トリッチ・トラッチ・ポルカ

ツェルニー
先日の選考会ではあなた方二人を失格としましたが、少し状況が変わりました。あなた方が『夕べの夜明け』演奏担当の、第一候補です。
エーベンホルツ
状況が変わったとは?
ツェルニー
演奏予定だった二人がコンサートに参加できなくなりました。それであなた方に来ていただいたというわけです。
エーベンホルツ
コンサートに参加できなくなった……その二人に何かあったのか?
ツェルニー
彼らは昨日の午後、居酒屋へ行って派手に飲み食いしたのです。
ツェルニー
それだけなら特に問題はありません。しかし、どんな下らない原因か知りませんが、同じ居酒屋にいた別の客と喧嘩を始めたのです。
ツェルニー
結果としてフルート奏者は腕を骨折しました。チェロ奏者はもっと酷く、尾椎骨を折ったため座ることもできません。それなのにまだ演奏できるとうそぶいているのです。あまりにふざけている!
エーベンホルツ
なんと……!
ツェルニー
驚きましたか?
エーベンホルツ
全くもって……予想外だったのでな。
ツェルニー
予想外?
ツェルニー
率直に言えば、合格発表の翌日にこのような事件が発生していることを単なる偶然でないとするなら、最大の容疑者はあなたですが。
エーベンホルツ
私が最大の容疑者だと?
エーベンホルツ
いや――いやいや、私は全くの無関係だ。
エーベンホルツ
罪のない人を傷つけるよりも、音楽で貴殿の心を動かすのが本道だろう。
ツェルニー
仰ることは立派ですね。
ツェルニー
ですが、クライデさんを援助する金銭があるなら、ごろつき数人を雇うこともあなたにとっては朝飯前でしょう……違いますか?
クライデ
ツェルニーさん、僕も保証できます。エーベンホルツさんはそんなことはしていません。
ツェルニー
ほう? 昨日片時も離れず彼を監視していたのですか?
クライデ
――そうです。
ツェルニー
なんのために?
クライデ
えぇと……
エーベンホルツ
「監視していた」というわけではなく、どうすれば貴殿に考え直してもらえるかを、一日中一緒に相談していたんだ。
エーベンホルツ
結局何も良いアイディアは出なかったがな。
ツェルニー
クライデさん、彼が言っていることは本当ですか?
クライデ
誓って本当です。
ツェルニー
(首を横に振る)
ツェルニー
そこまで言うのなら、今回はクライデさんを信じましょう。
クライデ
ありがとうございます、ツェルニーさん!
エーベンホルツ
では……
ツェルニー
喜ぶのはまだ早いですよ。
ツェルニー
結局、あなた方は補欠……私の求めるレベルには、まだまだ達していません。
ツェルニー
特にエーベンホルツさん、あなたが足を引っ張っています。
ツェルニー
半日だけ練習時間を与えましょう。夜にまたうちへ来てください。テストをします。
ツェルニー
私の決めた最低基準に達しなければ、『夕べの夜明け』の演奏は取りやめるつもりです。いいですか?
エーベンホルツ
わかった、その心配は無用だ。
ツェルニー
それと、クライデさん……あなたはチェロを持っていませんね? ひとまずこれを持って行ってください。
クライデ
ほ……本当にいいんですか?
ツェルニー
もちろんです。
ツェルニー
もし今夜、私の求める水準をクリアできたなら、そのチェロはあなたのものです。
クライデ
――ありがとうございます!
ツェルニー
さぁ、そろそろ帰りなさい。私も考えを整理したいので――
ツェルニー
ウルズラさんですか? また鍵を忘れたと?
扉の外の声
ツェルニーさん、私はロドスのオペレーター、ハイビスカスです。
クライデ
ハイビスカスさん! もしかして祖父に何か――
ハイビスカス
こんにちは、ツェルニーさん、初めまして。
ツェルニー
こんにちは。
ツェルニー
私の話は終わりました。用があるのなら彼らを連れて行って構いません。
クライデ
ハイビスカスさん、祖父の病状に何か変化でも?
ハイビスカス
安心してください。治療をしたことでお爺さんの病状は大分安定しました。
ハイビスカス
ツェルニーさん、実はクライデさんではなく、あなたに用があって来たんです。
ツェルニー
私に?
ハイビスカス
最近の病状の変化について教えていただきたいのですが、今はご都合いかがでしょうか。
ツェルニー
なぜそんなことを?
ハイビスカス
近頃、アフターグロー区で鉱石病の症状が急に好転する感染者が多数見られていて、私はこの異常回復現象を調査するために来たんです。
ハイビスカス
それに、あなたはアフターグロー区でも著名な方ですし、全体的な状況を把握されているのではないかと思ったんです。
ツェルニー
申し訳ありませんが、私自身はずっと調子が良く、他の方々の病状に関してはわかりません。
ハイビスカス
ですが、フェアウェルコンサートを開催なさるご予定ですよね? 一般的に考えれば――
ツェルニー
申し訳ありませんが、一人になりたいので、お引き取りいただいてもよろしいですか?
ツェルニー
今度はどなたですか?
扉の外の声
旦那様、開けておくれ。鍵を忘れてしまったよ。
ツェルニー
……
ツェルニー
クライデさん、もう一度ドアを開けてきてもらえますか?
クライデ
お婆さん、すごい荷物ですね。持ちましょうか?
???
優しい子だね、だけど自分で持てるよ。中に戻ってお座りなさい。
クライデ
大丈夫です。僕がキッチンまで運びますよ!
エーベンホルツ
こちらは……?
ツェルニー
ウルズラさんです。彼女は私の遠い親戚で、ずっと私の世話をしてくださっているのです。
ウルズラ
家にこんなにお客さんがいるなんて、珍しいねぇ……
ウルズラ
こちらは貴族様かい? こりゃあ失礼しました!
エーベンホルツ
畏まる必要はない。よければ、私のことはエーベンホルツと呼んでくれ。
ウルズラ
あなたのような貴族様が、こんな老いぼれに、冗談はよしてくださいな。
エーベンホルツ
冗談ではない。エーベンホルツと呼んでくれればいい。
ウルズラ
本当に?
エーベンホルツ
もちろんだ。
ウルズラ
なら遠慮なく、そうさせてもらおうかね。
ハイビスカス
ウルズラお婆さん、こんにちは!
ウルズラ
おやまあ、どうしてサルカ――
ウルズラ
おっと、いけないいけない! お嬢ちゃん、すまないねぇ、つい口から出ちまったんだ。悪気はないから気にしないでおくれ!
ハイビスカス
大丈夫ですよお婆さん、もう慣れてますから。
ウルズラ
とにかく、謝らせておくれ……申し訳ないねぇ!
ウルズラ
ところで旦那様に何か用があって来たのかい? コンサートのこととか?
ハイビスカス
そうじゃないんです。ツェルニーさんの病状に何か変化はないか、聞きに来ました。
ウルズラ
おやまあ。お医者様だったのかい。
ハイビスカス
ロドスのオペレーターです。ハイビスカスって呼んでください。
ウルズラ
じゃあアンダンテの同僚ってことかい。
ハイビスカス
アンダンテさんは現地オペレーターで、私は本艦からヴィセハイムに出張で来たんです。
ウルズラ
そうかいそうかい。それなら安心だ。
ウルズラ
旦那様と私の薬は、全部アンダンテが処方してくれるんだよ。ここアフターグロー区じゃ、多くの人がロドスから薬を受け取ってるんだ。
ウルズラ
実は旦那様はここ数日――
ツェルニー
ゴホンッ。
ウルズラ
旦那様、この人はお医者様なんだよ。あんたの身体を気にかけてくれてるなんて、ありがたいことじゃないか。
ツェルニー
私が招いたわけではありません!
ウルズラ
何言ってんだい、おかしな話だよ。招かなきゃこの家には入れないだろうに。
ツェルニー
……
ウルズラ
去年から旦那様の体調はあまり良くなくてね、この春先までずっとこんな調子だったよ。でなきゃ、あんなコンサートをやろうとは思わないさ。
ウルズラ
だけど昨日から、急に調子が良くなったみたいでね。
ハイビスカス
ほかに何か気付いたことはありますか?
ウルズラ
そうさねぇ……
ツェルニー
ウルズラさん!
ウルズラ
はいはい、もう何も言わないよ。ごめんねお嬢ちゃん。
ハイビスカス
ご協力ありがとうございます、ウルズラお婆さん。
ハイビスカス
もしツェルニーさんに何かあれば、私に一声掛けてくださいね。
ウルズラ
言われなくても、何かあったらあんたたちロドスにお願いするしかないからね。
ツェルニー
話は終わりですね。気は済みましたか?
ウルズラ
終わったよ――
ウルズラ
――あらやだね、ポテトスープを作ると言ってたのに、肝心のポテトを買い忘れちまったよ……私はもう一度市場へ行ってくるよ!
ハイビスカス
ツェルニーさん……
ツェルニー
(今にも怒り出しそうな目)
ハイビスカス
――ウルズラお婆さん、私も一緒に行きます! お料理について、いくつかお訊きしたいことがあるんです!
エーベンホルツ
では、皆行ったことだし、我々も……
ツェルニー
待ってください。
クライデ
ツェルニーさん?
ツェルニー
……鍵を。
クライデ
ウルズラお婆さん、鍵! 鍵忘れてますよ!
エーベンホルツ
ハァ、ハァ……
エーベンホルツ
あのご老人がこんなに歩くのが早いとはな、危うく追いつけないところだった……
エーベンホルツ
ところで、さっきは場を収めてくれて助かった。
クライデ
大したことではありませんよ。あなたは合格のためにあんなことをするような人ではないと信じていますから。
エーベンホルツ
……
エーベンホルツ
鍵も渡せたことだし、アフターグロー区で練習場所を探すぞ。
クライデ
皆さんのように、街角で演奏するのはダメですか?
エーベンホルツ
私たちがするのは路上パフォーマンスではなく練習だぞ。街角では騒がしすぎる。
クライデ
それもそうですね。
エーベンホルツ
君の家はどうだ? 今はちょうどお爺さんもいないことだし、毎日クリフィーパティオ区からここまで来るのも疲れるんだ。
エーベンホルツ
ベッドを用意して、しばらく君の家に住んでもよいだろうか?
クライデ
歓迎しますが、うちはボロボロなので住み心地は良くないかもしれません……
エーベンホルツ
なに、住めれば問題ない。
クライデ
ここが僕の家です。
エーベンホルツ
うっ……
クライデ
どうされました?
エーベンホルツ
どうされましたって……
エーベンホルツ
(なんて小さな家だ。窓からは隙間風が入っているし、木材もカビていて、防音性などないに等しい……)
エーベンホルツ
何でもない、なかなかいい家だな。
エーベンホルツ
――待て、シングルベッド一つしかないぞ。お爺さんは普段どこで寝ているんだ?
クライデ
お爺さんはベッドで寝て、僕は床です。
エーベンホルツ
だが……これはただの絨毯ではないか?
クライデ
絨毯も悪くないですよ、もう慣れちゃいましたし。
クライデ
もしあなたがここに泊まるなら、僕はいつも通り床で寝ますので、問題ありません。
エーベンホルツ
……
エーベンホルツ
とりあえず練習をしよう。
エーベンホルツ
ダメだ。モルデントの部分が上手くいかない。
クライデ
大丈夫ですよ。一段前の最後の小節からやり直しましょう。
エーベンホルツ
またこのモルデントだ……
クライデ
ここのテンポを少し落としましょうか?
エーベンホルツ
必要ない、ただの装飾音だ。吹くときに少し思い切りが悪かっただけだ。
エーベンホルツ
――またここだ!
クライデ
エーベンホルツさん、テンポを落としますから、もうこの装飾音にはこだわらず、単音でやりましょう。
エーベンホルツ
だが記号が譜面に書いてあるだろう!
クライデ
でもこのモルデントに備えようとして、前の小節のブレスまで不安定になっていますよ。
エーベンホルツ
……わかった。
クライデ
すごい、完璧に合いました!
エーベンホルツ
しかしあのモルデントを吹いていない。ツェルニーはきっとそれを聞き逃さないだろうな。
クライデ
大丈夫です、まだ時間はあります。
エーベンホルツ
そうは言うが、今の状態なら君はもう練習する必要はないだろう。時間が必要なのは私だけだ。
クライデ
そんなことありませんよ。僕にもうまくできていない部分がありますから。
エーベンホルツ
本当か?
クライデ
ここを見てください、実は強弱を付けなくてはならないんですが、先ほどは表現できていませんでした。
エーベンホルツ
……確かにな。
クライデ
他にも、まだ無理やり弾いている箇所がありますから、完璧と言うには早いですよ。
エーベンホルツ
……驚いたな。もう完全に習得したものだと思っていた。
クライデ
ハハッ、こんな短時間で一気に習得するのは無理ですよ。時間をかけなければ上手くならないことって多いんです。
エーベンホルツ
そうだな。
エーベンホルツ
ひとまず少し休むといい。後で細かい部分の研究をするとしよう。
ゲルトルーデ
「高い山を越え、悪魔が黄昏の只中に足を踏み入れる。
ゲルトルーデ
血中の悪疾は隠れ潜んで、静かに死を蔓延させるだろう。
ゲルトルーデ
虫どもが暗がりから湧き出し、思い思いに壊滅の前奏を奏でる。
ゲルトルーデ
終曲の和音は遠くに薄れ、災いが最後の陽光を連れ去るだろう。」
ゲルトルーデ
このような変更でいかがですこと?
???
以前のものとあまり変わりませんね。こんな予言でロドスの人間を追い払えるのですか?
ゲルトルーデ
予言だけでは恐らく足りませんわ。ですが陛下の名を加え、さらにこれを口実に小さな騒ぎを引き起こしたなら……成功する可能性は高くなります。たとえ失敗してもデメリットはありませんわ。
???
予言が広まる範囲をアフターグロー区に限定できますか?
ゲルトルーデ
ご安心くださいまし。以前、小規模に広めた予言は拡散の兆しがありません。それに、感染者居住区として――
???
では実行なさい。