終曲「夕映え」

怪我をしているな。
そうか? 新たに来たアーツの先生はなかなか恐ろしい。恐らく練習の時に負傷したのであろう。
痛むな。
痛むか? 大丈夫だ。しばらくしたら、身体の中の術式が傷口を塞いでくれる。
ふむ……ヒルデガルト、なぜ泣く? そなたがかつて受けた怪我はこれよりずっとひどいではないか?
だめだ。我々はこんな扱いを受けるべきではない。
木剣を貸せ、あの術師の所に行ってくる。
レオポルトの所に、私たちを創造物と見なし、感情を持つに相応しくないと思っている連中の所に行ってくる。
それからどうするという?
抗う。
恐らく何もできやしない。
それでも構わない。私は皆に、お前に、自分に、証明するんだ。
何をだ?
私が生きていること、そして私の悲しみや喜び、痛み、愛には、私の命には……必ず意味があると。
レッシング
きれいだ……いつも通りに。
だいぶ涼しくなったな。あと一ヶ月もすれば、秋は過ぎ去る。だがツヴィリングトゥルムはあまり雪が降らないから、夕焼けはまだ見られると思う。
エーベンホルツ
……
どうも意外だな。君は風景を見て感想を述べるような人に全く見えないが。
レッシング
俺が言いたいのは、たった半月しか経っていないのに、ここはもう何の動乱の跡も見当たらないということだ。
エーベンホルツ
双塔はいまだ高くそびえ、雲はいまだきらびやかだ。人々は恩寵大通と大権大通を行き交う……まるで何も起きていないかのようだ。
レッシング
いや、変化は確かに起きた。無視することはできない。
傷の具合はどうだ?
爺さんは大したことないと言っていたが、荒域に長い間とどまっていたんだ。「侵食」を完全に取り除ける保証はない。
エーベンホルツ
少なくともこの半月は頭痛が起きていない。
レッシング
エーベンホルツ、あなたは俺が想像してたより勇敢だ。あなたはたくさんの人を救った。
エーベンホルツ
……
私はただ、あのまとわりついてくる「余韻」がこれ以上多くの人を傷つけるのが許せなかっただけだ。
レッシング
「巫王」に会ったんだろう。彼に文句を言ったかどうかとか、殺したのかどうかにかかわらず、あなたはすでに「最後にできること」を全うしたんだ。
それで今後はどうする?
ミヒャエル
お邪魔して申し訳ありません。
エーベンホルツさん……僕はグリムマハトの代理として来ました。
エーベンホルツ
てっきり勝手にリターニアに戻ってきた「死人」に対しての処分を下すのは、イーヴェグナーデだと思っていたが。
これは?
ミヒャエル
グリムマハトは以前僕に二通の密書を授けました。
一通はあなたをツヴィリングトゥルムへ呼び戻すもの。そしてこの一通は、彼女があなたに与える最後の選択です。
エーベンホルツ
……
レッシング
ここしばらくの間、ずっと高塔にいたのか?
ミヒャエル
リターニアにはまだ二人の女帝がいます。グリムマハトは一時的に不在ですが、誰かがあの山のような文書を処理しなければなりません……
それは僕にしかできません。ずっとそうやってきたことですから。
レッシング
決めたのか?
未来のリターニアは、恐らく一つの塔しかないぞ。
ミヒャエル
七年前、僕はツヴィリングトゥルムに来て女帝に謁見しました。ですが性格か、演奏か、あるいはループカーンが好まれなかったのか片方には気に入られず……グリムマハトが救ってくれたんです。
それだけではありません。僕は彼女の「女帝の声」です。たとえ彼女がその称号を僕に賜ったことも、賜ろうとしたこともなくても。
あなたも、僕も、さらには貴族の一部の人も、多くのリターニア人がグリムマハトが目指すものをずっと信じてきたのですよね?
それは高塔など必要としない時代かもしれません。僕たちにはできることがまだたくさんあります。
レッシング
あなたの口ぶり……
ミヒャエル、以前会った時よりもまた成長したな。
ミヒャエル
えーっと、それは……僕が成長期真っただ中だからですよ。
エーベンホルツさん、手紙は読み終えたようですね。では僕は失礼します。
あなたの答えが、ご自分を満足させるものでありますように。
レッシング
何とも言えない表情をしているな。
エーベンホルツ
グリムマハトが私に二つの選択肢を与えた。
もう一度死亡診断書を得て、今度こそ「ウルティカ伯爵」としてだけでなく、「リターニア人」としても……「死に」、本当の自由を得るか。
……あるいは、ウルティカ領に戻るか。
レッシング
一つ話を聞かせてやろう。
昔、ある少年がいた……
エーベンホルツ
……
レッシング
物語を話すのはあまり得意じゃないから、我慢して聞いてくれ。
少年の家は、代々ある貴族の従者でな。数百年の間ずっと、従者から生まれるのは従者で、貴族から生まれるのは貴族。従者が貴族に代わり戦い、血を流し、栄誉を勝ち取り、非難を受けた……
ある貴族が現れるまではな。出身、伝統、制度……彼はそれを価値のないものと見なしていて、誰もが彼からすれば同じだった。同じように凡庸で、弱く、浅薄だった。
だから一枚の文書によって、彼は自分の一族に仕えていたすべての従者を解放し、少年の一族は自由を得たんだ。
その後、この貴族は、有史以来この国で最も物議をかもす君主として君臨した。彼の功績と罪は同等であり、彼の高塔は倒されて、帝国は新たな時代を迎えた。
そして彼の生前の多くの政策が覆ることとなった。従者解放の政令を含めてな……
幼い少年はある日告げられた。亡き君主の子孫が新たな皇帝の寛恕を得て、再び一族の領地を得ることとなった。少年はすぐに高塔に向かい、主人に謁見する必要があると……
運命はただ大きく弧を描いて、また戻ってきたようだった。
しかし少年は結局その高塔に入らず、新たな出来事が続けてやってきた。新たに就任した貴族は従者を呼び戻す文書へのサインを拒否したんだ。それはその子と同い年くらいの少年だったらしい……
少年は再び「自由」を得たんだ。
レッシング
少年の名前はレッシング・マイヤー。そしてその新たに就任した貴族は、エーベンホルツ、あなただ。十二歳のウルティカ伯爵。
エーベンホルツ
……
レッシング
思い出さなくていい。覚えてないだろうし。
俺は当時不安で、また誰かの冗談ではないかと心配だった。それで侍女に頼んで一体何が起きたか探ってもらった……
彼女が言うには、「伯爵様は偏頭痛に襲われていて、機嫌がものすごく悪いようで、従者を一人残らず部屋から追い払い、多くの文書を床に投げ捨てたらしい」ということだった。
エーベンホルツ
……
レッシング
俺がこんな話をしたのは、いわゆる「運命の采配」、あなたの何気ない行動が誰かの一生を変えたことを嘆きたいんじゃなくて……
あなたは自分の身分に、またそれにより自分が背負う心残りや苦痛に嫌気が差している。あなたには当然そうする理由がある。それらがどれだけ真実であるかを、誰よりもわかっているから。
だけど同じようにわかってほしいんだ。その価値を。
それと、俺たちが一体それをどう見なすべきなのかを。
エーベンホルツ
物語を話してくれて感謝する。本当に話すのが下手だったけれどもな……
「始源の角」での出来事をまだ話していなかったな?
レッシング
ああ。
エーベンホルツ
本来話す価値などなかったがな。だが話すとしよう。巫王が目の前から消える時、言うのが間に合わなかった私の言葉を。
お前に跡継ぎはいない。私はただお前の末裔で、お前と私は共にウルティカという姓があるにすぎない。
お前が現れるまで、それは栄誉でも、恥辱でもなかった。
それが、お前一人によって変わった。なら私は再びそれを変えてみせる。お前と違う方法で。
これが私の、お前を嘲笑する方法だ。
これが私の恥であり、私の檻だ。
これが私の責任であり、私の義務だ。
これが、私の道だ。
レッシング
とっくに決めていたのか?
ならさっき女帝の密書を受け取った時なぜあんな表情をしていた?
エーベンホルツ
だって、ちょっと面倒なことがまだ残ってるから……
ハイビスカス
エーベンホルツさん!!!
やっと見つけましたよ!!!
エーベンホルツ
ハイビスカス……?
ハイビスカス
自分の立場を忘れてないですよね……
エーベンホルツ
忘れていない。
ハイビスカス
あなたはロドスのオペレーターなんですよ。着任時に全員に配られるマニュアル、隅々までちゃんと読んだんじゃないんですか?
「二百年続く罪業の終幕をご覧にいれよう……だが、幸いにも永久の別れを告げる日がついに来た! ……私自身の命の道筋はすでに見定めた……」
レッシング
彼女は何を読んでいるんだ?
エーベンホルツ
……
ハイビスカス
オペレーターの離艦はきちんとした承認手続きが必要なんです。こんなわけわからない手紙を残して勝手に消えちゃうなんて、一体何を考えてるんですか?
まだ人事部には渡していませんけどね。
エーベンホルツ
……ハイビスカス、それ返してくれ。
今後長期にわたり、私はリターニアに残るつもりだ。ウルティカ領に帰る。
正式な離艦申請を再提出したい。申し訳ないが、代わりに……
ハイビスカス
うーん、それなら自分でドクターかケルシー先生に話した方がいいですよ。
エーベンホルツ
ロドスの本艦は近くにあるのか?
ハイビスカス
もちろん。だから私がここにいるんです。そこまで近いわけではありませんが、確かに今後私たちはリターニア周辺で処理しなければならないことがあります。
エーベンホルツ
……
ハイビスカス。君は私がウルティカ領へ戻ることに対してそんなに驚いていないようだな。ヴィセハイムを離れてから、私たちは神経を尖らせていたが……
ハイビスカス
だって今の言葉は、恨めしそうに言ってませんでしたし、内容も回りくどくなくてきちんと理解できましたから……つまり、それだけよく考えたってことですよね。
エーベンホルツ
……
ツヴィリングトゥルム バッハ区 バッハ通り
ヴィヴィアナは目の前の敷地を見た。
広くないが丁寧に手入れされている。植物が植えられた隅は周囲の低い石段が取り除かれ、ワックスが塗られた白いオークの木のフェンスで囲まれている。恐らく主人が転ぶのを防ぐためだろう。
小さな家が静かにたたずみ、塗りたての純白の壁面が朝の日差しを反射し、そこを這うカギカズラの葉が明るく染まっている。
???
入るといい、ヴィヴィアナ。
この場所で合っている。
金律法衛
この通りはバッハ氏が当時「栄光首都計画」を取り仕切った際、わざわざ幼少期に住んでいた通りにちなんで建設させたものだ……カレンデュラ小路とよく似ているだろう?
二年前、ある療養中の公爵が領地に戻り、それでコーラはこの住宅を買ったのだ。だがずっと住んでいなかった。
君がツヴィリングトゥルムに来て、彼女はようやくここの片づけを私に手伝わせた。
どうだ?
ヴィヴィアナ
とても綺麗です。ただ……このカギカズラはあまり整える必要はないと思います。
好きなように伸ばしてあげましょう。でないと少し単調になってしまいます……
金律法衛
そうだな。
……ヴィヴィアナ、言いたいことがあるなら言うといい。
ヴィヴィアナ
ブラントさん、あなたの素顔を見るのは、これが初めてです。
金律法衛
何年も経った。
ツヴィリングトゥルムに来てから、金律法衛のヘルメットを外し、素顔を人に見せるのもこれが初めてだ。
あれは私の身分であり、私の職責であり、そして私の……すべてでもある。
しかし一人の「金律法衛」が、女帝の祭典を壊し、金律楽章を改竄した首謀者を偲びに来るべきではないだろう。
ヴィヴィアナ
ブラントさん、あの日……
ブラント
自分を責める必要はない、ヴィヴィアナ。
コーラはやると決心したら、振り返るような奴ではない。君はああするしかなかった。
ヴィヴィアナ
……
ブラント
当時ウェルナーの推薦で新たに組織されたロイヤル楽団に加入した時、彼女の目はすでに見えなくなっていた。そして私はウェルナーに約束したのだ、この女性をできる限り助けると。
だが私は次第に気付いた。彼女には自身の気持ち、自身の判断、自身の望みがあるのだと。
彼女はルシンダの力になりたかった、ウェルナーを助けたかった、ひいては金律楽章を修正し……善良な者を苦しめるあらゆる心残りが、未来において起こらないようにしたかった。
彼女は……意志の固い女性だ。私はずっと彼女を尊敬していた。
しかし彼女は私の想像以上に、勇敢だった。
ヴィヴィアナ
はい……
ブラント
ゆえにコーラには、あの道しかなかったのだ。
私であったなら……
私は、それがどのような光景になるのか想像もつかない……
……感謝する、ヴィヴィアナ。
ヴィヴィアナ、本当にもう考えはまとまったのか?
ヴィヴィアナ
こちらへ来る前、イーヴェグナーデ様に謁見し、女帝の声の職務を正式にお断りしました。
慣例であれば、新たに選ばれた女帝の声は、女帝の祭典後に高塔に入り両陛下の任命を受けることで、ようやく正式にその身分を得られます。
ですがグリムマハト陛下が「声を失った」ばかりであり、今年の女帝の声の任命式も取りやめとなりました。現時点においてこの申請をするのは、適切と言えましょう。
ブラント
もしそれが君の最終的な決定なら、私が言うことは何もあるまい。
ただウェルナーは……
ヴィヴィアナ、これはすでに彼が君にしてやれる最後の、そして最善の計らいだったのだ。
君の父を責めないでやってくれ、ヴィヴィアナ。彼はただ、自由がなかったのだ。
ヴィヴィアナ
お父様は、私とお母様に対して申し訳が立ちませんが、多くの人を守りました。
当時巫王の高塔にいたコーラさん、いつ巻き添えになってもおかしくないホッホベルク家、そして、金律楽章の副本により苦境に追いやられたシュトルム領の多くの人々……
お父様は常に時代の渦中にいて、全てを目の当たりにし、経験し、失い、彼は何かを変える力もなく、必死に嵐に抵抗するしかありませんでした。
彼は何の言葉も残せませんでしたが、それでもこれは詩人が自らを書き留める方法なのです。
ブラント
ヴィヴィアナ……
君がそう思ってくれて何よりだ。
ヴィヴィアナ
従って、私をカジミエーシュへ送り出すことにせよ、私を女帝の声にする計らいにせよ、彼はこれがとても良い道であると思っていたわけではありません。
ただ彼にしてみれば、私はいつまでも保護が必要で、けれど彼には守ることのできなかった子なのです。
ですので私は彼を責めません。
ブラント
ならばきっと、君はシュトルム領へも戻らないのだろう。
ヴィヴィアナ
カジミエーシュにいた時、私は自分のことをただの「異郷人」だと感じていました。あのきらめくネオン、騒々しい競技場、計算された戦いと栄誉……それらは私のものではありません。
ですがシュトルム領に戻り、ツヴィリングトゥルムに戻っても、その感覚は同様に存在するのです。
リターニアは私にとって、暗闇の中の燭火と本、そこかしこに咲くカレンデュラでしかありません。そしてカレンデュラの花言葉は、そもそも「別れ」なのです。
私には初めから、選択する力があるのです。
ブラント
……選択。
人というのは選択肢がある時、ようやく己の弱さに心から向き合えるものだ。
ヴィヴィアナ
ブラントさん……
ブラント
何でもない。
女帝の祭典後、荒域内で見聞きしたものについて、カジミエーシュの友人に知らせる必要があると言っていたな……
ヴィヴィアナ
すでに手紙を差し出しました。きっとすぐに返事があるでしょう。
ブラント
ではこれから?
ヴィヴィアナ
「灯台へと進むのだ。そして灯台が消えた場所へと進むのだ。」
ブラント
何だ?
ヴィヴィアナ
幼い頃に読んだある本の一文です。
ではこれをお別れのご挨拶とさせていただきます。さようなら、ブラントさん、
ブラント
ああ、さらばだ。
ヴィヴィアナ
……
さようなら、コーラさん。
さようなら、ツヴィリングトゥルム。
トランスポーター
ヴィヴィアナさん! ふぅ――
ヴィヴィアナさん、あなたが半月お待ちしていたあの「ニアール」が到着しました、この先の交差点です。
ヴィヴィアナ
……
ムリナール
ミズ・ヴィヴィアナ・ドロステ。
ヴィヴィアナ
ムリナールさん……
ムリナール
あなたが出した手紙はニアール家がすでに受け取った。そしてちょうどリターニア国境にいたため、私が急いで駆け付けた。
手紙には、ニアール家の家紋が描かれた征戦騎士のソードスピアをあなたは見たと、ひいてはそれに触れたとあった……
すべて詳らかに、教えていただきたい。
イーヴェグナーデ
……
これが、今この瞬間の旋律か?
アルトリア
左様でございます。
あなたがお聞きになっているのは、私が感じたすべての感情です。
イーヴェグナーデ
……普段聞いているものと、違いはないな。
アルトリア
ツヴィリングトゥルムの人々はあなたを愛しています。
そしてあなたも彼らを愛しておられます。
この点について、これまでに変わったことはありません。
イーヴェグナーデ
私が「始源の角」から現実に戻った時、そなたも現場にいた。
その時の旋律を演奏するがよい、サンクタ。
アルトリア
それはできかねます。
イーヴェグナーデ
ほう?
アルトリア
涙が頬を伝う瞬間を記録することはできません。心の奥深くで花が咲き、実ることがなければ、それはただ流れ落ちただけの水滴で、落ちた瞬間に日差しで蒸発してしまいますから。
イーヴェグナーデ
……そうか。
この塔が建てられた年、リターニアアーツ学院にてある学者が公開授業を行った。彼は術式により誕生した人間には、生まれつき魂がないと言っていた。
翌日、彼は……辞令を受け取った。本来であれば一生起こり得ることのない抜擢をされて、彼は女帝の側近となったのだ。
ただ惜しいことにわずか一年後、彼は過労のため高塔の奥深くで亡くなった。彼は死ぬ前に学術的大著を残し、自身のそれまでの見解を逐一翻していた。
そなたは、その本を読んでみたいか? 平凡な内容であり、私は出版を許可していない。だがそこに含まれる感情は……なかなかに興味深い。
アルトリア
あなたは……私もあなたの高塔に閉じ込めるおつもりですか?
女帝の術師
サンクタ、誰がここに来ることを許した?
女帝は謁見を許可していない!
イーヴェグナーデ
通して構わない。
フェデリコ
ラテラーノ公証人役場執行人フェデリコ・ジアロです。数日前より女帝の声を通して面会申請を何度も提出しています。
イーヴェグナーデ
そなたが例の……ラテラーノの聖徒か。
フェデリコ
私がここに来たのは、指名手配犯アルトリアを連行するためです。
イーヴェグナーデ
そなたの姉はリターニアにて、多くのことをした。
フェデリコ
元ロイヤル楽団調律師コーラ・レーヴェンシュタインおよび巫王派の残党……
イーヴェグナーデ
……コーラ? 違う、私が言っているのはそのことではない。
ルートヴィヒ大学の事件はとうに終わっており、女帝の祭典では思わぬ事態が起きたが、最終的な演奏は満足のいくものとなった。
そなたも全てを見届けた、聖徒殿。リターニアを去った後も、この国の強大さと壮麗さがそなたに印象深く残ることを願おう。
フェデリコ
陛下の説明からするに、アルトリアと彼女が犯した事件について、リターニアはラテラーノとのいかなる手続き上の交流も拒否されるつもりですか?
イーヴェグナーデ
そなたは……私の決定に疑念を抱いているのか?
フェデリコ
……
フェデリコは剣先が地面にぶつかる音を聞いた。
彼は顔を上げ、リターニアの女帝を見る。
イーヴェグナーデは夕焼けが照らす場所に立っており、ドレスの裾は温かな金色に覆われている。しかし彼女の背後には影から成る長廊下があった。
数十名の金律法衛がそこに立ち、沈黙している。彼らの剣が鳴り響いている。
???
フェデリコ・ジアロ、手を出してはいけません。
フェデリコ
ん?
イーヴェグナーデ
これは何だ? アーツ装置……ラテラーノ人が作ったドローンか?
「独特な形状のドローン」
私はただの機械です。
場合によっては、私を「トランスポーター」と見なしていただいて構いません。
イーヴェグナーデ
誰のトランスポーターだ?
「独特な形状のドローン」
私は……ラテラーノのものです。
リターニアの女帝、あなたにお会いしたいという方がいます。
イヴァンジェリスタⅪ世
久しぶりだな、イーヴェグナーデ。
イーヴェグナーデ
……教皇聖下。
金律法衛
陛下、アルトリア・ジアロはすでに連れて行かれました。
イーヴェグナーデ
うむ、見ていた。
金律法衛
もし陛下が彼女をとどめておきたいのであれば、イヴァンジェリスタⅪ世本人が来たとしても、簡単には帰らせません。
イーヴェグナーデ
そうであろうな。
しかし、あの年老いた教皇がある情報をもたらした。
彼曰く……「災い」がまもなくやってくるらしい。その時影響を受けるのはラテラーノだけではないと。彼はリターニアがラテラーノと共に手を取り合い、危機を防ぐことを望んでいる。
金律法衛
ラテラーノのいつもの言い分です。
イーヴェグナーデ
ヘーアクンフツホルンも似たようなことを言っていた。
あの混沌の中で、彼が己のために建てた幻の玉座の前でな。
彼は言った、「希望はすでに死に、永遠はすでに消滅した」と。
その後、私もこの目で見たのだ……混沌の中に潜む敵を。
ある瞬間、それらは我々のリターニアに限りなく近づいてきた。
金律法衛
……陛下のご命令とあらば、我々はあのサンクタを連れ戻します。
いえ、あのサンクタだけではございません。我々はいかなることだろうと行います。あらゆる犠牲を……惜しまず、再びあの混沌の空間に入る方法を見つけ、グリムマハト様を再び迎え入れます。
イーヴェグナーデ
ヒルデガルトか……
「始源の角」が崩壊する最後の瞬間、私は盾を掲げ、双塔とその足元の万民を守った……彼女を除いて。
金律法衛
……陛下!?
イーヴェグナーデ
ブラント、もう少しこの夕焼けを見るのに付き合ってくれ。
私は彼女に問うた、私に問いたくはないのかと。
事が起こると分かっていながら、なぜ私は放任するのかと。
なぜ私は……最後の瞬間に背を向けるのかと。
しかし彼女は問うてこなかった。
あまつさえ、一切の躊躇なく、ただ普段と同様に、身を翻し、敵を迎え撃った。
すれ違いざまに、彼女が私に言った最後の言葉は、私が……
……私が願い通りに、この夕焼けを手に入れられることを願うと。
金律法衛
グリムマハト様は……偉大なる君主でございます。
我々は彼女の偉大なる行いを胸に刻み、リターニアの未来のために戦い続けます。
イーヴェグナーデ
では、そなたも選択をしたのか。
金律法衛
……はい、陛下。
イーヴェグナーデ
よろしい、ブラント。
ヘーアクンフツホルンは不可能な混沌の中で塔を建て、現実においてすでに倒れた塔と同じ名を付けていた。
彼はそれが永遠であると宣言した。
ならば、私にもできよう。いや、私はヘーアクンフツホルンよりも完璧である。ゆえに当然、より多くを成せる。
私は我々の見ているこの夕焼けを恒久不変のものとしよう。
リターニア、そして未来においては、リターニアに属する全てが……「永遠なる恩寵」を浴するだろう。
エルマンガルド
荷物はこれだけですわよ。どれだけ見ようと、これらの塔はポッケに入れて持って行くことはできませんからね!
フレモント
……本当に無理なのか?
エルマンガルド
先生!
フレモント
わかったわかった、そんな不満げな目でにらむな。最悪あの呪術変形教室の入り口にあるでかい彫刻を元に戻せばいいだろう。
エルマンガルド
あんなものを私のキューブちゃんに入れましたの!?
フレモント
なんだ? あれは私が百年前に巨獣の血を振りかけた素晴らしい品だぞ!
エルマンガルド
出発ですわ。今すぐに。あなたが行かなくても私たちはもう行きますわ。
フレモント
……
エルマンガルド、私たちは本当に……
エルマンガルド
リッチがリターニア人になることはできませんわ。先生が誰よりも長くここにとどまっていたのです、一番よくわかっているのでは?
サルカズはこの大地を放浪し、そしてリッチは……かねてよりサルカズにおける放浪者ですわ。
私たちは大地を歩き、知識を集め、知識を守る。戦火と紛争に我々の伝承を滅ぼさせるわけにはいきません。だからこそ情勢が安定を欠けば私たちはすぐにそこを去るのですわ。
そしてリターニアは劇的な変化を迎えようとしている。グリムマハトは混沌の中に残り、イーヴェグナーデを止められる者はもはやいませんわ。
フレモント
フッ……ヘーアクンフツホルン、あと千回死んでも当然の老いぼれめが、お前が引っかきいまわすだけ引っかきまわしたこの惨状を見ろ。もう一度生き返ろうとは思わんか?
まあそう思っても構わんが、不可能だろうな。たとえそのチャンスがあっても、より活気ある若者に残してやらねばならん。
エルマンガルド
グリムマハトにまだチャンスがあるということですか……どうやって再び荒域に入ればいいかもう考えてありますの?
フレモント
そう急くな、そんなにすぐではない。
だがヘーアクンフツホルンの言った通り、「破滅」の時はまもなく訪れる。
災いが全大地に訪れた時、どこにリッチの安住の地がある?
ゆえにこそ、我々ももう苦労せずともよい。若者よ、リッチの放浪の時代もそろそろ終わりだ。
エルマンガルド
それで、どこへ行きますの?
フレモント
ほかにどこがある?
カズデルでできた新しいお友達に伝えてくれ、リッチの……いや、王庭などない。知識の殿堂の守り人は、家に帰るつもりだとな。
イヴァンジェリスタⅪ世
……
イーヴェグナーデとの特殊通信は終了した。ラテラーノの警告を共有し、リターニアと手を取り合い共に前進することを望んでいるともう一度伝えた。
その時、我々はフェデリコ・ジアロが持ち帰った情報を基にツヴィリングトゥルムで起きた異変に対してさらなる分析を行うとする。
決して巫王派の残存勢力による謀反ではないことは明らかだ。
あるいはリターニアにおける「災い」の予兆なのかもしれないな。ラテラーノが今まさに直面している警告と同様な。
イーヴェグナーデ、今のリターニアにおいて唯一声を出すことのできる女帝……彼女の言葉は体裁的で、態度は曖昧だった。彼女の表情さえ想像できる。
……予想通りだ。
万国サミットの後、「ラテラーノの主張」は目に見えた反応をあまり得られなかった。最も遠い海岸線から中核国家まで、「災い」はいまだ多くの国に秘密と見なされている。
ラテラーノは信仰により団結する。そして、隔たりは常にこの大地が抱える恒久的な病である。だがもし「災い」が未来においてすべての国を一つに繋ぎ合わせるとしたら……
……手遅れだ。
我々は「災い」の輪郭にすでにかすかに触れた、しかしいまだその起源をシミュレートできぬか?
ラテラーノは緊急対応メカニズムの構築を加速する。
……適正人員リストを再確認する必要がある。
ミヒャエル
手続き上の引き継ぎはここまでとなります。
ラテラーノとリターニアの二国間協議に基づき、必要が生じた場合には、アルトリア・ジアロがリターニアに戻れるよう僕と女帝の声が確保します。
フェデリコ
上記の取り決めはすでに確認しました。
ミヒャエル
ふぅ……ではそういうことで。
これで本当にお別れのようですね。
フェデリコ
ミヒャエルさん、私がラテラーノにいる時にせよロドスにいる時にせよ、いつでも訪ねて構いません。
ミヒャエル
え? 違和感がありますよ、執行人さん、どうして突然人間味のある話をし出すんですか?
フェデリコ
人間味? 曖昧すぎる形容詞ですね。
言うなれば、ある種の……直感です。
事件はまだ完全には終わっていません。より正確に言えば、我々が経験したものは、単なる始まりにすぎません。
アルトリア
フェデリコ、やっと来たのね。
フェデリコ
女帝はすでに通行を許可していますが、それはあなたをそのまま連れて行っていいこととイコールではありません。引き渡し手続きは計画よりいくらか煩雑でした。
アルトリア
お疲れ様、フェデリコ。
フェデリコ
混沌の中で、あなたはヘーアクンフツホルンの遺言を聞きました。
彼は一体あなたに何を伝えたのですか?
アルトリア
多くの人が答えを知りたがっているのよ。貴族も、学者も、巫王派の残党も、イーヴェグナーデでさえ……誰もがヘーアクンフツホルンの遺産が何であるか推測している。
権力、力、それとも知識?
あなたはどう思う、フェデリコ?
フェデリコ
……私が見たのは現実には存在しない山積した幻影のみです。
巫王ヘーアクンフツホルンは二十三年前に亡くなっている、これが唯一の事実です。
あの混沌の空間の中で、彼がどれだけの虚構を作り上げ、どれだけの言葉を発したとしても、どれも過去の反響にすぎません。
アルトリア
ヘーアクンフツホルンは死を征服したことがない。けれど彼は自らの一生の感情を虚空に刻んだ。
彼の驕り、失意、憤り、心残り……それと期待。
彼は言ったわ、私たちの始源は終点でもあり、私たちの能力は桎梏でもあると。
フェデリコ
……
解読できない危機。
これも教皇聖下の態度と何かしらの関連があるのかもしれません。あなたをラテラーノへ連れて帰る、これが教皇聖下から与えられた任務です。
アルトリア、塔前劇場で、あなたは自らラテラーノから離れることを選択したのではないと言いました。
アルトリア
……そうね。
フェデリコ
規律に空白があるのは認めます。感情が補助的な力を発揮して、ラテラーノが危機に対応する手助けとなるかもしれません。ですがこれは定義できず、未知のリスクが伴うことは必然です。
従って、私はあなたに対してさらなる警戒を維持し、あなたの行動の主観的動機と起こり得る客観的結果を慎重に判断します。
もし疑わしい点を発見すれば、私はあなたを射殺します。
アルトリア
聖徒さん、誰よりも理性的なあなたは、その時私の処刑人として最もふさわしい人でもあるでしょうね。
さて、フェデリコ。あなたが出発を急がないのであれば、この夕焼けをよく見ましょうか。
これはツヴィリングトゥルムで最も美しい瞬間よ。このような美しさは……短く、儚い。すぐに、夜になるわ。
あなたが前に聞いたあの質問を覚えてる?
ラテラーノはいつまでも真っ白で汚れがなく、いつまでも光り輝いているようだ。ならば、夜になった時、最初に明かりがつく場所はどこかって?
あの時に私は言ったわ、あなたをラテラーノで一番高い場所に連れて行ってあげるって。
フェデリコ
答えはもう知っています。
アルトリア
あら?
フェデリコ
聖徒の称号を得たあの日、教皇への謁見後に私は大聖堂の頂上に行きました。
ラテラーノは夜になると、啓示の石塔右側の通りが一番最初に点灯します。
原因についても調査しに行きました。
ラテラーノ電力管理所は都市全体の公共電力システムについて統一的な計画を行っており、最初に点灯するエリアが啓示の石塔のある街区です。
管理所の操作員アルチーデ氏は、軽度の強迫性障害を持つ左利きの方です。そして毎日操作パネルの一番左側のスイッチを押すのが習慣になっています。
啓示の石塔右側の通りを起点に、ミカエレオン区の公証人役場と大小様々な銃工房、聖マルソー区のサンセット礼拜堂を経て、教会広場へと続きます。
夜になったラテラーノは、街灯が順々に点ります……
アルトリア
やはり、誰よりも理性的なあなたが出した答えも……
フェデリコ
……変わらず美しい景色です。
アルトリア
……
元々言おうと思っていたのは、あの小さな部屋で、実はあなたが見たほど私はうろたえてはいなかったってことよ。
永遠の暗闇、永遠の沈黙は、二人の間の感情を隔てたりはしない。
もちろん、あなたの発見も悪くないわ。
それが私に気付かせてくれたから。このこと自体が必ず答えの見つかる問題であると。
街灯がまた点り、私たちの頭上の小さな光輪も消えたことはない……
光は永遠で、暗闇こそが一時的なもの。
そして、私たちの感情……悲しみや喜びは生命のある瞬間にのみ存在する。でも私たちは、いつだって起きたことをすべて感じているの。
だからこそ、感情が本当に消えたことなんてないのよ。
……夕焼けが、この空から消えたことなんてないように。