鎮静化

スキウース
ブラウンテイル家の領地に一人で来るなんて、いい度胸してるじゃない、ノーシス・エーデルワイス。
ノーシス
私にはやましいことなどないからな。
スキウース
フンッ、くだらない小細工をしたせいでカランド貿易を追放された裏切り者が、よくそんなこと言えるわね。
ノーシス
私を迎えるのはラタトスだと思っていたが。
スキウース
ラタトスがそう簡単にあなたを信用するわけないでしょ。大口叩くだけなら誰だってできるもの。
ノーシス
……
ノーシス
言ったはずだ。協力には双方の誠意が必要だと。だが、どうやら私の言葉はすでに彼女に伝わっているようだな。それで十分だ。
スキウース
なにスカしたこと言ってんのよ。
スキウース
ところで……あんたが前に言ってた「こうなった以上」ってのは、一体どういう意味?
スキウース
どの件が、どうなった以上?
ノーシス
はぁ……
ノーシス
君は、エンシオディスがなぜ主権奉還の話を持ち出したと思う?
スキウース
フンッ、それは当然ペイルロッシュ家とあたしたちブラウンテイル家にかなわないから、妥協することを選んだんでしょうよ。
ノーシス
妥協?
ノーシス
フッ、妥協か。
ノーシス
改めて考えてみるんだな、スキウース夫人。君の姉はそう思っていないと私は断言できる。
ノーシス
エンシオディスがイェラグに戻ってから、勝利を見据えていない行動を取ったことがあったか? 彼の提案した主権奉還は本当に妥協だと思うのか?
スキウース
……
ノーシス
ヒントは──大典だ。
スキウース
……? 大典がなんだっていうの? 公衆の面前でしらを切って、権力を引き渡さないつもりだとでも?
ノーシス
大典が近づくにつれ、シルバーアッシュ家の領地に出入りする人や物資を輸送する列車は、普段よりはるかに増えている。
ノーシス
よく考えろ。なぜエンシオディスは自ら権力を巫女に譲渡することを提案し、当然の成り行きのように日程を大典の日に定めたのか。
ノーシス
アークトスは目先のことしか考えられない。エンシオディスが権力譲渡の際に小細工をするはずだと、腹の底から思っているはずだ。
ノーシス
だからこそ、人手をすべて谷地と鉱区に集めて、エンシオディスが招いた例のドクターを厳しく監視している。
ノーシス
それが無駄骨だとわからないとは、全くもって滑稽だ!
スキウース
……!!
スキウースは一瞬、何もない壁の方向へと視線を走らせた。その動きをノーシスは見逃さなかった。
彼はまっすぐにその壁を見つめて言った。
ノーシス
ラタトス、君の頭はこれに気付かないほど愚かではなかろう。
ノーシス
エンシオディスが一体何を目論んでいるか、教えてやってもいい。
ノーシス
だが、次は君自ら私に会いに来ることだな。
ノーシス
でなければ、エンシオディスの企てが成就し、君たちが彼の新たな手札に加わろうと──
ノーシス
私はそのような茶番を、二度も受け入れはしない。
……
ノーシス
失礼する。
スキウース
……ラタトス。
スキウース
ちょっとラタトス、そこにいるのはわかってるのよ!
……騒ぐな、スキウース。
振動音が響き、壁がゆっくりとスライドする。その中に座っていたラタトスは落ち着いた様子で立ち上がると、そこから歩み出た。
スキウース
あいつが言ったことは本当だと思う?
ラタトス
というよりも、その可能性を考えてなかったあんたの方に驚いているよ。
スキウース
でも今は巫女ですらこっち側に立ってるのよ!
スキウース
エンシオディスだってまさかそこまで手段を選ばないなんてこと……
ラタトス
──なんてことない、とでも思ってるんじゃないだろうね?
ラタトス
いつまで寝ぼけてるんだよ、スキウース。
ラタトス
エンシオディスが信仰をないがしろにし、衆目をはばからずに山道を掘り鉄道をイェラグに敷設し、巫女と決裂した時から……
ラタトス
いや、三家会議の席に戻るために、妹を巫女にすることを平然と受け入れたあの時から、あいつは家族の情なんてのはどうだっていいんだよ。
ラタトス
昔のあの兄妹仲の良さは、私ら全員が認めるところだ。信心深かったエンヤを蔓珠院へ人質に差し出すなんて、うまい手だと私も感心したさ。
ラタトス
だけど今は……ハッ、あいつが部下を引き連れて蔓珠院に火を放ったとしても、不思議とは思わないよ。
スキウース
……まさか、エンシオディスは本当に武力行使を──
ラタトス
焦るんじゃないよ。
ラタトス
可能性はもう一つある……ノーシスが、私たちを騙しているという可能性がね。
スキウース
……何のために?
ラタトス
エンシオディスがよからぬことを企んでいると思い込ませ、私たちが先に手を出すように仕向けている、とかね。
スキウース
それに何のメリットがあるの?
ラタトス
自分の手を汚さずに報復できる。あるいは、エンシオディスに開戦の口実を与え、自分はその褒美をもらうとか。
ラタトス
フン、いずれにしろ、私たちの身に危険が迫る可能性があるってことだよ。
スキウース
そんなこと……
スキウース
でも、どうやって判断すればいいの?
ラタトス
さあね。
スキウース
ラタトスでもわかんないの?
ラタトス
私だって万能じゃないんだ。
ラタトス
だけど、嘘をついているなら、そいつはいつか必ずボロを出す。
ラタトス
誰か。
ブラウンテイル家貴族
はい。
ラタトス
ノーシスの身辺を調べてくれ。前に一度調査しているけど、情報の更新が必要だ。あいつはここ数日、業務引き継ぎで多くの人と接触したはず。その辺を中心に調べるんだ。
ブラウンテイル家貴族
はい。
ラタトス
失望させてくれるなよ、ノーシス・エーデルワイス。
スキウース
……ラタトス、もし仮にノーシスが嘘をついていなかったら、ほんとにあいつを受け入れるつもり?
ラタトス
受け入れない理由があるとでも?
スキウース
あいつは悪名高きエーデルワイス家の奴なのよ! 十五年前にエンシオディスの親を殺した一族じゃない!
ラタトス
だったら?
スキウース
あの一族はシルバーアッシュ家を裏切った。にもかかわらず、エンシオディスが留学から戻るのにくっついてきて、図々しくもおこぼれにあずかった……
スキウース
あいつは欲に目がくらんだ薄情者なのよ。今回主を怒らせて解雇されちゃったから、次のご主人様を探しつつ、報復のチャンスをうかがってるに決まってるわ。
ラタトス
ああ、それが一番目に思いつく理由だね。
スキウース
じゃあどうして──
ラタトス
「シルバーアッシュ家は玄関口を牛耳り、ペイルロッシュ家は良田と勇猛な将兵を有している一方、ブラウンテイル家には何もない。ならばなぜ、我々の三大名家の地位は揺るがないのか?」
スキウース
「それは我々が、常に最大の利を得られるように動くからだ。」
スキウース
おじい様の言葉? それがどうしたの。
ラタトス
今回せっかくあんたが関わることを許してあげたんだし、これを機に色々と自分で考えてみるんだね。
ラタトス
こういう時、罪人を受け入れることでもたらされるリスクについてただ悩むのではなく、ブラウンテイル家の娘なら最善の手を導きださなきゃならない。自分でリスク評価することを学ぶんだ。
ラタトス
利益には常にリスクが伴うもんだ。私たちは何もかも門前払いするのではなく、それを取り入れた上でどうやってリスクを取り除くかも学ばなきゃならない。
ラタトス
私たちが本当に憂慮すべきなのは、あいつの言葉は全部本当で、だけどそれ自体が大きなまやかしの一部であるって可能性さ。
ラタトス
それともう一つ。
ラタトス
あんた最近、あの部下と親しくしてるだろ?
スキウース
メンヒのこと?
ラタトス
メンヒだかムンヒだかモンヒだか知らないけど──
ラタトス
あまり他人を信用し過ぎないように。
スキウース
……チッ、あんたにいちいち言われる筋合いはないわ!
スキウース
あんた抜きでも、あたし一人でブラウンテイル家を強くできるってところを見せてあげる。
ラタトス
はぁ……あの時エンシオディスに三家会議に戻る機会なんて与えるべきじゃなかったな。
ラタトス
はぁ、アークトスの石頭め。あいつがエンヤという素晴らしい原石を育てるために、彼女を兄から遠ざけるべきだなんて言い張るからだ。
ラタトス
まあいい……ユカタン。
ユカタン
はい、お義姉様。
ラタトス
数日後に訪問させてもらうとペイルロッシュ家に連絡を。
ユカタン
承知しました。
ヴァレス
ドクター、すでに谷地に入りましたわ。
ヴァレス
申し訳ありません……ペイルロッシュ家の領地内に鉄道を敷くことをアークトス様は許可しておりませんの。それに私たちは源石駆動の車を使う習慣もありません。
あなたのような外国人にとっては、やはり駄獣に乗るのは不慣れなものかもしれませんわね。
チェスター
Dr.{@nickname}、ようこそお越しくださいました。私はエンシオディス様の秘書で、チェスターと申します。
チェスター
このエリアで行動される間は、私がお供をいたします。
チェスター
アークトス様にご安心いただくため、すべての工場および採掘場はあなたにご確認いただいた後、閉鎖いたします。
チェスター
あなたの確認作業がすべて終わり、アークトス様と大長老がお認めになった時点で、移管完了という段取りですが──
チェスター
ヴァレス将軍はどう思われますか?
ヴァレス
もちろんそれが一番いいと思いますわ。
チェスター
では、まずはこの辺りをご案内致しましょう。ここの環境と状況を一通り把握いただければと存じます。
年長の領民
そうは言っても、あまりに突然すぎんかのう……
若い領民
まったくだよ。前の三家会議で良くない噂が流れた時も、俺たちは見限ったりしなかったのにな。
年長の領民
わしの息子が以前工場で負った傷の治療もまだじゃ。医療補助が出るのを首を長くして待っとるんじゃが……
年長の領民
わしらは……わしらはずっとエンシオディス様を信じておった! まさかあの方はわしらを見捨てはせんじゃろうな?
若い領民
イェラグ人が良い生活を送れるようにみんなで頑張ってきたのに、急に工場を閉めるなんてあんまりだろ。
感染者の領民
私たち感染者はどうすればいいんだ!? ようやく工場での仕事を見つけたっていうのに……
ヴァイス
皆さん、どうか落ち着いて、私の話を聞いてください──
ヴァイス
あっ、ドクター! ちょうどいいところに来てくれました。
ヴァイス
ドクター、元気そうで何よりです。僕たちの土地のごたごたにあなたまで巻き込んでしまって、本当に申し訳なく思います。
ヴァイス
ですが、もう少しだけご辛抱いただけますか。大典さえ終われば、シルバーアッシュ家が必ず正式におもてなしを致しますので。
ヴァイス
それまでは、どうか諸々手伝っていただければと。
ヴァイス
……
ヴァイス
さすがのご慧眼ですね。
ヴァイス
そんな他人行儀なことを言わずに……ドクターの並外れた能力は、僕もこの目で見てきています。
ヴァイス
今後、多くの場面であなたの助けが必要になるはずです。
ヴァイス
すみません、重要な任務がありますので、少しの間だけドクターをお借りしたいのですが、ペイルロッシュ家のご都合はいかがでしょう?
ヴァレス
……どうぞ。
ヴァイス
皆さん、私はエンシオディス様から命を受け、今回の件で影響を受ける皆さんへの説明責任を果たすため、エンシオディス様に代わってここへやって来ました。
ヴァイス
ちょうどドクターもいらっしゃいます。この方はエンシオディス様の大事なお客様であり、カランド貿易の現最高技術責任者です。
ヴァイス
本日、ドクターには皆さんと一緒に、これから私が説明することの証人となっていただきます。
ヴァイス
三家会議の結果は、三大名家と蔓珠院との協議によって得られた、段階的な方針であり、今後まだまだ多くの議論を必要とします。
ヴァイス
ですが決定事項として、前最高技術責任者ノーシスが業務上犯した重大な過失により、カランド貿易は誠意を示すために、工場を全面的に閉鎖して立て直すことにいたしました。
ヴァイス
そしてシルバーアッシュ家は主権奉還後、蔓珠院と積極的に交流を行い、節度を保ちつつ計画的に一部の工場を徐々に再稼働させていきます。
ヴァレス
フンッ……
ヴァイス
……
ヴァイス
皆さん、私を――我々シルバーアッシュ家を信じてください。状況は必ず良くなっていきます。
ヴァイス
先ほども触れましたが改めて紹介させてください。こちらの方はエンシオディス様の大事なお客様であり、カランド貿易の現最高技術責任者である、ドクターです。
ヴァイス
ドクターは皆さんご存じの生産や採掘に関する技術に明るいだけでなく、鉱石病の防止や対応についてもエキスパートです。
ヴァイス
ドクター及び当人が所属する医療組織は、これからカランド貿易と共同で、皆さんが関心を寄せる問題の解決に取り組みます。先ほどお話に出た医療援助も、その中の重点項目です。
ヴァイス
これらは今まで雪境ではできなかったことですが、今後はカランド貿易とドクターの協力の下、実現することが可能です。
ヴァイス
また、エンシオディス様はこれを機に、他の両家の領民には偏見を捨てていただき、我々と共にイェラグの建設に加わってもらいたいと考えておられます。
ヴァイス
どうか皆さん憂慮することなく、エンシオディス様を、巫女様を信じてください。イェラガンドは自らの民を見捨てたりはしません。
年長の領民
おお、我らのイェラガンドに!
若い領民
我らのイェラガンドに。
ヴァイス
我らのイェラガンドに。
ヴァイス
では、私はこれで……
感染者の領民
あ、あの! 待ってください!
ヴァイス様がそこまで仰るのなら……私も……私も正直に打ち明けさせてください!
ヴァイス
どうぞ。
感染者の領民
我々が不安に思うのは、他の両家の当主を信用できないからというわけではありません。
ただ、ここ数年間我々に恩恵を与えてくださったのは、紛れもないエンシオディス様なのです。仕事も与えられ、衣食住にも困らず、鎮痛剤だってみんなに配給される――
以前だったら、こんな素晴らしい日々は考えられなかった……
だけど工場が閉鎖されると聞いて、そんな日々がこのまま終わってしまうんじゃないかって……それをみんな恐れているんです……
ヴァイス
その点はご安心ください。
ヴァイス
先ほどご紹介したこちらのドクターは、鉱石病学者でもあります。この方を招いたのは、カランド貿易が感染労働者の暮らしの問題を考慮したうえでの準備の一環でもあります。
ヴァイス
ですので皆さん、我々カランド貿易を信じてください。
ヴァイス
はい、どうされましたか?
ヴァイス
もちろんです。たしかに旦那様の考えを現実的でないと考える方もたくさんいますが──
ヴァイス
いえ、申し訳ありません、失言でした。
ヴァイス
……
ヴァイス
……わかりました。やはりドクターはごまかせないみたいですね。
年長の領民
うむ……
ヴァイス
ドクターはやはり容赦がありませんね。
ヴァイス
皆さんには、確かにまだお伝えしていないことがあります。
ヴァイス
カランド貿易の内部監督不行き届きにより、皆さんに大切な仕事を失わせてしまったことは、完全に我々の過失です。
ヴァイス
カランド貿易は、皆さんのために元の職位を保留したまま、補償金を継続的にお支払いし、今後は同等──あるいはより良い待遇での仕事の機会を手配することをお約束します。
ヴァイス
たった今、皆さんもご覧になったでしょう。こちらのドクターは、皆さんが本当に必要としているものが何か、理解しておられます。第二のノーシスになることは絶対にありません。
ヴァイス
この方はカランド貿易のために真に役立つ技術をもたらし、我々をより良い生活に導いてくださるのです。
ヴァイス
これこそが、エンシオディス様が本当に皆さんにお伝えしたかったことなのです。
若い領民
そりゃよかった! すぐにみんなに知らせてくる!
年長の領民
うむ、素晴らしい。じゃが、若者よ、イェラガンドの教えを決して忘れてはならんぞい……
ヴァイス
……ふぅ。
チェスター
お疲れ様です。
ヴァイス
いえいえ。旦那様の言葉を伝えるのは元々僕の務めですから。
ヴァイス
お疲れ様でした、ドクター。
ヴァイス
ですが手伝う価値はあったと思いませんか?
ヴァイス
……わかりましたよ、ドクター。今度チーズフォンデュをごちそうしますから。
ヴァイス
演技だなんて、そんな。
ヴァイス
あなたの指摘がなければ、本当にあのくだりを言い忘れていたかもしれませんよ。
ヴァイス
では、僕はお先に失礼させていただきます。
ヴァイス
何でしょう?
ヴァイス
……
ヴァイス
言ってる意味がわかりません、ドクター。
メンヒ
……
メンヒ
条件は整った。スキウース様が予想した通りだ。
メンヒ
ヴァイスが現れたのは、恐らくエンシオディスの保険的措置。
メンヒ
でも、この程度じゃ足りない。
メンヒ
あなたたち、ヴァイスが去ったことを確認したら行動を開始して。スキウース様の計画通りに。
イェラグ戦士
はっ!
メンヒ
……
ノーシス
後をつけられたな。
メンヒ
……!
メンヒ
で、ですがなんの気配も……
ノーシス
だが相手は一人だけのようだ。スキウースが君に与えた者たちの後を追いかけていった。
メンヒ
お恥ずかしい限りです。ノーシス様を失望させてしまうとは。
ノーシス
いや、今はこの方がいいのかもしれない。
メンヒ
……すでに心の準備はできております。喜んで捨て駒となるつもりですので、どうかご命令を。
ノーシス
私は研究者だ、メンヒ。
ノーシス
駒など私にとってはまったくの無益……私が必要としているのは、共に事をなせるビジネスパートナーだ。
メンヒ
……
ノーシス
引き続き計画を実行するんだ。余計な心配は必要ない。ラタトスとスキウースが君の尻尾をつかむことなどできないのだから。
メンヒ
はい。