脱帽の礼

アーミヤ
……
六割の感染者が一週間以内に感染しています。そして彼らの病状はかなり急速に悪化しています。
ほとんどの人がアーツを濫用する傾向にあり、彼らは感染者としてどのように生きていくべきか学ぶ時間がありません。
もしシャイニングさんがいれば……いいえ、ロドスの一般的な医療オペレーターが一人でもいてくれれば、私よりずっとうまくやってくれたはずなのですが。
私にできることは、あまりに少なすぎます。
シージ
自分を責めるな、アーミヤ、貴様はよくやっている。
昔ここに住んでた頃、ノーポート区の感染者は多くなかった。全員が何不自由ない生活を送ってたとは言えないが、少なくともここはロンディニウムなんだ。
この地を離れて随分経ってから、私は自分の幸運に気付いたんだ。私がかつて当然だと思っていた物事は、幸運な例外であることがほとんどだった。
人はその場の環境によって自らの能力を見誤り、その生活が自分の努力によって手に入れたものだと勘違いしてしまう……
崩壊の瞬間が訪れて初めて、自分はただ、良い環境に恵まれただけなのかもしれないと思い知るのだ。
カドール
ハッ、ご立派な自省心をお持ちだな、ヴィーナ殿下。
つまり、それこそオマエたちが戻ってきた理由なのか? この地で自分の信者を大勢集め、王位に就く手助けをさせようってか?
ハッ、オレはとんだ間抜けだぜ。前は本気で……オマエがあいつらの言う義理人情を重んじる「シージ」だと思ってたんだからよ。
シージ
それは私の本意ではない、カドール。
私は自分が王族だなどと公言してはいない。だがあの状況において……モーガンの講じた手は確かに効果的だった。
カドール、貴様は散々「団結」と口にしていたな。いずれにせよ、これは確かに──
カドール
全く光栄だぜ。ヴィーナ殿下の社会勉強の役に立てるなんてよ!
感動しちまうなぁ。この後何があるんだ? お近づきの印に握手でもするか? それから王室カメラマンの記念撮影でもあるのか?
シージ
……
カドール、何が貴様の怒りを買ったのかはわからないが、私たちは同じ側に属しているはずだと思っている。
カドール
……同じ側?
よく考えてみろよ、オマエたちがどんだけ純粋か……だがオレらはどうかな?
……数日前、オレらはある老夫婦を追い出したばっかだ。
オレが借りてたアパートの隣人で、前から親切にしてくれて、たまに作り過ぎた鱗獣フライを分けてくれたりもした。
オレらがサルカズに家を追い出されて、この封鎖エリアに連れてこられた時、二人が群衆の中を逃げ惑い、何度もはぐれながらも、必死に手を握り合ってる姿をオレは見た……
そんで耐え切れずに、二人をボクシングジムに連れてきたんだ。
あの婆さんはまめに働いて、オレらを随分助けてくれたさ。爺さんに関しちゃ……そうだな、少なくともジョークがうまかった。あの爺さんとの夜番は退屈しなかった。
だが数日前、オレらは二人をここから追い出したんだ。
デルフィーンが彼らに二日分の食料を渡して、スェードデパート下の駐車場に移動させた。
あのデパートはすでに数え切れねぇほど何度も略奪されてる。だが運が良けりゃ、誰かが落とした食いモンが見つかる可能性はある。
シージ
……あそこは頑丈な避難所だ、少なくとも安全面は十分だろう。
カドール
そうだよ。
だが二人は感染者だ。少し前に感染したばかりだった。どっからか飛んできた源石粉末で感染したのかも知れねぇが、あの二人は年を取ってて、病気の進行も早い。
なのにオレは……
……
二人に鉱石病抑制剤を一つも渡さなかった。なぜなら、より多くの若くて体力のある奴らがそれを必要としてたからだ。
シージ
──
貴様の選択は理解できる。だが……
カドール
分かってるよ。二人は年寄りだ。サルカズのアーツとか、建物の崩壊とか、何なら砲撃による心臓発作かなんかでも死んじまうだろう――だがオレが二人の最後の希望を奪ったんだ。
……オレがジムまで連れてこなけりゃ、もしかしたら生き残れたかもしれねぇ――オレが二人を殺した。
しかもオレは、自分が間違ったことをしたとは全く思っちゃいねぇんだよ。
シージ
……
カドール
……分かるか? ヴィーナ、二人が去った時の様子がオマエに想像できるか?
シージ
ああ……
カドール
いいや、無理だ。
何一つこっちを責めはしなかったよ。泣きも罵りもしねぇ。あの爺さんは最後の最後までオレに冗談を言って、昔デパートにあったガリアレストランのシェフをバカにして笑ってたんだ。
二人は小さなカバンを握り締めてた。あのカバンに入ってるものだけが希望だったろうな。二人で支え合ってふらふらしながら行っちまったよ。
運が悪けりゃ、外をうろついてるイカれた野郎に全部奪われちまうかもしれねぇってのに。
オレは昨日も二人の夢を見たんだ。
シージ
貴様には何の責任もない、カドール、貴様はただ──
カドール
オレが二人の惨たらしい死に様を夢に見たとでも思ってんのか? 鉱石病か、飢えか、それとも戦火に焼かれた姿をか? フッ。
オレは……オレはこの戦争が終わる夢を見たんだ。ノーポート区はロンディニウムに戻り、オレらは故郷を作り直してるんだ。
秩序が取り戻され、城壁が修復されて、オレらは広々とした明るい家に住む。そんで、喜び祝う群衆たちの中に、オレは……爺さんを見たのさ。
爺さんはまだ生きてた、生き延びてたんだ。それが婆さんだった時もある。爺さん、もしくは婆さんはその両目でじっとオレのことを見つめてくるんだ、空いっぱいに祝いの花火が打ち上がる合間に。
オレは、あの二人の死を恐れたことはねぇ。それはつまりオレが残酷な選択をしたっつーことを意味するが、爺さんたちを犠牲にすることで、その他の誰かを救うことができたはずだ。
だがもし全部終わった後も、平和なセントデューナ川の岸辺に憎しみが流れていたら? あの爺さんの両目が、永遠にオレを見つめ続け、オレに問い続けていたとしたら──
オレは何て答えてやりゃいい? オレはどうやれば、この戦争から逃れられるんだ?
シージ
すまな──
カドール
謝んな! ヴィーナ、オマエにその資格はねぇ。
オマエは、神話でしか聞いたことがない剣をかざしてこう言った。グラスゴーの元リーダーは正当な王位継承者だと。かつて若者たちが憧れた暴れん坊どもは騎士で、王権の支持者であり家臣だと──
──そんでオマエはこうも言った。自分は戻ってきてオレらを救うべきだと。オレらを救ってやれると。オレらはオマエの元に集って団結すべきなんだと。
マジで笑っちまうぜ、そうだろ? とっくに全員があらゆる悪事に手を染めちまった後に──
ストリートで用心棒をしてたギャングのグラスゴーが、戦争の中で無様に生き存えるために、コソ泥や、強盗や、人殺しをしちまってる中で、オマエらは帰ってきた。
オマエらだけが国王に、騎士に、聖人になって。
歓迎するさ「シージ」。よくぞ今になって戻ってきたよ。
だがな、ここにはもうオマエのグラスゴーはねぇんだ。オマエは何者でもねぇ、オマエは今のグラスゴーにとっちゃ、何者でもない。
シージ
そうだったとしても、我々は協力する必要がある!
そうすることでしか戦争を止め──
……戦争から生き延びることはできない。
カドール
……賢いなヴィーナ。その通りだ、オレらは別に何かを止めたいわけじゃねぇ。オマエの崇高な理想のために、オレらに犠牲を強いる権利もねぇもんな。結果が同じでも言葉は正しく使わねぇとな。
オマエら貴族どもとサルカズの戦争はよ、オレがこの人生で考えたことすらねぇもんを奪い合ってんだ。
でもって、オレらは丸腰の平民だ。戦争のほんの僅かなさざ波が、オレらをここへ追いやった。
いいぜ。生き延びるために、ひとまずオマエを絞め殺してやりたい衝動を抑えてやるよ。
ここに残ればいいさ。せいぜい、偉大な計画を進めりゃいい。この街やこの国を救えばいい。
もしくはさっさと用事を済ませて、来た時みたいにまたこっそりとここから出て行きゃいい。
オレに文句はねぇ。「殿下」、そもそもオレに拒否する資格があるかよ?
シージ
「殿下」などではない。
……私は貴様らと同じグラスゴーの、ただのヴィーナだ。
カドール
……お手並み拝見といこうかヴィーナ。
サルカズの老人
ううっ……
???
最初っから言ってましたよね、コルバートさん? 物資を荷車に載せてバラまくなんて良いアイディアとは思えないって。
コルバート
確かに思っていたのとは違う結果になりましたね、パーシヴァル。
私は……多少は人々の助けになるだろうと思っていたのです。
密かに回って、みんなの手に豆の缶詰が一つか二つ行き渡れば、次の配給まで耐えることができるだろうと。
もっとちゃんとやるべきでした──
パーシヴァル
結果は同じですって。むしろもっと悲惨なことになっていたかもしれません。
今まで皆があなたにどれだけ礼儀正しく振る舞っていたとしても、この状況じゃ身を隠しているべきですよ。
あなたは何人かの命を救える物資を与えた、それは良いことです。でも考えてもみてください、彼らの目に、あなたの姿は聖人として映るのか、それとも悪魔に見えるのか。
コルバート
ハハッ、そもそも私はサルカズですからね。
しかし、あの方たちが仰っていたのは事実なのでしょうか?
アスランの王位継承者? 大公爵たちは彼女の命に従い、まもなくここを攻める?
パーシヴァル
フンッ、あなたは伝説を信じるようなストリートギャングたちとは違うでしょう? 国王がどうやって死んだかは、みんな知ってる話ですよ。
コルバート
ですが、彼らが何者であろうと私たちを助けてくれたことは間違いありません。私たちは……
イネス
彼らと話してみるべきだ──でしょ?
デルフィーン
イネスさん! もっと順序立てて接しないと……
パーシヴァル
!?
あなた、さっきの……
デルフィーン
私たちに敵意はありません。信じてください。
パーシヴァル
……信じると思いますか? フードで顔を隠した方とサルカズの傭兵の二人組が、アスラン王の仲間だとでも言うつもりですか?
イネス
フッ、この大地では何でも起こり得るのよ。
私自身も驚いてるわ、まさか自分にそんな肩書きまで加わるような日が来るなんてね。
パーシヴァル
……あなたたち、何が目的なんですか?
イネス
あなたたちはホテル・サンセットストリートの人間よね?
どうやら特別なツテを持ってるようだけど。
コルバート
ある心優しいサルカズの傭兵さんが物資を分けてくれまして、多くはありませんが、私は……
イネス
そう慌てて説明しなくてもいいわ、ゆっくり話しましょう。
パーシヴァル
……
いいでしょう。本当にノーポート区の人々を助けるつもりがあるのなら、あなたたちが何者だろうと構いません。
デルフィーン
このホテル、まだ使えたんですね……外から見た限りでは、崩れてしまっているものだと思っていました。
パーシヴァル
外観を廃墟のように装うのがどれだけ大変か、あなたに五時間ほど愚痴ることもできますが。
あたしたちはトラブルに巻き込まれたくないだけです。コルバートさんは喧嘩が得意な方じゃないし。
コルバート
どうか責めないでやってください。私はただ……このホテルの体面をできるだけ保ちたいだけなのです。
私はここで生涯働いてきました。ここは素晴らしい場所でしてね。自分が心血を注いだこの場所が灰になるなんて、とてもじゃないが我慢ならないのです。
デルフィーン
気持ちは分かりますよ、コルバートさん。私も以前のホテルの様子は覚えていますから。
眩いクリスタルのシャンデリアや、親切なドアマンにウェイター、そして豪華なスイートルーム。
入口のところには、綺麗な旗が掛かっていましたね。
コルバート
旗ですか……どうやら、あなたは以前、当ホテルでも特別なおもてなしを受けるお客様だったようですね。
デルフィーン
……何年も前ですけどね。
この話は、また今度じっくりすることにしましょう。お二人の話だとサルカズの傭兵が食べ物を提供してくれたのですか?
コルバート
そうです。パプリカと名乗るお嬢さんでした。我々に食料を渡すのはきっと彼女にとっても簡単なことじゃないでしょうに、ありがたいことです。
イネス
パプリカ?
……少し前に見た、ハイベリー区におけるアスカロンの作戦報告書の中で、その傭兵について触れられていたわ。
マンフレッドに捕らえられて死んだと思っていたわ。
デルフィーン
それって、本当に心優しいサルカズだということ?
イネス
いいえ。食べ物に関しては、無事に受け渡しができているのなら恐らくマンフレッドの計画のうちでしょう。
軍事委員会はノーポート区の人間に生き続けてもらう必要がある、少なくとも今のところはね。
奴らは何を待っているの?
デルフィーン
今はサルカズの計画を気にしてる余裕なんてありませんよ、ロドスのお二人さん。
このホテルには、通信基地局がありますよね? それを借りたいんです。
パーシヴァル
……
あなた、何をするつもりですか?
デルフィーン
この現状を大公爵に知らせて、支援部隊を出させるのです。
パーシヴァル
つまり、あの「殿下」の話はやっぱり嘘だったってことですね。
あなたたちはノーポート区の市民に偽りの約束をしたと。
デルフィーン
私たちは、それを現実にしようと努力しているんです!
私たちが広く話を広めることさえできれば、大公爵たちだって黙って見ていられなくなります。信じてください。
パーシヴァル
そこまであの貴族たちの道徳心を信じてるんですか?
デルフィーン
……
私は、あの人たちの野心を信じているだけです。
パーシヴァル
その後は? ここの通信は暗号化できないですよ、サルカズも同じようにあなたの放送を受信できます。
デルフィーン
ヴィーナさんが言っていました。グラスゴーの人と一緒に封鎖壁に対する突破作戦を行うって。突破が成功すれば、封鎖エリアの向こう側に区画の外へと通じる隠し通路があります。
彼女たちはそれを一度使ったことがあるそうです。
私たちは、大公爵の攻撃まで持ちこたえるだけでいいんです。
パーシヴァル
「持ちこたえる」って、どれぐらいですか?
デルフィーン
四時間ほど。
パーシヴァル
自信満々に言いますね。
デルフィーン
……
パーシヴァル
じゃあ区画から去った後は? ここは戦場ですよ。
デルフィーン
……それはその時また考えます。私たちも現時点で何もかも完璧に想定はできませんから。
ここを離れることさえできれば、後のことは……
イネス
ちょっといい? このホテルは他の客を収容してるのかしら?
コルバート
え? いいえ、もちろんいませんが……
この数日、ここに隠れているのは私とパーシヴァルだけです。
イネス
──
デルフィーン
影が……膨張していく?
イネス
身を隠して、ついてきなさい。
デルフィーン
え? でも──
ちょっとイネスさん、引っ張らないでください!
イネス
デルフィーン・ウィンダミア! 死にたくないなら黙ってついてきなさい!
デルフィーン
え?
どうして……
コルバート
どうなさったのです? これはどういうことですか?
パーシヴァル
……
コルバートさん、彼らの言う通りにしましょう。
イネス
Dr.{@nickname}、あなた……
……言いたいことはわかったわ。
「グレーシルクハット」
無用だ、立っている方が好きなのでね。
ロドスのドクター、実に面倒なことをしてくれたものだよ。アレクサンドリナ殿下の立場は……今のヴィクトリアにおいて極めてデリケートなものだというのは、よく理解しているはずだろう。
これに関し、我々の間には暗黙の了解があるものと思っていたが。
ハァ……この件についてはひとまず棚に上げてやってもいい。
先ほど立ち去った、あの忙しない青髪の女性を紹介してもらえないかな、ロドスのドクター? ぜひともお近づきになりたくてね。
彼女をダンスに誘えるかもしれない。