錆びた王冠

ヴィーナ
王冠は見つかったと? どこにある?
ホルン
見つけたというより、誰かが議長室に届けていました。なくなった正確な時間については、割り出すのは困難ですが、おおよそあなたの演説が始まった後であると確認できます。
モーガン
……ヴィーナは、王冠をあの空の玉座に置いてたよね。でも王冠を盗んで何のメリットがあるんだろう? あの公爵たちの指示なのかな?
ヴィーナ
いや、違うな。
公爵たちが一枚岩であったことはない。各々に腹積もりがあるが、王冠がなくなったことと、彼らがロンディニウムを訪れたことが同時に発生するのは、あまりにも都合が良すぎる。
モーガン
でもあんたの考えだと、あれって今はちょっと古びたただのぼろい鉄の輪っかでしょ~?
ホルン
……いえ、モーガンさん、それではありません。
今どのような扱いにあるにせよ、王冠とヴィクトリアとの関係というのは、人々にとって格別なものです。
王冠が空のまま放置されていた二十年余り、多くの民衆はそれを忘れるどころか、むしろより一層期待が増していたでしょう――
……王冠を戴くことのできる次の名君を、新たな国王がヴィクトリアを覆う陰りを完全に払ってくれることを。
ヴィーナ
いや、それ以上の者はただ自分たちの心にある王権への渇望と崇拝を満たしてくれる、誰もを納得させるに十分な奇跡が差し迫って必要なだけだ。
ホルン
否定はできません。そして彼らの声は、あなたにとって馴染みのないものではありません、ヴィーナさん。
あなたの身分が極めて特殊なのは確かです。そもそもが王室の末裔であり、文字通りの戦争の英雄でもある。それでいてストリート育ちとなると、多くの人が好感を抱くのもおかしくないです。
加えて議会のスムーズな設立と公爵たちの自発的な権力の委譲も相まって、あなたはすでに全員からの支持を得ていると皆がより信じています。
そしてその後のことは、自ずと期待通り進んでいくでしょう――
モーガン
でも大公爵たちの本当の考えは全然そんなんじゃないよ!
ホルン
ですが民衆は結果にしか関心がありません、モーガンさん。
ヴィーナ
そうだ……そんなことは、我々が家に帰ってきたあの日からよく分かっている。ただ残念なことに、時に、私は人を失望させるのが得意なんだ。
のんびりした市民
エリシオさん、エナジーバーを分けていただいてありがとうございます。いつもこんなに美味しい謝礼を頂けるのなら、喜んで毎日サンプリング検査を受けさせてもらいますよ、ハハッ。
クルビアだと、こうしたものが全部商品になってるんですか? クルビア人は、どうして日常生活の中でこうしたものを蓄えておくんですか。やっぱり天災に備えてですか?
エリシオ
いえいえ、ただの私の個人的な好みですよ。
食事とはエネルギーと栄養のバランスを整える過程にすぎないとよく思うのです。エナジーバーでその過程をより迅速に済ませられるのなら、なぜ拒む必要があるのでしょうか?
ダイアンさんはいつも私のこの考えを批判しますが。
のんびりした市民
それもそうでしょう。今のロンディニウムでは、基本的な食べ物の需要を解決できるだけでもありがたいことですからね。
これはすでにアレクサンドリナ殿下の多大な努力の結果です。
落ち着かない市民
彼にそんな話をしてどうするんだ……
エリシオさん、この……えと、「エナジーバー」を持ってきてくれてありがとうございます。ですがもう行った方がいいですよ。
のんびりした市民
スタンレー、あなたエリシオさんが――
落ち着かない市民
違う!
俺は……人様の前で、くだらない話でお前と喧嘩なんかできないだろ?
エリシオ
どうされたのです?
のんびりした市民
はぁ。この人は私がアレクサンドリナ「殿下」と呼ぶのを毛嫌いするんです。それだけですよ。
私とスタンレーは政治に関する考えが全く違うんです。私は今国王がいることは悪くないと思ってるんですけど、彼は、国王がまだいた時の私たちの暮らしはもっと悪かったと思ってるんです。
落ち着かない市民
……
のんびりした市民
ですが昔にしろ今にしろ、私たちの暮らしは相変わらずですよ?
エリシオ
……つまり、国王がいようがいなかろうが、あなた方の生活には影響がないと?
落ち着かない市民
こいつがどう思っていようが、事実として、あの玉座に人が座ったとしても、国王の戴冠式の宴に俺たちが参加することはない。
のんびりした市民
はぁ、スタンレー、あなたはいつになったらもっと納得させられる理由を思いつくのよ。
エリシオさん、すみません。また時間を割いてこの石頭に教えてやらないといけないみたいです。
そうだ、街で都市防衛軍が頻繁に活動している理由については、少し噂を聞いたことがあります。何者かが王冠を盗んで、今巡回隊が関係者を調査しているとか。
行くわよ、スタンレー。ではさようなら、エリシオさん。
エリシオ
……確かにダイアンさんからは一言も国王と王冠の話を聞かされたことがないな。帰ったら彼女の考えを聞いてみようか。
療養所患者
エリシオさん、少し休まれた方がいいですよ。外でずっと症例情報の収集を手伝っているようではないですか。
エリシオ
都市の感染者症例はほぼ同時期に急性感染し、そのほとんどが極めて珍しい病理経過をたどっています。こうした貴重なデータをできるだけ多く記録する必要があるんです。
将来鉱石病の研究に用いるにせよ、ロンディニウム市民に専用の薬を開発するにせよ、これらのデータは重大な意味を持ちます。
そうだ、サラさん、ダイアンさんは今日なぜお見舞いに来ていないのですか?
療養所患者
ダイアンさん?
あなたを手伝っているものだと思ってました。今日は多くの戦友が療養所に来て最近何か異変が起きていないかと聞くものですから、ダイアンさんを連れて昔の仲間と集まるつもりだったんです。
エリシオ
――?
ヴィーナ
この件を知っている者はほかにいるか?
デルフィーン
すでに情報を遮断し、この件の影響を最小限にとどめられるよう最善を尽くしています。
モーガン
……ならこれはどうするの?
モーガンがデスクの上の王冠を指さす。それはすでに傷だらけだった。
モーガン
こーんな間近で見たのは初めてだよ~。これがその……たくさんの人が気にかけてるあれなの?
ヴィーナ……ヴィーナ?
ヴィーナの視線は王冠へと全く向けられていない。彼女はデスクに黙って寄りかかり、椅子の上でうなだれる目の前の人物をただ見つめていた。
「王冠を盗んだ者」を。
ダイアン
……
本当に小官に何も聞くつもりはないのですか、議長?
ヴィーナ
予想はつく。貴様らの多くが、私に……非現実的な幻想を抱いている。
それに、この件について、私の同僚たちがすぐにでもより完璧かつ客観的な報告を上げてくれるだろう。だから――
ダイアン
小官をそうした者と一緒にしないでいただきたい! 彼らが気にかけているのは玉座そのもの、ですが小官が気にかけているのは、玉座の上の人物であります。
ヴィーナ
……
ダイアン
自分が何をしているかは承知の上です。議会が発布した新たな法律は全て熟知しています、ヴィーナ議長。許可なく玉座の間に入ったことは確かに重罪であります、否定するつもりはありません。
ヴィーナは首を横に振った。
ヴィーナ
だがそれは、貴様がそうした幻想を抱く者と本質的な違いがあることにはならない。臨時裁判所が法律に基づき貴様の罪を審理するだろう。
ほかに異議はあるか?
ダイアン
ございません、議長。
ヴィーナ
デルフィーン、残りの面倒事は貴様に任せる。王冠は私が玉座の間に戻しておく。今後は管理を強化する。
はぁ、それから議会へ行って議員たちに報告する原稿を準備しなければな――
ダイアン
フッ……報告ですか。
そもそもそんなことをする必要はありません、シージ。議会の非効率性は貴殿がよく分かっていることでしょう。あんなもの一部の人間が各々の利益のバランスを図るための場にすぎないのです。
その議員たちの相手をするだけで、貴殿はすでに疲労困憊である。違いますか?
ヴィーナ
……
ダイアン
ロンディニウムにいま最も必要なのは議会に監視される議長ではなく、都市全体の変革を指揮できる絶対的リーダーであります。
デルフィーン
ヴィーナさん、こんな意味のないことについて彼女と議論する必要はありません。
ヴィーナ
分かっている、デルフィーン。貴様は、ロンディニウムには独裁者が必要だと言っているのか?
ダイアン
違います、小官が申し上げているのは国王であります。ヴィクトリアの国王。
貴殿が何をしたいかは想像がつきます。貴殿は小官の知るこれまでのどの権力者とも異なります。
貴殿は自らの血筋を完全に気にかけないですらいる。ですが貴殿の考えを実現するには、「議長」では……はるかに足りないのです。この王冠は貴殿の障害になるべきでも、なることもありません。
彼女は立ち上がると、ヴィーナに向かってまっすぐ敬礼をした。
ダイアン
以上が小官の言いたかった全てです。
模範軍、シージさん、小官たちの故郷のために捧げた貴殿らの努力に感謝いたします。
小官はヴィクトリアの変化を愛し、ヴィクトリアが未来においてかつてないほどに良くなると固く信じています。
残念なのは変革の速度がまだあまりに遅いことであり……恐らく小官がその日を目にできることはないでしょう。
デルフィーン殿、参りましょう。これから、小官はどちらへ向かえば?
ヴィーナ
……
「貴様は……私が何をしたいか本当に分かっているのか?」
「貴殿はヴィクトリアを変えたいと……」
「いえ、貴殿はヴィクトリアを、あの過去のヴィクトリアを打ち破りたいと思っています。」
ヴィーナ
……
ヴィーナは階段の下に立ち、王冠を捧げ持ちながら、玉座を見つめる。
玉座のそばには、金色の獅子が伏せ、そのまぶたは半分垂れ下がっている。
ヴィーナ
先生、はっきり教えてくれたらよかったのに。
彼女は一歩一歩、階段を登る。玉座の前に来ると、階段の上に座った。
先生はまだ目を開けていないようだった。鼻息がそっとたてがみを撫で、埃を巻き上げた。
不満なのだ。
ヴィーナ
すまない、先生。また一睡もできなかった。まだまだ手の焼けることがたくさん残っていて処理が終わっていない……
彼女は背中に温もりを感じた。金色の獅子は彼女に近づき、その巨体が彼女の支えとなっている……
まるで幼い頃のように。ヴィーナは日差しの匂いを嗅いだ。
ヴィーナ
先生、こうやって先生のそばで寄りかかって眠れたら、どれだけいいことか。
都市の外からここまで戻ってくるのは、まるで夢のようだった……
でも私はもう長い間ぐっすりと眠れず、心ゆくまで夢を見ていないというのに。
獅子はかすかに頭を上げ、ヴィーナの金色の髪にこすりつける。彼女は少しくすぐったかった。
そして空気の冷たさにヴィーナはわずかに身震いをし、再び意識がはっきりした。
ヴィーナ
……ここは……ずっとこんなに寒いのか? まだ休む時ではない。
今我々にできることは、まだまだ足りない。薬も、食料も十分配給できていないし、市民同士の諍いも絶えず起こり続ける――
時々、この服を脱ぎ捨てて、あのバカどもを一人一人殴り倒してやりたくてたまらなくなる時がある。そうすれば物事ははるかに簡単になるかもしれない、違うか?
「過去のヴィクトリアを打ち破る」……
これが本当にボクシングの試合なら、どれだけよかったことか。
金色の獅子が目を閉じて眠りにつく。だが、尻尾は変わらず無意識にヴィーナの腕を叩いている。
ヴィーナ
……
先生、すまない。また愚痴をこぼしてしまった。
時々モーガンたちにどう話せばいいか考える時がある。彼女たちは分からないだろうし、心配させたくもない。
デルフィーン……彼女の前では、あまりうろたえた姿を見せたくない。彼女はすでに私に代わり多くの負担を抱え、私に多くの期待を寄せてもいる。
……すでに多くの人が私を頼りにしているんだ、先生。
彼らの期待に背きたくない。
彼女は目を閉じ、王冠を握り締めた。
「国王」も「議長」も、彼女にとってはゴミも同然。
彼女はただ――
ヴィーナ
いや、考え事をしていただけだ。先生が――
彼女が無意識に顔を横に向けたが、何も見えなかった。だがその温かさはいまだにはっきりしている。
獅子は去った。
ヴィーナ
(……付き添ってくれてありがとう、先生。)
モーガン、なぜここへ来たんだ?
モーガン
あの王冠を盗んだ人だけど、デルフィーンちゃんが臨時裁判所に説得して、ひとまず都市防衛軍駐屯地の独房に入れておくことになったよ。
彼女に関する報告書もできたから、あんまり遅らせたくないから急いで来たんだ。これが報告書だよ。
彼女の名前はダイアン・ウェーバー。
モーガンが言葉を止め、ヴィーナの反応を待った。しかしヴィーナはただ興味深げにモーガンを見て、彼女が続けるのを待っていた。
モーガン
……
彼女が王冠を盗んだのは別に一時の出来心とかじゃないよ。
ここ長い間、彼女はクルビアから来た病院の代表者と行動を共にして、街の多くの人々に鉱石病感染後のセルフケアの知識を広める手伝いをしていたんだよ。
彼女はそれで聖王会西部大広間の外にいる巡回隊の勤務交代時間を把握して、あんたが放送で演説している隙に、玉座の間に忍び込んだってわけ。
それから彼女はここで長い間、少なくとも三十分は留まってたんだよ。
ヴィーナ
……彼女は何をしていたんだ?
モーガン
さあね~。言いたがらないから分かんないよ。何か悩んでたのかもしれないし、ただぼうっとしてたのかもしれないよ。でも、結局王冠を持ち出していった。誰にも気づかれずにね――
ヴィーナ
待て、それはおかしい。彼女は玉座の間にそんなに長くいたというのに、逃げる時に交代した巡ら隊に鉢合わせなかったのか?
モーガン
それがしてないんだよ~。彼女自身もこんなに簡単に逃げれたことに驚いて、絶対に巡回隊に捕まると思ってたらしいよ。
ヴィーナ
……つまり何者かが彼女を助けたということか。あの客人たちか?
モーガン
それはわかんない。でも本人は確かに知らないよ。完全に自発的な行動だったんだって。
ヴィーナ
だが……なぜだ? ただ王冠を私の前に持ってきて、たきつけるためだけに――
モーガン
彼女はあのダイアン・ウェーバーだよ。
ヴィーナ
それは知って――
モーガン
覚えてないんだね。ずーっと見覚えがあるなと感じててさ、報告を見た時やっと思い出したよ。やっぱり彼女か~って。
ヴィーナ
……?
モーガン
吾輩たちが連合軍に家の玄関で囲まれたあの日、真っ先に命令に逆らって、吾輩たちを先導してくれた兵士を覚えてる?
ヴィーナはあの日の空を、空を覆う蒸気を、消えない硝煙の匂いを思い出した。
あの記憶の中のすでに顔がぼやけていた兵士のことも。
「連合軍第六縦隊第十歩兵団中尉ダイアン・ウェーバーの命により、小隊員は全員武器を下ろし、模範軍を護送せよ!」
「小官は兵士ですが、この地で生まれたロンディニウム人であります……ここは私の家でもあるのです。」
「シージ、どうか踏み留まってください。我々にはまだ共に乗り越えるべき戦いがあります。」
「我々のものを取り戻すために!」
モーガン
ダイアン・ウェーバー、カスター公爵の命令に背いたあの兵士……ナハツェーラーの王との最後の戦いの中で、彼女は結局急性感染を逃れることはできなかった。
覚えてる? 彼女は、あの時あんたから「諸王の息」を受け取ってナハツェーラーに突っ込んでいったあの兵士なんだよ。
ヴィーナ
――!
モーガン
彼女はもうあまり長くないよ。
都市内の鉱石病抑制剤が不足してるせいで、彼女はずっと病気の進行を遅らせるだけの十分な薬がもらえなくってさ。彼女の体の状況を検査したけど、もう……
次第に握り締められていくヴィーナの手によって王冠がかすかに金属音を立てる。それは脆そうに見えたが、とても粘りが強かった。
モーガン
間違いなく吾輩たちの家を、ヴィクトリアを愛してるんだよ。
だからこそ公爵の部隊に率先して入り、また率先して公爵の命令に背いたことで退役を余儀なくされた。
彼女はあんたをとても信じてるんだよ。彼女の考えには全く同意できない部分もあるけどさ。ヴィーナ、あのさ……