「飛ぶな」の禁
ヤトウ
ノイルホーン! 聞こえたら返事をくれ、ノイルホーン!
……繋がらない……信号が弱すぎる。
――柏生さん。
私のペースについてこられないなら、ここで待機するか、野営地に引き返すか、どちらかを選んでくれ。足手まといを連れたまま任務を実行するつもりはないのでな。
柏生義稜
バカ言うな! お前らと一緒に行くのなんざ最初からごめんだ。
ヤトウ
まだリオレウスの元へ行くつもりがあるなら、勝手に私のそばを離れないでくれ。私はあなたの安全を確保しなければならないんだ。
柏生義稜
っ、お前……
ヤトウ
……彼のことは気にしなくていい。さて、どこまで聞いたんだったか……続きを頼む。
オトモアイルー
ニャ。事の始まりはこうじゃ……
ワシがオトモしていたハンターさんは、ある王室の貴人より依頼を受けたのだニャ。ご機嫌取りのために火竜の紅玉を使ったアクセサリーが欲しいという話でニャ。
ヤトウ
ご機嫌取りだと……? そちらの人にとっては、リオレウスの討伐は日常茶飯事なのか?
オトモアイルー
……あの依頼人が特例なのニャ。
オトモアイルー
話を戻そうニャ。ワシは火山のほど近くにある森で、あのリオレウスを見つけたのニャ。
追いついたと思ったその時、妙な力に巻き込まれた感覚がして……気付けばここに来ていたのじゃニャ。
ヤトウ
妙な力、というのは?
オトモアイルー
詳しいことはまるで覚えておらん……ニャ。
ヤトウ
リオレウスのような生き物をこの大地へ連れてくることができる以上……その力というのも一種の脅威だが、今はさすがにそこまで対処する余力がない……ひとまず放っておくしかないな。それで?
オトモアイルー
ここへ辿り着いた時、ワシは初め、周りの状況を把握できておらなんだのニャ。ゆえにまずはリオレウスを尾行し、あやつの行動を観察していたの……ニャ。
ワシの観察によれば、あやつの異変は自ら穴を見つけて洞窟へ降りたあとに表れたものだニャ。
ヤトウ
洞窟というのは山の奥まで繋がるものか?
オトモアイルー
そうじゃニャ。
ヤトウ
その洞窟、何か変わったところはあっただろうか。
オトモアイルー
残念ながら、一見して何の変哲もない普通の洞窟でニャ。しかし、あやつの異変がその時点から始まったことは確かだニャ。
ワシも一度中に入って探索をしてみたが、あの場所はあまりにも複雑でニャ……
幾度か試みてはみたものの……リオレウスの位置は特定できずじまいだニャ。
推測だが、奴は洞窟の中に巣を作っているのであろうニャ。
ヤトウ
ああ。そして恐らくは、露華村にある洞窟が山に繋がっていると考えていいだろう。それなら、リオレウスが地下に現れたことにも説明がつく。
ヤトウ
それと、別件でもう一つ確認したいんだが……お前も見ていた通り先のリオレウスとの戦いは決して楽なものではなかった。本音を言えば……苦戦していたほどだ。
ヤトウ
現状、私たちはリオレウスに効果的なダメージを与えることができない。再戦は厳しいものになるだろう。……相応の代償を払う覚悟もしなくてはなるまい。
オトモアイルー
そうだニャ。
ヤトウ
リオレウスを知るお前から見て、我々の勝算は何割だ?
何か勝算を上げる方法はないか?
オトモアイルー
何割、とは判断しがたいニャ……普通のリオレウスに比べ、奴は随分気性が荒いのでニャ。少しでも刺激すれば、猛烈な凶暴性をあらわにしてくる状況だニャ。
その上、先ほど出くわしたとき……ワシには、あやつの感覚器官までもが鋭くなり、攻撃パターンにも変化が生じているのが見て取れたのニャ。それこそが、例の異常の正体なのだ……ニャ。
オトモアイルー
そして、我々には閃光玉もシビレ罠も持ち合わせがないニャ。となるとリオレウスの動きを封じる手段も思いつかぬのだニャ。
ヤトウ
つまり、勝率は高くない……ということだな。
オトモアイルー
しかし、リオレウスへのダメージを上げたいという話なら、ワシに考えがあるニャ……ヤトウ殿は、双剣の扱い方をあまりご存知ないのではないかニャ?
ヤトウ
双剣……これは双剣という武器なのか? 確かに、思うようには扱えていない気がするな。
オトモアイルー
その双剣は恐らくワシの故郷よりもたらされた武器だろうニャ。極めて品質が高く、一流の工匠の手によるものに違いない……ニャ。
ヤトウ
そうだったのか……
鍛冶屋アイルー
ニャ?
オトモアイルー
双剣の扱いには独特のコツがあるのニャ。ゆえに、ワシができるだけ手短に伝授しようぞ……ニャ。正しく扱うことができれば、大きなダメージを与えることもできるだろうニャ。しかし……
ヤトウ
しかし……何か問題が?
オトモアイルー
リオレウスがここにいるその光景を見て、ずっと考えていたのニャ……本当に奴を討伐せねばならぬのだろうか、とニャ。
ヤトウ
奴を放っておけと言うのか?
オトモアイルー
ワシが思うに、実力のあるハンターは生態系のバランスを維持するための鍵となる存在でニャ。狩りという行為はその生態系にも影響を与えるものゆえに、注意が必要なのだニャ。
これまでの観察によると、リオレウスの活動範囲は村から遠く離れていて、あやつが村に危害を加えることは考えにくいのニャ。それに……この地の生態系も健全とは言えぬ状態だしニャ。
オトモアイルー
増えすぎた草食生物による森の被害は明白であり……リオレウスがいればこの悪い勢いを抑制することもできる以上、まったく無益だとは言えない……ニャ。
オトモアイルー
ワシの元いた場所では、依頼達成に必要な素材を揃えられるなら、無害なモンスターとの対峙は避けるのが常じゃニャ。
ヤトウ
ふむ。元はと言えば私の任務もリオレウスの討伐ではなく、もう一つの脅威――鉱石病への対処にある。今はすべての手がかりがリオレウスに繋がっているからこそ、あれを追っているだけでな。
ヤトウ
鉱石病の感染源を見つけ出し、村への脅威を断つことができるなら……あのモンスターの運命と私の任務は無関係だ。
柏生義稜
お前ら……
ヤトウ
その原因を突き止めるために、私たちは……
柏生義稜
おい、お前ら!
オトモアイルー
どうされたのニャ、ハンター殿?
ヤトウ
放っておけ。
柏生義稜
全部……全部お前らのせいだ!
ヤトウ
はぁ……
柏生義稜
(矛を持ち上げる)
くそったれ! 聞こえんのか、全部お前らのせいだと言ったんだ!
ヤトウ
何が言いたい?
柏生義稜
何故……何故俺の忠告を聞かない!?
命知らずの連中め! いくら止めても森に入って、話の通じん獣同然にうろつき回りやがって!
あの化け物に手も足も出なかったくせに、ずっと何かを守るだなんだとほざいて、俺の邪魔ばかりして、俺の獲物を追い回して……
柏生義稜
お前らが話を聞かないせいであの若造は行方知れずだってのに、怪物のほうはまだピンピンしてやがるんだぞ!
ヤトウ
我々はまだ、リオレウスの討伐方法を模索している段階だからな。失敗があるのも自然なことだろう。
柏生義稜
知ったような口を利くな! 俺ならあいつに一太刀を浴びせることができたんだぞ!
黙って聞いてりゃ、わけのわからん軟弱な理由で、言うに事欠いてあれを放っておけだと? お次は俺の獲物を救うだなんて抜かすつもりじゃないだろうな!
柏生義稜
ああ、わかったぞ……お前らは俺を苦しめに来たんだな? この死に損ないの老いぼれジジイをいたぶりたいのか……!
柏生義稜
俺がまだあいつを覚えているからか!? お前らが必死に忘れようとしていることを覚えているからか!? だからこんな手を使って俺を苦しめようってのか……!?
あいつにしたように、皮を剝ぎ、血を抜き、肋骨を叩き壊し、胸を切り裂いて、骨髄を引きずり出すつもりなんだろう!
柏生義稜
そうだと言ったらどうだ、小娘!?
ヤトウ
悪いが、あなたの言っていることはまるで理解できない。
武器を下ろしてくれ。私たちは先を急ぐ身だ。無駄話をしている場合ではない。
柏生義稜
動くな!
ヤトウ
……あなたに何ができる?
柏生義稜
帰れ! 元いた場所へ帰れ!
帰れと言っているんだ! さっさと失せろ!
ヤトウ
それはできない。
ヤトウ
もう一度言うが、あなたの命令に従う義理はないからな。
柏生義稜
*極東スラング*! どうして……どうしてまたこうなるんだ?
柏生義稜
忠告に耳を傾けようともせず、他人を守るなんて大義名分を掲げて……
柏生義稜
一体何のつもりだ? 自惚れるなよ、お前らは自分の正義を他人に押し付けようとしてるだけだろうが!
ヤトウ
……
柏生義稜
誰が守ってほしいと言った! 自分で選んだ道は、自分で責任を取るのが筋ってもんだろう! どんな結末を迎えようと、それは俺自身が選んだ結果なんだ!
柏生義稜
よそ者は余計なことをするんじゃない! 黙って見てろ、この*極東スラング*が!
あの怪物は……俺一人で倒す。そうでなきゃならんのだ……俺を置いてほかに、その資格を持つ人間なんぞいない……!
柏生義稜
これでも、俺の忠告を聞かんつもりなら……まずはお前から狩ってやる!
ヤトウ
いいや、あなたにはできないさ。
あなたがそんなことをするはずはない。
柏生義稜
止まれ! 動くな!
ヤトウ
どんなに言葉で脅そうとしても無駄だ。……その矛も、人に向けて振るう気のないあなたが持っていたところで脅威にはなりえないしな。
現に、私は一歩ずつあなたに近付いているのに、矛はぴくりとも動かない。
柏生義稜
来るなと言ってるだろうが!
ヤトウ
あなたには無理だ。
ヤトウ
これ以上は時間の無駄だな。あなたを危険にさらさないためにも、ここではっきり言わせてもらおう。
柏生義稜
なっ……止まれ!
ヤトウ
本気だというのなら――あなたの家にいたあの時、我々が衰弱している隙を狙って私たちを始末すれば良かったんだ。そうすれば、あなたは確実に獲物を独り占めできたのに……そうはしなかった。
柏生義稜
それ以上近づくな! 小娘……!
ヤトウ
あなたは人を殺したくなどないのだと私は解釈している。始終私たちを遠ざけようとしていたし……私はそう感じたんだ。
リオレウスと対峙した時にも、あなたが私を止めるために用いた方法は、私を押しのけて戦場から遠ざけるだけのものだった……本当は、私たちを危険な目に遭わせたくなかったんだろう?
柏生義稜
ほざけ!
止まれ! これが最後だ!
ヤトウ
狩りの話に戻ろう。――狩人たる者、最小の代価で脅威を解決することは最優先事項だ。
過酷な大自然に長年抗ってきた狩人なら、それがわからないわけもない。
共闘の誘いを何度も断り、村の安否も彼我の戦力差も顧みず一人で獲物に挑もうとする姿は、我々を守ろうとした行動とは明らかに矛盾していた。
あくまで推測だが、あなたがリオレウスを追っているのは、純粋に個人的な執念によるものだ。
柏生義稜
黙れ!
ヤトウ
その表情を見るに、私の推測は当たっていたようだな。
ヤトウ
あなたの行動はすべて狩りへの渇望ではなく、怒りと後悔に支配された自暴自棄に由来しているんだ。盲目的にリオレウスを追いながら、弱々しい雄たけびをあげるのはそのためだろう。
ヤトウ
何もかも、あなたのわがままである以上……
ヤトウ
今のあなたに、狩人を名乗る資格はない。
柏生義稜
ッ……! 奴は俺の獲物だ! 狩人でもないお前が狩人を語るな!
柏生義稜
止まれ! 止まれと言ってるだろう!
ヤトウ
私の言うことを否定したくば、その武器を放て。そうすれば、すべてあなたの望むままになる。
ヤトウ
私はここを動きはしない。
ヤトウ
さあ、やってみろ。
私の心臓を貫くんだ。
柏生義稜
俺は!
柏生義稜
俺は――
柏生義稜
俺、は……
ヤトウ
……あなたはなぜそうも執念を燃やしているんだ?
柏生明さんのことが関係しているのか?
柏生義稜
ッ! ……どこでその名を知った!
ヤトウ
……彼はもうこの村にはいないんだろう?
名字が同じであることを鑑みるに、ご家族なのか? 写真を見る限り若き狩人だったようだが……
あなたが手にしている矛にも、彼の名前が刻まれているな。
柏生義稜
それ以上言うな……
ヤトウ
先ほど、しきりに「お前ら」と口にしていたが……それは私と彼に共通点があるからじゃないか?
推察するに……明さんは狩りのためにあなたの忠告を無視して、結果取り返しのつかない事態に陥り、あなたを一人にしてしまったのだろう。
そしてあなたはその事実に苛まれ、後悔し始めた。……しかし、その感情は狩りによってしか晴らすことはできない。
柏生義稜
黙れ! お前に……わかるわけがないだろうが!
ヤトウ
いいや、わかるさ。
ヤトウ
過去に囚われる感覚は心地よいものではない……その執念が如何に強かろうと、過去は変えられない。逆にあなたの判断を揺るがし、あなたの足を止めてしまうだけだ。
今の状況を見つめ直してくれ。……本当に、そうして過去のことだけ引きずっているべきだと思うのか?
あなたは私を殺すつもりなどないだろう。ならばお互いわだかまりを捨て、共にリオレウスへ挑むべきだ。
私は今も、あなたの狩人としての能力を信じている。できることならあなたに背中を任せたい。
ヤトウ
こんなことで時間を無駄にするのはやめよう。
柏生義稜
違う……お前は何もわかっちゃいない……
……明は、俺の息子だ。
柏生義稜
あいつはもう死んだ。
ヤトウ
……
柏生義稜
ちょうど七年前の今日、山には獣の咆哮が満ちていた。
何度も行くなと言ったんだ……奴らの自業自得なんだから放っておけと……だが、どんなに罵られようと明はこう言い張った……
柏生義稜
「いいや、俺は村の狩人だから」とな。それで結局、あいつは俺を顧みず山へ向かった。
柏生義稜
その次に会った時には、何もかも手遅れだった。
一目見て明だとわかるような状態じゃなかったんだ。……着ていた服や装備が無ければ、見つけることすらできなかっただろう。
辛うじてあいつだとわかったその服すらも、ぼろ切れのようで……酷いものだった。
柏生義稜
何一つ、理解できなかった……俺の息子は、どうして……あんな姿になったのかって……
柏生義稜
だが、俺は見たんだ……滝居應と……あの*極東スラング*なクソ野郎どもの後ろ姿を……!
事が起きた時、奴らはそこにいたのに、何もしなかったんだ! あの連中は……俺の息子を、見殺しにしやがったのさ……!
この気持ちが……お前にわかるはずがなかろうよ……
オトモアイルー
(矛先も腕も、酷く震えているニャ……)
オトモアイルー
(――指が動いた! あの方向は……しまったニャ!)
オトモアイルー
ヤトウ殿、注意するのニャ! 彼は矛を撃つつもりじゃニャ!
オトモアイルー
ニャアッ! よし、矛は掴んだぞニャ!
柏生義稜
放せ!
耳元に鋭い風音を感じたその時、血の雫が滲み出して、耳の輪郭に沿い落ちていった。
矛は耳を掠めただけで、そのまま前方の地面へ深々と突き刺さっていた。
振り向けば……老人の、震え混濁した双眸が見えた。
ヤトウ
――!
柏生義稜
そんな……俺は一体……
ヤトウ
大丈夫だから、落ち着いて……
柏生義稜
来るな!
柏生義稜
俺じゃない……俺のせいじゃない……全部お前らが……!
柏生義稜
小娘! それとお前! 全部お前らのせいなんだ……!
ヤトウ
柏生さん! ――っぐ、足が……
う……はあ、はあっ……!
ぐ、うっ……この傷は……さっきの、リオレウスの一撃か……!
オトモアイルー
ヤトウ殿! どうなさったのニャ!?
ヤトウ
私のことはいい! あの人を追ってくれ、頼む!