幻想曲「贈答」

巫王
フランツ、呼吸を整えるがよい。源石ダイスが砕かれてしまう。
そららのかつての所有者は、ビーレフェルト。当時エデンヘーエ管区における稀代の大術師であった。
あの者は、かつてこの数個のダイスでガリアの中央河谷にて風雷を導き、コルシカⅠ世配下の最も堅固な旗艦を正確に沈め、敵陣を一挙に混乱させた。
エーベンホルツ
四皇会戦……
巫王
そうだ。あれは心躍る美しき勝利だ。ガリア人はいくらかき集めても一つの旗さえ繋ぎ合わせることができなかった。潰走の悲鳴と勝利の叫びが絶えず起き、二重奏のごとく盛大であった。
遺憾なことに、ビーレフェルトがその後リンゴネス進攻の戦闘において死んだ。我がこのダイスを手元に置いていたのは、あの者に対する哀悼、そして褒美でもある。
術者の意志が冬草のごとく風に翻るのであれば、風雷を操れようはずがあるまい?
エーベンホルツ
……
エーベンホルツは沈黙する。巫王の語気は穏やかで……優しいとさえ言える。
その感覚はまるで、、子供が家からアンティークを持ち出したのに偶然出くわし、止めたついでにその由来を話しているかのようだった。
巫王
フランツ、貴様はどれくらい離れていた?
エーベンホルツ
……離れる?
すでに弱まっていた金色の旋律は、秘密の部屋の中で出口を探している。そして自分と巫王はもう扉の外に立ち、二人の目の前にあるのは傾斜がきつい赤黒い階段だった。
エーベンホルツ
ここは……ウルティカ領の伯爵塔。
ヴィセハイム事件の後、一連の出来事が起き、彼は一年余り離れていた。しかしここを忘れることなどできない。
巫王
貴様はこの階段が嫌いか?
エーベンホルツ
この血のような色の絨毯、そして螺旋角の模様が刻まれ、塵一つない手すり。
数日ごとに首都からやってきて視線を交わすトランスポーター、どこに行っても視界の片隅に立つ使用人……
申し訳ないが、好きにはなれないな。
巫王
うむ。
貴様くらいの年頃の時、我はかつて深夜に起き、この階段を通って当時の家庭教師を呼び起こした。
巫王が一歩一歩階段を上る。その音は、仄暗く長い廊下の遠くまで響く。壁の石灯が次々に点り、高塔の主のために足元の道を照らした。
石灯の間は精巧な術式で繋がれている。女帝から派遣された教師は無能を演じるに夢中だったので、エーベンホルツは何度も深夜に誰にも気付かれない廊下へ行って練習した。
エーベンホルツは思わず巫王についていった。一瞬彼は、相手はまだこの高塔に住んでいて、本当にただ深夜に目を覚まし、用があって扉の前に向かっているだけのような錯覚にとらわれた。
巫王
かの角の短いエラフィアは部屋の扉を開けたが、我は入ることなく入り口に立って彼に質問した。
三ヶ月かけ、我はこの古い高塔内に収蔵される六百三十四の楽譜に目を通した。それらの作者は皆、名の知れた音楽家や大術師であった。
我は全ての旋律を分解した。不完全な、あるいは演奏不可能な部分も含めてな。
リターニアの誇る芸術には、千年に渡り「優雅」と「調和」の美が蓄積されてきた。しかるに、なぜ硬直した旋律と音符しか流れていないのか。
エーベンホルツ
……
巫王
我は入り口のこの像を砂盤に変え、この大地の情勢を演算した。
イベリアは海と同盟を結び、ヴィクトリアの鋼鉄の騎士は蒸気を吐き出す。泥と血にまみれた靴は異郷の地を踏み、ガリアのアイリスの花はアインヴァルトの深き森に咲きこぼれる……
だがリターニアはどうであろうか。リターニアの角と牙は抜け落ちそうなほどに衰えている。まずはシラクーザ、そしてシュトルム領……苔と害虫が高塔の至る所を埋め尽くす。
「この全てを、なぜ見て見ぬふりができる?」
「いや、なぜ知らないのか?」
あのエラフィアは、いまだ完全に目覚めてはいないようだった。しかし、その拭き取られていない目ヤニよりもさらに憎かったのは、長い沈黙、そしてひた隠しにする驚きと空洞であった。
あの者は、ウルティカ、ひいては全アインヴァルトで最も学識ある者と称されていたのにも関わらず、これらの質問に一つすら答えられなかった。
エーベンホルツ
そしてお前は彼を高塔から追い出した。彼の一族もそのため没落した……私はその話を聞いたことがある。
お前は、あまりに横暴だ!
巫王
子供よ、もし我が貴様であれば。
あの誠意なき使用人どもが地下室で隠れて酒を飲んだ時点で、もう二度と一滴の水も飲めぬようにし、喉が一寸刻みに引き裂かれる痛みを感じさせながら死に至らしめるであろう。
そして、我を役立たずの廃物へ育成すべく動く教師などは、奴がおざなりにアーツの実演をして見せる時、その十倍や百倍もの威力のアーツで胸を貫いてやる。
恐怖した表情はきっと像にするに最適であるな。
旋律によって我を操ろうと試みる愚臣などはこちらが操ってやり、金と黒の双子の間のあからさまな軋轢などは利用してやる……
エーベンホルツ
……人の事情に託けて、理由もなく人の命を軽んじるか。残虐非道な悪行もお前にとっては何でもないのだな。
「巫王」。
巫王
階段が存在する意味、それは貴様をより高くへ向かわせることだ。
巫王
我も同様に足元のこの階段が嫌いだ。なぜならあまりにも短い。ウルティカの伯爵塔は矮小であり、視野は狭隘である。
フランツ、貴様はこの高塔を檻と見なしているな。ならば、貴様はいかにこの塔を脱出する?
どう敵に打ち勝つのだ?
貴様の敵は誰だ?
エーベンホルツ
……
「巫王の余韻」?
お前は恥さらしだ、エーベンホルツ。
怒る通行人?
お前が憎い、エーベンホルツ。
ビーグラー?
あなたは哀れです、エーベンホルツ。
巫王?
そいつらか?
エーベンホルツ
いや、当然違う。
巫王?
では、「巫王」か?
彼が貴様を一生の間苦しめてきた悪夢か?
悪夢?
次第に人が減っていく部屋、白髪の子供が彼の震える手を握って膝の上に置き、あの「澄み渡る空は青を湛え」で始まる歌を優しく歌い始める……
チェロの音が果てしない草原となって広がり、ピアノの音が水の流れとなる。彼は疲れを洗い流し、長い道のりを歩けるようになる。闇夜も重くなくなる……
彼はよくそんな夢を見ていた。
夢は短い。決して手の届かない美しい過去を垣間見ることになるのなら、永遠に眠らないことを選べればどれほどいいかと、彼は思っていた。
エーベンホルツ
いや。私はお前など夢で見たことがない。
巫王?
記憶か?
記憶?
『巫塔の転覆』『金月の凱旋:双塔の初章』……
全国各地の劇場は四半期ごとに指定された演目を上演しなければならない。それらは似たようなテーマを持つ。そして暴君の故郷ウルティカ領では、関連の演目の上演数は倍になる。
ウルティカ伯爵として、彼は一度も欠席しないことを要求された。
幾度となく、彼は舞台下に端座し、巫王が正義の二重奏の中で命を落とすのを見て、そして率先して立ち上がり拍手を送った。
街中の彫刻。
画集の絵。
……
自分は無数の「巫王」を見てきた。
例外なく、それらの螺旋角は怪しげな光をまとい、その声は人を惑わす邪術が付され、奇妙な震えさえ帯びていた。
彼は激情的で、残忍で、鋭い牙で血をすする。マスクの下の表情は獰猛でおどろおどろしい。
だが一つとして、目の前の人物と一致するものはない。
巫王?
凡人の野心は取り繕われ、欲望はぶちまけられ、恨みは晴らされる必要がある。
そして貴様、フランツ。
運命を覆う影が大きいほど、貴様の失敗は動かぬものとなる。
貴様らはなすりつけることを好む。貴様らの誰もが、「巫王」というものを想像によって作り上げている。
エーベンホルツ
想像、だと?
数々の残酷な政令、恐ろしい実験、飛び交う戦火、お前によって起こされたあらゆる苦難や無数の罪なき命、それが人々の……想像だと?
巫王?
我々は貴様の話をしているのだ、フランツ。貴様は貴様の言うその苦難を受けた者たちを代表したことなどない。
エーベンホルツ
……
頭痛が突然訪れた。これまで「塵界の音」が彼の頭の中で害を及ぼした夜のように。
そうした日は、フルートを必死に握り締めるしかなかった。まもなく死ぬのであれば、最後の力を振り絞り、目の前のこいつを呪ってやろうと思った。痛みが引き視界が戻るまでそう思い続けていた。
「塵界の音」はすでに取り除かれているのに、なぜまだ痛みがつきまとう?
エーベンホルツには自分の血走った目が見えない。しかし視界の中の血色の網はますます濃くなる。
痛みがあらゆる記憶をかき乱し、全ての感情を引き裂く。まるで一切を彼の頭から取り出し、形あるものにしようとするかのように。
悪夢。記憶。想象。
巫王?
貴様の長いとは言えぬ人生を振り返れ。
その自らにまとわりついて離れない名を、その消し去ることのできない烙印を貴様が無数に呪った時……
虚空に、鏡に向き合うことしかできなかったのではないか?
エーベンホルツ?
……
エーベンホルツ
――!
エーベンホルツ?
巫王はもう死んだ。
君が生まれるはるか前、二十三年前のあの夜に。あいつの死は紛れもない事実だ。
すでに死んだ人間を敵と見なすなど全くの無意味だ。
幼少期のあの恐ろしい実験、生涯拭い去れない痛み、いわゆる「代理人」や「侍従」の冷たい視線や嘲笑、他人からの非難や批判……君はまだそんなことを気にかけているのか?
エーベンホルツ
違う。君は分かっているはずだ。私の失ったものと比べれば、そんなものは取るに足らないと。
エーベンホルツ?
そうだ、君は気にしてなどいないんだ。君は確実に彼に対する約束を実行している。準備もできている。全てを背負い、長い夜を乗り越える準備が。
なのにエーベンホルツ、なぜこれだけ長くの時間が経ったにも関わらず、君はまだこれほど苦しんでいる?
エーベンホルツ
私は……
エーベンホルツ?
罰を受け入れることは、決して赦しを得て、解放されたということではない。
なぜ常に土壇場で他人に守られる自分を許せない?
なぜ自分が原因で起きた犠牲に対して胸のつかえが取れない?
なぜ自罰に溺れてばかりで、真正面に現実に向き合い、前に進むことができない?
進んでしまったら、より大切な絆、より大きな犠牲、より深い心残りやより長い苦痛が出現するかもしれないからか?
君は疑わずはいられない。恐れずにはいられないな。
では、エーベンホルツ、君の敵は誰だ?
でもエーベンホルツ、光に向かって走らなければ、僕たちはいつまでもあの夜から抜け出せませんよ。
そして夜にはそもそも意味などありません。
エーベンホルツ
……夜にはそもそも意味などない。
巫王
素晴らしい、フランツ。
貴様は自らの敵に打ち勝ち、己を閉じ込めるあの高塔を突破した。
巫王が軽く手を振ると、金色の旋律はあたかも解放されたかのごとく扉の外へ流れ出た。まるで無害の蛍火が、歴史の川からひっそりと離れていくように。
旋律はゆっくりとエーベンホルツのそばを通り抜け、彼の衣服と髪をなでる。その感触は柔らかさを感じるほどであった。
エーベンホルツはふと滑稽に思った。自分が巫王に……頭を撫でられたように感じたのだ。
エーベンホルツ
プッ――
巫王
……
エーベンホルツは抑えきれずに吹き出した。
エーベンホルツ
ハハハハハハ! 苦労して「始源の角」までたどり着いたと思ったら結局は巫王陛下に……お褒めの言葉を頂いただと?
彼は自らの見たものを、自らのその様を笑った。過去十九年間、これほどまで大声で笑ったことはなかった。
たとえ次の瞬間に、激しい憤怒が自分の失態を罰し、頭痛によって再び深淵へ引きずり困れたとしても、いや、たとえ粉々に砕かれても、彼はこうして笑うだろう。
しかし何も起きなかった。
果てのない螺旋階段も、ウルティカの高塔も、ひいては巫王でさえもそこにはない。目の前に残ったのは空席の玉座だけだ。
エーベンホルツは黙り、もう何も言葉を発さない。彼はそうして気が抜けたように玉座の前に立ち、先ほどの現実味のない感触が完全に消え去るのを待った。
エーベンホルツ
……
巫王
もう十分見物したであろう、サンクタ。
アルトリア
……
彼の笑い声の中に釈然としない思いと……解放を感じました。
「登場人物」は、ついに自身の経験した全てを真っすぐに見つめられるようになり、それが用意された脚本であろうと、本当の人生であろうと、どうでも良くなったのです。
もしも新たな目標を見つけることができたなら、彼はもう、決して揺るがないでしょう。
巫王
では貴様は?
貴様はフレモントよりも先に、我の「パヴィヨン」に押し入った最初の人物である。
アルトリア
(リターニア語)「パヴィヨン」……宮殿。
ユリアさんに感謝を。おかげで私はその姿を垣間見ることができたのですから。
あなたはリターニアの誇りのすべてをここに再現された。千年の歴史を繋ぎ合わせた高塔、何代にもわたり蓄積された知識や芸術、力が、時間により失われないよう永らえました。
これは確かに、唯一無二の宮殿で、人の力では及ばない広大な建築です。
巫王
……
アルトリア
実のところ、私はもっと早くから推測しておりました。
兵士、画家、学者、調律師……私は「巫王の死」を体験した人々に出会いました。
あの夜は彼らの人生における最も深い烙印となった。彼らは巻き込まれ、時代や自我のジレンマに深く陥りました。
彼らを介して、私はあなたがこの世に残した最後の旋律を復元したのです。
騒々しく難解で、現実の楽理による解読は不能……この旋律はあなたの信徒が期待するような遺産を指し示すものでは決してありません。
……それらは最初からこの世のために作られたのではないのです。
リターニア人が大変な苦心をして集めた数々の余韻は目の前のこの宮殿のレンガであり、あなたが残したまた別の消耗品。
巫王
それらはいずれ人に拾われるであろう。しかしどのように使われるべきか誰が気付ける?
名誉、利益、栄辱、富、個人、家族、階級……このようにありふれた軽薄な「モチーフ」が、大地のあらゆる楽章を構成している。
音楽に含まれる意味とは、常にかくも狭い。
アルトリア
……
巫王
サンクタ、貴様はあの愚臣たちとは異なる。貴様はいわゆる聖都からやってきた。リターニアの過去と未来には関心がない。
貴様はまたリッチでもない。フレモントとは道を異にし、これまで荒域の存在も知らなかった。
なら、何のために来た?
アルトリア
来意を説明する前に、確認したいことがございます……
今この瞬間のあなたは、ただの死後もまだ震え弦の余韻、主観的な感情に塗りたくられた儚い光と影の寄せ集め、無数の意識の欠片の一つなのでしょうか……
それとも完璧なる巫王なのでしょうか?
私は本来あなたを演奏しようと……
巫王
音の物理法則は荒域において実現できぬ。
ただし、我のいる場所は荒域の規則を認めていない。
音を失ったのは、貴様の自我の限界にすぎぬ。パヴィヨンとは無関係だ。
アルトリア
……
巫王
音楽は貴様の目、貴様の耳、貴様の心臓……貴様の全て。
貴様はあらゆる感覚を失ったと思っているが、渇望はより強烈だ。全く退屈かつ興味深い引見者であるな。
アルトリア
……
アルトリアは持っていたチェロを手放し、ただ巫王を見た。
彼がかつて過ごした一生、いまだ向かい合っているすべて、彼の感情と思想が空間全体にこだまし、一つ一つの隙間を埋めている。ここはそもそも彼が己でもって建てた宮殿なのだ。
あなたは入ってきて、彼の見たものを見た。
アルトリアは老いたリッチの記憶から読み取った「黒色」を見た。
果てしない「黒色」、あるいは――「混沌」。
人々のこの言葉に対する認識は、往々にしてそれに関連する様々なマイナスの感情から来ている――不安、惑い、悲愴、焦り、恐れ……
それが実際指すものは、通常ただの名状しがたい状態、あるいは確証できない客体や概念である。
ただこの言葉だけが、アルトリアの目の前の光景を形容できた。
荒廃。実在が破滅する地。
物質界の裏、ベクトルが落ちた夾角。
目に見える境界はなく、判別できる方向はない。音、光、形、色……
同一次元に属さない事物が混ざり、積み重なり、延び、邪悪な生命と環境が互いの体躯を成す。
破滅。それはこの地にある唯一の生態。
「混沌」が巫王の宮殿を取り囲んでいる。まるで陽光と空気が……つつけば弾けるしゃぼん玉を取り囲むように。
巫王の塔は宮殿の中心に位置している。まるでレンガの隙間の苔のように、源石クラスターが塔の根元から生えていた。
しかしこのような苔は宮殿中に広がり、一見規則性などないように見える高塔と、他の建築群とを繋ぎ合わせ、かすかに形を成している。
まるで霧がかかったかのように、混沌が一番外側の塔群を侵す。それが晴れると、ウィーン大時計塔とシェーンブルン塔は存在しなくなっていた。
宮殿が少しずつ空になっていくのが、肉眼で確認できる。だがその境界はすでに書かれたルールのように、常にそこに存在している。
巫王
我が術師、我が楽師よ、この雷と砂嵐を拒むな。かつてガリアの戦艦を滅ぼした大いなる力は、この混沌をも食い止めてくれる!
天象と災いが合奏に加わり、源石が皆のために、新たな音色の流れを形成する。貴様らの身体と意識は、楽器や符線、軍陣の一部になるであろう!
裂け目を埋め、戦線を縫合せよ!
荒域は理解できず、悪魔は捕らえられぬだと? 無能とは臆病によるもの。知り得た情報をすべて高塔へと送るのだ!
奴らに抗え、奴らを理解せよ、奴らを征服せよ! 「リターニア」の名に懸けて!
我らの命の弦を震わせよ! 断ち切れるその時まで!
術師の王は未だ玉座に座り、あらゆる高塔が彼の意のままに操られている。国の建設と戦争の攻防が同時に発生していた。かつてのリターニアのように。
際限なき混沌の中、巫王こそが唯一理解できうる秩序であった。
アルトリア
あなたの敵は、これほどまで恐ろしく、これほどまでに、理解しがたい ものなのですね。
「リターニア」。これがあなたにとって、変わることのない目標なのですか? 死ですらも、あなたにそれを諦めさせることはできなかった。
巫王
……
アルトリア
ですがフレモントさんの推測の通り、この宮殿は今不可逆的な崩壊を迎えています。
心残りに思っているのではありませんか? もし暴虐な君主になっていなければ、もし政変の軍隊が高塔を攻め落としておらず、死があなたの荒域の研究を断ち切っていなければ……
より多くの時間を得て、混沌に揺らぐことのないようこの宮殿をより強固にできていたのではないかと?
疑っているのではありませんか? もしも自分が巫王ではなく、全リターニアの肩の上に立っていなければ……
常人では及びもしないアーツと知恵を掌握し、現実を超越して、荒域の中で自らの高塔を建設できていなかったのではないかと。
巫王
……
貴様の問いにはまるで意味がない、サンクタ。
我は憚ることも、疑うこともしない。
我は魔物を恐れぬし、魔物になることも恐れぬ。
アルトリア
巫王陛下、私は答えを求めるために参りました。
巫王
答えを求める? そのような言葉を向けられるのは随分と久しい。
アルトリア
あなたに、知り得る限り最も強い精神に、ある未来の可能性を求めたいのです。
ある理想的な未来を。
???
なにぼうっと突っ立っている? ショックがでかすぎて、頭がぶち壊れたか?
エーベンホルツ
……では貴殿は?
フレモント
逆に私に聞いてくるか? 子羊よ、お前は本当に遠慮というものがないな。
エーベンホルツ
貴殿もあいつに会ったのだろう。勝ったのか?
フレモント
……勝つ?
このろくでもない場所でなら、あいつと一万回殴り合って、一万年口喧嘩できるぞ。
反響を言い負かすなど、死人を殺すなど、そんなことできるわけがないだろう。
エーベンホルツ
……ならば行くとしよう。
フレモント
行く? ハハ、本当に踵を返して立ち去る気か? お前もさんざ苦しんで、それを乗り越えてようやくこの玉座の前にたどり着いたのだろう!
エーベンホルツ
私はここまで来た、そして見た。
玉座は空っぽだった。
……だがこの塔はまだある。
この異様で、奇怪にねじ曲がり、危険だらけの空間が……いまだ無数の人々の頭上に掛かっているのだ。
貴殿は最強のリッチだ。教えてくれ、どうすればいい?
どうすれば……もう一度「始源の塔」を倒せる?
フレモント
……
方法は一つだけだ……二十三年前と同様のな。
なんと美しい夕焼けであろうか。
リーゼロッテ、またここに隠れていたか。
選帝侯の使者たちと共にいたくないのでな。
奴らはいつも、我々の前で戦争が終わった後のことについて憚ることなく語る。あの口調は、まるで我々がすでに死んでいるかのようだ。
フレモントも言っていた、我々が決戦で生き残る可能性は十分の一にも満たない。
我々が生まれ落ちて以来、テストの結果であの老いぼれたちの予想を超えなかったことがあったか?
ヘーアクンフツホルンとの戦闘はテストではない。我々にはたった一度のチャンスしかない。
ではそのチャンスをつかむであろう。
我々の体内にはヘーアクンフツホルンの術式、ガリアの技術、それにリッチの祝福があるのだ。
我々は生まれながらにしていかなる者よりも完璧で、強大である。
それでも我々は死ぬ。彼らは我々を不死の兵器に作り上げたのではない。
彼らは我々に人の身体と感情を与えた。我々は彼らと同様、生まれ落ちた時から終点へと向かっているのだ。
楽しいことでも考えるとしよう。ヒルデガルト……もし本当にヘーアクンフツホルンを殺せたら、何がしたい?
……
言わずとも分かるよ。「自由」が欲しいのであろう。今まで、そなたが剣を取る理由は変わることなく、いつもこれだ。
そなたは我々を人と思っていないあの大貴族たちにとっくに耐え切れなくなっている。
ならお前は?
まったく、そなたときたら。聞かずとも分かるだろう。そなたよりも私を理解している人など誰がいる?
イーヴェグナーデ
……太陽がまもなく沈む。
すぐに、すべての雲が……最後の一筋の金色を失うであろう。
グリムマハト
一刻も早く「始源の角」を滅ぼしに行かねばならない。
イーヴェグナーデ
諦めたのか?
そなたがリッチと共謀していたのは、あれを利用しヘーアクンフツホルン最後の力を得るためではなかったのか?
グリムマハト
……制御可能な力はリターニアにとって何よりも鋭利な剣となる。
しかしながら、私とフレモントはあれだけの方法を試しておきながらも、あの空間に入ることは叶わなかった。
イーヴェグナーデ
本当に面白い。最終的に通路を切り開いたのが……一人の部外者であるとは。
グリムマハト
その動機が何であれ、彼女は我々にチャンスを与えた。
あの未知なる脅威がリターニアの頭上に掛かり続けるのは容認できない。無論、より安全かつひそかに訪れてほしかったがな。だが少なくとも、我々は今それを滅ぼすことができる。
???
もしご決断なされたのなら、リッチはあなたのために巫王の玉座へ通ずる道を示します。
イーヴェグナーデ
若きリッチよ、ずっとそこにいたのか?
エルマンガルド
リターニアの「永遠なる恩寵」、誤解なさらないでください。私はただのトランスポーターであり、私を殺したとしても、風で飛ばされてしまう糸しか得られませんよ。
先生からの便りが。彼は今「始源の角」の内部にいます。
あなたが「情なき大権」と再び力を合わせ、ヘーアクンフツホルンの力を打ち破らなければ、ツヴィリングトゥルム上空の暗雲は追い払えません。
グリムマハト
いいだろう。
エルマンガルド
ですが先生は、「始源の角」のことを以前あなたと彼が予想した通り非常に不安定だとおっしゃっておりました。
ヘーアクンフツホルンの力が散れば、この虚空の中の巫王の塔は崩壊するでしょう。現実と荒域の間の隔たりを失えば、より深刻な災いが発生するかもしれません。
詰まるところ最後は、あなた方の選択がリターニアの運命を決めるのです……これまで通り。
イーヴェグナーデ
……本当に糸であったか。
リッチたちはいつも風の中を行ったり来たり、嫌みたらしいほど自由であるな。
グリムマハト
ミヒャエル。
ミヒャエル
はい。
グリムマハト
先ほどのリッチ、そしてフレモントが育てた若者の所へ行け。
全力を尽くし劇場の人々を守れ。もし……
ミヒャエル
もしも何もありません! グリムマハトとイーヴェグナーデは必ず勝利して帰ってきます!
グリムマハト
もう一度言おう。我々の使命は何だ?
ミヒャエル
それは……リターニアにとっての脅威を全て、起きる前に潰すことです!
グリムマハト
よい。金律法衛の準備は整っている。覚えておけ、お前のチューバの音は私の号令である。時が来ても、新たな号令がなければ、彼らは手を下すことになる。
ミヒャエル
グリムマハト……
グリムマハト
行け。
ミヒャエル
……はい!
グリムマハト
リーゼロッテ、我々も行くとしよう。
イーヴェグナーデ
リッチと選帝侯、彼らは常々リターニアの運命と口にしている。では我々の運命はどうだ?
我々はここ……リターニアで最も高い二つの塔に、二十年余り立ってきた。
しかるにリターニアは我々のものであるのか? それとも、我々は依然としてリターニアの運命を担うために選定され、剣と盾を装備した容器にすぎないのか?
グリムマハト
その話は目の前の問題を解決してからにしよう。
イーヴェグナーデ
……その言葉を、何度も何度も聞いてきた。
我々の演奏は、依然素晴らしく息が合っている。しかし我々は生まれながらにしてそうであろう? 演奏が始まれば、互いに合わせあう。これは我々に与えられた使命だ。
グリムマハト
いついかなる時でも、我々の心は通じ合っている。
イーヴェグナーデ
……そうだ。
我々が再びリターニアのために勝利することは間違いない。
しかし……そなたはいずれ私に向き合い、答えねばならない。
ヒルデガルト、我々が再びヘーアクンフツホルンを殺したら、そなたは何がしたい?
これほどまで大きなリスクを冒し、そなたがリターニアにもたらしたい未来とは、何だ?
「巫王の余韻」?
(鋭い雑音)
レッシング
……フッ、ますます増えていくな。
エルマンガルド
「余韻」は殺せませんわ、彼らはとっくに死んでいます。そのうえ別の空間からやってきていますもの。
双子は「始源の角」に入るつもりですわ。これから空間の揺らぎは更に激しくなるでしょう。我々は「始源の角」を糸で引き止め、崩壊を防がねばなりません。いつまで持つかは分かりませんが……
レッシング
行くといい。それはリッチにしかできないことだ。
俺も同じように、爺さんとエーベンホルツたちの退路を守らなければならない。
この黒い何かを防がないと……残りの人々は危険なままだし、「始源の角」に入った者たちも無事帰ってくることができない。
エルマンガルド
傷口を縫って差し上げましょうか?
レッシング
必要ない。痛みが……意識を保たせてくれるからな。
エルマンガルド
忘れていましたわ。あなたはそうやってこの雑音にかき乱されずに済んでいたのでしたわね。
劇場にいる他のリターニア人とは違って……彼らのほとんどが変調した金律楽章に溺れてしまっていますわ。
まあ、それはそれでよかったですけれど。余燼が死後の地からもたらしたこうした雑音を聞けば、彼らの精神は崩壊してしまいますもの。
レッシング
金律法衛と双子の女帝が全力で旋律を編み上げることで他の者の心を保っている。
女帝が演奏をやめて、「始源の角」に入れば、残るのは金律法衛だけだ。
エルマンガルド
彼らのアーツは確かに強力ですわ。けれど所詮アーツよ。虚空の混沌に抗うことは到底不可能です。
レッシング、あなたも。
このまま消耗していてはあなたの体と意志はもちません。それに血も尽きてしまいますわ。
レッシング
……つまり、俺は結局不死のリッチではないと言いたいんだな。
エルマンガルド
リッチだったら何ですの?
私たちはリッチだからこそ、混沌とは絶対的であるとよくわかっていますわ。知識に際限がないのと同じように。
レッシング
なら俺たちは……どうすればいいと言うんだ?
己の小ささと無力さを認め、何もせずにより強大な力にすりつぶされるのを待てってことか。あなたの言う混沌が俺たちを呑み込むのを待てと?
俺にはできない。
ならばいっそ死ぬかどうかを自分で決めて、傷口から最後の血が流れて地面に落ちる音を聞きながら、倒れた方がましだ。
エルマンガルド
なんて……強情なのでしょう。
何年も前、先生があなたを憲兵隊から救い出した時のことはまだ覚えていますわ。あなたはすぐにでも死ぬだろうと思っていました。
あなたはあんなに小さくて、やせ細っていて……脆かった。まるで糸に触れられただけですぐに砕け散ってしまいそうに。
でもあなたは生き延びましたわ。体中の傷痕を、そしてますます先生に似てきた荒い気性を携えて。
レッシング
……感謝する。
あなたたちが、俺の命を助けて生かしてくれた……リッチがこれまでずっとリターニアを助けてくれたように。
エルマンガルド
双子が行動しましたわ。私も他のリッチの所に行かないと。
レッシング、私とは種を違う弟……風の中であなたの声を気に留めておきますわ。
私の糸が捕らえるものが、死ぬ前の嘆息ではないことを願っていますわ。
「巫王の余韻」?
(高く響く雑音)
すでに死んだ者が痛みを感じることはなく、疲れることもない。
彼らは現実と混沌の隙間から絶えず湧き出し、生前に発した最後の叫びを繰り返す。
レッシング
楽章が消えた後……残ったのはあなたたちのような騒音だけか?
本当に、耳障りだ。
彼が少しずつ長剣のベルトをほどく。
ベルトは十分に長く、それで耳を塞ぐことは可能だった。
しかし彼はそうしなかった。
長年の苦しい研鑽によって、レッシングは全神経を己の剣先に集中することにとうの昔に慣れきっていた。
レッシング
リターニアの楽章は、俺たち自らの手で書き直す。
そしてそれまでは……ただ戦うだけだ。
勝負とか生死とか、考える必要なんてない。