非伝統的芸術空間

Fuze
テクノも安全装備を着け終えたようだぞ。落ち着かなさそうにしているし、まだ準備万端とは言えないだろうが。
すぐ降下するか?
Ela
いいえ、彼女が目標の位置に降りるまでは待ちましょう。降下中に衝突するなんてごめんだもの。
テクノ
ちょっちょっちょっ、もっ、もうちょいゆっくり! 降ろすの速すぎるってば!!
Ela
言うほど速いかしら?
Fuze
羽毛みたいにゆっくり降りてるように見えるが。
Ela
……今は笑ってる場合じゃないわね。
Fuze
テクノが位置に着いたぞ。
こっちも準備はできてる。いつ動いても構わない。
Elaは命綱を軽く引っ張ると、窓から身を乗り出した。つま先で外壁の上に立ち、浮いた身体が風に煽られてバランスを崩さないように、ぐっとこらえる。
しばらくして、風が徐々に止んでくると、彼女は片手をロープから放し、風でズレた帽子を直しながら、Fuzeに向かって微笑んで見せた。
その後、もう片方の手も離すと高速で滑り降りてゆく。ロープだけを残してその姿は窓の外に消えていった。
Fuze
ふぅ……よし、無事に合流できたらしいな。
テクノ
わあああっ――! なんでElaまで降りてきてんの!?
Ela
静かに。いまは集中して。危うくメインケーブルを切断しかけてたわよ。
テクノ
見張りの連中はどうしたの?
Ela
撒いてきた。
テクノ
勝手にうろちょろするなっておっちゃんに言われてたんじゃ……?
Ela
ええ、言われたわね。
テクノ
じゃあなんでついてきたの?
Ela
あなたがヘマしないようにするためよ。
テクノ
Elaってホント……どうすれば直るかもわかってないのに、偉そうなこと言ってくれるじゃん。
Ela
そう言うあなたはわかってるの?
テクノ
うっ……
Ela
降下中に人形の制御部品をざっとチェックしてみたけど、油圧機構に問題があるみたい。工具を貸してもらえるかしら。
???
奴らはこの上だ、急げ!
あの女に邪魔されてなけりゃ、とっくに捕まえてたってのに……
Fuze
さて……
ここからは俺の出番だな。
作業員
監督! やったぞ! ロープが解けた!
現場監督
もう終わったのか? だったら、急いでテクノを引き上げよう。そのまま人形の腕と身体の連結に取り掛からないと。
作業員
それが、まだ降りないって言ってるんだよ。
現場監督
なんだって?
テクノ
だから、ここに残るって言ってんでしょ! そうすりゃ連結作業のサポートもできるし!
現場監督
あー、手伝ってくれるのはもちろん嬉しいが、横にいるElaさんの邪魔をしないって保証はできるか?
テクノ
はあ!? もっぺん言ってみな! 上がったらその鼻ブチ折ってやるから!
現場監督
こほん、じゃあElaさん、俺の鼻を守るためにも、テクノをそっちにいさせといてもいいか?
Ela
もちろん。テクノは義理堅い子だから、私一人で高所作業をするなんて危険な真似はさせたくないんでしょうね。感謝ばかりよ。
テクノ
そ、そういうこと言わない……!
驚く住民
見ろ、人形の腕がまた動き始めたぞ!
あそこに吊られてるのはテクノと……んっ? なんでもう一人いるんだ?
訝しむ住民
誰だあれ? エンジニアか、技師か、それともテクノの助手とか?
驚く住民
助手? なわけあるか。テクノは自分のデザインに他人の手が加わるのを嫌がるタイプだぞ。
訝しむ住民
うーん……ケーブルが邪魔でよく見えない。なぁ、あんた。あれが誰だか知ってるかい?
Iana
それ、私に言ってるの?
訝しむ住民
ああ。そこでずっと見上げてたろ? テクノの横にいるのが誰か、わかるか?
Iana
Elaのこと? だとしたら、ちょっと複雑な事情があってね――
驚く住民
おい、見間違いか? 一緒にいるあの人、テクノの頭をぽんぽん叩いてるように見えたが……前にあんな真似した奴は、指を嚙みちぎられそうになったってのに。
Iana
まぁ、それくらい仲のいい友達だと思ってくれていいわ。
コミュニティの見張り役
クソッ、逃げ足の速い野郎め。
Fuze
くっ……
コミュニティの見張り役
ふん、俺の拳を食らって声を上げねぇとは……やるじゃねぇか。
さっさと道を空けな。ここで死にたかねえだろ?
テクノ
わああっ――!!
コミュニティの見張り役
テクノ! 待ってろ、すぐ行くぞ! あの女にゃ指一本だって触れさせやしねえ!
テクノ
ちょっと、手どけて! 何すんのさ!
コミュニティの見張り役
この野郎、いい加減窓からどきやがれ!
テクノ、無事か!?
テクノ
え!? どうしてアンタまで!?
コミュニティの見張り役
ディアスさんからよそ者を見張ってるように言われてんだよ。それより叫び声が聞こえたが、何をされたんだ!? すぐに助けてやるから、待ってろ!
テクノ
あっ、えっとその、アタシは全然無事だけど……あの……その……
Ela
頭を少し叩いただけよ。
コミュニティの見張り役
思いっきりやられたのか?
テクノ
いや、そういうんじゃなくて……
コミュニティの見張り役
……じゃあなんで叫んだんだ?
テクノ
その……とにかくアタシは無事だから、戻っておっちゃんに心配すんなって伝えといて。この人のことは、なにかしでかさないようにアタシが見張ってるから。
Ela
悪いけど、溶接道具を取ってもらえる?
テクノ
はい、どうぞ。
コミュニティの見張り役
(小声)あいつが大人しく誰かの手伝いをするなんて……
Fuze
なあ、あの二人は仲良くやってることだし、もういいだろ?
作業員
監督! 人形の組み立てが終わったぞ!
現場監督
よし……それじゃあ、準備はいいな? 今から最も難しい工程に入るぞ。
鼓動を、血液を、エネルギーを、そして生命を、二人に注ぎ込む。
作業員
とっくに準備できてるよ。号令を出してくれ、監督。
現場監督
諸君、我々は半年余りの努力と献身の末、ついに数々の困難を越えてこの日を迎えることができた。みんな、頑張ってくれてありがとう……
各部門、よく聞け。これから最初のダンステストを始めるぞ。
さあお嬢さんたち、まばたきして見せてやれ。
コミュニティの住民
……レディたちのお目覚めだ。
Iana
この光景、何度も思い描いてたの。
チラシや設計図を見た時も、皆の話を聞いた時も……全部絵空事だと思ってた。出来上がるものが想像通りじゃなくても、期待外れでも仕方がないとすら考えていたけど……
コミュニティの住民
じゃあ、こいつを目の当たりにした今は?
Iana
期待以上だわ……言葉で言い表せないくらい、すばらしい。
絶えずまばたきを繰り返す二つの巨大な木製の人形を見て、Ianaはまたその美しい容貌と精緻な構造に心が震えるのを感じた。
動くことなく座っていた時はまだ、どちらの人形もただの美しい芸術品だった。しかしひとたび動き出せば、彼女たちはこの場で最も美しい二人の少女に変貌していた。
緻密なまつ毛が上がって、すぐにまた素早く下ろされる。Ianaはその奥の瞳を何度か見ようとしたのだが、上手く見ることができなかった。
すると突如、一方の少女がIanaの方を見下ろした。閉じられた目と共にまつ毛が開かれると、今度は再び閉じることなく、瞳の光がIanaの視線と交差した。
一対の、オレンジ色の瞳が見つめている。
Iana
瞳の色をオレンジにした理由は?
コミュニティの住民
あれは、陽射しの下で舞い踊るあの子の、瞳に反射した朝日の色なんだ。
Iana
そう。太陽が瞳をオレンジに染め上げたのね……
コミュニティの住民
元々は黒い瞳にするつもりだったんだ。やっぱり、真っ黒に塗りたくるだけの方が簡単だろ? けどテクノの奴が、黒は太陽と一番相容れない色だって言って聞かなくてな。
Iana
……いえ、それは違うわ。
太陽と相容れないのは、白の方よ。
拍手と歓声の中、人形は四肢を伸ばし始める。その関節を駆動させるには、数多の人間が大きな掛け声を上げながら、全力でロープを引く必要があった。
現場監督
行くぞ! 1、2、3! 引けー!
作業員
うおおおお――――!
人形は膝を起こし、一歩前へと歩み出る。
現場監督
よし、次だ! 1、2、3、それっ!
作業員
よいしょおお――――!
動きだした腕が、身体の脇をそっとかすめる。
現場監督
よし、1、2、3! もう一丁!
作業員
せいやああッ――――!
二人の少女は見物人たちが空けた道沿いに、軽快な足取りで歩いていく。時おり身をかがめては、建物の間を繋ぐ高架式通路もくぐり抜けていった。
そして彼女たちはついに、コミュニティの中央広場に辿り着いた。
Fuze
1、2、3! うおおおッ――!
Ela
さっきはありがとう。
Fuze
見るなら場所を移そうか?
Ela
ううん、大丈夫。この窓からの眺めも悪くないもの。
時間は……うん、そろそろね。
辺りが徐々に暗くなっていく中、都市の彼方からゆっくりと顔を出した双月の光が、コンクリートの地面を冬の凍った湖のように照らし出している。
その上を、二人のダンサーがカスタネットのリズムに合わせて舞い踊る。時に真っすぐ、時に弧を描き、その曲線の隅々までが、余すことなく月明かりの下に映し出された。
ビルや、軒下、路地裏、そして薄暗い窓の中からも、音楽が溢れてくる。
それはリハーサルもなければ、指揮者もいない、即興のアンサンブルだった。
メロディーはダンサーの振り付けに合わせ、気ままに流れていく。
動きに合わせ舞い上がる少女たちのスカートすら、足元に流れる音符を捉え、それを素敵なダンスへと絶えず変え続けているように見える。
大きな人形は顔をうつむけて、足元の人々を見守っている。
蝶の羽からこぼれる鱗粉のように軽く小さな人々は、二人のステップに合わせるように共に踊り続けた。
人々は空中に跳びあがっては、また地面に舞い降りる。
Ela
これを見ても、あれは合理的な行動じゃなかったって思う?
Fuze
(首を横に振る)
苦労するだけの価値はあったな。
あんたはこの光景が見られると思っていたから、彼らを助けるのに全力を尽くしたってことだろう。
Ela
いいえ。私は、どうなるかを予測するなんて無粋な真似はしない主義なの。だって、それじゃ面白くないでしょ。
テキーラ
へえ、すごいね。ハーモニカなんて誰に習ったの?
幼い子供
お母さんからです。僕のお母さん、何でもできるんですよ。ハーモニカも吹けて、ダンスもできて、絵も描けて、それにクロワッサンを焼くのだってとっても上手で。
だから僕、お母さんが世界で一番大好きなんです!
Doc
何でもこなす君のお母さんには敬服する。だが、あえてもう一度言わせてもらおう。正しい発音は、Croissantだ!
幼い子供
……Quaso?
テキーラ
あはははっ!
Doc
はぁ……まあ、仕方がないか。
……コーヒーでも飲みたい気分だな。
修復師
こちらのオルゴール、一通り調べさせていただきました。申し訳ありませんが、完全に修復するにはもう何週間かかかる見込みです。
けれどひとまず、隠されていた楽譜を元に、新しいシリンダーを一部だけ作り直してみました。お聴きになりますか?
レイネル
ああ……
ゆったりとした音楽が箱の中から流れ出す。レイネルは、十数年前の午後を思い出した。扉の後ろに隠れて、母の工房から聞こえる音色にこっそり耳を澄ませていたあのひとときを。
修復師
復元した曲の一部から推測するに、恐らく子守歌ではないかと。
レイネル
……なんて素朴な曲なんだ。
修復師
はい。初めて聴いた時は驚きました。あなたのお母様が過去に作られた作品には、たいてい名のある音楽家の名曲が用いられていましたから。
レイネル
この曲は母が書いたものだからな……
……母はプロの作曲家ではなかった。だからこれは一人の母親として書いた、我が子に贈る平凡な子守歌に過ぎないんだよ。
特別なところなど何もない、ごく普通のね。
修復師
ですが少なくとも、贈られた子供にとっては、特別な曲であるはずです。
レイネル
……
修復師
レイネルさん……さきほどからずっと窓の外を眺めてらっしゃいますが、何を見ているのですか?
レイネル
何でもないさ。ただ、上りゆく月を眺めていただけだよ。