永遠に輝くアルバム

豊川祥子
お母様、少しここで待っていてください!
母
祥子ちゃん、気をつけるのよ。
豊川祥子
大丈夫ですの!?
ヴィグナ
うぅ……大丈夫、大丈夫。ちょっとお尻が痛いけど……
豊川祥子
一瞬アイリスさんの姿も見えたような……
???
む……う……むぐ……!
藁の山の下から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
ヴィグナ
くっ……早くアイリスを助けなきゃ!
豊川祥子
わ、分かりました!
アイリス
……ぷはぁっ! も……もう少しで窒息するところでしたわ!
豊川祥子
子供たちからお話を聞いて、お願いを集める任務でしたわよね。どうしてこちらにいらっしゃるのです……?
ベナ
ふふん、仕事が順調だったの。ここの子たちは意外と素直だったから、早めに終わったってわけ。
ヴィグナ
田舎道を走るのってどんな気持ちなのかなと思ったんだよ。それで運転を代わってもらったんだけど、まさか途中で壊れちゃうなんて……ねぇ、直りそう?
ベナ
この手の乗り物は修理したことあるから、なんとかなるかもしれないわ。ヴィグナ、やってみましょ。
アイリス
はぁ、今日は運がいいのか悪いのか分かりませんわね……
何か起こるのではないかとどこか心配はしていましたけど。
意外と仕事は順調に終わりましたのに、車の故障のような予想外のトラブルで足止めされてしまうなんて。
早く動くようになってほしいですわね……そうすれば今晩にはここを離れられますもの。
豊川祥子
今晩には……
祥子は後ろを振り向いた。
少し遠いところから、母が微笑みながら祥子と同僚たちを見つめている。
母は娘の視線に気付き、軽く首を縦に振った。
アイリス
あの方は……あなたのお母様ですの?
豊川祥子
……ええ。
アイリス
そっくりですわね。特に目元と口元の、穏やかでいて芯のある雰囲気が。
豊川祥子
……そうでしょうか?
アイリス
あら、祥子さんも芯のある方ですのよ。
豊川祥子
ですが、わたくしは……
アイリスさん、あなたは妖精さんですわよね?
アイリス
ええ……それがどうかいたしまして?
豊川祥子
妖精は人の願いを聞いて、それを夢の中でひとときだけの「現実」にしてしまう……そうおっしゃいましたわね?
アイリス
……そうですわ。
豊川祥子
ですが、もし夢の中から出られなくなった人がいたとしたら、どうなさいますの?
アイリス
真の妖精なら、そのような事態を見過ごすはずがありませんわ。
あまり夢の中に長く居すぎると、最後には現実と夢の区別がつかなくなってしまいますの。
豊川祥子
もしそのまま目覚めなかったら……
アイリス
祥子さん、一番の問題は、夢から覚めないことではありませんわ。夢の中の全てを現実だと思い込み、夢から覚めた時に今までの人生が全て幻だったと気付く――それが問題なのです。
夢の中で幸せな生涯を終えた後、再び現実に帰ってくると、何もかもが振り出しに戻っているのです。
若い肉体に、老いた魂。夢の中のものを全て失って、たった一人で孤独に生きていく。
そのような夢は、本当に幸せかしら?
現実で上手くいかなかったからといって、夢に逃げてはいけませんわ。本来出会うべきでなかった人には、きちんと別れを告げなければいけないのです。
祥子はもう一度背後を振り返った。
豊川祥子
……
アイリス
少し話しすぎたかしら……お二人の邪魔をしてしまいましたわね。
豊川祥子
……いえ、そんなことありませんわ。
アイリス
ごめんなさい。昔、とても大切だった方に、同じことを尋ねられましたの。
アイリス
あのとき私がちゃんとした答えを返せなかったせいで、取り返しのつかない事態を招いてしまいました。
以来、どうしてもその件は気にかかってしまいますの……
ベナ
おーい――
車がやっと直ったわよ――
ヴィグナ、アンタは一切運転禁止だから!
ヴィグナ
むぅ……
あんたたち、早く乗ってよ――
アイリス
祥子さん、あなたもご一緒にお帰りになりますの?
豊川祥子
わたくしは……
祥子はもう一度背後の「母」を振り返った。
「母」は何かを待っているように、変わらずそこに立っている。
祥子が約束を切り出すこと、あるいは決断を下すことを待っているのだろうか。
ただそこに立ち、娘に温かい微笑みを向けていた。
豊川祥子
わたくしは……
ヴィグナ
……
大丈夫だよ、祥子。家族水入らずでゆっくりしてて。最近すごく疲れてるみたいだったし、ちょうどいいお休みになると思う。人事部にはあたしから言っておくからね。
豊川祥子
分かりましたわ……ありがとうございます。
豊川祥子
もう一度――
「母」
祥子ちゃん、もうここまでにしましょう?
疲れてるんじゃないかしら、紅茶でも淹れてゆっくり――
豊川祥子
疲れている……のでしょうか?
「母」
ちょっとお話しましょうか。
豊川祥子
……
「母」
さっきの子たちは、祥子ちゃんのお友達?
豊川祥子
ええ、皆さんロドスで知り合った同僚で、仲良くしてもらってますの。
「母」
ロドス……
豊川祥子
製薬会社で、とても大きな陸上艦を所有してますのよ。
豊川祥子
わたくしたちは船で生活と仕事をしながら、この世界の様々な場所に足を運んでいるのです。
「母」
……世界?
豊川祥子
……テラ、ですわ。
「母」
面白い言葉を使うのね。
豊川祥子
……
「母」
そのロドスには、ピアノが弾けるところもあるの?
豊川祥子
ええ。巡航期間はそれほど娯楽がありませんから、楽器を弾いて過ごすオペレーターもたくさんいますわ。
わたくしもたまに宿舎で小さな電子ピアノを弾いてますの。ヴィグナさんなんて、自分のバンドまで組んでいらして――
「母」
祥子ちゃんはバンド、組んでいないの?
豊川祥子
……
組んでいますわ。
「母」
そのヴィグナさんと?
豊川祥子
いえ。別の方々と……
「母」
お母さん気になるわ。祥子ちゃんとバンドを組むって、どんな子たちなのかしら?
豊川祥子
……
ドラムの方は、わたくしと意見がぶつかることも多いですが、とても向上心があって努力を惜しみませんわ。友達と言うより、共に高みを目指す戦友のような方ですわね。
ベースの方は、プロレベルの腕前を持っていますのよ。それに、メンバー全員のスケジュール管理のような裏方の仕事もこなしてくれる、とても仕事のできる方ですわ。
ギターボーカルの方は、わたくしの幼馴染で、とても人気のあるアイドルですわ。それにギターも上手で、素敵な歌詞も書いてくれて……忙しい中でいつもわたくしを支えてくれますの。
もう一人のギターの方も、小さい頃からの友達で……わたくしが家を出て一人になった時、ずっとそばにいてくれましたわ……
「母」
ふふっ、なんだかとても仲が良さそうね。
豊川祥子
いえ、実は喧嘩が絶えなくて、解散したこともありましたのよ。
「母」
まあ、そうなのね。今は仲良くやっているの?
豊川祥子
……
……皆さんとはぐれてしまいましたの。
今、メンバーはわたくしには手の届かない場所にいるんです。
「母」
どれくらい遠くにいるの? ヴィクトリアからウルサスくらい? それとももっと遠くかしら。
豊川祥子
その……探しには行きたいのですが……
「母」
どうして迷ってるの?
豊川祥子
それは……その……
……わたくしが皆さんを探しに行くと、お母様、お父様と離れ離れになってしまうような気がして……それが怖いのです。
もう二度と、お母様と会えないんじゃないかって――
「母」
もう、何を言っているの。お母さんはずっとここにいるわ。
豊川祥子
でも、お母様はわたくしを置いていったでしょう!
「マ……マ……」
「清告さん、祥子ちゃんが……祥子ちゃんがママって呼んでるわ……!」
「ママ……ママ……」
「祥子、祥子! パパのことも呼んでくれ!」
「パ……ママ……」
「あちゃあ……」
「祥子ちゃん……まずこっちの音、その後こっち……」
「あっ! これ、お母様のよく弾いてる曲ですわね!」
「ふふっ。祥子ちゃんはピアノが本当に上手ね。」
「お母様、もっといっぱい教えてください! そうすれば、お母様ともっと一緒にいれますもの!」
「……ええ。ずっと一緒にいるわね。」
「瑞穂ちゃん、早すぎるわ……」
「でも、長く持った方だって。」
……
「お母様……」
「祥子。お父さん頑張るから。」
「……どうしてお酒なんか。」
「祥子……お父さん、頑張るから……」
「俺はもう、頑張れない。」
「うるさい!」
「……もうほっといてくれ。」
お母様、分かっていますわ。ずっと分かっています。
わたくしはここに留まってはいけません。ここはわたくしの世界ではありませんから。
美しい夢も永遠には続きません。いつか、お母様の元を離れる時が来てしまいます。
それでも、それでも――
その時が、少しでも遅れて来てくれたらいいなって……
あたたかい体温、はっきりと聞こえる呼吸。
目の前には、優しい母の瞳があった。
「母」
ごめんね、祥子ちゃん。お母さん、あなたに嘘をついてたの。
豊川祥子
えっ……?
「母」
私は本当のお母さんじゃないって、祥子ちゃんはとっくに知ってたのよね。
ごめんね。お母さん、ずっと本当のことを言えなかったの。
さっきの、高校の入学式のお話も咄嗟に嘘をついてしまって……私の中の祥子ちゃんは、中学生の姿で止まっているわ……
今の祥子ちゃんは、楽しそうに笑っているように見えても、どこか辛そうで……
ねえ祥子ちゃん、いつからそんな表情をするようになったの?
私の知らない間に、一体どんなことがあったの?
豊川祥子
そ……それは……
「母」
ごめんね、何も分かってあげられなくて。一番辛い時に、一緒にいてあげられなくて……
祥子ちゃんに会えて、お母さんは本当に、本当に嬉しかったわ。
どうしても、あなたの成長をこの目で見届けたかった。
ステージの前で、あなたのライブも見てみたかった。
新しくできたお友達にも……とっても会いたかったわ。
お母さんは欲張りだから、祥子ちゃんのことを全部知りたいし、祥子の傍にずっといたいの。
だけど私はあなたのお母さんだから、あなたを心から愛しているからこそ……
ここを出て、あなたの本当の人生を見つけてほしい。
行きなさい、祥子ちゃん。
あなたの「世界」に帰りなさい。
豊川祥子
お母様……!
とどめていた感情が堰を切って、祥子は母の胸に顔をうずめ、声を上げて泣き出した。
母は昔と同じように、ただ祥子の背中をそっと撫でながら、静かに優しい言葉をかけていた。
「父」
ん? 祥子、また出かけるのか?
「母」
祥子ちゃんは大事なことをしないといけないのよ。
「父」
帰ってきたばかりじゃないか。もう少しゆっくりしていけばいいのに……
「母」
……清告さん。
「父」
……うん、分かってる。
祥子、お父さんも、お母さんと同じ気持ちだから。
(涙声)ただ……その……ご飯はしっかり食べるんだよ!
豊川祥子
ええ、分かってますわ。
では……行ってまいります。
母&父
うん。
行ってらっしゃい――