巡礼
鐘の音が聞こえる。
途切れることなく都市全体に響き渡る清らかで穏やかな鐘の音は、迷い人たちに進むべき先を指し示している。
かつて聖徒たちは苦行の果てに石の塔を建て、鐘の音で悪魔を追い払い、その後ラテラーノの都を打ち建てたという。純白の壁は風雨に晒されど倒れず、鐘はその後数千年の間沈黙を保ち続けていた。
しかし近年、その鐘は混血のサンクタの少女が歌う声に答えた。そして、それからわずか二年余りがたった今、再び鳴り響いたのである。
アンドアイン
くっ……
怯える子供
せ、先生……
怖がる子供
痛い……?
???
動かないで。やっと包帯を巻き終えたところなの。
アンドアイン
パティア?
パティア
あたしたちが育児聖堂に着いた時には、あんたはもう大ケガを負っててね。あんたと、あんたを探してたこの子たちを連れ出すことしかできなかったのよ。
アンドアイン
泣かないでくれ、ジゼル、ロミア……全部悪い夢だったんだ。私たちはもうその夢から目覚めたんだよ。
パティア
夢ですって? だったら、夢の中で受けた傷が現実に残るなんてありえないでしょ。
アンドアイン
……他のみんなはどこにいる?
パティア
近くで警戒に当たってるわ……あんた、ようやく記憶が戻ったみたいね。「先導者様」って呼びかけてくるみんなの声が聞きたい?
アンドアイン
すまなかった、パティア。
君たちはずっと、再び道に迷った私を呼び戻そうとしてくれていたのに。
パティア
で、どうして求道者を捨てたの?
アンブロシウス修道院を離れた後、荒野で少し羽を休めたら、予定通りならすぐにイベリアの国境を越えて、あなたのよく知る土地に戻るはずだったわよね。
あたしたちは裁判所の人間にまで話をつけていたのよ。なのにあんたは突然行方をくらまして……
アンドアイン
私にとってすれば、夢はあの時から始まっていたんだ。
パティア
どういうこと?
アンドアイン
それはただの、ふいに浮かんできた思い付きでしかなかった。
けれどそれが私を振り返らせ、わき目もふらずにラテラーノへと戻らせたんだ。
パティア
つまり――あんたはあの目の不自由な奴に会ったから、ラテラーノへ子供を連れ帰るために戻ったんじゃなくて……何かに惑わされてたってこと?
*ラテラーノスラング*、そんなのイカれたペテン師のセリフみたいに聞こえるけど。
アンドアイン
……
理解しがたいのはわかっているよ。私自身、理解が及んではいないから……
パティア
まあいいわ。どうせ理解できないことばっかりだし。
あんたもそうだけど、あの聖堂もそう! みんなの頭に光輪をつけさせて、自分の感情も制御できないような化け物に変えようとしてたんだから!
まあいいわ。いずれにせよ、自力で現実に戻ってきたわけだし。あんたがあれだけの騒ぎを起こして、降誕の儀式をぶち壊してなかったら、今頃はまだラテラーノ中が夢を見てたことでしょうね。
???
夢と現実の境界は最初から曖昧なものでした。ゆえに、彼が夢の中で行ったことについても、現実と同等の評価を下すべきです。
フェデリコ
私は公証人役場の執行人、フェデリコです。アンドアイン・アガタンゲロス、あなたの記録は確認させていただきました。
パティア
アガ……なんて? アンドアイン、あんたの苗字ってそんなだったの?
アンドアイン
……
フェデリコ
あなたは第一回万国サミットに際して混乱を引き起こし、その後教皇庁によって追放されています。しかし今、無断でラテラーノへ帰還し、さらには降誕の儀式なるものに関与していました。
現在のラテラーノ内の混乱に関して、あなたには一定の責任があります。よって、第一、第五、第六、第七庁による合同調査を受けていただきます。
アンドアイン
……
パティア
見てわからないわけ? こいつは大ケガを負ってるのよ。
それに、今は彼を捕まえるより大事なことがあるでしょ!
アウレラ
執行人、助けは必要か? 私たちを入国させてくれるなら、荒事を手伝ってやるぞ。
パティア
あんたたちは……
ヌエダ
あ、あれは——
アウレラ
ヌエダ、どうした?
ヌエダ
あれを見て!
彼女には、自分の身体が移動していることはわかっても、目を開けることはできなかった。
何かが背中を支えている。それはざらざらとした感触だが、反面、意識は身体の痛みすらも感じられないほどの限りない柔らかさの中へと沈んでいく……
彼女の思考は、信仰という広大な海の中へと溶け込んでいた。
エクシアは思わず目を開いた。
「総主教」
目を覚ましたのですね、我が子よ。
あなたは深手を負っていますから、私がそばにいなければ……転化プログラムの実行中に意識を保てはしません。プログラムの中断を引き起こしたのはあなたですが——あなたを見捨てはしませんよ。
我らもかつては、互いに支え合い、荒れ狂う天災を乗り越えてきたのですから。
エクシア
「転化プログラム」……?
それって、あの夢のこと?
もう抜け出したはずなのに……どうして、キミの頭にはまだ――げほっ、光輪が……ついてるの? キミって何者……? とんでもない化け物だね……
「総主教」
サンクタには光輪があって当然でしょう。
一族は、その出自を忘れ、新たな人生を送るために、自らをサンクタと名乗りました。幸いにして、数千年もの長い時を経て、あなたたちの姿や習慣は大きく変わっていますが。
あるいは、私のことは、書物の記述に従い――「聖徒」と呼んでもらっても構いませんよ。
エクシア
……
「聖徒」
無論、私の魂と肉体は、とうにラテラーノの白き壁の下に広がる土と一つになっていますけれど……
今あなたが目にしているのは、主の広大なプログラムにおけるほんの一部のコード。数多の記憶を乗せた亡霊に過ぎません。
主からすれば、サンクタの長き道は「聖徒」から始まったもの。なれば「聖徒」こそがそれを継続し、あなたたちを導いて災厄を乗り越えさせ、未来へと辿り着かせるべきなのです。
エクシア
ッ……よくわかんないんだけど。
あたしをどこへ連れていく気?
「聖徒」
我が子よ、あなただけではなく……すべてのラテラーノ人を連れていくつもりですよ。
エクシアはどうにか振り向いた。すると――
彼女を手にした「聖徒」を名乗る怪物の周りには——サンクタや、光輪を浮かべたリーベリ、フェリーン……果てには見たことのない様々な生き物までが並んでおり……
その壮大な隊列は、遥か彼方まで果てしなく続いていた。
エクシアはその時、彼らが生ける屍などではなく、共感能力を失ってもおらず……それどころか、その共感能力がかつてないほどに強くなっているのを感じ取った。
数えきれないほどの個が持つ信仰が凝縮された広大な海が「聖徒」に付き従い、明確な目的地を持って進んでいく。
『聖徒行記』の中にさえ、これほど奇妙で壮大な光景は記録されていない。
「聖徒」
これまで数千年の間、主は自身が選んだ個体に啓示を伝え、疑問を持たせ、聖典を解釈させ、推論させ、ラテラーノ人に悟りの中で進むべき方向を見つけさせてきた。
しかし今回は、それではあまりに遅すぎたのです。
主はかつてない焦燥を見せています。万物を統べるものが目覚め、脅威が目前に迫る今――主は本来の使命を果たさねばならないのです。
……ですが、定められた未来には、サンクタの居場所は存在しません。
主に成し得るのは、自らの知覚をすべての個体に直接提示し、自らの知る唯一の解を強行的に現実へと変えて――
より強固な「サンクタ」という集団を、本来あるべきラテラーノの街を作ることだけなのです。
エクシア
ぐっ——聞いてるだけで頭が割れそう……
勘弁してよ。さっきから主がどうとか言ってるけど、一体何のことを主って言ってるの?
「聖徒」
今から我らが会いに行くもののことですよ。主は信仰の礎でありすべての始まりです。
我が子よ。悪夢がどれだけ深くとも、それは残酷な現実には遠く及ばぬものです。
転化プログラムが崩壊した今、主の行動は、恐らく見透かされてしまったでしょう。時間はもはや限られていますが、私と主は……我らはまだ、サンクタの未来を繋ぐことができるかもしれません。
アルトリア
……行進? 集団移住? あるいは巡礼かしら?
新たな「サンクタ」の壮大な隊列が、千年に渡るサンクタの歴史上類を見ない勢いで、聖都の大通りを進んでいく……この光景は、どんな言葉で表せばいいのでしょうね。
アウレラ
——!
フェデリコ
アウレラ、何か気付いたことでも?
アウレラ
街の中、街灯にまで光輪がついてないか? 街路樹にも、キッチンカーにも、告解ロボにも……私が幻覚を見てるのか? それともスコープが曇ってるのか?
フェデリコ
恐らく幻覚ではないでしょう。
育児聖堂は現実に依然存在しています。この奇妙な色彩の投影は、あの場所から生じているのです。
巡礼隊の行進に合わせて、色彩も広がりつつあります。その投影が及んだ場所にのみ、非生命体にも光輪が現れるようです。
……まるで命を持たない「執行人」が、法に代わって至る所で「サンクタ」の定義を書き換えているかのように。
アウレラ
サンクタの純潔性を汚した人間は、誰であれ法によって容赦なく排除されるというのに、アレは街灯やら街路樹やらを最高に純潔なサンクタとして選んだと!?
ハッ……ハハッ! まさか堕天したことを幸運に思う日が来るとはな。
あの隊列の目的が、「サンクタ」ってものの定義を書き換えて、誰にも理解できないような姿に変えることなら、止める気が失せてくるくらいだ。
フェデリコ
……
アウレラ
まあ心配するな、執行人。あの中にはまだ、殺したい奴がいるんでね。手伝うと約束したからには、何があろうと戦うさ。
アルトリア
どうやら彼らは、本当に都市そのものを作り変えようとしているみたいね。
フェデリコ
あの奇妙な色彩の投影を広げることで再構築を図ろうとしているのなら、あの密集した隊列を組んでいてはあまりに非効率的です。
それでも彼らは、夢の崩壊後、真っ先に集うことを選んだ……となれば、あるいは都市を再構築する手段は、色彩を広げることだけではないのでしょう。
あの隊列は、我々の知らない別の手段を秘めているはずです。そしてそのためにこそ、彼らは共通の目的地へと辿り着かねばならないのでしょう。
アンドアイン
大聖堂だ。
私はそこで、教皇イヴァンジェリスタⅪ世と対話したことがある。そしてその時、ある存在を垣間見、ある真実を知ったんだ。
フェデリコ
……
アンドアイン
執行人よ、私を疑う必要は……
フェデリコ
疑ってはおりません。実際に、あなたの書類は教皇聖下によって署名、封印されていましたから。
アンドアイン、私が貴方と共にそこへ向かいましょう。
アウレラ
待て、フェデリコ——
パティア
今は街中が混乱状態なのよ。何が起きてるのかなんて誰にもわからないのに、あんたをどう信じろっていうの?
アウレラ
おい、今私がそれを言おうとしていたんだぞ!
フェデリコ
あなた方が懸念している内容が権限の所在であれば——ここにいるほぼ全員が何らかの法を犯していますので、私には執行人として、臨時の管理措置を執る権限があります。
あるいは、あなた方がこの災厄への恐怖に囚われ、有効的な判断を下し、行動を起こすことができないだけなら……
フェデリコ・ジアロは、歴代教皇以外で初めて聖徒に任じられた人間です。
この肩書に特別な意味があるとは思いませんが、理由が必要だと言うのなら、これ以上相応しいものはないでしょう。
パティア
……
アウレラ
……
アンドアイン
育児聖堂から大聖堂まで行く間に、あの隊列はまずここを通る。
ケファ——あの怪物は、異常に強い共感能力を持っている。啓示の石塔の鐘が鳴ったとて、その影響を断つことはできないだろう。
パティア、君は他の求道者たちと、このはぐれ者たちを連れてここを離れ、反対側に向かってくれ。
パティア
一人で大丈夫なの?
アンドアイン
どうか私を信じてくれ。これが私の歩むべき道なんだ。
パティア
……じゃあ、せめてその服着替えてからにしなさいよ。あんたまさか、そのままずっと血まみれでいるつもりじゃないわよね?
アンドアイン
……どうにも衣服の持ち合わせが少なくてね。元の修道服も、どこにやったかわからないし……
パティア
……はい、これ。
アンドアイン
これは……ずっと君が持っていてくれたのかい?
パティア
大して荷物にならないから持ってただけよ。その……なんとなくだけど、そう簡単に捨てちゃいけない物だと思ったの。とにかく、返したから。
アンドアイン
……
これまでのこと、ありがとう、パティア。
しかし、行動する前に、まずは夢から抜け出したばかりのこの子供たちをどこかに落ち着けてやらなくては……
アルトリア
……
フェデリコ
アルトリア、あなたもアンドアインも、特別監視の対象ですので、私は両名を己の視界の範囲内に留めておかねばなりません。
アルトリア
まだ何も言っていないでしょう、「聖徒」様。
ヌエダ
あ、あの、私に任せていただくことはできませんか?
私はサンクタでも、ラテラーノ人でもありませんが、子供たちのお世話であれば……それなりに得意なほうですから。
フェデリコ
ではそのように。行動を開始しましょう。
エクシア
げほっ……信仰の礎とか、サンクタの未来とか……何それ?
「聖徒」
私の言葉を信じていないのですか?
エクシア
なんで信じなきゃいけないの?
「聖徒」
そうですね、信じる理由はないでしょう。
我らも、「サンクタ」という名を得た時には、一族が長い歳月の果てに、爆発やスイーツと共に生きるようになるなどと言われたとて信じなかったでしょう。
光輪や共感、銃、そして純白の壁……あなたは、法というものがもとよりそこに存在し、サンクタの特異性もまた、初めから変わらぬものだと捉えているのですか?
エクシア
そんなの当然でしょ?
「聖徒」
あなたはそうしたものを愛しているのですね……私もそうです。
信仰は何千、何百もの世代と、何千年もの時、そして無数の人々の足跡を経て形作られてきたものです。本来なら、それが最初の信徒によって再び揺るがされることなど決してあってはなりません。
しかし今、一族はまたも運命の岐路に立たされており——私はこうするよりほかにないのです。
エクシア
……
「聖徒」
我が子よ、我らは嘘をついたことなどありません。ただいくつかの真相を伏せ、残りの部分を意味深長な物語に、聖徒の伝承に変えただけです。
ゆえに、サンクタはこう語るのです。悪魔の到来が万物を朽ち果てさせ、命ある者から日光を奪ったのに対し、サンクタの輝きとは、法がもたらした恩寵であると。
しかしながら、天使とは悪魔から生まれ出でたものです。そして、いわゆる「恩寵」というのは……
単なる偶然の出会いに過ぎません。
「聖徒」
……
その頃、魔王は一族の活路を見出すべく、配下の勇士たちを遣わしました。
その頃、大地を這っていた怪物が「帰るべき故郷が欲しい」と願い「ティカズ」という名を得たことは、まだ新しい出来事でした。
その頃は、炎と雷、嵐と吹雪を操る覇者が、無数の下僕を率いて大地に降臨し、ティカズの貴重な帰るべき場所を奪おうとしていました。
彼らの炎はウェンディゴの頭蓋を溶かし、巻き起こす嵐はアンズーリシックの翼を引き裂くほどのものでした。さらにそれは、ブラッドブルードに吸い尽くされたとて、燃え盛る卵から蘇るのです。
エクシア
うう、何それ、どんな光景……?
くたくたすぎて、想像もつかないよ……
巨大な怪物は傷ついたサンクタを抱えたまま、拙くも確かな足取りで前へと進み続ける。その声色はなおも穏やかで、彼女が総主教であった頃と何も変わらなかった。
彼女はそうして、時も真偽も定かではない物語を語り出した。まるで、旅の途中で足を止めた聖徒が、偶然出会った異郷の人に道を説くように。
だが、彼女が語り掛けているのは自分だけではないということが、エクシアにはわかっていた。
怪物の後ろには、長い隊列が果てしなく続いている。そして今もなお、無数の人々が都市の各地から集まってきて、色が反転した区域を抜け出ては、信仰の海の中に身を投じていた。
「聖徒」
これより、隠されていた真実をあなたに打ち明けるとしましょう。
大聖堂に着く頃には、それは明らかなる過去となり、あらゆる個体の共通認識となっていることでしょう。
その時、「サンクタ」は再定義されるのです。
エクシア
……
「聖徒」
魔王の力ではティカズの劣勢を挽回することはできませんでした。彼の疲れ果てた眼差しは、いくつもの夜を越え、ついに古の銀色の山脈へと注がれるに至りました。
そこで、勇士たちは旅立ちました。地底に眠るまだ見ぬ銀色の山脈を探し出し、魔王から授かった言葉を以てそれを征服して、ティカズの敵を退ける助けとしようとしたのです。
ティカズを真の意味で「故郷を持つ者」とするために。
勇士たちの出立前、魔王は駄獣の血を用いて、彼らの頭上に円を描き、それを彼らが共に背負う使命の象徴としました。
その後、勇士たちは大地を渡り、どこよりも痩せた荒野を越えていきました。そこは、どんなに強い草木も根を張れず、どんなにたくましい獣でも生きられないような場所でした……
それでも勇士たちは、歪んだ四肢と爪で支え合い、どれほど弱った仲間のことも、息を引き取る最期の瞬間まで見捨てはしませんでした……
それこそが、魔王の戒めだったのです——「同胞は互いを相食むるべからず、互いに支え合うべし。」
エクシア
えっ……?
その時、目の前に見たことのない景色が広がり、エクシアは幻覚を見ているのではないかと思った。しかし、周囲の人々もまた、同じような驚愕の表情を浮かべていた。
疑いようもない事実として、「聖徒」を名乗る怪物は、もはや「共感」と呼ぶのも憚られるほどの能力によって、隊列の人々に自らの視界を共有していたのだ。
「聖徒」
そうしてついに、数多の夜を越えて、彼らは裂け目の縁へと辿り着きました……
そこで、彼らは見たのです……
裂け目の中には、この荒れ果てた土地に存在するはずもない生命力が浮かんでいた——
石化した草木や獣の白い身体が土と共に舞い、連なる巨岩に引き付けられるようにして、未知の法則に従って回転し、巨大な円環を形作っていたのだ。
「聖徒」
円環の破片の中には、かすかに光が揺らめいていました。彼らは最初、それを炎だと思いましたが、熱を持たず、触れることすらできない炎などあるはずもないものです……
その時、ティカズの勇士たちは悟りました。自分たちはついに、眠れる銀色の山脈を見つけ出したのだと。
勇士たちはその円環を取り囲み、呼びかけ、なだめ、かと思えば命令し、説得しようと試みました……
ですが、喉が血まみれになり、もはや声すら出せなくなろうとも、その円環は何の反応も示しませんでした。
そうして、荒野の中心で立ち往生を迫られた彼らは、進むことも、戻ることもできなくなりました。それから時は流れ、一人の平凡なティカズが、これ以上苦痛には耐えられないと立ち上がりました。
彼女は、半ば狂気に囚われ痩せ衰えた仲間たちを見て、はたと悟ったのです。銀色の山脈が目覚めるよりも先に、全員が飢えと渇きで死ぬだろうということに。
気付けば彼女は、手にした石槍で瀕死の仲間を刺し貫き、本能のままにその血肉を貪っていました。
エクシア
……
「聖徒」
ティカズはもとより、共食いを厭わぬ種族でした。けれども、まさしく同族食らいを拒んだことで追放されたものこそが、黒い王冠を持ち帰り、最初の魔王となったのです。
ゆえにそれ以来、同胞食らいは一族の中で最も罪深き禁忌となっていましたが……
その時、魔王が自ら選んだ勇士は、躊躇いなく魔王の禁令に背きました。
そうするよりほかに、彼女が生き残るすべはありませんでした。そうして生き延びることが、与えられた使命を果たすためだったのかについては――今は置いておくとしましょう。
どうあれ、その時……
頭上から異音が響いた。
エクシア、のみならず怪物の背後に続く人々全員が思わず顔を上げて、歴史の中のティカズたちと同じように天を仰ぎ、運命の瞬間を迎える——
一瞬のうちに、円環の中央にある巨岩の表面が崩れ、剥がれ落ち、その中から赤く輝く金属が姿を現し始めたのだ。
そして一瞬のうちに、ティカズたち一人一人の漆黒の身体に、まばゆい光輪と翼が咲いた。それはまるで、初めからそこにあったものが、創造主の手で表面の埃を拭われ、姿を現したかのようだった。
「聖徒」
勇士たちには、その奇妙な変化について深く考える余裕などありませんでした。というのは、彼らの疲れ切った身体には、溢れんばかりの生命力が荒波の如く押し寄せてきていたからです……
彼らは歓喜と共に互いに触れ、生まれて間もない子供の如く無邪気に抱擁を交わし合いました。
一方で、まだ血にまみれた石槍を握っていたそのティカズは、空の上からやってきたようなその金属を仰いだまま、長いこと黙り込んでいました……
彼女には、魔王から授かった、銀色の山脈を手懐けるための言葉がいずれも通じなかったにもかかわらず、よりによって自分が同胞を食らった瞬間、それが応えた理由がわかりませんでした。
しかし彼女は、ふと気付きました。あるいは……その金属が応えたのは、魔王の尊厳に満ちた呼びかけの言葉でも、敵を退けてほしいという願いでもなく……
何よりも単純で、純粋な想い……
「生きたい」。
エクシア
あのティカズって、キミ?
銀色の山脈って、今のラテラーノにあるの? だからみんなを、あそこに連れて行こうとしてるってこと?
「聖徒」
わかってくれましたか、我が子よ。
信仰に信仰という名がつくよりも前、寛容と平等、慈悲と歓喜に満ちた楽園の、最初のレンガさえ積み上げられていなかった頃……
それがすべての始まりだったのです。
イヴァンジェリスタⅪ世
——!
またこれか。我々の議論は、再び振り出しに戻ってしまったようだな。
ごほっ、正直に言えば、今すぐ地上に戻ってグアバジュースとアイスクリームでも楽しみたいところだ。あるいはせめて、ソファーでゆっくり眠れたら……
も、もはや唇の感覚もなくなってきた……それに、この膝も限界だ……
……
君が突然エラーを起こし、私が答えを求めてここへやってきてからどれだけの時間が経ったのだろう?
なぜ、君が従来の緊急対応システムをすべて覆し、あまねく人々に強引に情報を直接同期して、ラテラーノ全土を……
劇的な変化に陥れてまで対処しなければならないほどに、あの災厄は加速したのだろうか。
サンクタの身体から聖霊の光が奪われたとして、ラテラーノはまだラテラーノと呼べるのか……?
教皇イヴァンジェリスタⅪ世の名において、第二十七回目のインタラクティブシミュレーションを要求する。
「聖徒」
……
祝福を受けた生き物A
(這いずり叫ぶ)
祝福を受けた生き物B
(低い声で祈る)
エクシア
この怪物たち……
「聖徒」
転化プログラムは強制的に中断されてしまいましたから、サンクタも、その時降誕の儀式を受けていた他種族の人々も、その影響を受けています。
私にできるのは、すべての個体をそばに呼び寄せ、主と会う前にあなた方の精神状態をなるべく安定させて、その心が崩壊しないよう努めることだけです。
あなたが「怪物」と呼ぶ者たちもまた「サンクタ」であり、法の庇護を受ける同胞なのですよ。
降誕を終えたばかりの彼らは、敬虔にして素朴な存在です。彼らなら、この隊列の進路を阻む障害を取り除いてくれることでしょう。
我々はこれより、エクレシエン区の啓示の石塔、ミカエレオン区の公証人役場と大小様々な銃工房、聖マルソー区のサンセット礼拜堂を経て……
最終的には、大聖堂へ到着する予定です。
エクシア
その順番って……
「聖徒」
あなたにも覚えがあるでしょう? これは毎夜、ラテラーノの街中で明かりが灯るのと同じ順番であり、主が我らのために導き出した最も効率的な道順なのですよ。
ですから、今は眠りなさい。
次に目覚めた時には、我らは目的地に辿り着き、種の存続の希望を再び繋いでいることでしょう。
エクシア
っ――
「聖徒」
——
なるほど……あなたは目を覚ました時から、ずっと機を伺っていたのですか?
まだ受け入れようとしないのですね、我が子よ。
よもや我らが残した物語が、後世の者を縛る枷となってしまうとは……
書物に記された聖徒の崇高さと、悪魔の醜悪さにまつわる描写は、人々の心に深く染み付いているのでしょう。あなたが私の姿を目にしただけで、躊躇いなく銃を向けようと決意するほどに。
ですが、構いません。
いずれは、あなたにもわかるでしょう。英雄とは、怪物とは、同胞とは、異種族とは何なのかを……あなたたち全員が知ることになるのです。
エクシア
これが、堕天……? 確かに……あんまりいい気分じゃないね。
そのうち恋しくなるかもしれないけど、今のところはこれがないのも悪くないね! キミたちの感情が伝わってこなくなった分、目が覚めたような感じだよ!
「聖徒」
いいえ、我が子よ。私の、そして一族の出自を知ってなお、私を敵と見なすのならば、目が覚めたとは言えません。
エクシア
いーや、すっきりさっぱり目が覚めたって!
キミはあたしが書物に縛られてるなんて言ってたけど、本の中には昔の聖徒様の言うことなら何でも聞きなさいなんて書いてなかったし!
ねえ、散々そっちの話を聞いてあげたんだから、そろそろあたしたちの考えも聞いてくれない?
Mon3tr
……幸い、イディダのことは説得できた。彼女には、安全な場所に留まるようにと伝えてある。ドクター、エクシアのほうは一人で大丈夫なのか?
あの怪物……どれほど生き物らしく見えようと、あれがプログラムであることは私には一目瞭然だ。
「夢」の崩壊に伴い、彼女と機械の接続が切れたようだ。プログラムである彼女にできることなど、機械との接続を復旧し……「夢」を再起動させることくらいだろう。
先ほど、アイリスの花畑を通った時、その一輪一輪に光輪が現れているのが見えた。こんな話は聞いたことがない。
あの機械とプログラムの目的は、我々が思うより遥かに過激なものだ。有機物も、無機物も、すべてを「サンクタ」という定義の中に取り込もうとしている……
暴走したPRTS以上に狂った行動だ。
私だけでは不可能だな。だが……
……ケルシーか。
あの一件以来、ラテラーノへ来てからもずっと、君は私の前で彼女の名前を出さないようにしてくれていたな。
いずれにせよ、信じてくれてありがとう。出発前、アーミヤはずっと心配していたようで――
まあ、どうあれ今回のことで、私は多くの収穫を得た。
ドクター、あの機械は特殊な性質を持っているんだ。
以前にも接近を試みたのだが、ラテラーノの法が洗練されていくにつれて、その状況を把握すること自体がどんどん難しくなっていった。
それでも、ケルシーはある方法を思いついていた。彼女自身、大胆すぎると思っていたようだが。
最も粗暴な方法だ。彼女は私にそんな真似をさせたがらなかったというほどにな。
だがある意味、私の持つ本質が、常人とは異なる才を私に授けてくれたことは確かだ。
ああ、もちろん我々の創造主が技術交流に積極的だったことにも感謝しなくてはな――とはいえ、これを試すのは初めてなんだが……
ドクター、少し離れていてくれ。
……………………
都市通信柱からポートにリバースアクセスを行います……
特別権限、AMa-10。
臨時アクセス認証――ELCARO-001……ORACLE。
デコード成功。認証完了。
デコード成功。認証完了。
PCSシステムに接続。
間もなくラジエーションリンクの同期演算を開始します……
権限ログを更新中……
Mon3tr
ラテラーノ全体の転化を加速させるには、基底部分の制限を完全に解除して、演算力の限界を幾度も突破しなければならない。
つまりあの機械は、私の前で内部構造を開け放ったも同然だ。ゆえに、私に対する制限にまで気を配る余裕はないだろう――
今、止めようとしているんだが——ダメだ、制御できない!
想像していたような情報の奔流は起こらず、騒がしい演算の音もいつの間にか止んでいた。そうして、あなたとMon3trは同時に異様な感覚に包まれる。
それはどこかの分かれ道で立ち止まっているかのような感覚だ。かつての旧友が――ずっと一緒にいたのか、あるいは偶然出くわしたのか。どうあれ、あなたは彼女の姿を視界に捉えた。
周囲から色彩が徐々に抜け落ちていき、すべてが静止したかのように見えた。ここはこの再会のために設けられた舞台なのだ。
Mon3tr
……
プリースティス
(未知の言語)あなたの努力に感謝するわ、「AMa-10」。
(未知の言語)また会ったわね、ドクター。
(未知の言語)思ったより早く再会できたわね……私の願った通りだわ。