罠
ウッドロウ
レオーネに株を売るよう説得しろだと? 無理な話だな、俺は行かない。
ジェシカ
どうしてですか? 二人はお友達じゃないんですか?
ウッドロウ
俺があいつと友人でいられてるのは、あいつに何も強制したことがないからだ。採掘工場の株の件は俺たち全員から話をしたが、あいつは誰の言うことも聞きやしない。
ジェシカ
本当に無理なんですか?
ウッドロウ
無理だ。
ジェシカ
えっと……実は、もしレオーネさんの説得に協力してくれたら……その……
ウッドロウ
何だ? 歯切れが悪いな。
ジェシカ
こ、このチョコレートをお礼に差し上げようと思ってたんです……
ウッドロウ
ほう、チョコレートか。
ジェシカ
今回家を出た前に、うちのパティシエが口寂しい時にと言って持たせてくれたんです。食べてるうちにこれが最後のひと箱になってしまいましたが……
わ、わたし、ほ、本当はもったいなくて、人にあげたくないんですよね……だから、その、ウッドロウさんに手伝う気がないのなら、これはあげられないかなって……
ウッドロウ
そうかい。
ジェシカ
(小声)あ、あれ? 聞いてた話と違うような――
も、もし手伝っていただけないのなら、チョ、チョコレートが食べられなくなっちゃいますよ? ……って、そうじゃなくて……
ううっ……
もうダメです、正直に話します。チョコレートを持ってウッドロウさんを訪ねるよう、ヘレナさんからアドバイスをいただいたんです……ウッドロウさんは甘い物が好きだからって……
ウッドロウ
行けと言われればホイホイ行くのかお前は。
ジェシカ
そうじゃないんです。レオーネさんの状況は本当に予断を許しません……ですから、どんな方法でも、やれることはやってみたいんです。
ウッドロウはジェシカをまじまじと見つめている。しかし彼女はそれに気付いていない。
彼女は気まずさと挫折感に包まれ、うなだれながらどうやってこの会話を早く切り上げるか、必死に頭を巡らせていた。
ジェシカ
お邪魔してすみませんでした。帰って別の方法を考えます……
ウッドロウ
そのチョコレートは棚の上に置いていくといい。
ジェシカ
え?
ウッドロウ
顔を洗って荷物をまとめてくる、あと少ししたら出発するぞ。
ジェシカ
……上手くいった!? ボロが出ちゃったのに……
ヘレナさんの顔を立てたのかな……それともほんとにチョコレートが効いて……? まあいいや、オーケーしてくれたんだから。
棚の上って……きっとこの棚だよね。
……引き出しが開いてる?
老いたサンクタの引き出しに入っていたのは本人同様、シンプルで飾り気のない物ばかりだった。
ベルト、レザーホルスター、それからフィンガーレスグローブ。
棚の上にチョコレートを置いた際、グローブの下に数枚の紙があることにジェシカは気付いた。
歳月に蝕まれた紙は、黄ばんで脆くなっていた。
すぐに目をそらすべきだとわかっていながらも、彼女の視線は抑えきれずにそこへと引き寄せられた。
ジェシカ
これは……ウッドロウさんと社長の写真? それとサンクタがもう一人……写真の下に紙切れが……
それは身分証明書だった。褐色の紙の上に走る黒い筆跡はぼやけており、かろうじて何文字か読み取れるだけだった。
ジェシカ
クロス……キャンプ……
ウッドロウ
チョコレートは置いたか?
ジェシカ
あっ、は、はい、ええと……
ウッドロウ
早く行くぞ。
ジェシカ
レオーネさん、あなたの財務状況はいま危機に瀕している状態なんです。これ以上決断を先延ばしにしては……
もし銀行があなたに返済能力がないと判断したら、あなたは破産するしかなくなってしまいますよ。そうなれば株も家も失ってしまうことになります……
どうしても株を持ち続けるというなら、今住んでいらっしゃる家を売り払うしかありません。そうすると帰る家がなくなってしまいますが……
レオーネ
俺に株を売れと言ってきた奴はたくさんいるが、家を売らせようとするのはあんたが初めてだな。
ジェシカ
いえ、家を売らせようとしているわけではなく、起こり得る結果を話しているだけであって……
もしよろしければ、わたしが……その、つまり、この債務額は少なくはありませんが、わたしもある程度のお金を持っているので、それを使っていただければ……
レオーネ
なんだって!? 言っておくが施しならいらねぇぜ。気持ちだけ受け取っとくよ、ありがとな。
ジェシカ
そうではありません! ただお貸しすることができると言いたかったんです!
利息もいりませんし、そ、そこまで急いで返す必要もありません。経済状況が好転した時にでも……
……
レオーネ
ジェシカ、俺だって自分で稼いでる大人なんだ。自分の年齢の半分もいってない小娘にどう人生を良くすればいいか教えられる筋合いはないね。
次に会った時、この件はきれいさっぱり忘れてくれてると助かる。
ジェシカ
待ってください……レオーネさん、お、押さないでください!
ウッドロウ
ふぅ……
レオーネ
ウッドロウ、何のんきに茶をふーふー吹いてるんだあんたは。その茶はとっくに冷めてるだろ? さっさとこの子を連れてってくれ。
ジェシカ
ウッドロウさんもお願いします! さっき言ってたじゃないですか……
ウッドロウ
俺が何を言ったって?
ジェシカ
えっ……?
ウッドロウ
お前と一緒に行くとは言った。そしてちゃんと来ただろ。
チョコレートありがとよ、ジェシカ。それじゃ。
ジェシカ
ちょっと、そんなのズルいです!
このままじゃ、レオーネさんはすべてを失ってしまうんですよ?
ウッドロウ
だから何だ? 濡れた炭を燃やそうと必死に吹いたところで、結局は鼻に灰が付くだけだ。
ジェシカ
ウッドロウさん! ウッドロウさん……!
フランカ
あのさ隊長、本当にまだ調査を続ける必要があるの?
リスカム
これでもう何軒目?
フランカ
十四軒よ。二軒目に訪問した中年夫婦の息子さんが野盗たちについていっちゃってたのを除けば、あとはみんな借金が返せないだけの真面目な人たちね。
銀行は彼らの弱みを握れないから、あたしたちの手で追い払わせようとしてるのよ……ほんとなんて卑劣。
リスカム
……この家で十五軒目だね。最後にここだけ調べよう――
え、どうされたんですか? お爺さんたち、どうして外で座ってるんです?
めまいがする老人
あ……頭が、くらくらして……
みすぼらしい老婦
はぁ……あなた、風に当たりましょうね。冷たい風に当たればきっと治りますから。
フランカ
まさか、一酸化炭素中毒?
みすぼらしい老婦
ええ、まあ。幸いすぐに気付けたから、二人とも無事で済みましたけど。
フランカ
区画の暖房は……基本的な機能は保持されてるはずでしょ? なのにどうして……
みすぼらしい老婦
銀行に破産を宣告されてからというもの、ここ一帯の暖房はすべて止められてしまったんです。部屋の中には日差しが入らないし、外よりも寒くて……
でなければ、誰もいまどき火鉢なんて使いませんよ……
ベニー
ゴホゴホゴホッ……ゴホゴホッ!
レオーネ
ただいまー……って、ストーブの前にしゃがみ込んで、何してんだベニー。みっともないから早く立て。
ベニー
お帰り。なんだかストーブが湿ってるみたいでさ、何回やっても炭に火がつかないんだ。
レオーネ
お前、その顔、まるで坑道から出てきたばかりみたいじゃないか……早く拭け。まったく、火がつかないならつかないで、俺の帰りを待っていればいいのに。
ベニー
父さん、朝慌てて家を出た時に、ストーブに直接水をかけたりしてないよね?
レオーネ
馬鹿言え、俺がそんなヘマをするほど間抜けだと思ってるのか? 火ばさみを貸せ、俺がやる。
コホコホ、ゴホッ!
ベニー
間抜けじゃないなら、どうして直接口で吹くの? 火をつけたことないんでしょ? だからカールは家を出る前に全部僕に任せて行ったんだよ。父さんはストーブを焚けないからって言ってたし。
レオーネ
カールがそんなことを?
ベニー
全部言ってたよ。せっかちな父さんが火を消そうとして、燃えてるストーブに直接水をかけたことがあるって。そんで炭だけでなく、ヘレナが焼いてたパンもダメにして、ブチ切れられたとか何とか。
レオーネ
カールの奴め、どうして何でもかんでもこいつに話すんだ!
ベニー
僕はその場にいなかったからね。
レオーネ
まさか、お前もいたさ。ただまだ赤ん坊で、何も覚えてなかったってだけだ。ウッドロウの腕の中であいつのひげを引っ張るのに夢中だったしな。
ベニー
……噓つけ。
コホコホッ! 誰……?
ジェシカ
すみません、わたしで――ケホッ、すっごく煙いですね……
ベニー
ストーブの中が湿ってるから、全然炭に火がつかないんだ。少し外で待ってて。
ジェシカ
大丈夫です。わたしも手伝いますよ。
確かにいくつか濡れちゃってますね、替えはありますか?
ベニー
あるのはキャラバンから交換した分だけで、これしかないんだ。
ジェシカ
それじゃあ……木はまだありますか?
ジェシカ
折った木を下に置いて湿気を遮断し、細い枝をストーブの壁に立てかけて火をつける。その後は様子を見ながら薪を足して……
ベニー
こんなことどこで学んだの……戦場とか?
ジェシカ
……どうしてそう思うんですか?
ベニー
君って傭兵なんでしょ?
ジェシカ
えーっと……
レオーネ
よし、できた……
ベニーを手伝ってくれてありがとな。だけどもう……帰ってくれないか。
ジェシカ
わたしまだ何も言ってませんよ、レオーネさん……理解できません……どうしてそんなに拒むんですか……
レオーネ
理解できないのも当然だろうな。
ジェシカ
だったら……せめて理由を教えてもらえませんか? このまま追い出されても、わたしは諦めませんよ。
レオーネ
ジェシカ……俺は四つの時に実の母親に捨てられて、ここの採掘工場の労働者に拾われ育てられたんだ。
軍に入って一生懸命に爆破技術を学んだのは、後に採掘で役立てるためだ。退役後はすぐにここに戻って、採掘場の技士になった。
デイヴィスタウンの下にある坑道、上にある工場の建物、俺たちが数日前に修理したあの動力炉も、その建て直しや増築のすべてに俺は関わっている。
ジェシカ
当時の採掘労働者たちの生活は……多分今よりずっとマシだったんでしょうね。
レオーネ
もしもあの頃に誰かからデイヴィスタウンがいつかこうなるって言われたら、俺は絶対に喧嘩でもふっかけられたのかと疑うんだろうな。
ジェシカ
そうですね……世の中がどうなるかなんて、誰にも予測がつきませんから。
レオーネ
それから、俺は同僚の子供たちを――ベニーと……兄のカールを引き取った。
さらにその後……採掘工場は徐々に景気が悪化してな、どうしても俺が株を買い取るしかなくなった。あのクズ株主どもに俺の一生の宝を壊されスクラップとして売らせるわけにはいかなかったんだ。
ジェシカ
ですが採掘工場がどうやっても守り切れないとしたら――
レオーネ
やめてくれ……
ジェシカ
でも本当のことなんです、レオーネさん。もしこのまま意地を張り続ければ、銀行はその株を借金の返済に充てるよう、あなたに強制するかもしれません!
レオーネ
……うちから出てってくれ。
ジェシカ
レオーネさん、たとえわたしを追い出しても、この問題に向き合わなければならないことには変わりありません。
レオーネ
いいだろう。ベニー、お前は外に出ていろ。ヘレナおばさんの所で一晩泊めてもらえ。ジェシカと話が済んだら迎えに行く。
ジェシカ
――待ってください、ベニーにもいてもらいます!
レオーネ
よその家庭教育にまで口出しするつもりか!?
ジェシカ
昨日――
ベニー
ジェシカさん、やめて! それ以上は!
ジェシカ
昨日……銀行に雇われたゴロツキが、ベニーを誘拐しようとしたんです……
レオーネ
ベニー、本当か?
ベニー
……うん。
煙で黒ずんだベニーの顔を見て、レオーネの心は締め付けられた。
レオーネ
それを……どうして俺に言わないんだ……
ベニー
言ったところで……父さんに何ができるの? 銀行に行って大騒ぎでもするつもり? それじゃ何の解決にもならないよ……!
ジェシカ
……
さっきまで強がっていた男は、息子が去るのを見届けると、すぐに腰を曲げてストーブのそばにしゃがみ込んだ。
それから火ばさみを拾うと、ストーブの中の薪を慎重につついた。
火が勢いよく燃えているにもかかわらず、黒煙はいまだストーブの庫内から吐き出されており、彼は何度も咳き込んだ。
レオーネ
もし株を売ったら、俺には何が残る?
ジェシカ
少なくとも……ベニーに借金が残ることも、家が差し押さえられることもなくなると思います……
レオーネ
初めはカールで、カールの次はベニーか……こんな借金を抱えてからというもの、毎日外で朝から晩まで働いてる俺の分まで、家のことはずっとあいつらがやってくれててな……
ストーブも帳簿も、あいつらに任せっきりだ。なのに……ベニーまで危ない目に遭わせかけたなんて……
結局、俺は借金も返せず、守りたい奴を守れもしなかった……
本物の大馬鹿野郎だ。
レオーネが火ばさみでストーブを思い切り叩くと、鉄製の火ばさみからもいくらか火花が散った。
レオーネ
銀行のクズどもに頭を下げるだなんて、殺されるよりも耐えがたい……あいつらがベニーを誘拐しようとしたのかと思うと、銀行ごと爆破してやりたくてたまらなくなる……
ジェシカ
レオーネさん……
レオーネ
採掘工場の株を売れば……ベニーに家を残してやれると言ったな?
ジェシカ
はい……
レオーネ
俺を説得するために、うちのストーブに水をかけるような真似までして、コホコホッ……よくもまあここまでやるもんだ。
ジェシカ
そ……そんなことするわけありませんよ……それはやりすぎじゃないですか。
レオーネ
フッ、あんたじゃなけりゃ、ほかに誰が……
ウッドロウ? 何しに来た?
ウッドロウは答えずに、ただゆっくりと部屋に入ってくる。そしてストーブのそばまで行くと、重たそうな段ボールを床に置いた。
レオーネが近づいて見ると、段ボールの中には雑に積み重ねられた木炭が入っていた。
ウッドロウ
詫びだ。
ジェシカ
リラックスしてください、レオーネさん。つま先で床を擦り過ぎて絨毯に穴が空きそうですよ。
レオーネ
こんな場所、リラックスって言葉とは無縁だろう。
ジェシカ
質権書類や譲渡契約書などの書類は完璧です。ベニーの協力があったおかげですね……銀行は何も文句を言えないはずですから、あまり長くはかからないでしょう。すべてうまくいきますよ。
レオーネさん……お水でも飲みますか?
レオーネ
必要ない。俺がここに立ってること自体が、心の準備ができてることの証明なんだ。株とおさらばするためのな。
ジェシカ
ごめんなさい……
レオーネ
ジェシカ、少し一人にしてくれないか。
人の生き血を啜る株主どもの手から俺一人で契約を勝ち取ることができたんだ。一人でひっそりと別れを告げることだってできるさ。
シルヴィア
ジェシカさん……
ジェシカ
シルヴィアさん?
シルヴィア
あ、あの、提出していただいた書類をこっそり拝見したんです……レオーネさんの債務返済は私の業務範囲ではないのですが……
あなた方の用意した参考データには、いくつか問題がありました……株に対する価格の見積もりが高すぎるのと、いくつか埋まらない差額があって。
結論として、現状では全然足りません……レオーネさんを呼んできていただけませんか? 私が直接行くのはあまり……
ジェシカ
……
いえ、彼を呼ぶ必要はありません。わたしが小切手を切りますので秘密にしておいてもらえませんか?
シルヴィア
一回で……こんな大金の……!?
ジェシカ
多いも少ないも関係ありません、緊急ですから。
シルヴィア
ですがレオーネさんに知られたら……プライドが高い人ですし……
ジェシカ
……あなたとわたしが何もしゃべらなければ、誰にも知られることはありませんから……お願いです、シルヴィアさん。
シルヴィア
わ、わかりました……
ではもう一度証票を見せていただけますか?
ジェシカ
コピーしかありませんが。
シルヴィア
それで十分です……うん……まだ調整の余地がある……
それと納税証明書……
ご覧ください、これらは本来還付される項目です……三十、七十五……こちらには大きい額、四百というものもあります。
合計千三百二十九です。あなたが補った額に比べれば端数ですが……
ジェシカ
少し見ただけでこんなに詳しく……
シルヴィア
こ……こんなの大したことありませんよ。それでは、あなた方が……あなた方が新規の申請をしてきたということにして、報告してきますね……
ジェシカ
これでレオーネさんの問題はひとまず解決かな……だけど、区画にはまだたくさんの人が……
……急がなきゃ。バロン基地が到着する前じゃないと間に合わない……
とにかく、一人でも多くの人の力になれれば……
銀行員
支店長、あのレオーネ・テルミンの件が片づきました。ようやく株を売る気になってくれましたよ。
銀行支店長
そうですか。あの石頭、よくもここまで粘れたものですね。
銀行員
売り払う時もかなり失礼な態度で、聞くに堪えない言葉で罵ってきました。我々のことを誘拐犯だとか言って。
銀行支店長
フッ。いくら悪態をついたところで、ほかに一体何ができるというのでしょう。
銀行員
なんなら、次は彼を直接……
銀行支店長
焦る必要はありません。今の彼には確かに負債がありませんしね。なんでも、彼の借金を肩代わりした者がいたそうですよ。
それに、その株を手放してくれたおかげで、採掘鉱場まわりで我々の処理を待つ案件が一気に増えましたからね。