過去の灯りを消して

パスクアラ
んん……むぐぐ!
エリジウム
っ――!
ルス
さて、ここまで来たからにはもう悪あがきはやめるんだな。
お前らを裁判所に引き渡すこと、悪く思わないでくれよ。そもそも俺たちは仲間でもなんでもねえんだ。行く先なんぞそれぞれ違って当たり前さ。
静かにするって約束すんなら、その口塞いでる布を取ってやってもいいぞ。
パスクアラ
(ためらいながらうなずく)
約束するよ……
ルス
わかりゃいいんだ。
パスクアラ
でもさあ、ルスさん。あたしらとコンパスを裁判所に渡したって、上手く行くとは限らないとは思わない?
エリジウム
そうだよ……
君らの兄弟分の遺体は、今も街の外の旗竿に吊るされて腐るままにさせられているっていうのに、裁判所が君たちにも同じことをしないだなんて本気で信じてるのかい……?
ルス
……
ハビエル
ない……ここにはないのか。
クソッ……あのコンパスはどこにある? たしかあの坊主は、錬金術を終えたら毎晩ここに置いていたはず……
フアナ
探し物はこれかしら? ハビー。
ハビエル
……
こんな時に戻ってくるべきじゃなかったな、フアナさん。
フアナ
私としては、完璧なタイミングだったと思うんだけど。
ハビエル
俺には……ほかに選択肢がなかったんだよ。
フアナ
包丁を置きなさい、ハビー。あなたに剣術を教えたのは私なのよ。私に勝つことなんてできないわ。
ハビエル
試してみてもいいだろうさ。あんたは怪我をしてるんだから、案外何とかなるかもしれない。
フアナ
……
わからないわ。一体どんな不満があったせいで、こんなことになってしまったのか。
私たちが剣を向け合うなんて……
ハビエル
あんたに不満を感じたことは一度もないよ。俺はあんたの決めたことなら全部支持するし、あんたの考えには全部賛同する気でいる。
俺の母親が去っていった時、あんたは俺の手を握り、これからは自分が家族になろうと言ってくれた。
あれ以来、あんたに不満なんて抱いたことはない。
フアナ
それならどうして?
ハビエル
あんたのためだよ、フアナさん……
フアナ
嘘おっしゃい。あなたは私の前に立ちはだかっているじゃない。
私のためと言いながら、私と剣を交えようとするのはなぜなのか、ちゃんと答えなさい!
ハビエル
俺の知るフアナさんは、私利私欲のために船団を危険にさらすような真似はしなかった。あの人は、誰より勇敢で賢明なキャプテンだから、俺たちも安心してついていけたんだ。
あんたは、俺の知ってるフアナさんじゃない。今のあんたは……
フアナ
言ってみなさい!
ハビエル
かつての情熱を追い求めるあまり、目の前にある現実の生活を無視している哀れな人だ。
それはあんたの身勝手な希望的観測でしかない。船団内にはもうそんなことを信じてる奴はいないんだ。俺たちの親世代が死んでいった今、彼らの語った物語も諸共に消えるべきなんだよ。
だから、コンパスを渡してくれ。
フアナ
だったら、遠慮なくかかって来なさい。手に入れられるかどうか、試してみるといいわ。
ハビエル
フアナさん……まだわからないのか?
コンパスを裁判所に差し出すのは俺の一存じゃないんだ。
フアナ
反乱……こんなものが待っているとはね。
とんだサプライズだわ。
ハビエル
俺はコンパスが欲しいだけだし、こいつらも平穏な未来を望んでいるだけなんだ。
みんなのために、言う通りにしてくれ。そうすれば、あんたは俺たちのキャプテンであり続ける。これまでと何も変わらずに。
フアナ
何も変わらずに、なんて本気でそう思ってるの?
自分を欺くのもいい加減にしなさい。少なくとも、私からあなたに対する信頼は、決して元通りにはならないわ。
ハビエル
……
あんたの言う通りだ。
ためらう船員
キャプテン、どうかこいつらを責めないでやってください。皆どうしても、海に行くのは良い考えだと思えないんですよ。
俺たちはただ、塩海を離れて平穏に暮らしたいだけなんです。
フアナ
この場で武器を下ろし、自分のテントに戻りさえするのなら、何も起きなかったことにしてあげると約束しましょう。
ハビエル
野郎ども、かかれ。
誰だって、自分を欺き続けることはできないんだ。
イシドロ
……すまない、遅くなった。
ルス
うっ――! 放せ!
パスクアラ
このクソッタレ! このあたしを縛っておいて、解放してくれなんてよく言えるよね!
ためらう船員
は、ハビエル……この反乱のこと、誰にもバレないはずじゃなかったのか?
ハビエル
……クソッ!
イシドロ
帰る途中、塩海で「迷子」になっていたルスに会ったものでな。ついでに連れ帰ってきたんだ。
ハビエル
……
ためらう船員
おい、一体どういうことだ?
エリジウム
こほん! 強硬手段に出るのはやめておいたほうがいいよ。君のお友達は僕らが預かってるからね!
ためらう船員
黙ってろ、部外者が口を挟むな!
ハビエル
お前らはどうしたい?
怒る船員
そりゃもちろん、町に乗り込んで全部焼き払って、あたしらのもんを取り戻したいに決まってんでしょ!
裁判所にひざまずいて許しを請おうとかいうクソみたいな計画のために、雁首揃えて姐さんに逆らおうだなんて! あんたらどんだけ腰抜けなの!?
ティーチ
あの連中には、あんだけたくさんの仲間を殺されて、物資も山ほど奪われたばっかりだってのに。あんたはなんだって、そんなに急いで皆を連れて降伏しに行こうとしてるんだい?
フアナさんはあんたにそんなこと教えちゃいないだろう。
ハビエル
今の俺たちは、食料すら持たない負傷兵の寄せ集めなんだぞ。乗り込んだところで無駄死にするだけだ。
ためらう船員
そもそも、このクソガキがコンパスを持ってこなければ、裁判所のペテン師どもが追いかけてくることだってなかっただろ。
パスクアラ
うぅ、フアナさ~ん……
フアナ
……
怒る船員
だったらこの娘を放り出しゃいい話じゃない、なんで奴らに投降する必要があるの?
パスクアラ
ティーチさ~ん……
ティーチ
そんな真似したって、何の解決にも……
ためらう船員
確かに、どうしてまだこいつを置いといてやってるんだ?
パスクアラ
……!!
みんな、あたしの話を聞いてほしいんだけど……
ハビエル
お前に口を出す資格はない!
パスクアラ
うっ……
海賊たちの剣を一斉に向けられて、パスクアラは冷や汗が流れるのを感じた。
彼女はつばを飲み込むと、手のひらの汗をズボンで拭う。
彼女にはわかっていた。欲しいものは自分で戦って掴み取るしかないのだということが。
エリジウム
ちょっと、相手はただの子供だよ? 何やってるの!
パスクアラ
赤髪、あんた――
エリジウム
部屋いっぱいに大人がいるのに、子供を差し出すなんてお粗末な解決策しか思いつかないわけ?
パスクアラ
もういいって、大丈夫だから!
エリジウム
君を守るために言ってるんだけど!
パスクアラ
わかってるよ、でも自分の話は自分でする!
みんながあたしを突き出したいっていうなら、それ自体には反対しないよ、本当に!
あんたたちがあたしを殴りたがってるのは知ってるし、これまであたしが粗悪品でみんなを騙そうとしてたことも知られてるよね。
暴力と嘘は、あたしたちが生きる上での手段なんだ……だって、みんなこれ以外に活路を見いだせてないんだから。
でもさ……あの町の状況はみんな知っての通りでしょ。あたしとコンパスを差し出したところで、本当に生活が改善されると思う?
まあ確かに、そうしなければ裁判所のペテン師どもはずっとあたしたちを追いかけてくるよね。そうなれば結局はいい結果にはならない、でしょ?
怒る船員
このガキ、何が言いたいの? それじゃどっちも上手くいかないってことじゃない! 結局どうすりゃいいっての?
パスクアラ
もう一週間待ってほしいの。
それだけ時間をもらえたら、コンパスの修理も結果が出るから!
イシドロ
……
そうだな。もう少し時間がほしい。
パスクアラ
彼がコンパスを直せたら、その導きに従って海へ向かうことができるよね。そうなれば、あの悪党どもはあたしたちを見つけ出すことなんてできない!
仮に失敗したとしても、そこであたしを差し出したってまだ間に合うでしょ!
エリジウム
君たちがここにいる以上、僕らも逃げ出すことはできないし、あと一週間待つくらいどうってことないよね?
パスクアラ
イベリアじゃ、不毛の土地から抜け出したところで、また別の不毛の土地に着くだけでしょ。
かといってイベリアの外に出たら、お金のない奴は自分の命すら雇い主のものにされちゃうんだよ!
フアナさんが、みんなをわざわざ海まで連れて行って死なせたいなんて思ってるはずないじゃん……そんなの何のメリットもないんだから。
あの人がどんなに賢い人かなんて、みんなわかってるでしょ? やろうと思えば、あんたらの誰よりも良い思いをできるはずの人なんだよ。
本当なら、あんたら全員の雇い主になって、金を与える代わりに命を握ることだってできるはずなのに……あの人はそんなことしてない。
それは、みんなに自由に生きてほしいと思ってるからなんだ。
コンパスさえあれば、みんなも親父さんたちみたいに大儲けできるはずなんだよ? 海を見たことないくせに海賊なんて名乗っておいて、自分らが何者なのか忘れてんじゃないよ!
言い終えたところで、パスクアラは心臓が飛び出しそうなほど高鳴るのを感じた。今や服も冷や汗でびっしょりと濡れている。
部屋は静寂に陥っていた。彼女は気まずそうな笑みを無理に浮かべると、後ろにいるフアナとティーチ、イシドロ、そしてエリジウムに目を向ける。すると四人は肯定の視線を返した。
ハビエル
……
怒る船員
……
パスクアラ
ど……どうかな、理にはかなってるんじゃない……?
ためらう船員
一週間なら、異存はない。俺たちも交代でお前らを見張ればいいわけだしな。
怒る船員
こっちも異論はないよ。
フアナ
ほかのみんなは?
ハビエル
俺は反対だ。
船員たち
……
ハビエル
俺は反対だと言ってるんだ!
こんな言葉で納得する気か? 十代そこらの小娘が命惜しさについた嘘だぞ! こいつがコンパスだの航海だのの何を知ってると思うんだ?
俺が保証してやる。コンパスさえ裁判所に差し出せば、俺たちは――
ためらう船員
それは……
すまん、ハビエル……
一人の船員が武器を下ろすと、それにつられてもう一人が武器を下ろし、そうして人々は次々と船長室から出て行った。
そうして最後に、ハビエルとフアナが向かい合う。
フアナ
あなたとルスに任務を与えましょう。それを終えるまで、船団には帰ってきてはならないわ。いいわね、ハビエル。
ハビエル
……
フアナ
それじゃ、荷物をまとめて。夜には出発してちょうだい。
ルス
(小声)ハビエル、行くぞ……
一週間後
エリジウム
それで、成果のほどは?
パスクアラ
もうすぐタイムリミットだよ……
イシドロ
……
仮にだが、俺たちが失敗したら……
パスクアラ
そんなの許されるわけないでしょ!
フアナさんはあんたを支えるために全力を尽くしてるんだよ! そのためにやってくれたことを考えてもみなよ……
あの人は、ハビエルとルスを追い出したんだ。一番頼りになる部下だったのに……
しかも、あの人は……命まで差し出したんでしょ。大事な人の……
イシドロ
……
エリジウム
ほら、もうよそう、パスクアラ。
どうすべきかくらい、ソーンズはわかってるからさ……
焦る船員
はぁ……
冷淡な船員
ため息なんかつくなっての。
焦る船員
だってお前、今日で結果が出るんだぞ。よく落ち着いてられるな。
冷淡な船員
焦ってもどうにもならないだろ? それよか、未来のことでも考えようぜ。あのコンパスが直ったら、この先どんな毎日が待ってるだろう、ってさ。
焦る船員
そりゃあそのつもりだけど。でも、もし失敗したら……俺たち、どうすればいいんだ?
エリジウム
参ったなあ、船員たちが外を塞いじゃってるよ。
パスクアラ
理由はわかんないけど……なんだかすっごく嫌な予感。
エリジウム
こんな時に縁起でもないこと言わないでよ。
はぁ、とはいえ……
最後の数日、あいつは僕たちの手伝いも拒んで、一人で閉じこもって実験をしてたよね……
今日だって関わらせようとしなかったし。実験は複雑で精密な操作を要するから、邪魔をされたくないとか言ってさ。
だけど、あいつの人柄を思うに……他人を巻き込みたくないからああしてるんだろうね。
パスクアラ
それって……
エリジウム
多分、あいつは失敗した時の覚悟ができてるんだよ。
パスクアラ
でも、修理は終わってないんだし、まだわからないでしょ?
エリジウム
ソーンズはそういう奴なのさ。何をするにも、まず最悪の結果を想定して、事前に準備をしてるんだ。
焦る船員
なんだ!?
一瞬のうちに、成型台に幾重にも作られたアーツの力場がすべて崩壊して、先ほどまで金属光沢で輝いていた物質が黒こげの泥と化した。
間一髪、イシドロが素早く探針をしまい込んだため、道具こそ壊れずに済んだが、今まで組み立てていたコンパスの部品はすべて壊れてしまっていた。
彼はその黒い泥を手に取って、失敗の原因を分析しようとした。
だが、それは黒い泥以上の何ものでもなく、彼がそこに組み込んでいた構想は――緻密であると思っていた構想の数々は、跡形もなく消えてしまった。
イシドロ
間に合わなかった……
なぜ俺は、この短時間でこれを再現できるなどと思いあがっていたんだ?
先生は明言していた……最高の技術を持つ錬金術師であっても、心相原質を精製するには十年以上を要すると……
錆びついた心相原質は、彼の無能さをあざ笑うかのように、今なおポケットの中に静かに収まっている。
フアナ
何があったの……?
壊れた部品が床一面に広がり、落胆した様子の青年がそこに座り込んでいるのを見れば、その答えは明らかだった。
イシドロ
本当にすまなかった……俺は失敗した。
……
フアナ
いいのよ、イシドロ。これは私が選んだことだもの。
私が全責任を負うわ。
ルス
そんなの危険すぎるだろ。
ハビエル
あんたも聞いただろう。あの坊主はしくじった。コンパスは壊れちまったんだ。
ルス
だったらなおさら行くべきじゃない。
裁判所が提示した条件は、コンパスとソルトシップの設計図を渡すことだろう。お前はどっちも持ってねえってのに、どう交渉するつもりなんだ?
ハビエル
それを直接俺たちが持って行ってやる必要はない。
奴らに取りに行かせればいいんだ。
シルバー
君は話が通じそうだな。
ハビエル
俺が交渉役として送り込んだ奴が野蛮すぎたと言いたいなら、はっきりそう言えばいい。
シルバー
そうではない。協力の基盤を築くのは信頼であることをわかってほしいということだ。
ハビエル
信頼してもらって構わない。そうでなきゃ、直接あんたに会いに来るはずがないだろう。
シルバー
だが、君は何も持たずして会いに来ておいて、こちらから塩海に足を踏み入れ、君の約束した交渉材料を取りに来いというのか?
そこに武装した盗賊が待ち受けていないとは言い切れないだろう?
ハビエル
それを言うなら、あんたがコンパスと設計図のみならずソルトシップを操る船員をこき使う権利も手に入れられるように、海賊の拠点の位置を明かしてやってる可能性もあるんじゃないか?
ルス
違うだろ、ハビエル。俺らがこんな真似をしてるのは、仲間が平穏に暮らせるような活路を見つけるためであって、あいつらを裁判所の囚人なんぞにするためじゃない。
ハビエル
それでも、コンパスのないフアナについて行かせて、全員海で死なせるよりはマシだろ。
それに、あんたにも俺にもわかるような道理であれば、仲間連中も理解してくれるはずだ。裁判所の奴らが着けば、あいつらも協力するだろう。
ルス
……じゃあ、フアナのことは?
ハビエル
追加の交渉材料を用意したからには、こっちも追加で条件がある。
フアナを見逃してほしいんだ。
アナスタシオ
……では、貴方自身が案内をしてください。
シルバー
執行官殿、お待ちを。交渉はまだ終わっていません。
アナスタシオ
それは私とは無関係な話です。
シルバー
……何をお考えなのですか?
あの男が誠実な交渉などをするはずがありません。彼の言う拠点というのは間違いなく罠です。
もう一度申し上げますが、我々の有する人員と資源では、大規模包囲など築けません。
アナスタシオ
ですが、私の部下は皆万全の状態ですよ。貴方の部下についても……戦いに出られるようにしてみせましょう。
シルバー
あなたの能力を疑うつもりはありませんが、仮にあの盗賊たちを討伐できるのだとしても、我々はこれ以上死傷者が出ることなど受け入れられません。
そんなことになれば、たとえ設計図が手に入っても、船を造れる人手など残りはしないでしょう。アーロンは今後も、この塩海に閉じ込められ続けることになるのです……
アナスタシオ
貴方の交渉も取引も、私には無関係のことです。盗賊の拠点がどこにあるかわかったからには、行動せねばなりません。
悪事を働くため作られた盗賊どもの船などは、設計図ごと焼き払ってやりましょう。
そしてあの賊どもは……私が排除してみせます。
シルバー
あなたにそんな権限はない! あなたがこき使っている修道士は、アーロンで生まれ育ち、私と苦楽を共にしてきた人々なのだぞ……
アナスタシオ
ですが、貴方は彼らのことをまるで理解していない……それどころか、貴方は彼らを裏切ったのです。
それでもまだ、彼らに言うことを聞かせようというのですか?