだこの年だ。これから先の道は自力では歩けんだろう。
……行こう。どっちに進めば生き延びられるか、決断するんだ。
この疲労感と絶望はよく知ってる。狂風と砂埃に押しつぶされて、視界は真っ暗で、足がすごく重たい。
大人たちに背負われながら、皆の足取りがどんどん苦しげになっていくのを、うちは感じていた。
違う……これは天災だ。
確か、天災が来るってランナが言ってた。これは源石粉塵? それとも砂埃? 坑道の匂いがする。
天災は岩壁を壊し、沼を汚染する。あの一帯のサンドビーストたちは帰る場所を無くしてしまう。あの子たちを天災の脅威に晒すわけにはいかない。
抱えて、背負って、頭に乗せて、そしてホイッスルで残りの子たちを導いて、皆に追いつくんだ。
……その後、覚えてるのは激しい揺れがあったことだけ。
うちは自分の体で一体何匹のサンドビーストを守れたんだろう?
奇妙なホイッスルのような音が耳元に響いている。誰かがうちの代わりにこの子たちを導いてるのかな。
???
グォ?
レイ
……え?
サンドビースト
……グォッ!
サンドビースト二匹目
グォッ!
大量のサンドビースト
グォッ――
レイ
君たち……
待って、うち、今……君たちに背負われてるの?
うちをどこへ連れて行くつもり?
この疲労感と絶望はよく知ってる。
記憶の中に「巨獣」の影が浮かぶ時、そこにはいつも果てしない荒野が広がっていた。
うちは隊の後について、砂嵐に吹かれながら、太陽が昇る方へと歩いていた。
空は黄砂に覆われて、朝日は色を失う……明るい黄色から、暗く、くすんだ黄色に変わり、最後には真っ黒に染まっていく。
ようやく闇夜を乗り越えても、また次の暗闇が覆い尽くす。濃霧が立ち込めつつある中で、負傷者がうめき声を上げる。うちらは方向を見失ってしまった。
血と汗が靴に染み込む。マメだらけの足裏の感覚が麻痺していく。大人たちはうちを背負って、前に進み続ける。
レイ
砂埃にまみれた空気。一寸先も見えない霧。
かすかに見える影。暗闇の中の……光。
レイ
……ここはどこ?
広大で、がらんどうの地下洞窟のようだ。発光生物が、使い古されたカンテラのように淡い光を発している。
レイの背後では、多くの生き物が暗闇の中をもぞもぞと這い回っていた。彼女は反射的にクロスボウを構える。
地面に複数の土の山が盛り上がり、動き回ってぶつかり合った後、そこから数匹のサンドビーストが顔を出した。
レイ
サンドビースト?
君たちがうちをここまで……?
ここは単に君たちの巣穴……ってわけじゃないよね?
サンドビーストの群れが地面や壁を跳ね回りながら、奥へと続く道を示してくれた。
洞窟内では傾いた岩の柱が交差し合い、中央の光るエリアを守っている。それは巨大な羽獣が築き上げた石の巣だった。
地面には何がしかの生物が通った跡のような溝が、巣の入り口付近までずっと続いている。
辺りで廃棄物のように乱雑に転がった石の梁は、その生き物から剥がれ落ちた鱗であり、高々と積み上がった泥の山は、腐り落ちたフケである。
狂風の吹き荒ぶ音は完全に遮断されていた。この天然のシェルターには、ただ伸びやかなホイッスルの音だけがこだまし、暗がりに棲む数多の生命に秩序をもたらしていた。
レイ
……うち、覚えてる。
あの時……霧の中にあの影が見えた時、最初に聞こえてきたのは、風に乗ったささやき声。その声を聞くと、なぜか心が落ち着いて、しばらく痛みを忘れられたの。
前へ進みなさい、レイエーラ。この暗闇を抜けるのよ。
あなたなら、きっと……
……ん?
サンドビースト……急に止まっちゃってどうしたの?
前に……何かある?
これ以上闇に慣れることに突然嫌気がさしたレイは、カンテラの灯りを点けた。
レイ
……行き止まりだね。
岩で塞がれてる。
……でもうちならなんとかできる。掘り開けなきゃ。
???
痛ってぇ……!
レイ
……!
ホイッスルのような音がスッと止み、取って代わって音域の異なる無数の声が、人間が理解できるものとそうでないものの音節が入り混じった怒号が響き始めた。
レイが耳をぎゅっと塞いでも、その声は反響を繰り返しながら頭の中へと流れ込む。
???
んー、目ん玉をほじられる夢を見たような……なわけねぇか。こんな荒地に生き物がいるわけねぇもんな! ――もんな! ――な!
レイ
……変だ。
サンドビーストが……また言葉を喋った。それも何百匹も同時に喋り出したみたいに聞こえる。
???
サンドビースト? ――スト? ――ト?
おらがサンドビーストだと!? ――だと!? ――と!?
ったくよぉ。はじめに長耳の小人どもが棒切れでおらの頭をコンコン叩いたと思ったら、次は鉄の塊が耳の穴ん中にドガガーって這いまわりやがるしよ――しよ――よ。
ようやくやつらがどっか行って、おらもぐっすり眠れると思ったのによぉ……一眠りもしねぇ内にまた叩き起こされちまった!! ――ちまった!! ――た!!
レイ
うっ――
???
おおー、すまねぇ、ちっこいの。ちょいと興奮しすぎた。でけぇ声出して尻もちつかせちまったな。
でも先におらの眠りを邪魔して、ベロを踏んづけて間抜けな声を出させたのはそっちだから……これでおあいこだな。
む……
なんだぁ、くせぇなぁ? ……なんだこいつら! おらの鼻の前からどけてくれぇ!
レイ
……幻覚?
???
幻覚? それはねぇな、おらが保証する。だってよ、実際こんなにむずがゆいんだから……
レイ
サンドビーストたちが……なんかの植物を引っこ抜こうとしてる……
???
こら、それはおらの鼻毛だ! そんなに引っ張るんじゃ――ハ、ハクション!
岩壁に穴が空き、暗闇に一筋の光が走る瞬間がまた訪れた。
レイ
――
……
……もしかして、君が「巨獣」?
うちが探してたのは、君なの?
巨大な瞳が宝石のような煌めきを放っている。
レイは自分の心臓がかつてないほど力強く鼓動し、胸の中で震えているのを感じた。
狩人の娘、暗闇から抜け出した探査員、光を追い求める旅人……過去から今まで、すべての時間の彼女が一斉に、恐る恐るその巨大な瞳に向けて手を伸ばした。
「巨獣」
……
なんだぁ?
「巨獣」? それっておらのことか?
いい名前だぁ! サンドビーストなんかよりずっとかっこいいな!
よーく覚えとかねぇと……前も誰かに名前を付けられたことはあったけど、目ぇ覚ましたら忘れちまってよぉ。ほんの一瞬目を閉じただけだったのになぁ……
まあいいっか、そんなのよりたっぷり寝るほうが大事だ……ほれ、早く話せ、ちっこいの。
おらに何の用だ?
レイ
君は……うちを助けてくれた。
「巨獣」
助けた?
レイ
うちの頭の奥で響く声、大きな影、一筋の光。
……それは、奇跡。君は昔、うちや多くの人の命を救ってくれた。
「巨獣」
……
レイ
……うちは君の光を覚えてる。
色んな伝説で言われてるように、うちらを助けたのは荒野に棲む大きな優しい獣――前はずっとそう思ってた。
でも、どれだけたくさんの動物図鑑を読んでも、記憶にある影と同じくらい巨大な生物なんてどこにも載ってなかった。ましてや、言葉を喋れる生き物なんて。
うちにわかるのは、あれが幻覚なんかじゃないってことだけ。
……そしてなぜか、絶対に君にもう一度会わなきゃって思った。
「巨獣」
……すまねぇな、ちっこいの。それ以上は言わなくていい。
見ての通り、おらは体を動かせねぇ。そこのサンドビーストどもが鼻ん中で跳ね回ろうが、頭が痛くなるほどの臭いを出そうが、おらにはどうすることもできねぇんだ。
こうやってずっと暗闇に閉じ込められたまんま、何十年、あるいは何百年も過ごしてきた……
そんなおらがどうやっておめぇや、ほかのちっこい奴らを助けるって言うんだ?
レイ
……
けど、君じゃなかったら、一体誰が?
まさかこの荒野には、他にも「巨獣」がいるの?
「巨獣」
残念だがよぉ、ここにはおらの同類はいねぇんだ。少なくともおらの知ってるこの荒野にはな。
レイ
……
「巨獣」
もういいか? がっかりすんな、ちっこいの。悩みがあんなら、目を閉じて一眠りすりゃいい。そしたらぱぁっと楽になるかもだろ?
って、目ぇ閉じたらもっと暗くなっちまうか。おめぇは暗闇が苦手なようだからな……こりゃ参った、おらは人を慰めるのがあんまり得意じゃねぇんだ。
やめだやめだ、また眠くなってきた……さっさとその臭ぇ奴らを連れて、ここから出てっておくれ!
声が止むとサンドビーストたちはたちまち騒ぎ出し、そしてホイッスルみたいな奇妙な音がもう一度響き始めた。
レイの目の前はまたしても闇に閉ざされた。自分がどうやって再びサンドビーストの背に乗せられたのかすらわからなかった。
ただ、あの光からどんどん遠ざかっていることはなんとなく感じていた。
すると視界の中で徐々に小さくなっていく岩穴の中から、突如として「巨獣」の声が響いた――
「巨獣」
おーい、ちっこいの。せっかくだから教えてやるよ、おらはさっき身体を動かせねぇとは言ったが、実は全然身動きが取れねぇってわけじゃねぇんだ。
で、おめぇのほうからも一個答えてくれ。
仮におらがおめぇの言う「巨獣」で、その探してた光とやらだったとしよう――
轟音と共に岩が崩れ落ち、大地が震え始める。探査員のクロスボウによって、ついに呼び覚まされたかのように。
「巨獣」
おめぇはおらに何を期待して、はるばるここまで来たんだ?