無名の輩

そそっかしい子供
ねぇねぇ、どうだった?
わがままな子供
あったぜ……
そそっかしい子供
族長に見つからなかった?
わがままな子供
家にはいなかったよ。多分、移山廟のご先祖様へのお供え物を交換しに行ったんじゃねーかな……
そそっかしい子供
よかった。見つかったらまた怒られちゃうもんね……ほら、早く出して。
このボタン、何だろ? 丸い部分は懐中電灯がはめ込まれてるみたいだけど……これってほんとに信使の姉ちゃんが言ってた、さつ……何だっけ?
わがままな子供
「撮影機」だろ。
間違いねーって。前に信使の姉ちゃんが持って来てくれた雑誌にこれと同じ機械の広告が載ってたもん……
昨日、あの兄ちゃんがこれ持ってたのを族長たちが見つけた時、すぐに気づいたんだ。
そそっかしい子供
この「撮影機」って、ほんとに中に人を取り込んじゃうの?
わがままな子供
何だよ「取り込む」って? それを言うなら「撮る」だろ!
そそっかしい子供
分かったってば。早く電源入れて何撮ってるか見てみようよ。
わがままな子供
そうしたいんだけど、何の反応もねーんだよな……
もしかしたら昨日の土石流のせいで、中に入ってるパーツが水浸しになっちゃったのかも……
そそっかしい子供
また知ったかぶりしてるだけでしょ、僕にやらせてよ!
わがままな子供
触んなっつーの……
???
痛ったぁ……
頭に直撃したでござる!
サガ
そこの二人、なぜ拙僧に石をぶつけたのだ?
わがままな子供
……
そそっかしい子供
……
サガ
おおっとそのような顔をしないでくだされ。さほど痛みはないゆえ……ご両人を咎めるつもりはござらん。
そそっかしい子供
それ返してくれる?
サガ
この石を返して、また誰かにぶつけられてはかなわないからなぁ。
そそっかしい子供
それは石じゃなくて、撮影機だって!
サガ
……
ほほう、これが撮影機でござるか。拙僧がまだ極東におった頃に、兄弟子たちから聞いたことがある。かように軽い代物が、見聞きしたものを永遠に映像として留めておけるというのか。
拙僧は以前、とあるお方の絵巻の中を長らく彷徨っておったことがある。その折に数多の奇景奇物を目にしたが、二度会うは難しという事実を、少なからず残念にも思っておったところでござる。
もし、このような機器が手元にあれば、拙僧も珍しきものや再会し難い人のために思い悩むことはなくなるのだな。
この撮影機、少し借りてもよいだろうか?
わがままな子供
いいよ、どうせ壊れてるし。
サガ
おおっ。これほど小さな画面が、ぐるりと一回転するとは、何とも精巧な造り……
うーむ……機器の背面についた蓋が開きそうでござるな。
──
ややっ、画面が輝き出した……
わがままな子供
電源が点いたの? どうやって……
そそっかしい子供
中に何が映ってるの!?
ここの村の人たちのことを、本当に理解しようとしたことなんてないくせに、どうして私たちの生活を値踏みしたり、「変化」だなんて、できもしないことを言うんですか?
あなたの言う「心配」って言葉は、結局のところ上から目線の同情ですよ。
もう私につきまとわないで!
画面に映る人物が呆けたようにまばたきしているのを見て、サガはそれが反射した自分の顔だということにようやく気が付いた。
映像は既に消えており、再び光を反射する画面に戻っていた。
そそっかしい子供
これで終わり?
わがままな子供
あんたが無理やり起動したから、壊れちゃったんじゃねーの?
サガ
むう……
ファン・シャオシー
放せ──放せよ!
苛立たしげな村人
チッ、このクソガキ、暴れんじゃねぇ!
ファン・シャオシー
ガブッ──
張り詰めた村人
うおっ──
噛みつくんじゃねぇ──
ファン・シャオシー
なんで俺をこんな山の上に連れて来やがった?
張り詰めた村人
あんな古ぼけた倉庫にずっと閉じ込められてたら、お前だって気が滅入るだろうと思ってな。ちょっとした気晴らしに山登りに連れてきてやったってわけさ。しばらくしたらまた──
ファン・シャオシー
子供騙しも大概にしろよ……
どうせ役人が来たんだろ?
苛立たしげな村人
……
張り詰めた村人
……
ファン・シャオシー
図星みたいだな。
俺は山を下りるぜ。
あんたらが汚い真似をしたってことを役人に言ってやる。
張り詰めた村人
そんなことして何になるってんだ? 村の皆を死に追いやらないと満足できねぇのか、お前は?
ファン・シャオシー
良心の欠片もないのはあんたらだろうが。どの面下げて俺にそんなこと言ってんだよ?
張り詰めた村人
良心がないだって? みんなでちゃんとお前の面倒を見てやるって約束したじゃねぇか。なのに何でそうなる? もしも俺がジョウ・リュウって名前と引き換えに金も飯も手に入るってなりゃ──
苛立たしげな村人
やめとけ、こいつにそんな理屈は通じない。
この二日間、散々道理を説いてやったじゃないか。言うべきことは全部言い尽くした。なのにこのガキときたら、何一つ聞き入れようとしない。
ファン・シャオシー、どのみちお前は、この山の上で大人しくしていることしかできないんだ。どこへも逃げられんよ。
ファン・シャオシー
……
苛立たしげな村人
そいつを取り押さえろ!
張り詰めた村人
これだけの人数を相手に、逃げられると思うなよ。
抵抗すんじゃねぇ、後ろは崖だぞ。暴れたりしたら落っこっちまうかもしれねぇじゃ──
ファン・シャオシー
善人ぶるな! 気色悪い!
張り詰めた村人
なっ──
苛立たしげな村人
ファン・シャオシー、俺たちに滅多なことはさせんな。
張り詰めた村人
おい、ジョウ・スー。まさかお前……
族長がそれは許さんと言ってただろ……
苛立たしげな村人
だが、これ以上騒がれたら人目につくかもしれん。
張り詰めた村人
だからって……
ファン・シャオシー
今日という今日は、絶対に山を下りてやるぞ。
今回は俺を口止めすることで金が手に入るかもしれねーけどな、もしそうなったとしても、いつか必ずあんたらのことを告発してやるからな。
俺は「死んだ」としても「生き返る」んだ! やれるもんなら今すぐここから突き落としてみやがれ!
苛立たしげな村人
俺にもようやく分かってきたぞ。ファン・シャオシー、お前が飼い馴らせない獣ってことがな。
三年前、お前は移山廟を爆破するなんて恐れ多い真似で、村に悪運を呼び込んだ。そして三年経った今もなお、村のみんなを破滅の道へと追いやろうとしているんだ!
ファン・シャオシー
何をするつもりだ……?
苛立たしげな村人
……
???
そこまでだ!
二人の村人
うっ──
ファン・シャオシー
チューさん、出て行ったんじゃなかったの!?
マルベリー
サガさん、私、まだ理解できません……
あの族長さんは悪い人には見えませんでした。一体どうして……
サガ
拙僧はたった今、各地を巡っている最中に聞いたある物語を思い起こしていたところでござる。マルベリー殿、お訊きになりたいか?
マルベリー
……はい。
サガ
とある官憲の話でござる。彼は生涯、倦まず弛まず、自らの職務を忠実に全うする男であった。貧しい生活であったが、平和にのびのびと暮らしておった。
彼はある日、山の中にいる盗賊の集団を捕えよという命を受けた。その時、彼は盗賊が洞窟いっぱいに貯め込んでいた財宝を目にし、つい良からぬ考えを抱いてしまったのだ。
官憲はその中から金塊を二つ抜き取り、ポケットの中にこっそりとしまい込んだのでござる。
しかし、間が悪いことにその行為は同僚に見られていた。そして彼は財宝を山分けするよう相手に脅迫された。
官憲は不服に思い、怒りに任せて同僚を殺害してしまった。そして殺害現場を盗賊の仕業のように偽装した後、単身で戻って任務の報告をしようとしたのでござる。
マルベリー
ど、どうしてそんなひどいことが……
サガ
うむ、拙僧が初めてこれを聞いた時の反応も、マルベリー殿と同様であった……しかしこの話にはまだ続きがあってな。
官憲は山を下りた直後、なんと同僚の妻と鉢合わせたのだ。官憲はなぜ彼女がこんなところに現れたのか理解ができず、内心すこぶる取り乱した。
何か裏があるのではと勘繰った彼は、毒を食らわば皿までと考えてその妻までも殺したのだ。官憲は自分の手にある血まみれの刀を見て、訳が分からぬ恐怖に襲われ、慌てて家の中に逃げ込んだ。
しかしこんな殺人はすぐに露呈してしまう。もはや逃げ場などないと悟った官憲は、家族と共に盗賊へと身を落とす他なかった。
その後、官憲は大盗賊となって各地の民を襲い、最後は敗れて骨も残さずに死んでいったのだが、その仔細に関してはここではあえて語らずにおくと致そう。
マルベリー
元々の原因がたった二つの金塊だったなんて、そんなこと誰が想像できるでしょうか?
サガ
左様。
住職様は以前こう仰られた。「悪念」とは、人の心に巣食う猛獣。しばしば殴りつけて知らしめてやる必要がある。それゆえに、寺に鐘の音が絶えぬよう努めることが拙僧の役目なのだと。
ひとたび檻の中の猛獣を解き放ってしまえば、それを元に戻すのは容易なことではござらんからな。
客僧は腰をかがめると、火薬の灰がついた泥を手ですくい上げた。
サガ
天候の変化は、人の心と同様に捉え難いとよく言うでござろう。
空の移り変わりに規則はなく、どう対処すればその被害を受けずに済むかは、マルベリー殿のような本職の方の判断に委ねる他ない。拙僧にできるのはこれが限界でござる。
そろそろ山を下りると致そう。
チュー・バイ
……
ファン・シャオシー
……
チュー・バイ
これで命を救うのは二度目ですね。
三度目はないことを祈ります。
???
フゥ──
ゴホゴホッ、チューさん、ま、待ってくれ……
猟師
シ、シャオシー……
ファン・シャオシー
……
猟師は何とか息を整えると、やや大きな岩の上に座り込んだ。
猟師
ハァ……まさかこの程度の山道で体力が尽きるとは。
昔一匹の鼹獣(えんじゅう)に出くわした時、狙いを外してそいつの尻に矢を打ってしまったことがあってな。あの時は狂ったように走り回る獲物と追いかけっこできたんだ。
あんなに肥えた鼹獣は初めて見たから、どうにかして捕まえようと追い回した。息を切らすようなこともなく、何里か離れた草むらでとうとうそいつを捕まえ、晩飯にして腹いっぱい食ったもんだ。
そうだというのに、病や怪我で体が衰えた今では、満足に弓も引けないし、鋤だって早晩振れなくなるだろう。自分の息子を救うのすら、あと少しで間に合わなかったところだ。
ファン・シャオシー
親父、何が言いたいんだよ……
猟師
……無事だったなら、それで良いってことさ。
チューさん、こいつらは……
チュー・バイ
ご安心を。気を失っているだけです。
目覚めてから二、三週間ほどは頭痛が続くかもしれませんが。
猟師
……
チュー・バイ
先刻の彼らの所業からすれば、その程度の罰は受けて然るべきだと思います。
猟師
そうかそうか……
ファン・シャオシー
親父、こいつらに何もされなかった?
猟師
し、心配ないさ……
ファン・シャオシー
ならよかった。
で、あのろくでなしどもは今頃村で何やってんの? 墓の前に役人を連れ出して、泣き真似の芝居でも打ってる最中か?
……俺様が自由を取り戻した以上、あいつらの好きにはさせねぇ!
少年は前方の地面に倒れている村人へと忘れずに二発も蹴りを入れたあと、怒りをあらわにしながら山の麓へと歩いていく。
そのまま去るかと思ったが、彼はふと足を止めた。
一本の手が、彼の腕を掴んでいる。手のひらにできたタコが衣服越しに擦れて、少年は少し痛みを覚えた。
彼はうつむいた。老人はさらに手に力を込めたが、少年の目を見ることは避けていた。
ファン・シャオシー
……
猟師
シャオシー、ちょっと待ってくれ……
ファン・シャオシー
親父は俺を助けに来たんじゃなく、引き留めに来たんだな。
供物台の前の床に敷きつめられた青い煉瓦が二つほど割れていた。老人は以前ここへ足を運んだ際にそれを外へ持っていったのだが、新しい煉瓦の補充はまだ間に合っていなかった。
剥き出しの土は湿っており、煉瓦よりもひんやりとしている。老人はその冷たさを自らの額で感じ取っていた。
先祖の像が、口を開くことはない。彼の方から口火を切らざるを得なかった。
しかし何から話せば良いのだろうか?
ご先祖様、すべてはわしのせいです。
年老いた族長
わしは思ってもみなかったのです……
調査員が村にやって来るなどとは……
あの子を──ファン・シャオシーを死に追いやる羽目になるとは。わしはあの子の成長を見守ってきたというのに……
あの子が村を出て三年、生死も不明だったのが、今この時になって村に戻ってくるなどとは夢にも思わなんだ……
気の迷いとは言え、あの子の名前を使って補償金を騙し取ることに賛同してしまうとは……
あのような夜更けに、それも大雨が降りしきる中に、一人の少年が偶然あの馳道を通りかかるなどとは、想像もしていませんでした……
わしはただ……馳道が壊れてしまえば、補修工事をあと一年くらいは引き延ばせるだろうと思ったのです。一年とまでは行かずとも、ほんの二、三ヶ月でもよかった……
それで工事が始まれば、村の皆はより多くの賃金を受け取ることができます。畑の収穫が芳しくない現状、お天道様が目を覚ますのを待つより、まだ救いの目があるというものですじゃ。
村の中央にあった移山廟は、入口に移しました。あなた様が子孫のために山の懐から掘り出した安住の地が、この数十年の間に再び山に少しずつ飲み込まれようとしておるのです。
この山、土地を頼りに生きようとしたところで、わしらはじきにこの廟さえも守り通せなくなるでしょう。
それゆえわしは……
わしは密かに爆薬を山に埋めたのです。初春の大雨にかこつけて、事故に見立てることができればと……
他に手立てがあれば、わしとてこのように後ろ暗い手段は取りたくありませんでした。
まったく、思ってもみなかったのじゃ。
お天道様は一体どうして、このように人を弄ぶのか?
???
族長殿、その話は目の前のご先祖様に語り聞かせておるのか、それとも自分に言い聞かせておるのか、どちらでござるか?
年老いた族長
……
猟師
シャオシー、少し待ってくれないか……
ファン・シャオシー
親父、俺はもうちょっとであいつらに、崖から突き落とされるところだったんだぞ! 分かるか! 殺されるところだったんだ!
奴らは善人なんかじゃない。手段を選ばない人間なんだよ!
猟師
……役所の調査員が一日早くやって来るなんて、誰にも予想できんだろうよ。
突然のことで、みんな少し混乱してるんだ……そうなってしまうのも無理はないさ……
ファン・シャオシー
……
猟師
分かってるさ、さっきのあいつらは少し度が過ぎていた。数日後に族長からきちんと納得のいく沙汰をしてもらおう。
でも今だけは山を下りちゃダメだ……
ファン・シャオシー
親父はこの期に及んでまだあいつらの味方をすんのかよ!?
猟師
味方をするってわけじゃなくてな……
チュー・バイ
私はあなたにこう問いましたね。
チュー・バイ
しかし村に残ったとして、平穏に過ごせるでしょうか?
猟師
村の人たちがシャオシーに手を出すことはないさ……
昨日、移山廟におわすご先祖様の目の前で、族長も村のみんなも、保証してくれたんだからな……
チュー・バイ
それは単なる口約束に過ぎないでしょう?
猟師
……
チュー・バイ
シャオシーの性格を考えれば、彼が納得しないのはあなたも分かっているはず。あなた方が土地を守り抜いたのと同様、あの子は自らの名前を守ろうとしているのです。
まさかずっと閉じ込めておくとでも言うつもりですか?
あの子が万が一取り返しのつかないことをしでかしたら、あなた方の計画全体にまで被害が及ぶでしょう。その時、村人たちはどう行動するでしょうか?
猟師
……
チュー・バイ
悪意とは、一度鎌首をもたげたなら、止めようと思って止められるものではありません。
チュー・バイ
私はこうも言いました。今謀善村で起きている事態よりも、もっと馬鹿げたものを目にしてきた。だから私は横やりを入れるつもりはないし、入れようもないと。
ですが私はこれまで一度も、あなた方を信用していませんでした。
猟師
チューさん、あんたがやろうとしていることは……
チュー・バイ
……
猟師
あんたがさっきジョウ・スーとジョウ・リュウの二人を一撃で気絶させたところは、俺もこの目で見た。
あんたが本気でこの件に介入するつもりなら、村人全員をまとめて殴り倒し、ひっ捕まえて役人に渡すことなんて朝飯前だろう。もしそうなったら俺たちに抵抗する術はない。
チュー・バイ
……そんなことをするつもりはありません。
猟師
チューさんの言うことにも一理あるのは認めよう。追い詰められたからと言って、窮地に陥ったからと言って、それを言い訳に不義を働いていいことにはならないだろう。
しかし、チューさんのように、剣や優れた武術があって初めて、人は別の道を探したり、守るべきものを守ることができるんだ……
あんたが本当の意味で窮地に陥ることなど、ありはしないだろう。結局あんたは、無力な俺たちとは違うのさ……
チュー・バイ
……
猟師
それに、この山奥じゃ剣なんて役に立たない。畑の不作をどうにかできるわけもなく、気まぐれなお天道様に言うことを聞かせられるわけでもない。百人近い村人や……俺たち親子を救うことすらも。
俺たちはただ、雨が降る日を待つしかない。そして再びご先祖様のような有能な人物が現れて、この山で生きる道を切り開くための力を貸してくれる──そんな日を待つしかないのさ。
馳道の整備が進んで、移動都市がもっとたくさん建設されて、みんながそこに移り住んで平和に暮らせる日が来るのを、待つしかないんだよ。
だがこの果てしなく広い大地に、ここみたいな片田舎が一体いくつあるんだろうな……
チューさん、俺は今、何だかわけの分からないことを言ってるが、あんたなら俺の言いたいことが分かるはずだ。
チュー・バイ
分かるからこそ、黙って見ていることはできません。
猟師
はぁ……
どうか、どうか俺たちのことは放っておいてくれないか。
チュー・バイ
……
ファン・シャオシー
姉ちゃん、もういい。
これは俺たち親子の問題なんだ。だから俺に言わせてくれ。
年老いた族長
サガ殿、あの調査員と共に山へ行ったんじゃなかったのかね? どうして突然……
サガ
ふぅ──族長殿、その台の上の果物、拙僧が頂戴しても?
今日はまだ何も食べておらぬ上、たった今山から下りてきたばかりゆえ、さすがに飢えと渇きが限界で……
年老いた族長
……
サガ
ご先祖様はきっと慈悲深いお方でしょうから、果物一つくらいは分けてくださるだろう。
年老いた族長
サガ殿、先ほどのわしの話を聞いておったのかね?
サガ
もぐっ──うむ、甘酸っぱくて口当たりも良く、ほのかに木の香りもする。実に美味でござるな。
今の話以外にも、数日前に族長殿がここで仰っていた話も、拙僧はしかと聞いておりましたぞ。
年老いた族長
……
サガ
もしそれらの話を本当に知られたくなければ、干し果物を地下室にしまい込むのと同様に隠しておくこともできまする。族長殿がこの廟に足を運ぶ必要もござらんでしょう。
ただ、隠し事は遅かれ早かれ、明るみに出てしまいまする。
従ってそれを拙僧が耳にしようがしまいが、実は大したことではありませぬ。
年老いた族長
……
あの調査員の娘さんは、もう気づいておるのかね……?
お前さんがここへ現れたということは、もしや……
サガ
もぐっ──
年老いた族長
考えてみれば、シャオピンとシャオアンのために撮影機を起動させたのもお前さんじゃったな。そして、わしが移山廟に二度足を運んだ時も、お前さんにばったり出くわした……
まさか、サガ殿がこの謀善村へやって来たのは、ご先祖様がわしに与えてくださった警告だったのじゃろうか……
老いて耄碌すると、こうも鈍くなるものか……
サガ
族長殿……拙僧はただ、炎国をあちこち行脚するうちに偶然この地に辿り着き、数日の間足を休めているだけに過ぎませぬ。
もし拙僧がおらずとも、別の誰かが現れ、別の事態が発生していただろう。
年老いた族長
わしはこの数十年間、謀善村のために何一つできておらんのじゃ。にもかかわらず、皆がわしのことを「族長」と呼んでくれるのが、どうにも忍びない、そう考えておっただけなのじゃよ……
皆のため、必ずや何かを成さねばならんと……
しかし人事を尽くしたところで、天命には及ばぬものじゃ。結局は人を傷つけ、己を貶めるばかりじゃった。
二人の尊い人命に至っては、何と申し開きをすれば……
サガ
族長殿の計画は、そもそも周到とは呼べぬ代物であった。ややもすれば稚拙とすら言えるものでござる。
しかし、族長殿が今悔いておられるのは、「もっとしっかりとした計画を練るべきだった」ということでござるか?
年老いた族長
……
もっと早くお前さんが謀善村に来ておればよかったのにと、わしはそう考えておった。
早くにお前さんに会えておったなら、わしもあのような馬鹿げた考えを起こさずに済んだやもしれぬ。それに、あのような真似をしでかすことも……
サガ
はぁ……族長殿、先ほど申し上げたでござろう。拙僧はただ行脚の果てにここまで辿り着いただけで、大したことではござらぬと。
それに、悪念を持たぬ人など、この世のどこにおりましょう?
年老いた族長
修行者の身であれば、悪を諫め善を勧めるべきではないのか? もし僧侶であるサガ殿が心に悪念を宿したならば、それは修行を怠っておることにはならんじゃろうか?
サガ
族長殿はなにゆえ、心に悪念あらば修行を怠っているなどとお考えになられるのか?
シー先生の絵巻から離れる前、拙僧は博打狂いとなり果てた自分に巡り合ったのでございまする。
その拙僧は賽と点棒の誘惑にどうしても抗うことができず、木魚を質に入れ、家財を売り払う始末であった。身勝手に振舞い、悪者と結託して、道理にもとる行いにも手を染めておった。
寺を離れる直前、住職様は拙僧を呼び止め、手合わせをしようと仰られた。そして拙僧らはお互い一本の棍棒を手に、一対一の腕比べをしたのだ。住職様は一撃ごとに本気を出すよう拙僧に迫った。
まるで試し合いではなく、命懸けの戦いであるかのような気迫で、住職様との腕比べは月が昇り始めてから、東の空が白み始めるまで続いた。住職様が何故そうなさるか、拙僧には理解できなかった。
その手合わせの結末はもはや忘れてしまったが……
ただ時折、ふと思うことがある。手合わせの最後に、拙僧が棍棒を住職様の頭上で止めた瞬間、拙僧の頭には、それを振り下ろしてしまおうという考えがあったのではないか、と。
サガ
多くの悪念は、思いもよらぬところで芽生えるものであり、同時にそれは自然の成り行きでもござる。
年老いた族長
サガ殿……
サガ
それは絵巻や夢の中の話に限りませぬ。
拙僧もかつて飢えに苦しんでいた折、身ごもった雌の獣を見かけ、何よりもまず最初に「雄よりも肥え太っていてうまそうだ」という考えが浮かんでしまったことがござる。
偶然が重なって囲まれ、逃げ出すのが困難になった折に、思わず帯びていた薙刀に手が伸びそうになったこともござる。
しかしながら今の拙僧は、ただ族長殿の目に映る拙僧以外の何者でもないと言うことに、変わりはござりませぬ。
年老いた族長
……
サガ
住職様はよく「会饞会渇会生悪」と唱えておられた。「飢えと渇きが悪を生む」のを避けられないのであれば、悪念を抱いていてもいいではないか! 心の内のことだ!
年老いた族長
心の内のこと……じゃと?
サガ
いつ、どこでだったかは明瞭に思い出せぬが、拙僧はかつて一人の剣客と知り合ったことがござる。
その剣客は、この世で最も切れ味の鋭い刀を追い求めていた。確かに変わった御仁ではござったが、心根は優しく、殺生を犯すことは望まなかった。
剣客は、山の中にあばら屋を構えており、拙僧は彼と丸々三ヶ月も共に過ごした。炉の火が消えたならばくべ直し、刀を打っては溶かしを繰り返す日々であった。
彼はついに最高の一振りを得た。その形はまるで飛雲の如く、輝きは目を奪うほどであったが、刃自体は立てられていなかった。
年老いた族長
刃がない?
サガ
彼は、刃がなければ人を傷つける心配もないと言った。
年老いた族長
……
サガ
人を傷つけるのは刀にあらず、己自身というわけでござる。
年老いた族長
サガ殿は……達観しておられる。
じゃがすべての人がそのように達観した視点を持ち、経験から知見を見出すことができ、悪しき思いが行動に変わらぬよう、いかなる時も己を律することができるわけではないんじゃ。
サガ
拙僧はむしろ、律することが容易ではないからこそ、律すべきものを解き放ってしまった時に一体どのような恐ろしい光景が生まれるか、そのことを理解すべきだと感じるのでござる。
毎日のように時間通りに鐘を叩き、経を読むのも、月日を重ねれば怠けたくもなる。しかし、一度でも経を読む口を、鐘を叩く手を止めてしまえば、それまでの修行は意味を失ってしまうのでござる。
年老いた族長
……
サガ
ただ一滴の雨だけを天に願った末に、山津波を呼び寄せてしまう。そのような者がどれほど多くいることやら。
悪念と悪行、たった一文字の差が、とてつもない過ちを引き起こすやもしれませぬ。思いが現実となった以上、始まりは族長殿の手によるものでも、その結末を族長殿が制御することは不可能でする。
ゆえに、今となっては、全てを「思ってもみなかった」の一言で済ませることなど、叶うはずもないのでござる。
猟師
シャオシー、俺は村の人たちだけじゃなく、自分たちのことも救いたいと思っているんだ……
俺たち親子はもう何年も謀善村に住み続けている。とっくに村の一員であることは間違いない……
ファン・シャオシー
……
親父は昔、荒野を放浪しながら狩りで仕留めた野獣を売ったりして暮らしてたって言ってたよね? それがすごく辛くて、雨風をしのげるだけでもいいから居場所が欲しかったって。
それからやっとの思いで謀善村に辿り着いて、何年もの間貯めてきた金であの「三畝三」を買って、定住し始めたって聞いた。
親父は自分の土地が、家が惜しかったんだろ? 他人の土地に身を寄せてる限り、何かあった時はできるだけ自分が我慢して、相手に一歩譲るしかない。
おふくろが出て行った後、村の奴らは、余所者っていうだけで俺たちの弱みにつけこんで、あのオンボロ廟を「三畝三」に移すよう無理強いしてきた。そんで親父はそれを認めちまった。
あいつらは今、俺から名前を奪って死人に変えようとしてる。親父はそれも認めちまった。
もし今後、何か別の災難が訪れた時、あいつらが俺たちの土地や、家や、命まで要求してきたら、親父はそれすらも認めちまうのか?
生きる道ってのは他人から貰えやしない。自分で切り開くもんだ。
猟師
分かってるさ……
だけどな。今お前が下りて行って、調査員に村のみんなのことを告発しちまったら、どういう結末になると思う!
俺はあと何年も生きられないだろうから、どうなっても構わない。だがお前はまだ十五歳だってのに、どうやってこの村でやっていくつもりなんだ!?
ファン・シャオシー
ずっとこの村に居続けなきゃいけないってわけじゃないだろ?
猟師
……
ファン・シャオシー
謀善村を、この山を離れて、移動都市に移り住めばいいだけだ。
土地がなくたって、移動都市にはチャンスがたくさんある。色んな仕事ができるし、武術だって学べる。姉ちゃんみたいに強くなれれば金もたくさん稼げるし、親父の病気だって治してやれる。
信じてよ……俺、この三年間で色々な場所を見て回ってきたんだ。どんな仕事だってできる。
猟師
お前ってやつは本当に、母さんとそっくりだよ。
ファン・シャオシー
……
猟師
あの頃、村のみんなはご先祖様が切り拓いたこの土地を大切にしながら、天候を頼りに日々を生き抜いていたのに……
お前の母さんだけはずっと、この山奥を出て玉門や尚蜀、龍門……名前を聞いたこともないような移動都市へ行って、「今と違う人生を送りたい」って考えてた。
俺と一緒になってくれたのも、猟師である俺が村の外の色々な場所へ足を運んだことがあったからさ。
俺が全財産で「三畝三」を買い、お前が生まれた。どこかへ行こうという気力もない、老いた駄獣のような俺の姿を見て初めて……母さんは俺がこの村に来たのは足休めじゃないって分かったんだ。
母さんが行商人に唆されて出て行っちまったあの日、俺は荒野まで追いかけたが、結局はお前だけしか連れ戻すことができなかった。
ファン・シャオシー
……
あの女性は数年前に亡くなった。
彼女は一通の手紙を送ってよこした。それは、何ヶ月も経ってからようやく手元に届いた。
封筒には金だけが入っていた。それはシャオシー宛てに残された、彼女の死亡手当てだった。
彼女はあの行商と共に移動都市で暮らしていたが、半年後には再び荒野に舞い戻って来ていたらしい。
詳細は分からない。五、六人の信使による口伝ての話であり、内容はもはや曖昧になっていた。しかし哀れなほど薄っぺらい封筒に触れていると、なんとなく想像はできるような気がした。
その金を村に寄付し、シャオシーが爆破した移山廟の修繕にあててもらった。
猟師
シャオシー、もし移動都市での生活が、謀善村よりも楽なんだとしたら、お前は今ここにいないはずだろ?
偉業を成し遂げたとは言わないまでも、この三年でお前が本当に手に職をつけて真っ当に生きていけるようになったなら……教えてくれ。お前は何でチューさんに捕まって連れ戻されてきたんだ?
ファン・シャオシー
それは……
チュー・バイ
……
猟師
俺はこの土地が、この家が惜しいわけじゃない。
補償金が俺の手に渡ったら、お前を探しに行こうと思ってたんだ。謀善村の家など、もうないものだと思ってな。
だがお前は帰ってきた! チューさんに連れ戻されてな!
お前が帰ってきた時、俺は何があっても二度とお前をここから出すわけにはいかないと理解したんだ。
俺はこの村の生まれじゃない。村の外を渡り歩いたこともある……けど、外の生活は本当に村より良いものか?
この世の中には、生き方なんて無数にあるさ。だがな、誰もが選択権を持ってるわけじゃないんだ。
俺はただ、お前に平穏に過ごしてほしいだけなんだ。
穏やかに、普通に暮らせることは、本当に得難いことなんだ。
ファン・シャオシー
親父の言う普通の生活ってのが、名前すらない人生だってんなら、そんなもの俺はごめんだ!
猟師
名前と引き換えに、食事と金と残りの人生の平穏が手に入るなら──
ファン・シャオシー
俺は嫌だ!
ファン・シャオシーは、山に生えてる雑草なんかじゃない。荒野を彷徨う畜生でもないんだ。
たとえ死んだってお断りだ!!
少年は、喉が裂けんばかりに叫んだ。顔は紅潮し、興奮のあまり倒れそうにふらつきながら後ずさりしていく。
巨大な感情を吐き出したがために、幼くもしわがれた震え声。それは山頂の強風に煽られて歪な音になりながらも、はっきりと伝わって来た。
猟師
お前みたいに偏屈な子供を説得するのは俺には無理だし、分かってもらおうとも思わない……
だが今日だけはお前をここから動かしちゃならない。お前がここを出るつもりなら、俺はこの崖から跳び降りてやるからな。
……
ファン・シャオシー
……
チュー・バイ
……
そう言って猟師はうつむいた。少年は落ち着きを取り戻しつつあるようだったが、何か言おうと口を開いても、言葉が出てくることはついぞなかった。
細かい砂粒が顔を打つ。荒れた山の上には、相も変わらず春の乾いた風が吹いていた。
言葉を発しようとする者はいない。剣客は、密かに崖の際へと数歩近寄った。
ファン・シャオシー
親父、顔を上げてよ。
猟師
(首を横に振る)
ファン・シャオシー
親父、ファン・シャオシーが死にさえすれば、みんな幸せになれるんだよね?
猟師
そうだ……
「ファン・シャオシー」は生きていてはいけないんだ。
彼は小さい頃、小石を崖の上から次々と蹴落とし、遠くから響いてくる音を耳を澄ませてじっと待つ、という遊びをよくやっていた。
彼も、彼の名前も、まさにその小石のようなものだった。
そして今、本当の意味で小石となった。
崖から落下する速度はそれほど速くはない。チュー・バイと一緒に林で遭遇した牙獣を思い出す余裕すらあった。あの畜生が死に瀕した時の目つきを覚えている。
あの目に映っていたのはどんな感情だったろう? 悔しさや恐れ、そして……解放された気分だろうか?
これは風?
風が彼の背中を支えていた。
春風が吹き抜け、砂埃を巻き上げる。まだ日は高く、暖かな日差しが降り注いでいたが、古びた廟の中にはむしろ少し寒かった。
老人の曲がった背中はぶるぶると震えていたが、彼は相変わらず体を起こさずに伏せている。
客僧が老人に二歩ほど近付いた。
年老いた族長
今思い返すとな、この数日間に起きたことが何もかも曖昧に感じるんじゃ。まるで夢でも見ていたかのように……
あの山に爆薬を埋めた男は、申請書を書いて役所に提出した男は、そしてつい先ほどここで調査員に向かって嘘をついた男は……本当にわしだったのじゃろうか?
すべてが夢だったとしたら、どんなにか良かったことだろう……
サガ
「痴人に夢を語るなかれ」との言葉を聞いたことがある。族長殿は自らを痴れ者だと断ずるのでござるか?
年老いた族長
愚かな話じゃが……
わしがあの夜使ったのは、三年前にファン・シャオシーが移山廟を爆破する際に使った旧式爆薬だったのじゃ。
サガ
むう……
年老いた族長
シャオシーが村を出た後、わしは猟師の家に向かい、シャオシーの部屋から未使用の爆薬を持ち出した。元々は誰かが良からぬことをしでかさぬよう、押収するつもりだったんじゃ。
じゃがまさか、こともあろうにわし自身がしでかすとはな。
サガ
なるほど、そのようなことがあったとは。
族長殿、事ここに至りし今、そなたは一体何を思っておいでか?
年老いた族長
うむ……
わしの罪は死んでも贖えぬ。ただただ、皆の者に申し訳ないという気持ちしかない。
シャオシーは少し頑固で向こう見ずなところはあるが、性根は良い子じゃ。あの時ご先祖様の廟を爆破したのも、父親のためを思ってのこと。親思いの良い子だったんじゃ。
そ、それにこの件は本来あの子とは無関係だったはず。まだ十五の年端も行かぬ子が、このような形で……死に追いやられるとは……
例の少年も、どこから何をしにこの山へ来たのかも分からぬまま、二度と家に帰れなくなってしもうた。彼の家族が、胸も張り裂けんばかりに涙を流しておったとしても、もはや消息は届かぬ……
ご先祖様に祈りたくとも、あの子を「ファン・シャオシー」と呼ぶことしかできん……考えたくもないが、彼のような魂には安息など訪れず、村を彷徨うことしかできんのではなかろうか……
サガ殿、それ以上は近付かぬ方がよい。
サガ
拙僧は、族長殿の懺悔を偶然耳にしてしまったあの日から、暇さえあれば少年が浮かばれるよう、経を唱えておりまする。
住職様より教わった経文はさほど多くはござらんが……しっかりと心を込めれば、いくばくかの効果はあるはずでござる。
年老いた族長
……
事はもう明るみに出てしもうた。二つもの人命が失われたのじゃ。役所に追及されれば、この村に住む数十世帯、百人以上もの人間がわしのせいで巻き添えを食ろうてしまう……
罪は重々承知しておるゆえ、ご先祖様の許しを乞おうとは思わん。ただ、ただ……
サガ
ハァッ──
雑念を斬り捨てん!
年老いた族長
……
サガ
ふぅ──
それが最後の爆薬でござるか?
年老いた族長
懐に隠しておったゆえ、見つかるはずはないと思うておったが……
サガ殿が来る前に片を付けるべきであった。しかし、色々と考えを巡らせておると、なかなか踏ん切りがつかないものでな……
三年前、シャオシーはまさにここで導火線に火をつけたのじゃな。わしの肝はあの子にすら劣るということか……
サガ
よもや、自らの命を断てば、それでここ数日のことが丸く収まると考えているわけではありますまい?
否! 断じて否!
年老いた族長
……
サガ
それは一死をもって、何もかもから逃れたいという行いに他ならないでござる。
あの日、族長殿が拙僧に気づかぬまま、ご先祖様に事の経緯を打ち明けた時も、自らの行いはすべて村のためと仰っただけで、爆薬と少年の死の真相に言及することはなかった!
年老いた族長
……
わしは……
サガ
もしも例の晩、あの名もなき少年が麓を通りかかることなどなく、爆薬が破壊したのは土砂だけで、土石流が飲み込んだのもまた馳道だけであったなら、族長殿は今のように自決を試みたであろうか?
あの少年がいなかったとしても、たとえば偶然足休めに降り立った羽獣が、巻き込まれて土砂に埋もれて息絶えていないと言い切れるのでござろうか?
年老いた族長
……
サガ
こうなってしまった以上、果たして馳道はこの先どうなるのか? この廟は、この村はどうなるのであろうか?
たとえ呼び寄せたものが山津波ではなかったとしても、降るべきでなかった雨の一滴をその手で落としたこと──それこそを族長殿は悔いるべきでござろう。
年老いた族長
……
わしが、わしの口から役人に事の次第をすべて説明しよう……
サガ
はぁ……
老人は、導火線が断ち切られ真っ二つになった爆薬を、自分の目の前に置いた。
長い間跪き続けていた老人は両脚の感覚が消えるがまま、再び額を地につけた。石畳の冷たさがじんと伝わってくる。もう二度と立ち上がれないと思った彼は、ただ頭をより低く下げるほかなかった。
......
白熱する二人を目の前にしていた時も、先祖の像は終始何の反応も見せなかった。
泥人形の目の部分の土がやや剥がれてしまっている。その目が廟内のボロボロの梁に向けられているのか、廟の外の広々とした土地に向けられているのかは、判然としなかった。
風が暖かく、白雲が清々しい。春分の日であった。
???
目が覚めましたか?
チュー・バイ
うん、まだ寝ぼけ眼ですが、意識ははっきりしていますね……脳は無事のようです。
死を恐れる心だけは持っているようだと前に言いましたが、まさか自分の命すらも投げ出すとは思いませんでした。
......
チュー・バイ
結局三度も救いましたね。
よくもあれほど高い崖から飛び降りましたね。私も羽獣ではありませんから、今回ばかりはあと少しで命に関わるところでした……
あり……がと……
チュー・バイ
礼を言う必要はありません。私がここへ連れ戻した以上、守るのは当然です。まさか本気で飛び降りるとは思わなかったので、少し反応が遅れましたけど。
......
チュー・バイ
話したくないなら話さなくていいですよ。
歩けますね? 村に戻るつもりはありませんよ。
どこへ行けばいいのか分からないのなら、ひとまず私と一緒に来なさい。
……うん。
チュー・バイ
そういえば私の話を聞きたがっていましたね? 今なら話してもいいでしょう。
将兵が姜斉の水寨に攻め込んできた時、父や他の水賊たちはことごとく処刑され、私だけが逃げ延びました。この国にとっては、私も名前を持たぬ者です。
この大地には、名前を持たぬ者たちがたくさんいます。私や、あなたや、そして「ファン・シャオシー」にされかけたあの少年のように。
言うまでもなく人の名前は大切なものですが、それ以上に重要なのは名が意味するところが何であるかということです。
一人で世間に出て身を立て、不義不平に抗いたいと思う時に、身分など何の関係がありますか。名を持たぬことにより、却って大きな声を上げられたり、より多くの事を成せることもあります。
無意味な拘りを捨てることによって、初めて己の行動の意義を理解することができるのです。
この話を今のあなたが理解できるとは思いません。私には私の成すべきことがあるので、ずっと傍に置いておくわけにもいきません。でも本当に武術を学びたいのなら、当面は私が教えます。
あなたが自立できるだけの力を得た時、または吹っ切れてこの大地で新しい拠り所を見つけた時には、いつでも私の元を去るといいでしょう。
しかし、どん底に落ちた後に力を手に入れた時、悪の道に堕ちる者は大勢います。あなたがそんな人間になったとしたら、私が殺します。
......
チュー・バイ
江湖の者がよく口にする言葉をもう一つ教えてあげましょう。「いつかまた会おう」というような意味です。
......
チュー・バイ
先はまだ長い。
覚えましたか?
……うん。
では行きましょう。
……うん。