未完成の立ち振る舞い

ニンフ
どうしたの、エルミー?
エルマンガルド
もう二日が経ちましたけれど、何か進展はありましたか?
ニンフ
色々あったよ! えーと、ちゃんと言うと二つだけだけど……でも安心して、きっとすぐに片づけられると思うから! でも、どうしてそんなこと聞くの?
エルマンガルド
大したことではありませんの。ただ、あの爺さんが急にこの件を思い出して、少し催促しにきたものですから。
この欠片のせいで、カズデルは天地がひっくり返るほどの大騒ぎになると思っていましたけれど、今のところはまだ大丈夫そうですわね。
本件を理由に軍事委員会の門戸を叩く人もおりませんし、こちらでも何の異状も検出しておりませんもの。
ニンフ
(小声)全部あたしが出くわしてるもんね、あはは……
エルマンガルド
とにかく、あなたはご自分のペースで進めてくださいな。
ニンフ
オッケー、それだけかな?
エルマンガルド
ええ、それだけですわ。安全第一で、手に負えないことがあればいつでも私に連絡してくださいまし。
ニンフ
うん、わかった。ありがとね~。
エルミーは相変わらずしっかりしてるなあ。あたしも急がなきゃ。
露天商
何を食べるか決めたかい?
ニンフ
え? あっ、ごめん。今選ぶね。
うーん……
じゃあこれにしよっかな。
これって新しいメニュー?
露天商
普通のパンだよ。うちで食べるのは初めてじゃないだろ。
ニンフ
そうだけど、なんか美味しくなってない?
前より歯ごたえがあるし、ほんのり……甘いような?
露天商
そうかい? もしかすると、材料が前より良くなったからかもね。
最近はこっちに戻って来た人がどんどん増えて、安くていい材料が手に入るようになったんだ。そのおかげで、パンも美味しくなったんだろうね。
ニンフ
じゃあ、これからも値引き交渉を手伝ったほうがいい?
露天商
いいや、大丈夫だよ。前にこの店に来た傭兵さんが、前よりいい仕入先を紹介してくれてね。値段も妥当だし、話もしやすいから、あんたの手を借りなくてもよくなったんだ。
ニンフ
それならよかった! このままいけば、ヴィクトリアの白パンみたいなのも作れるようになるんじゃない?
露天商
あんたは本当食いしん坊だね。白パンなんかの何がいいんだか。それよりも、今度機会があったら、焼肉でも食べに来なさい。
ニンフ
ほんとに!? 焼肉かあ……
そうだ、このパンもう三つもらってもいい? 歩きながら食べたいから。
露天商
いいよ、ちょっと待ってな。いま炉から出すから。
ニンフ
えへへ、ありがと。
ふんふーん♪ 最近すっごく忙しかったから、ちょっとくらい自分にご褒美あげないと。
ふぅ……やっぱりお腹いっぱい食べるのが一番の幸せだよね――
ん?
ニンフはそのサルカズを思わずちらりと見た。
彼女だけでなく誰であろうと、そこを通りかかれば、きっとその姿に目を引かれることだろう。
そのサルカズはステッキを手に、ハットを被り、頭を高く上げて、微動だにせずそこに立っている。
ほとんどの人間がぼさぼさの髪に垢まみれの顔をして、服装も乱れたままにしているようなこの場所で、こうした人物はあまりにも物珍しかった。
露天商
ほら、パン三つ。
ニンフ
あっ、うん、ありがと……
露天商
あの子を見たのは初めてかい?
ニンフ
うん、あんな人……見たことないと思う。
露天商
初めからああだったわけじゃないんだけどね。いつからか、おかしくなっちゃって。カズデルを離れてしばらく旅に出て、帰ってきたと思えばあんな感じになってたんだよ。
ニンフ
えっと……そうは言っても、すごく綺麗な人だよ。
露天商
いくら見た目が良くたって、一日中あそこに突っ立っても何一つ売れないんだから、どうにもならないだろ。
ニンフ
あの人もパンを売ってるの?
露天商
いいや。あの子は廃材を使ってアクセサリーを作ってるんだ。それとちょっと妙な物もね。
たとえば、透明なガラスでできた巫術オーブに、カズデルの模型が入ってるやつとか、あとは変な模様入りのカップとか――どれも高いのに脆いもんで、バカしか買いやしないんだ。
置物だの彫刻だのもあるらしいけど、それこそ誰も買わないだろうさ。暮らしに使えないものをあんな高値で売るなんて、一体何を考えてるんだろうね。
あの子とちょっと仲良くしてる連中が揃って忠告したんだけど、どうにも聞く耳持たなくて。
ニンフ
あはは……
でも、街中で毎日綺麗な格好をした人を見られるんだから、悪いことじゃないでしょ。
露天商
あの子がちょっとでも、金を稼いで食べていけるならね……もしこのパン屋の前で飢え死にしたりしたら、冗談じゃないだろ?
ニンフ
うーん、それも一理あるね……じゃあ、あたしはそろそろ行くよ。またね~。
露天商
またね、ニンフちゃん。次はもっと友達を連れてきなよ。
ニンフ
わかった、覚えとくね。バイバイ!
ニンフ
ふぅ……お腹も満たされたことだし、そろそろ仕事に戻らなきゃ。
(ほんとに綺麗な人だなぁ……)
(ヴィクトリア風のスタイルかな? 高そうな生地を使ってる。)
(それにあの、紫色の宝石がはめ込まれたブローチ……)
(エルミーの仕事が終わって報酬をもらったら、あの人のお店で買い物しよっと!)
えっ? この辺なの?
ニンフ
嘘でしょ、さっきまで鳴ってなかったのに。
ニンフ
一体どこに?
ニンフ
待って……
あのブローチ……
!!!
ニンフはハッと気が付いて、誰も気に留めてすらいないあの露店のほうを振り返った。
しかし、そこにはすでに誰もいなかった。ハットを被った店主はとうに店じまいして、カズデルの人混みの中に消えていたのだ。
ニンフ
エルミー、早く出て。急いで伝えないと……
ど、どうしよう……
もし、あの人がほんとに取り憑かれてて、そのせいで欠片をアクセサリーにして身に着けてたとしたら……
いけない、早く追いつかなきゃ。
ニンフ
あのー、さっきここで出店をやってた女の人がどこに行ったか知らない? ほら、礼服を着てハットを被った人なんだけど……
えっ? 「礼服って何だ」? えーと……あの誰も買わない物売ってる人の、変わった格好のことだよ。見てない?
こっちの方向だね。わかった、ありがと……ん、このパン?
街角の向こうにあるお店で買ったんだ。一個分けてあげるね。美味しかったら買いに行ってあげて!
ニンフ
この辺り、街の出口近くだ。あの人ここで何してるんだろう?
探知機は……反応が弱いけど、ここで間違いないはず。
もっとよく探さなきゃ。
ニンフ
ここみたい。
……
これって、倉庫?
あの人、ここに住んでるのかな?
ううん、あんな綺麗な格好してる人が、こんなところに住んでるはずないよね。
それじゃあ……あのレヴァナントの欠片のせい!?
……
エルミーとは連絡つかないし、ペールさんも他の場所で欠片を探してるところだし。
考えて、ニンフ。きっと方法はあるはず!
催眠とか、暗示とか、アーツとか……あるいは、たとえ力づくで奪うことになってもやらなくちゃ!
???
こんにちは、お嬢さん。私に何か御用?
ニンフ
ごめんね、ちょっと考えさせて……
???
ええ、好きなだけどうぞ。
ニンフ
あっ。
……
???
……?
ニンフ
は、初めまして?
???
初めまして。「優雅なる仕立て屋」クラウニー・マンテルよ。お会いできて光栄だわ。何かお手伝いしましょうか?
ニンフ
……そのブローチを譲ってもらえないかな?
クラウニー
どうして?
ニンフ
それは、その……
とっても気に入ったから!
クラウニー
ふぅん?
ごめんなさいね、お嬢さん。これは非売品なの。
それに、これはあなたの格好には合わないでしょう。
バラにぴったりのもっといい飾りがうちにあるの。それでよかったら、喜んで売ってあげるわ。
ニンフ
ごめんなさい。あたしが欲しいのはそれだけなんだ。
ニンフは相手の目をじっと見つめると、指を独特なリズムで軽く振り、空中に複雑な図形をいくつか描き出した。
そうした図形はクラウニーの瞳に映り込んだものの、瞬きの間に拭い去られて、思うように心の奥には流れ込んでいかなかった。
クラウニー
だったら、お願いは叶えてあげられそうにないわね。
私も、もっといい代替品を見つけるまでは、この宝石を手放すつもりはないもの。
それじゃあ、大事な用があってこれ以上はお構いできそうにないから、お引き取り願ってもいいかしら。
ニンフ
……
(アーツユニットを軽く振る)
(小さな声で詠唱する)
お願い、ちょっと待って。あたしの言うことを聞いてほしいの。
ニンフのアーツが彼女の意志から飛び出して、クラウニーの身体にそっと降り注いだ。
一秒、二秒……
相手はますます遠ざかっていく。
ニンフ
……効いてない?
あの人がレヴァナントの欠片を身につけてる以上、レヴァナントを避けて心に触れるのはやっぱり簡単じゃないみたいだね……
だったらもう、力づくでやるしか……
……ごめんなさい!
クラウニー
悪いわね、ジャールのお嬢さん。先を急ぐの。邪魔をしないでもらえるかしら。
ニンフ
……あれっ?
エルミー、早く返事してってば。
エルミー!
アーツも効かないし、力でも勝てないし、取り上げることもできないし……
あの人、ただの露天商じゃなかったの?
……
とりあえず、ついて行ってみよう。ご先祖様があの人をどこに連れて行こうとしてるのか、確かめておかないと……
そうすれば、何か起きちゃっても、詳しい状況をすぐエルミーに伝えられるし……
まさか郊外まで逃げちゃうことはないだろうしね。
ニンフ
もう街の端っこまで来ちゃった。一体どこに行くつもりなのかな?
もしかして、本気で街を出るつもり?
だったら城門で働いてるリッチたちに連絡するべきかな。エルミーから連絡先は教えてもらってるし、その人たちなら欠片を食い止められるはずだよね。
あれ、あの人はどこ?
う、うそでしょ!?
ニンフの目の前で、クラウニーは鞄を開くと、中から簡素な作りのグライダーを取り出した。
片手でステッキをグライダーの骨組みに引っ掛け、もう片方の手で鞄を持つと、独特の直立姿勢でグライダーの下にぶら下がって、彼女はゆっくりとカズデルを離れていく。
ニンフ
レヴァナントの欠片ってあんなことまでできるのかな?
……やっぱりまずは……
もういいや。エルミーってば頼りにならないんだから。
そうだ、いっそのこと……
次第に遠ざかるグライダーを見ながら、ニンフはしばし躊躇ったものの、最終的には決心を固めた。
彼女がキーウィップの先端をアーツユニットの鍵穴に差し込むと、ウィップは断ち切れ、全身を取り巻く鍵と化していく。
ニンフが鍵を取り出し、腰に着けたバッグを開けると、鍵はたちまち二つの群れに分かれていった。
一方は杖に繋がり、まるでプロペラのように素早く回転し――
もう一方はニンフの足元に集まって、重力を和らげる。
空を飛ぶのは、とても奇妙な体験だ。
風に乗り遠くへ飛んでいくうちに、見慣れた物が徐々に小さく、小さくなっていく。
カズデル全体の輪郭がはっきりと見えてくるまで、都市の端が暖かな日差しの中でぼやけていくのを眺めて。
それから、そよ風と暖かさを感じ――
一瞬気をそらしてしまえば、すぐさま地面に向かって落ちていく。
ニンフ
きゃああああああ!!!
ニンフ
はぁ……はぁ……
クラウニー
ハンカチをどうぞ。これで汗を拭いてちょうだい。
ニンフ
あっ……あ……ありがと……
クラウニー
あなたほど向こう見ずな人は初めて見たわ。そのアーツ、まだ使い慣れていないのでしょう?
ニンフ
う……うん……
あなたが飛んできて手を取ってくれなかったら、地面に激突しちゃうところだったよ。
ハンカチまで貸してくれて、ほんとにありがとう。
クラウニー
いいえ、気にしないで。
ニンフ
都市を離れる度に毎回こんなことしてるの……?
クラウニー
速くて、便利で、優雅で、とても美しい方法でしょう。イェラグの雪山ケーブルカーに着想を得たの。
ニンフ
じゃあ、イェラグへ行ったことが?
クラウニー
いつかは行きたいと思っているわ。けれど、今は新聞の絵を見るだけで十分ね。
さあ、早く戻りなさい、お嬢さん。
ニンフ
ほんとに変なご先祖さま……どうしてそんなに急いでカズデルを離れようとしてるんだろう? しかも、クラウニーさんも一緒じゃないとダメってこと?
ああ、もう信号が完全に途絶えちゃった……
あとは自分で何とかしなきゃ。大冒険の始まりだよ、ニンフ。
ニンフ
よかった、やっと止まってくれた。
あの様子だと、そのままカズデルを離れるわけじゃなさそうだね。
ニンフが遠くから眺めていると、クラウニーは大きく息を吸いこんで、それから奇妙な……呪文を大声で唱えた。
「出てきなさい、苦難陳述者!」
ニンフ
「苦難陳述者」? ってなに? 呪文かな?
魔王の呼び名だとか……? 昔の魔王なら、そういう異名を持っててもおかしくない気がするし。
???
仰せのままに、わが友よ。
モスティマ
ふふ、久しぶりだね。
ニンフ
さ、サンクタ!?
これがレヴァナントの計画なの!? サンクタがその手助けをしてるってこと!?
一体何をしようとしてるの!?
モスティマ
見えてるよ、ジャールさん。
岩陰なんかに隠れてないで、出ておいで。
君のとこの見習い、随分よそよそしいね。
クラウニー
あのお嬢さんだったら、見習いではないわよ。何か誤解があるみたいで、さっきからずっと後をついてくるの。
モスティマ
実際、そんなブローチ着けたまま出歩いてたら、すぐに指名手配されちゃいそうなもんだけどね。
クラウニー
アドバイスありがとう、モスティマ。
ひとまず、お願いした物を見せてもらえるかしら?
モスティマ
いいよ。
モスティマは軽く手をかざすと、箱を両者の目の前に移動させた。
モスティマ
ご注文の品は――炎国産の高級シルクが三点だね。確かに届けたから、検品してくれるかな。
クラウニー
こ……これが……
なんてすばらしいの……
この一切の摩擦を感じさせない滑らかさに、あらゆる色を映し出す純白……
ニンフ
……物資まで準備してるなんて、本気でカズデルを離れるつもりなんだね。
あれ、あのサンクタ、いなくなっちゃった?
モスティマ
こんにちは、ジャールさん。今日はいい天気だね。
ニンフ
わわっ! ち、近付かないで! あたしは術師なんだよ、とっても強いアーツが使えるんだから!
モスティマ
へえ、奇遇だね。私も術師なんだ。となれば、もう半分仲間みたいなものじゃない?
ニンフ
でも、あなたは……
モスティマ
まあ、君は道理をわきまえてそうだから、こんな無防備なトランスポーターを理由もなく攻撃なんかしないよね?
ニンフ
……
モスティマ
黙ってるってことは、認めたと解釈しようかな。
じゃあ、クラウニーの検品にはもう少し時間がかかりそうだし、ここで風に当たりつつサボらせてもらうよ。君の邪魔はしないから。それでどう?
ニンフ
ええと、つまりあなたは本当にトランスポーターなの?
モスティマ
そうだよ。私たちペンギン急便は、「絶対に、確実に」お届けしますがモットーなんだ。
ラテラーノのキャンディーでもどう?
ニンフ
ありがと……じゃあ、代わりにこれあげるね。
モスティマ
これは?
ニンフ
カズデルのパンだよ。もう冷めちゃってるのが残念だけど……温かい時はもっと美味しいんだ。
モスティマ
じゃあ、遠慮なくいただこうかな。
ニンフ
あなたとクラウニーさんは……どうやって知り合ったの?
モスティマ
それはクライアントのプライバシーに関わることだからなあ。そもそも、君は本気でサンクタの話に耳を貸すつもりなの?
嘘をついたうえでその中に、君の魂を騙し取るための罠を仕掛けるかもしれないよ?
ニンフ
……話してみて。あたしには、嘘かほんとかわかるから。
サンクタは恐ろしい奴らだってみんなは言うけど……あなたは別にあたしに向かって銃を撃ちまくったり、あたしの角を折って戦利品として腰にぶら下げたりしないでしょ。
モスティマ
ははっ、わかった。じゃあ、いくつか独り言を言わせてもらうよ。
んー……どこから話したものかな?
何年か前、ウルサスに配達に向かった時に、私はとあるサルカズに出会ったんだ。
話を聞いてみれば、故郷にいられなくなったから家を出てきたところで、ちょうど自分の進むべき道を見つけたなんて言っててね。
でも、ウルサスは色々と規制が厳しいから、そのサルカズはよくうちの会社に配達を依頼してくれてたんだ。
ニンフ
クラウニーさんはウルサスでデザイナーでもしてたってこと?
モスティマ
デザイナー? ふふ、ウルサス人がサルカズに助手を任せるってだけでも、だいぶ優しいほうなんだよ。
実のところあれはサルカズが立ち上げたブランドなのに、ウルサスで流行りすぎたせいで、向こうでは現地企業だと誤解されててね。
布を命みたいに大事にしてるそこの人も、最初はそう思ってたんだけど、おかげでウルサスで痛い目に遭っちゃってさ。結局は、巡り巡ってここに戻ってきたってわけ。
ニンフ
じゃあきっと、たくさんお金を稼いで戻ってきたんだね。
モスティマ
お金? ふふ、彼女はお金とは無縁だと思うよ。
ある意味、君の見ているものが彼女のすべてなんだ。
クラウニー
モスティマ、検品は終わったわ! 問題なしよ!
ニンフ
それなら、どうして布を買い続けてるの? あの人の住んでるところも見たし、周りの人にも会ったけど、あの高い布を買うために、ご飯もろくに食べられてないみたいだよ……
まさか大溶炉の爆発を事前に知ってたから、レヴァナントをあの布に憑りつかせようとしてたとか? ううん、そんなわけないよね……
モスティマ
おっと、なんだかとんでもない話を聞いちゃった気がするな。
何のことかはわからないけど、まあそろそろ行こうか。
モスティマ
ほかに何か要望はあるかい? クラウニー。
クラウニー
いいえ。ありがとう、モスティマ。遠路はるばる来てくれて。
モスティマ
気にしないで。私も仕事をしてるだけだから。
クラウニー
今後のことだけれど、もう少しサルゴンの布をお願いしたいの。前と同じように、全額前払いで構わないかしら?
モスティマ
それは良いんだけど……ごめんね。多分もう、私がこういう物を届ける必要はないと思うんだ。
クラウニー
……どういうことかしら。会社の運営方針が変わったの?
モスティマ
いやいや、そうじゃなくてね。
私が言いたいのは――
これからはカズデルで買えばいいってことだよ。わざわざペンギン急便を頼る必要はもうないんだ。
クラウニー
そうなの……?
モスティマ
近頃はカズデルを訪れるキャラバンの数が倍増してるし、ロドスの人たちも、サルカズとの橋渡しに色々協力してくれてるからね。
そう遠くない内に、君たちのところにも輸入品の販売所ができるんじゃないかな。
クラウニー
そうなれば……私のカズデル土産も売れるようになるかしら?
モスティマ
何だいそれ?
ニンフ
水晶玉とか、カップとか、そういう旅のお土産だよ……ほかの国で見かけるのとそんなに変わらないけど、カズデルで作られたやつなんだ。
でも、カズデルへ旅行に来たがる人なんているのかな? 観光的な見どころなんて何もないと思うけど……
モスティマ
実は私、カズデルを見て回りたいと思ってたんだよね。魂の溶炉とか、街道とか、それから「知識の殿堂」なんかを見てみたいなって……そういう場所があるんでしょ?
まあ、残念ながら私にはそんな機会はないんだけど。君のアイデアは面白そうだし、その時が来たら商人たちに話してみるといいよ。本当にその「お土産」を買って帰って自慢したがるかも。
クラウニー
覚えておくわ、ありがとう。それから、そこのジャールさん……
ニンフ
ニンフでいいよ。
クラウニー
では、ニンフさん。もう行きましょう、戻らないと。
ニンフ
うん。じゃあ……またね、サンクタのトランスポーターさん!
モスティマ
またね。何か必要な時はペンギン急便までご連絡を。連絡先はクラウニーに聞けばいいよ。
ふぅ……君もそろそろ、姿を見せていい頃じゃない? 「苦難陳述者」さん、それとも「烈火の爆破狂」さん? どの名前で呼べばいいかな?
フィアメッタ
……気は確かなの? 配達のためにカズデルまで来るなんて。
もしサルカズに捕まったら、ここから生きて出ることなんてできないわよ。
モスティマ
常連さんからの発注だから、断るわけにもいかないでしょ。
まさか心配してくれてるの?
フィアメッタ
……あなたの監視が私の仕事ってだけよ。さっさと帰りましょう。即刻、今すぐにね。
モスティマ
はいはい。こんな荒野でどこに逃げられるって言うのさ。あ、せっかくならカズデルに寄って一日遊ばない?
フィアメッタ
(武器を構える)……行くわよ。
モスティマ
はぁ、冗談通じないねえ。
クラウニー
我が家へようこそ。
ニンフとクラウニーはまる一日巡り巡った末に、ようやくお互いが初めて言葉を交わした倉庫へと戻ってきていた。
当初、ニンフはこの場所のことを、クラウニーを操るレヴァナントが人目を避けるために選んだ隠れ家だとばかり思っていた。
ニンフ
(ほんとにここに住んでたんだ……)
(ベッド一つと小さな作業台、何着か服がかかってて、あとは雑用品が隅に置かれてるくらい。基本の家具すらほとんど揃ってない……)
モスティマ
ある意味、君の見ているものが彼女のすべてなんだ。
ニンフ
……
クラウニー
自分の家だと思って、気楽に過ごしてちょうだい。
ニンフ
うん……
何か手伝おうか? クラウニーさん。
クラウニー
大丈夫よ、自分でやるから。
ニンフ
この布、きっとすごく高価なんだろうね。
クラウニー
数ヶ月分の食費と同額くらいかしら? そんなこと、どうでもいいけれど。
そうねえ、これならブローチじゃなくて、布でサッシュを作って合わせたほうが……
ニンフさん。
ニンフ
なあに?
クラウニー
このブローチが欲しかったのよね?
ニンフ
えっ? うん。
でも、それは――
クラウニー
あなたにあげるわ。もう必要ないから。
ブローチからは重苦しい停滞感が伝わってきて、ニンフは思わず身震いした。彼女は急いで、宝石扱いされていたその破片を鞄の中にしまった。
結局、そのレヴァナントの破片はブローチに憑りついていたことを除けば、何もしていなかったようだ。
それは奇妙な巨像を操ることもなければ、群衆の中に争いを引き起こすこともせずにいた。
ニンフがそれを手にした時には、何か憤りや無力感のようなものさえ感じられたほどだ。まるで……
ニンフ
……駄獣の耳に経文、だったとか?
クラウニー
ニンフ
あっ、何でもないよ。ちょっと変なこと考えてただけで……それより、気分が悪くなったりしなかった? クラウニーさん。
クラウニー
気遣ってくれてありがとう。私なら、変わらず元気よ。
ニンフ
(喋り方も変わらない気がするけど、これで解決したのかな?)
何か手伝えることがあったら、何でも言ってね。
クラウニー
ええ……ニンフさん、それなら、実は無理を承知で頼みがあるのだけど。
ニンフ
ニンフでいいってば。そんなに遠慮しないで。
クラウニー
そう。だったらニンフ、ちょっと来てもらえる?
ニンフはクラウニーの作業台に置かれた衣服を見た。どうやら礼服のようだが、クラウニーにはサイズが合わないように見える。
クラウニー
これを着てみてくれない?
ニンフ
あたしが着るの?
クラウニーは巻き尺を取り出し、ニンフの身体を素早く何度か計測すると、数字をいくつか呟いた。
クラウニー
多分ぴったりだと思うわ。試着してみてちょうだい。
ニンフ
この服、すごく貴重なものだよね? あたし……
クラウニー
大丈夫よ。まだ作りかけだから。
ニンフ
じゃあ、ちょっと着てみようかな。
ど、どう? 似合う?
クラウニー
とっても綺麗よ。
サイズは合ってるかしら? 袖がきつかったりはしない? どこか窮屈なところは?
ニンフ
ないよ、ぴったり……
この服、誰かお友達のために作ってあげてるの?
クラウニー
いいえ。自分へのプレゼントよ。
私の願いはこれを作ることなのだけど、残念ながら、まだ完成ではないのよね。
ニンフ
もう完璧に見えるのに。
クラウニー
まだ全然足りないわ。袖を直さなくちゃいけないし、装飾も調整が必要だし、粗削りだもの……
もう脱いでもらっていいわよ。ニンフ、ありがとう。
ニンフ
あっ、うん。
でも、どうして自分で着られない服を作るの?
クラウニー
これのおかげで、私の人生の道筋が見えてきたからよ。
私は、人とは違う暮らしを求めているけれど、この街を愛してもいるの。だから皆の注意を引くために色々な手段を試してみたのよ。サルカズらしい、あなたもよく知るような手段ばかりをね。
そしてその結果、私はカズデルを追い出されて、荒野の上をさすらうことになったの。
その後ある人が、私にウルサスでの単純作業を紹介してくれてね。最初はただ、生き延びられればいいと思って始めてみたの。
だけどあとになって、自分にはこういう手先の器用さを求められる仕事が向いてることに気づいて。それと、あるデザイナーの手稿を手に入れたことも大きなきっかけだったわね。
その人はカズデル出身でサルカズのデザイナーなの。カズデルの、デザイナーよ。この二つの言葉が並んで綴られることがあるなんて私は思ってもみなかった。
ニンフ
その手稿に書かれてたのが、この服ってこと?
クラウニー
ええ。でも、その手稿は損壊が激しくてね。「For AM」 と書きかけで止められた文字列と、この服の構造以外に読み取れる部分はほとんどなかったの。
だけどなんだか、そこには私が今まで感じたこともないような感情が込められているような気がして。
それを理解するために、私は服の作り方を学び、色々な小物をたくさん作ってきたわ。
そんな時、偶然にもカズデルは私のことを忘れていたものだから、別人としてここへ戻ってくることにしたのよ。
私が大きく変わったように、カズデルも大きく変わっていた。私のような異端者でさえ舞台を持てるような、より寛容な場所にね。
ニンフ
だからああいう……売れないものを作ってるの?
クラウニー
あれは観光客向けのお土産だもの。いつの日か、カズデルにもテラ中からやってくる観光客をもてなす日が訪れると、私はそう信じているの。
私は単に気の向くままに試しに作ってみているだけだけど、ほかの場所にある物ならカズデルにだってあっていいし、それがほかより劣っているということもないはずでしょう。
おしゃれな服も、旅行のお土産も、そして……生活様式や美の追求さえもね。
ニンフ
ずいぶん先のことを考えてるんだね……カズデルが観光地になるなんて、夢にすら見たことないよ!
でも、確かに最近この街は大きく変わったよね。人がたくさん行き交うようになって、とっても賑やかで、前とは全然違うもん。
この間の夜の花火なんて、すっごく綺麗だったよね。もしかしたら大溶炉も大はしゃぎして、楽しくなりすぎちゃったからあんなに綺麗な花火を打ち上げたのかも。
エルマンガルド
ニンフ? どうかしましたの?
ニンフ
あっ、エルミー。大丈夫、もう解決したよ。欠片集めの時にちょっとしたトラブルがあったんだけどね。
エルマンガルド
それは何よりですわ。ごめんなさいね。今日は爺さん……コホン、先生の命結関連の研究を手伝っていたせいで、意識がここにありませんでしたの。
ニンフ
気にしないで。街の中はほとんど調査し終わってて、あと行ってないのは新しく整備された生活エリアだけになったから。もしかしたら明日には終わるかもよ。先に報酬用意しといてね!
エルマンガルド
ちゃんと用意しておきますから、終わり次第、直接取りに来てくだされば大丈夫ですわ。
早めに休むようにしてくださいね。それでは。
ニンフ
うん、じゃあねエルミー。
それじゃ、あたしもお暇しようかな。クラウニーさん、今日はありがとう。これ、あたしの連絡先だから、何かあったら連絡してね。
クラウニー
ええ、ありがとう。おやすみ、ニンフ。
ニンフ
おやすみー。
ニンフ
……
はぁ……くたびれた……
そういえば朝買ったパン、結局自分で食べてないなぁ。
ぱくっ。
うーん……お家で温めたら、もっと美味しくなるかな。
あれ、ペールさん。どうやってあたしを見つけたの?
ペール
あんた今日城門を出た後、城壁から飛び降りたろ。しこたま目立ってくれたおかげで、情報屋どもはその話題で持ち切りだったぜ。
ニンフ
それで、何か発見はあった?
ペール
さっぱりだ。軍事委員会の駐在エリア辺りにも、居住地にも、欠片の痕跡はなかった。
そっちは何か収穫があったみたいだな?
ニンフ
うん。ほら見て! 今日見つけた欠片、宝石みたいに綺麗でしょ!
ペール
こりゃ大溶炉で焼かれたガラスの塊だな。確かに独特な色だ。
ニンフ
そういえば、この欠片をくれた人もとっても変わった人だったんだよ!
でも、今日はすごく眠たくなっちゃったな……一日中走り回ってもうくたくたで、お腹も空いたし、ふわぁ……
ペール
さっさと帰って休みな。どのみち、調べのついてねぇ場所はあと生活エリアだけだし、明日には頑張って片付けようぜ。
ニンフ
うん……
ペール
うとうとして壁にぶつかりかけてんじゃねぇか……はぁ、しょうがねぇ。送ってってやるよ。
おーい、寝るなって。道すがら、さっき言ってた「変わった人」の話を聞かせてくれよ。
ニンフ
うん……今日、市場であれを買ったんだ……
焼きたてのパン、すっごく……いい香りでね……