館内特殊作戦

アナト
ううっ……
???
お目覚めかな、アナト?
アナト
ッ……痛たた。
ぺぺ
倒れた時に後頭部を打っていた。恐らくそのせいだろうね。
アナト
でも後頭部だけではなくて、全身が痛いです。あれ、どうして肩に青あざがあるのでしょう?
そして膝にも……?
名もなきミイラ
ウゥ……
アナト
キャーー!! 近づかないで!
ぺぺ
落ち着いて! 落ち着くんだ、アナト!
アナト
生き返ったミイラを見て落ち着いていられる人なんていませんよ! この人さっきわたしの耳を引きちぎりませんでした? わたしの耳はまだありますか?
ぺぺ
これは人の動きを模倣するだけのミイラだよ。君にも、ほかの人にも悪意は抱いていない。
動く置物だと思えばいいから。
名もなきミイラ
ウゥ……
アナト
……どうしてペペはそんなに落ち着いていられるんですか。
ぺぺ
頼むからそんな怖い目で見ないでくれるかな。
アナト
あなた、何かしたんですね?
ぺぺ
……発掘した宝石を昨日ちょっと彼の胸に入れてみたら、石の源石回路が彼を目覚めさせたんだ。
アナト
昨日?
ぺぺ
もし君が知ったら、重要な考古学的発見をみすみす見逃しはしないだろう。バルジャバンダバード博物館は陛下にとって特別だし、パーディシャーの娘である私でも勝手な真似は許されない。
だから……君に黙ってこっそり忍び込むしかなかったんだよ。
アナト
ペペ、わたしがこのミイラを貸したくないのには理由があります。
ぺぺ
どんな理由かな? あっ、もし論文の件なら安心してほしい。著者に名前を書き足すくらい問題ないさ。
アナト
そういうことではありません……
ぺぺ
それじゃ出資? スポンサー? 展示館全体の改築でも構わないよ!
アナト
……
ぺぺ
その目はどういう意味かな?
アナト
わからないんです……どうしてシャル=アガデの史官にそこまでこだわるんでしょう? あなたがお父上のパーディシャーの地位を継いだとしても、自分の研究を続けることは可能だというのに。
史官として黄金都市に入れば、二度とそこから出られないということは知っているはずです。
アカデミーで学んだ知識や、砂漠に深く入り込んで遺跡を発見するための訓練、各地を巡って得た見聞、それらすべてが、史官になった後は意味がないものになるんですよ。
それとも、あなたは単に選ばれたのが弟だったということが気に入らないんですか?
ぺぺ
……一時の感情で史官になりたいと言っているわけじゃないよ。これは私の一族の誰もが抱く夢なんだ。
幼い頃は誰だって年長者からあの金色のイグサのペンをもらいたいと憧れるんだよ。
彼らはこう言うんだ。このペンを手に取った時、お前は並々ならぬ責任を負わねばならない。起こったすべてを後世の者が読めるように記録するのだ。
お前が記録し伝えるのは時代の真実だ。それは黄砂や土に埋もれることなく、推測や考察に頼らずとも得られる最も完璧なる真実なのだ。
これこそ私が子供の頃からずっとやりたかったことなんだよ。
私はサルゴンの歴史の記述に関わりたい! 私のペンの下でシャアの栄光に永遠の生命を与え、読む人すべてを照らし続けたいんだ。
何千年何万年後の未来、私が決して出会うことのない誰かが、その文字の中から私と、シャアと共鳴する。それによって私たち三人は繋がることができるんだ。
想像してみてくれ、アナト。なんともロマンチックなことだと思わないか?
アナト
ハァ……
あなたの頑固さは昔からずっと見てきました……いつだって最後まで諦めない人でしたね。
ぺぺ
そう、私は頑固者なのさ。君とティティはとっくに慣れているでしょう。
アナト
……わかりました。博物館代表としてこの文化財、それと……もう一つの宝石を貸し出しましょう。
何年も前、とある個人コレクターから寄贈されたものです。研究により、ミイラとその宝石に何らかの関連があることはわかったのですが、具体的な使用方法については全く見当がつきませんでした。
ぺぺ
この博物館にも宝石があったの!?
アナト
重要なのはそこではありません。あなたの研究のためにそれも一緒に渡すということです。
ぺぺ
こんなに軽く渡すって決めてしまっていいの?
アナト
まさか。論文への署名に出資、スポンサー、すべてやってもらいますよ。それから新しい展示館の命名権料も! 一つもまかりませんから!
ぺぺ
どれもはした金だよ! お安い御用さ!
アナト
ペペ……
ぺぺ
ん?
アナト
時には結果が出ないこともまた一つの結果だということを、あなたが受け入れられたらと思います。
アナトは引き出しを開けると、布で何重にもくるまれた包みを取り出した。
布をほどくと、その中に四角錐の形をした宝石が横たわっていた。ミイラの胸に入れたものと全く同じだ。
宝石を受け取ったペペは、喜びを抑えきれず、大声で叫び出しそうになった。
ぺぺ
「二つ目の貴石は肺。我らが初めて呼吸する時、記憶が始まる。」
がっかりさせないでくれよ。
ペペがミイラの胸に手を近づけると、持っていた宝石はたちまちその胸の中に流れる青い光に取り込まれていった。
ぺぺ
黄砂に埋もれた墓守よ、時の流れに失われた記憶を取り戻し、君に返そう。
過去からの旅人よ、シャアの宝物庫への道を指し示せ!
名もなきミイラ
……
ぺぺ
……
二つ目の宝石を入れたのに、どうしてピクリともしないんだ……?
アナト
これは……どうなっているのですか、今の状況は?
???
きゃああああああああ!!
ぺぺ
私じゃないよ、誰が叫んでいるの?
アナト
これはティティの声?
ぺぺ
一体……何が起きてるんだ?
アナト
見てきます。展示物に何事もない様に見ていてください!
メジェティクティ
なによ、あなたは普通の雲獣だったのね? どうしてもっと早く言わないのよ!
……まあ普通の雲獣なら、人が何を言ってるかわからないわよね。
お客さんは無事退館したようだし、私たちも安全に出られそうね。外に出たら放してあげるから、自分でラズバールの所まで帰るのよ。いい?
もう、叩かないでってば! 抱っこされていたら歩かなくていいんだし、楽でしょ?
いい子いい子……ほら、ほかの雲獣を見せてあげるわ。
この化粧箱の模様を見てみて。雲獣が官吏と対等な立場にある様子が描かれてるのよ。ついでに言うと、これは私が修復したの。
それとこっちの壁画。これは極めて珍しいもので、黄金都市から流出した文化財なの。
この壁画の模様をより正確に修復するため、私が手にできる範囲のあらゆる黄金都市に関する書籍を読みあさり、あの都市に入ったことのある何人もの人たちに取材したのよ。
……あれ、これだと誤解されちゃうかしら? 別に私が黄金都市の秘密を狙っていると思ったりはしないわよね。
まあいいわ、深く考えないようにしましょう。幸いあなたはただの雲獣で、博物館には誰もいないわけだし。今の話が何かトラブルを招くことはないわ。
突然、亀裂が入るかすかな音が彼女の耳に届いた。
メジェティクティ
……
嘘よね……?
きゃあああ――! どうしてこんな時にガラスが割れるの?
アナトに知られたら終わりだわ!
大急ぎで展示台の方へ向かったメジェティクティは、砕けたガラスが辺り一面に散乱する様子に衝撃を受けた。
展示ケースのガラスは特別製で、博物館内も静まりかえっており、人の気配はない。内部の気温も一定に保たれていて、本来ならこのような事故が起こるはずがない。
彼女は慌てて顔を上げ、ケース内の展示物をチェックする。しかし青白い照明の下には何もなかった。
割れたガラスの跡をよく調べようとしたその時、ふいに冷たい鋭利な何かが背中に押し当てられるのを感じ取った。
メジェティクティ
イタズラなら、今すぐやめなさい。
今はまだ業務時間中よ。ふざけるのも大概にして!
???
……
メジェティクティ
どこの部署の人? 聞こえないふりをしてどういうつもり?
……
これ以上黙っているなら……減給するわよ……
そう言うと同時に、メジェティクティは背中に当てられていたものが離れるのを感じる。彼女は安堵のため息をついて振り返った。
メジェティクティ
まったく、どこの部署の実習生か知らないけど、副館長をからかうなんて……今回は大目に見てあげるけど──
きゃああああああ!
あ……あなた……
どうしてケースから出てきてるの!
名もなきミイラ
……
…………
ぺぺ
こんなに待ってるのに、どうして何の反応も起きないんだろう? アナトも戻ってこないし……まあいいか、ちょっとその辺りを見て回ろう。
アナトの奴、控えめな性格は変わらないな。館長代理になったっていうのに、オフィスは地味なままじゃないか。
たしか寮にいた頃は彼女の本が一番多かったはずだけど、ここには一冊も見当たらない。
きっとどこかに隠しているはずだ……
ほーら、やっぱり。本棚がないわけない。壁に埋め込んでいたんだね。
ちょうど家の書斎を改築しようと思ってたとこだし……あとで彼女にデザイナーを紹介してもらおう。
どれどれ、どんなお宝があるかな。うーん、『南西部族の信仰調査』『河畔地域で出土される装身具考』、それと……
『大地を巡る旅』? E.E.エリクソン博士著。聞き覚えのある名前だ……そうだ、前にアカデミーに講演に来ていたあのヴィクトリアの学者じゃないかな?
付箋がたくさんつけられてる。まさかアナトがこんなにも彼の本を愛読していたとはね。
サルゴンに言及しているのは……シラクーザの次……
ナラントゥヤ
(ふぅ……ようやくあの邪魔な女がいなくなった。)
(この部屋少し豪華すぎじゃない? ……わぁ、このソファに置いてある抱き枕、金糸で刺繍されてるの?)
名もなきミイラ
……
ナラントゥヤ
(これってポスターにあったミイラじゃないの。部屋の中にこんなもの置く罰当たりをあっさりやってのけるなんて。やっぱ金持ちのセンスは一味違うってわけだ。)
ぺぺ
……
ナラントゥヤ
(彼女はすぐそこ……よし、本に集中してる……)
(悪く思わないでよ……)
ナラントゥヤはゆっくり歩み寄ると、ポケットに手を入れ、ずっと隠し持っていた注射器を取り出した。
彼女はかつて長い時間を費やして訓練を重ね、足にできた血豆が潰れたころにようやく、足跡を残さずに砂丘を歩く方法を身につけた。
今のナラントゥヤは、やろうと思えば、身に着けた鈴を鳴らすことなく賑やかな人混みの中を通り抜けることができる。
今やターゲットであるパーディシャーの娘は目の前だ。部屋には二人以外に誰もいない。
しかしナラントゥヤが娘に注射しようとしたその瞬間、彼女の手は突然何者かに握られ、空中でピクリとも動かせなくなった。
ナラントゥヤ
!?
(まさか……ひそかに護衛が?)
ナラントゥヤ
(あなたは──!)
ナラントゥヤは声を発することができなかった。
つい先ほどまでソファの上に転がっていたミイラが、いつの間にか背後に忍び寄り、片手で彼女の手をきつく握りしめ、もう一方の手で彼女の口をしっかりと塞いでいる。
彼女は必死でもがいて逃れようとしたがどうにもならず、ただ自分の首に針の先端が迫るのを、恐れおののきながら見つめることしかできなかった。
注射薬がすべてナラントゥヤの血管に注入されてようやく、彼女を押さえつけていた腕が緩められた。
彼女の意識は次第に遠のき始め、自分が羽獣の子供になったように襟首をつかまれ、窓に向かって運ばれていくのを感じていた。
両足がだらりと空中に垂れ下がった時、彼女の脳内に浮かんでいたのはただ一つの考えだけだった。
もう少し頼れる手下がいたらよかったのに、と。
名もなきミイラ
暗がりでのたうつ虫けらめが。
ぺぺ
ん……?
何やら音が……何だろう?
ど、どうしてまた動き出したの……
名もなきミイラ
余の頭は……もう混沌とはしていない。周囲は明瞭になりつつあり、己の認知を言語によって表現する必要がある。
ぺぺ
き、君は生きているの?
名もなきミイラ
余の生命はすでに零れ切った。そなたが見ているのは、適切に処理された抜け殻にすぎぬ。
ぺぺ
……
君の正体は何なの? 教えてよ。
名もなきミイラ
栄華を極めし時、余は諸王の王ルガサルグスのおそばに仕える御前護衛の将校であった。戦いのさなかにあって陛下をお守りする役目だ。
凋落せし時、陛下が建てられた宝物庫を賊共の侵入から守るため、余は不朽の存在となることを厭わず、歳月による摩滅に抵抗した。そして陛下の誓約実現に助力し、陛下が……
遠くへ去った陛下が、お戻りになるのを待っていた。
ぺぺ
で、では君のことは何と呼べばいいのかな?
名もなきミイラ
余の名は、ズバイダム=ヤヌル=アユスィズ。
ズバイルと呼ぶがいい。
興味津々の子供
ママ、あのお姉さん、池のそばに座ってずっとうつむいてるけど、何してるの?
優しい母親
服装からして、彼女は多分ミノス人でしょうね。ミノス人は考えることやたくさん話すことが得意らしいわ。
きっと何かすごいことを考えているのよ。
興味津々の子供
すごいこと? それって何なんだろう?
でもお姉さん……とてもきれいだね……
博物館警備員
申し訳ありませんが、すでに閉館しておりまして。
アスパシア
わかっている。だから開くのを待っているんだ。
博物館警備員
それは……すぐには開かないと思いますよ。
通常だと、開館日時が公表されるのは、館長が緊急事態に対処し、リスクを評価して、出資者に報告した後かと……
アスパシア
わかっている。別の職員にも全く同じことを言われた。
ご覧の通り、私はそれを待っているんだ。
博物館警備員
……先ほど館内に落とし物をしたとおっしゃっていましたね?
アスパシア
そうだ。
博物館警備員
それは重要なものなんですね? 職員が発見次第、こちらから連絡しますので、その時に取りに来てはいかがです?
アスパシア
それではダメだ。
博物館警備員
……ではこうしましょう。私がこっそりゲートを開け、同僚に連絡し、探すのに付き添うよう伝えます。
アスパシア
感謝する──
興味津々の子供
ママ……
優しい母親
どうしたの?
興味津々の子供
見て、誰かが博物館の上から飛び降りてきたよ!
子供の大きな声を聞き、アスパシアは勢いよく上を向いた。すると一人の女性が建物から落ちてくるのが見えた。
アスパシアは考えるより先に足を踏み出し、開きかけた博物館のゲートに構うことなく両腕を伸ばした。