さらば、大地よ

半月後
ハビエル
無傷で残ったソルトシップはこれだけだ。ほかのはどれも、それなりに損傷があるが、ほとんどの部品と材料は取り外して使えるだろう。
で、こっちがソルトシップの設計図だ。操縦のコツについても少しは書かれてる。それから、これが塩海の地図。
興奮する商人
はっはっは、これは良い! すべていただきましょう! これで本当に塩海を往くことができるというのなら、キャラバンは相当な時間を節約できますからね!
全部でおいくらですか? さあ、仰ってください!
ルス
しめてこの額だ。支払いはダブルーン金貨で頼む。
興奮する商人
ははっ、構いませんよ!
はいどうぞ。お代はこちらで間違いありませんか?
ハビエル
ああ……
興奮する商人
素晴らしい! では私はそろそろ失礼いたします。
ルス
あんなに気前よく支払うとは……あの値段じゃ安すぎたか?
ハビエル
……
おい、待った!
興奮する商人
んっ……どうされましたか?
ハビエルは彼を追いかけて、ロープを握り甲板に登った。
ハビエル
この舵輪は手元に残しておきたいんだ! いくら返金すればいい?
商品
あ、ああ、舵輪ですか! しかし、これはこの船で一番大事なパーツでしょう。
返してほしいと仰るのなら――
この金額になりますね。
ハビエル
……
商品
おっと、そんな顔をしないでください! 取引は成立したのですから、今やこれは私の船でしょう?
ゆえに公平な取引ですよ。舵輪がこの額に見合うかどうかはあなた次第ですがね!
ハビエル
……わかった、もういい……
興奮する商人
それは残念です。ではまたの機会に。
ハビエル
――野郎ども! 集まれ!
ソルトシップを売って得た金だ。全員で均等に分け合おう。
これを受け取ったら、あとはそれぞれ好きなようにしろ。
ほら、ルス、あんたの分。
ルス
……
ハビエル
どうした?
ルス
正直、この先何をするかまだ決まってなくてな。
ハビエル
自分で決めるんだ。簡単なことだろ。
ルス
……前は、フアナのもとを離れて平穏に生きられたらと思ってた。だが後になって、お前もだいぶどうかしてるし、お前について行ったところで平穏に暮らせやしないと思ったんだ。
それに、こうしてこの町に来て、ここにいる連中を見てると、奴らは痩せて干からびて、目にも輝きなんてない……ここで生きていて本当に平穏なんて得られるのか?
ここじゃないどこかでなら、俺が海賊として培ってきた技術で平穏な日々を手に入れることはできるのか?
ハビエル
……
ルス
こんな話したら笑われるかもしれないが、実のところ俺はティーチを尊敬してるんだ。あいつはいつも自分の考えを持ってるからな。
あの日、あいつはひどい怪我をしてたが、それでもフアナと一緒に海に出ると決めた……本当に強情だし……本当にすごいことだと思うよ。俺にはきっと、そんな度胸はねえ。
はは……俺の話はもうよそう。お前はどうするつもりなんだ?
ハビエル
どこか別の場所でレストランでも開こうと思う。
ルス
そうか……そんじゃ、この辺りでお別れだな。このタバコを吸い終わったら、俺も行くとするよ。
人間……何がどうなるかなんて、わからねえもんだな。
ソルトシップが遠のいていく。その白い帆とルスの背中が、どちらも視界から消えていくのを、ハビエルはただ見つめていた。
それから彼は、自分の分け前をポケットに入れて、次の分かれ道へと歩いていった。
パスクアラ
ねえ、これいくら?
キャラバンの行商人
銀貨一枚だ。
パスクアラ
こっちは?
キャラバンの行商人
それも銀貨一枚だな。
パスクアラ
へえ、そんなにしないじゃん!
じゃあこれとこれとこれ、全部包んであたしの荷車に積んどいて。
キャラバンの行商人
はいよ! しかし、こんなに買い込んでどこに行くんだ?
パスクアラ
欲しいから買っただけだけど、それがどうかしたの?
キャラバンの行商人
いいや、別に。欲しいものがあったら何でも言いな! 全部包んで荷車に積んでやるから!
パスクアラ
ふっふーん、ならいいけど。
にしても……服もアクセも小物も買ったのに、なーんかまだ足りないような……
んー……何が足りないのかな……
キャラバンのメンバーA
(小声)……そうなんだよ、びっくりだろ!
キャラバンのメンバーB
(小声)でも、本当にそんなことが? すんごいな……
パスクアラ
(……あれ? あの人が腰につけてるバックル……キラキラしてて超きれいじゃん……)
(何製だろ。金属? 宝石? ……欲しくなってきちゃったなあ……)
(ど~しても欲しいなあ……)
キャラバンのメンバーA
(小声)……あれはあの連中が偶然見つけたもんなんだとさ。掘り出したら売って金にしようと思ってたとか……
キャラバンのメンバーB
(小声)あんなの欲しがる奴いるのか? 信じられないな……
パスクアラ
(よし、バレてない! あとちょっと……)
キャラバンのメンバーA
(小声)……しかし、あいつらがまさかこんな大金を出すなんて……これなら、残りの人生何の心配もなくなるぞ!
キャラバンのメンバーB
(小声)で、俺らの今回の目的はそれだってことか?
パスクアラ
(へへ……バックルゲット!)
キャラバンのメンバーA
(小声)ああ……クルビアまで行けば、大儲けできる……
パスクアラ
(大儲け?)
パスクアラは手を離し、バックルはその人の腰へ戻った。
パスクアラ
ねえ、大儲けって何の話?
キャラバンの人々
うわっ!
キャラバンのメンバーA
おいおい、盗み聞きしてたのか!
パスクアラ
えへへっ。
これがほかの人だったら、こんなふうに話しかけてないよ。でもお兄ちゃんたちはすっごく特別な人に見えたから!
それでどうしても話してみたくなっちゃったの……
ほら、あたしの分の旅費は出すからさ。クルビアまで行くのって遠いんでしょ? きっと退屈しちゃうから、あたしにもいろいろお話してくれない?
ティーチ
あたしら本当に海に出るんですね、フアナさん。
ふぅ……本当にこんな日が来るなんて……
フアナ
ふふっ、そうよ真珠ちゃん。私たち、海に出るの。
ティーチ
……まったく、信じられませんよ……
フアナは風で乱れた長髪を撫でつけると、後ろを振り返った。
フアナ
ねえ、イシドロ。私たちには何にもなくなっちゃったけど、海に出るって決心だけはついているの。
一緒に来てくれる?
イシドロ
フアナ……俺からも聞きたいことがある。
副船長の役目を、あんたに頼んでもいいか?
フアナ
……
じゃあ、船長さん。準備はできたかしら……って、あら?
この子、ご機嫌斜めみたいね……なんとか宥められないか、様子を見てみましょう。
フアナ
んー……
ティーチ
うーん……
フアナ
この伝動用のコアは数十年物だし、やっぱり新しく搭載した動力システムには耐えられないのかしら……
ティーチ
あー……ウィーディはもう、自分で改造したボートで帰っていったんで、自分らで直すしかないですね。船内にまだ資材が残ってたかどうか……
イシドロ
……
フアナ
イシドロ、そのカバンは何を入れてるの? 随分パンパンになってるけど。
イシドロ
どれもエリジウムから渡されたものだが、大して役には立たないだろう。正体すらわからないものもあるし……
フアナ
とにかく出してみて。何かに使えるかもしれないし。
イシドロがカバンを開けると、詰まっていた中身がどさどさと落ちる。
フアナとティーチはそこに歩み寄ると、物色を始めた。
フアナ
あら、ビタミン剤。これ、海に出るなら大事なものよ。
ティーチ
通信機器に長靴も入ってますね……
この工具があれば……船の修理もできそうだ。
フアナ
あら、エリジウムったらなんて気の利く子なのかしら。こういう物を今から手に入れようとしたって、そうはいかないものね。
ティーチ
とりあえずこの辺はもらってくよ。これでコアの問題は解決できそうだ。
イシドロ
……
フアナ
なあに、その表情。まさか何も気付いてなかったの? こんなにたくさんもらってたのに。これって、お別れした日にもらった物?
イシドロ
いや……あの日あいつとは別れの挨拶をしなかった。
それよりも以前から、事あるごとに何かと渡してくるものだから、まとめてカバンに入れていたんだ。
……
あいつはとっくにお見通しだったというわけか。
それも、俺よりずっと早くから。
フアナ
「ブラザー」だから、あなたの考えくらいわかってたのよ。きっとね。
イシドロ
……
ティーチ
よし、直った!
高ぶる船員
おおっ! それじゃ出発できそうだな!
興奮気味の船員
ヨーホー!
出航だ! 行くぞ!!
フアナ
さあ行きましょう、船長。船の進路を決めるのよ。
イシドロはフアナから望遠鏡を受け取った。
果てしなき塩海では、白い波しぶきのように塩粒が風に乗って舞い上がる。だが、彼の視線はこの偽りの海の向こう、遥か遠方の果てにある、鮮やかに青く広がるその場所へと向けられていた。
彼は一人船首に立ち、腕を伸ばしてその表面を流れる光を見つめては、光が行くべき方角を指し示すのを待っていた。
通りに立っていた彼が手のひらを合わせた瞬間、夜空に残った最後の星くずも散っていき、すべては再び暗闇に包まれた。
恥ずかしがる子供
花火、終わっちゃったみたい。もう行こうか?
驚き喜ぶ通行人
ああ、行こう。家に帰ろう。
冷たい通行人
ふんっ……
通行人は次々と散っていき、彼の周りに集まった人々は再びそばを離れていった。
幼いイシドロ
……
イシドロ
……
彼が反応せずにいるのを見たフアナが、すっと歩み寄り、ティーチも船首の甲板へと歩いてくる。
船員は皆次々と近づいてきて、新しい船長が何を見たのかを見ようとした。
そうしてイシドロは、彼らに取り囲まれた。後ろのほうにいる船員は、首を伸ばして人を分け入らねば彼の姿が見えないほどだ。
興味津々な船員
なんだなんだ、船長は一体何を見てるんだ?
焦る船員
ねえ、まだ方角はわからないの?
疑問に思う船員
海に行くにはどっちに進めばいいんだ? こっちで合ってるのか?
イシドロは答えず、ただ集中して自身の腕を見つめていた。
疑問に思う船員
どうしてずっとグルグル回ってるんだ?
焦る船員
いつになったら方角がわかるの……? 一体どこへ行けばいいの?
興味津々な船員
確かに……俺たちどっちへ進むことになるんだ?
フアナ
はいはい、焦らない。我らが船長が教えてくれるのを待ちなさい。
イシドロ
では……
行くべき方角を示してくれ。
彼の問いかけに応えるように、腕の光が不規則な動きをやめ、まっすぐに地の果てに向けて波打った。
彼はこの仲間たちと共に伝説の大海原へと進むことを望み、心相原質は海を指し示したのだ。
船員たちは歓喜に沸き、ラム酒がこぼれて――
興奮気味の船員
向こうか! 向こうだな!
高ぶる船員
そっちには海があるはずだ!
全員の視線がイシドロに注がれる。
フアナ
船長、命令を!
船員たちはすでに帆綱を手にしており、フアナの手は舵輪に置かれて彼の命令を待っている。
イシドロは深く息を吸うと、自身の言葉を待ち望む真摯なその目を見つめ返した。彼は、今や己がこうした期待に応えることを少しも恐れていないのを感じた。
塩海の風が吹き、彼は重荷を下ろせたように思った。
イシドロ
野郎ども!
錨を上げ、帆を張れ――
――出航だ!
船員たち
出航――
ヨーホー!! ♪
帆を揚げて、ヘイ♪ 錨を上げて、ヘイ♪
狂える風が服を引き裂く♪
荒れる大雨が酔い覚ます♪
準備しろ! 出発だ! 港にゃ船がわんさかあるぞ! ♪
興奮しきりの船員
俺は波と戦い、荒波の上を往き、雷と剣を交えるんだ!
高ぶる船員
俺は深海に隠されたお宝を見つけるぞ! きっとピッカピカの金貨があるはずさ!
ためらう船員
で、でもさ……俺ら、今は海に行きたいからっつって団結してるけど……
いつか考えがバラバラになっちまったら、もう一緒にいられなくなるのかな?
ティーチ
……ハッ、そんないつかの話なんかしてどうすんだい、坊主!
未来がどうだろうと、今のあたしらは一緒にいて、一緒に海に出んだろうが!
余計なことウダウダ考えてないでしっかり帆を張りな!
フアナ
さあ船長、お酒はもう行き渡ってるわ。何か一言お願い!
イシドロが船首に立つ。大気は次第に湿度を帯びて、彼はその湿り気に気持ちの高ぶりを感じていた。
イシドロ
彼方へと乾杯を。
???
……フンス……
……フンス、フンス……
フアナ
あら、この音……なんだか聞き覚えがあるような。
???
……フンス……
ネネ
キュイッ、キュイ!
フアナ
ネネ!?
まあ、あなた生きていたのね!
ネネ
(フアナの頬を思い切り舐める)
フアナ
ふふっ、もう……
一緒に海へ出てくれるの?
ネネ
(はしゃいで飛び跳ねる)
フアナ
あなたったら、本当にいい子なんだから!
立ち込める蒸気の中に血痕が一筋伸び、果てなき塩海の奥まで点々と続いている。
冷たい舌は口内の血なまぐささを味わっており、欠けた手足は主なき欲望に駆られて前へと突き進んでいた。
ほど近くで、一本の触手がもがきながらも塩の層を突き破り、久しぶりの日差しの中へと這い進んでいた。そして二本目の、三本目の触手が同じように伸び……
もう一つの主なき欲望に駆られた薄暗い発光器官が太陽に向かって高く伸びていく。まるでそこから光を借りようとするかのように。
彼は生き延びたいだけで、ソレも生き延びたいだけだった。
手段も、形も選ばずに――
人だったものとシーボーンだったものはもがき、蠢き、貪るように互いを飲み込み合っていく。
そして、それは永遠に大地を行くのだった。