鉄クズとリベット

大口を叩く男
やはり想像できませんよ、ハイディさん。我々はやっとの思いでこの偉大な都市に戻ってきたのに、あなたが去ろうとするなんて。
にしても、確かにお父上のもとに帰るべきなのかもしれませんな。
ハイディ
ドルン郡へですか? ……うーん、もう少し遠くへ行くかもしれません。私の人生において道を示してくれる方は、父一人だけではありませんもの。
もちろん、あなたの助言は常に気付きを与えてくれます。例えばあなたが仰ったように、マーチ伯爵の使者との晩餐会の経験は、私に多くの知識を学ばせてくれました。
大口を叩く男
ハハッ、あなたのような政治とは遠く離れた小説家が歴史の話を書きたいのなら、当然喜んで一次資料を提供させてもらいますよ。
ハイディ
それと先ほどおっしゃった、私の最もよく知る故郷であるドルン郡も、ロンディニウムのこの恐ろしい戦争と共に物語に書くべきというアドバイスも。
大口を叩く男
その通りです。あの体裁の悪い歳月をありのままに思い出すのはもちろん大変なことです。ですが我々がこの都市のためになした英雄的行いは記憶されるべきです。
ハイディ
英雄……おっしゃる通り、私たちの誰もが英雄なのかもしれませんね。
そうだ、このような恋愛物語は魅力的に違いありません。遠いヴィクトリアの辺境に住む少女が、その地に休暇にやってきた青年と一瞬で恋に落ちるも、青年はロンディニウムの戦場で命を落とす。
もちろん、少女は最終的に自分が聞いた情報は偽りであることに気づき、愛する人は英雄となって、彼女のもとに帰ってくるのです。
大口を叩く男
素晴らしいアイディアですね、ハイディさん。一度失った愛する者が帰ってくる。まさによそ者に踏みにじられ、再び我々によって救い出されたこの都市のようです。
……演奏が始まりました。お聞きください、宴会には赤ワインもデザートもなく、照明もかつてほど明るくはありません。ですが金管から流れ出る音楽は美しいままですよ。
ハイディ
どうぞダンスフロアへ向かってください。今しがたくださったインスピレーションと私は、こちらに残しておいていただいて構いませんから。
大口を叩く男
ではこちらのお二人のご友人は――
エリシオ
えーっと……
ハイディ
こちらの異国の地からやってきた使者さんは、恐らくまだヴィクトリアの礼儀作法に慣れておられないかと。見逃してあげてはいかがでしょう?
大口を叩く男
ハハハッ、もちろんですとも。
ハイディ
……
エリシオ
……ハイディさん、でしたよね?
ハイディ
――あぁ。私が案内しましょうか。
エリシオ
いいえ、これ以上お手を煩わせる必要はありません。先ほどは助け船を出していただき、感謝します。
ハイディ
実のところ、この場所がいかなる客人も拒むことはありませんよ。もしお二人に興味があれば、次回は窓からではなく、客間の扉から入ってもいいでしょう。
エリシオ
ご好意に感謝いたします。ですが……実のところ、私は貴族のパーティーにそれほど興味がないんです。
ヴィクトリアの貴族政治は私がいの一番に調査した内容です。あなた方の礼儀作法、感染者に対する態度はよく理解していますし、ひいてはダンスのステップまで学びました……
ハイディ
まあ、私のような三流小説家が貴族を名乗れるかはともかく……こちらの兵士さんがなぜあなたをこの場所へ連れてきたのかは尋ねましたか?
エリシオ
――いえ、彼女に連れてこられたのではなく、私が勝手に決めたんです!
ダイアン
はぁ。ハイディ殿、申し訳ありません。彼がロンディニウムに残って感染者問題を深く理解したいと言うものですから、色々と案内しようと思って……まれに不当な方法を用いることもありますが。
彼を笑いたければどうぞお構いなく。ご覧の通り、彼は嘘もつかなければ考え事を隠せる人でもありません。
ハイディ
フフッ、まさに……「赤心」らしいですね。
エリシオさん、あなたは赤心社の代表者、そうですね?
エリシオ
我々の機関がそれほど有名であった記憶はありませんが……
ハイディ
感染者問題に関心のある人なら、すぐに分かりますよ。
ですが、貴族たちがひそかに取り交わす嘘を見分けるのは、恐らくそう簡単ではないでしょう。
例えば、今腕を組んでダンスフロアに入っていく人々は、大半が感染者です。
エリシオ
……
それは理論上予期され得ることです。サルカズがばらまいた源石粉塵は身分に関係なく全てのロンディニウム市民に害を及ぼしましたから。ですが……
ハイディ
誰も口に出すことはありません。自分のそばに立っている人が感染者かどうかを追及する人もいません。これは彼らが自らのために残した体面であり……ある種の夢でもあります。
エリシオ
……
エリシオがホールを見やる。壁の柱には金の装飾が剥がされた跡があり、戦時に暴徒が足を踏み入れたことを示している。だが音楽家たちの情感豊かな演奏が目の前の寂しさを覆い隠していた。
小説家を自称する女性はペンのキャップを取り、ノートに何かを走り書きした。
ハイディ
もちろん、衣食さえも問題になっている時、こうしたパーティーはただの無意味な自己暗示にすぎないと捉えても構いません。
エリシオ
……いいえ、そんなことはしません。
それはまた異なった生活ですので。
――これは?
ハイディ
たった今おもむくままに書き記したものです。読むに値しない物語のあらすじ……それと少しばかりの追加情報です。どうぞ受け取ってください。
予感があります、エリシオさん。私たちはまた会うことでしょう。
エリシオ
……ありがとうございます。
ですが、もう一つだけお聞かせ願えますか? ハイディさんには、何か目の前の幻想では癒すことのできない苦しみがあるように見受けられます。
ハイディ
……ただ時折ある友人が恋しくなるだけです。
彼女がいなくなってから、私と本心で語り合える人がまた一人減ってしまいましたので。
ヴィーナ
「万国サミット」……?
オレン
ラテラーノはヴィクトリアで起きたことについて非常に関心を払っております。何しろこれはサルカズにより引き起こされた災いですので。
ですがあなたと議会がサルカズの問題を処理において見せた決断力は、確かにこの都市の復興の希望を示してくれました。
もちろん、人々が塗炭の苦しみをなめる惨事が二度と起きることのないよう、テラ諸国のために和平交渉の橋を架けることを教皇聖下も心から望んでおられます。
ヴィーナ
……だが、貴様もただラテラーノ教皇聖下に代わり私の回答を求めに来ただけではないのだろう。
オレン
俺は一介のトランスポーターにすぎません。メッセージをそのままあなたと議会にお伝えする責任を負うのみです。
ヴィーナ
分かった。ではすまないが、教皇聖下に謝意を伝えておいてくれ。ラテラーノの善意は理解しているが、今議会はロンディニウム以外のことに構っている余裕がない。
それと、貴様を招待したその大公爵にも伝えておいてくれ――私は何らかの身分を持つ者としてラテラーノを訪れるつもりはない。一体いつ、貴様が議会や私に口出しできる立場になったんだ、とな。
オレン
もちろんです。それがトランスポーターの本分ですので。
デルフィーン
オレン・アルジオラス。情報によると、戦時中彼はゴドズィン公爵の高速軍艦に身を置いていましたが、ラテラーノを代表して直接戦争に加わることはありませんでした。
ヴィーナ
おおよそ予想通りだな。ゴドズィン本人も甘いものが好きなのか?
もし本当にそうであれば、今のロンディニウムに彼をもてなしてやれるものはあまりないな。
はぁ……今日はせっかく議会が休みだというのに。
デルフィーン
……それと面白い情報もあります。あのラテラーノのトランスポーターは当時難民たちを率いて一緒に乗船し、難民を受け入れるよう公爵を説得するために、手を銃に置いて誓ったそうです。
ヴィーナ
それで?
デルフィーン
それで、熱くなった銃身で火傷を負ったとか。
ヴィーナ
ハッ。なぜ急にそんな話を? 重要なことか?
デルフィーン
休みですから。
ヴィーナ
いいだろう、では今ので休んだことにするか。次はどの情報から目を通すべきか、法陣の痕跡の調査か?
ん?
ヴィーナはシアラー少尉の名前を見た。またしても手紙だ。
彼女はため息をつき、手紙を処理待ちのボックスに入れた。
ヴィーナ
デルフィーン、ここに――
インドラ
おい、ヴィーナ! お前が言ってた盗みを働くバカどもだが、俺たちがとっ捕まえてボッコボコにしてやったぜ!
ダグザ
わざわざ体の弱い鉱石病中末期患者から奪いやがって、マジでクズだな。
モーガン
もっとムカつくのは、弱い者はいじめて強い者にはぺこぺこするような奴らがそいつらの名前に惹かれて、たくさん加入しようとしてたってことだよ~。
幸いあんたの耳が早かったおかげで、奴らの拡大のチャンスを潰してやったけどね。
ヴィーナ
はぁ、私も外に行って体を動かしたかったな。
インドラ
安心しろ、お前の分もぶん殴ってやったからよ。
それと受け取った謝礼も、お前の分を残しておいてあるぜ。
ヴィーナ
待て、これはみかじめ料を徴収するための仕事ではないぞ――
インドラ
ヴィクトリアに帰ってきてから、どんだけロリポップを食ってねぇんだ?
ヴィーナ
ハンナ……
インドラ
その強盗に遭ったガキが自分で作ったって言ってたぜ。全部の味が違ってて、しかもどれも妙な味がするけど、ちょうどお前も普通の甘いロリポップは好きじゃなかったろ。
ダグザ
でもそいつは、自分じゃ入手できない普通のサッカリン代わりに、ジャガイモ、ニンジン、地下通路のオリジムシの体液までも試したらしいよ……
インドラ
俺が全部食ってみたから、大丈夫だ!
デルフィーン
なんだか眠気覚ましになりそうですね。私にももらえますか?
インドラ
おお、たんまりあるぜ!
ダグザ
……ヴィーナ、大丈夫か?
ヴィーナ
大丈夫だ。今じゃ何を口にするのも慣れてしまったからな。
ダグザ
なら……議長の仕事は?
モーガン
そうだよ、何を気苦労してるのかな~。法律の原案とか? それとも公文書? 報告書?
吾輩たちの助けが必要なお仕事はあるかな? 特にぶん殴りたくても都合が悪いようなの!
インドラ
今回は子分も作ったんだぜ! 葉っぱの茎みてぇにひょろいが、身を守るためのボクシング技なら教えられないわけじゃねぇからな。
グラスゴーもまたでっかくなる時だぜ。ヴィーナ、俺たちはいつジムに――
ダグザ
……
モーガン
……
インドラが頭をかいた。仲間に不満のこもった目で見られずとも、彼女は自分で気づいた。聞くべきではなかったと。
ヴィーナの視線がデスクの山のように積まれた書類を巡る。
デルフィーンがそばに歩み寄り、顔色一つ変えずに彼女の手に持った何枚かの便箋を抜き取った。
ヴィーナ
多くの市民が関心を寄せている問題に対して、公に答える時かもしれないな。ほとんどの者は議会の討論の傍聴に来ることは不可能だが、一日の仕事終わりにラジオを聞くことはあるだろう。
都市の状況は徐々に安定してきている。すでに議会には、三陣目の施工隊をノーポート区に派遣するよう申請してある。すぐに、我々の家は前の姿に回復するだろう。
モーガン
前よりもっと良い姿になる、でしょ!
ヴィーナ
残りの仕事を片づけたら、貴様もすぐにリンカルダンに帰ることができる、デルフィーン。
療養所患者
あら? ダイアンさん――
……上官!?
シアラー少尉
私はすでに退役した……サラ。
療養所患者
ハッ、そうですか、上官。
シアラー少尉
……
療養所患者
たしか前回は療養所の招待を断っていましたよね? なら今日は……
シアラー少尉
……いや、ただ君たちの見舞いに来ただけだ。それともう一度君に礼をとね……気を悪くしないでもらいたい。
療養所患者
実はもう覚えていないんです。ご存知でしょうけど、石がすでに私の頭に入っているとお医者様はおっしゃっていて――手が震えていますよ。
私の前で隠す必要はありません、上官。あなたからはたくさんの知識を教わりました。幸い、そうしたものは全て覚えています。
見た限りだと、薬物中毒の症状のようですね。戦時中の後遺症ですか?
シアラー少尉
……鎮痛剤の過剰摂取だ。城壁の下のあの時からのものだ。
療養所患者
――!
ここに残りましょう。今からお医者様を探してきます。彼らなら方法があるかもしれません……
あるいは少なくとも、少なくともあなたのために――
シアラー少尉
もっと鎮痛剤を見つけてきてくれるか? フッ、確かに多少痛みを和らげることができるだろう。
療養所患者
そのために来たのでしょう? 都市内の物資は確かに不足していますが、院長なら可能な限りあなたに割り当ててくれるかもしれません。
何せデルフィーン様はかねてより療養所に、そして我々に目を掛けてくださっているのですから。
シアラー少尉
……
療養所患者
少し待っていてください。すぐに戻ります。
シアラー少尉
……
彼は留まりたかった。そうすれば配給の足りていない鎮痛剤が本当に手に入るかもしれない。
シアラー少尉
ふぅ――
療養所患者
あら……いない?
通行人の声
おい、前見て歩けよ!
シアラー少尉
……
通行人の声
そいつから離れた方がいいぞ。何だかおかしくないか?
シアラー少尉
議長室は、こっちの……はず……くっ……
通行人の声
倒れたぞ! また鉱石病末期の不幸者か?
近づくな! そいつが崩壊したら、俺たちは終わりだぞ……
シアラー少尉
……俺は……違う……チッ、体が制御できない。
通行人の声
人を呼んでくる! みんな離れろ、離れるんだ!
シアラー少尉が通りに横たわる。夕日の日差しはまぶしくなかったが、それでも彼の目に染みた……
あるいは、彼の体が再び警告しているのかもしれない――痛みはまた別の生理的欲求で埋める必要があると。
戦争中痛みに敗れた兵士に教えていたのと同じように、彼は呼吸を整えようとした……
だが彼は失敗した。彼はとうに痛みに打ちのめされていた。
シアラーは火を見た。目を開け続けることができないほど焼けつくような火を。空の火、城壁の火、彼の体で燃え上がる火――
彼は自分が城壁の下で倒れるあの日を見た気がした。
ロンディニウムの雄大な城壁がドラコの炎の中で燃え盛る。その炎は次第に勢いを、まばゆさを増し、ついには空を呑み込んだ。
彼は恐怖のあまり叫んで、両目を覆おうとする――
???
……少尉……
シアラー……少尉……早く……起き……
シアラー少尉
――?
彼は自分の方へと伸ばされた手を見た。
シアラー少尉
デ……デルフィーンお嬢様?
デルフィーン
訪ねてくるのをずっと待っていたんですよ、少尉。
あなたがヴィーナさんに送った手紙は見ました……ですがあなたは私を故意に避けています。私が提供する医療支援を拒むように。
シアラー少尉
……結局、彼女は私の手紙を読んでいないのでしょう?
デルフィーン
あなたが手紙に何を書いたかは想像できます。
シアラー少尉
……
デルフィーン
申し訳ありませんが、ここで力になることはできません。ロンディニウムの薬品供給状況は私たち全員がよく分かっています。ですので、あなたはここに留まってはいけません。
シアラー少尉
……私が、ほかにどこへ行けるというのです?
デルフィーン
リンカルダンです。
シアラー少尉
――いえ! 私は……
デルフィーン
これは要求ではなく、命令です、少尉。すでに退役したという言い逃れで誤魔化す必要もありません。
あなたが何をためらい、何を恐れているかは分かります。
あなたを裏切って、見捨てた「ガラヴァエ鉄盾」の上官たちに向き合うのを恐れているんですよね……
私への、そして母への忠誠を果たせなかったことを恐れ、さらには今の姿で故郷へ帰ることを恐れている。違いますか?
シアラー少尉
わ……分かりません……
デルフィーン
少尉、あなたは自分で思っているほど強大でも強靭でもありませんよ。私も、あなたが思っているほどか弱くも気高くもありません。
私たちはリンカルダン人です……ここは元々私たちの家ではありません。
戦争はすでに終わりました、少尉。兵士はみんな故郷に帰るべきです。
シアラー少尉
……
デルフィーン
恐れる必要はありません、少尉。私も一緒に帰りますから。
行きましょう。
シアラー少尉
(咽び泣く)ですがこんな体で……どう家まで持ちこたえろというのですか……
デルフィーン
私が手配します。それに、訪ねてこないからといって、私があなたを見放すとでも思っているのですか?
シアラー少尉
……ありがとうございます、デルフィーンお嬢様……
ではあなたは、またロンディニウムに戻られるのですか?
デルフィーン
はい、それがヴィーナさんとの約束でもありますから。ですが、彼女にはしばらく辛抱してもらうことになるでしょう。
まずは都市で療養できるように手配します。手元の最後の仕事が終わったら、出発しましょう。
シアラー少尉
……承知いたしました、デルフィーンお嬢様。
デルフィーン
リンカルダン……私もそろそろ帰りますよ、お母様。