神託の顕現
クサントス
(久しく忘れていたな。この身体中に血が駆け巡る感覚を。)
(戦場を離れ、そして故郷を離れてから……)
血を流しすぎたあまりに視界はぼやけ、眼前のすべては曖昧に白くかすんでいく。彼は思わず目を閉じた。
すると、どこからともなく、リラの音色が響いたような気がした。
必死で目を開けば、その場の光景は一変していた。身体が浮いているかのような感覚があり、目の前を通り過ぎていく人々の姿が見える。しかし彼らは、こちらに見向きもしなかった。
それは何かの幻を見ているか、あるいは異空間に入り込みでもしたかのようだった。
捕虜になったミノス人
俺は決してサルゴン人には屈しない! 貴様らがどれだけ尋問を、そして拷問をしようと、俺を痛めつけようと――
遊撃隊の情報を、少しでも引き出せると思うな!
サルゴン衛兵
なるほど。つまり、遊撃隊は実在するということか。
捕虜になったミノス人
……*ミノススラング*!
サルゴン衛兵
どうしてそんなに怒っているんだ? 君たちミノス人は、こうした推測を立て、考えることを好むものだと思っていたんだが。私が読んだ英雄譚には、どれもそう書いてあったからね。
捕虜になったミノス人
馴れ合いでもするつもりか? 俺は何も喋らんぞ!
サルゴン衛兵
……そうじゃなく、ただの世間話だよ。私も、尋問なんかをしたいわけじゃないからね。
ただ、しばらく時間を潰してから外に出ないと、怒られてしまうんだ。それで、仕方なく。
捕虜になったミノス人
……
サルゴン上官
マーシャイェル、お前は何をやっとるんだ! 囚人の尋問もまともにできんのか!?
サルゴン衛兵
おっと、すみません! 今、話を聞いているところです。
サルゴン上官
役立たずめ。何が貴族だ!
囚人の眼前で、衛兵は上官の声に驚いたようにぱっと地面から飛び起きた。その一方、上官はそうして一言怒鳴るためだけに顔を出したようで、そのまま背を向けて去っていく。
このやり取りは二人にとってはいつものことのようだった。恐らくあの上官は日常的に衛兵を罵っては、彼に悪意をぶつけているのだろう。
その衛兵は若く青白い顔をした痩身の、静かに話す男だった。彼はミノスの村人がイメージするようなサルゴン人とは随分と違って見えた。
だが、油断はできない。囚人は自分にそう言い聞かせた。
サルゴン人は卑劣な奴らだ。もしかするとこれは、連中の仕組んだ芝居なのかもしれない。
サルゴン衛兵
とりあえず、尋問らしい体裁だけは整えておくか……
悪いが……何でもいいから、何か話してもらえないか?
捕虜になったミノス人
だったら、休まずお前を罵ってやろうか。
サルゴン衛兵
……それ以外で頼むよ。この息苦しさも不自由さも、しばらくの間忘れられるような、美しいものの話を……ミノスの英雄譚を聞かせてくれないか?
私は古書をいくつか集めているから、君たちの伝説も多少知っているんだが、サルゴンでそうしたものを手に入れるのは難しくてね。
捕虜になったミノス人
……
サルゴン衛兵
その話は……一昨日聞かせてくれただろう。全部覚えているよ。
捕虜になったミノス人
チッ。
サルゴン衛兵
ほかに、新しい話はないかい? なんとか思い出してくれないか!
捕虜になったミノス人
(上官を騙すために尋問してるテイを取ってるだけじゃなかったのか? こいつ、何を真剣に書き留めてるんだ……)
(こんなにミノスの英雄譚を好いてるサルゴン人がいるなんて。頭がおかしいんじゃないのか?)
サルゴン衛兵
まだ百個ほどしか書き留められていないんだ。英雄の故郷たるミノスになら、もっとたくさんの伝説があるんじゃないのか?
捕虜になったミノス人
(挑発してやがるんだな。そう簡単に騙されるか!)
サルゴン衛兵
子供の頃にご老人から聞いた断片的な話でも構わない。完璧でなくていいし、誰もが聞いたことのある話でなくてもいいんだ。
どうか思い出してくれ。サルゴンに生まれた少女でも、ミノスに憧れを抱くような……そんな話があるはずだろう?
捕虜になったミノス人
(*ミノススラング*な野郎め、妙に食い下がりやがる……)
(だったら、作り話でも構いやしないだろう。どのみち*ミノススラング*のサルゴン人にそんな見分けがつくわけがねえんだ。)
わかったよ。それなら、沈黙の英雄シオピの物語を聞かせてやる。
それは間違いなく、囚人の人生において最も奇妙な体験だった。こんなことを話したところで、誰も信じるはずがないと思い、彼はこのことを胸の内に秘めておくことにした。
ここから無事に出られるのなら、それで構わないと思ったのだ。
捕虜になったミノス人
うっとうしい奴め、やっと今日の分が片付いたな……
にしても、まさか俺に作り話の才能があったとはな。いつか外に出られたら、吟遊詩人として食っていけるかもしれん。
あの野郎、うっかり鍵をかけ忘れたのか?
彼にとって、星空を見るのは随分と久しぶりのことだった。外へと逃げ出した途端、囚人はしばらく放心した。
本当に外に出られたのか、再び自由を手に出来たのか、と。
サルゴン上官
このクズめ! あのミノス人の牢に毎日出入りしておきながら、遊撃隊の情報を一つも引き出せなかったというのか!?
サルゴン衛兵
も、申し訳ありません、上官。彼の話すことは毎日違っていまして……念のため記録はしましたが、恐らく事実ではないと思い……
サルゴン上官
貴様は何をやらせてもその調子だな! 無能な奴め!
明日は私が奴を尋問する! お前も同行しろ! サルゴン首長軍のやり方を叩きこんでやる!
サルゴン衛兵
は、はい……かしこまりました。
遠くからかすかに聞こえてくる衛兵と上官の話し声に、囚人は緊張を感じて、草むらをかき分ける足取りを速めた。
しかしその動きがサルゴン人の注意をひいてしまったようだった。
サルゴン上官
なぜ囚人が逃げ出しているんだ!?
マーシャイェル、この役立たずめ! 早く追え! 追いつけなければタダでは済まさんぞ!
あの痩せた衛兵が、身体に不釣り合いな鎧を着たまま走って来る音が聞こえたが、囚人はその音にかえって安心していた。
ここはミノス人の土地だ。この場所で、サルゴン人がたった一人で追いかけてきたところで、自分を捕まえられるはずもないと、彼にはわかっていた。
そうして、サルゴン人の野営地を離れる最後の瞬間、彼はついに振り返った。
遠くでは、あの虚弱な衛兵が地面に倒れこんでいる。恐らくはいずれかの祖先から受け継いだのだろう豪華な鎧は足かせとなり、もがいてもなかなか立ち上がれずにいるようだ。
あるいは……実のところ彼には、無理に立ち上がってまで追ってくる気などなかったのではないだろうか?
彼は本当に、鍵をかけ忘れたのだろうか? ついに訪れた機会に乗じて、意図的に抜け道を残してくれていたのではないだろうか?
囚人にはわからなかった。
ただ一つ確かなのは、このサルゴンの野営地での経験も、あのどこか滑稽なサルゴン人のことも、二度と忘れられそうにないということだけだった。
クサントス
……
(今見たものは……一体……?)
ティティ
あれは……私の父です。
クサントスが驚いて振り返ると、そこには、自分と同じくこの過去の幻を見ていたサルゴン人が立っていた。
彼女もまた驚きの表情を浮かべていたが、そこには懐かしさと悲しみも入り混じっているように見えた。
ティティ
父はミノスを訪れたことがあるのですが、首長軍での失態を理由にサルゴンへ送り返されたんです。本来は重罰を受けるはずでしたけど、マーシャイェル家の残した栄光が父を守ってくれて……
父は普段から……何一つ成し遂げられない人でしたから、徴兵後に失態を犯しても不思議ではないと思っていました。ミノスの経験については口をつぐんでいたので、深く尋ねたことはないですし……
まさか……幼い頃に、父の膝で聞いていたミノスの英雄譚が、こうして生まれたものだったなんて。
クサントス
……彼は俺の知るサルゴン人とはまるで違っていた。
ティティ
ええ。父は昔から、面と向かって侮辱されても言い返しもしないような人でした……あれほど英雄譚を愛しているのに、なぜ本人は少しも英雄らしくないんだろうとずっと不思議に思っていたんです。
でも、こういうことだったんですね……だから父はいつも、沈黙の英雄シオピの話を、三十年の間秘密を守り続けた彼の物語を……
クサントス
彼はあなたの心に種を蒔いたのだ。英雄的精神を芽吹かせる種を。
パーディシャー・ヘリ
君には大いに期待しているぞ、メジェティクティ゠ナストゥ゠マーシャイェルくん。
ティティ
光栄です、パーディシャー。
パーディシャー・ヘリ
特段実績を持たぬ君のような若者を、サルゴン使節団の責任者に据えた理由はわかるかね?
ティティ
無論、深いお考えがあってのことと存じます。
パーディシャー・ヘリ
君は父親よりよほど頭が切れるようだな。
マーシャイェル家は、元は我が領内でも名家と呼べる一族だった。中でもその年長者たちとは、昔はなかなか親しくしていたものだ。
はぁ、そんな家がまさか、君の父の手に渡るとはな。奴は身体も弱く、日頃から遊び歩いてばかりの役立たずだった。見ていて嘆かわしいばかりだったよ!
だからわざわざ、首長軍の中でも楽な役目を与えて、ミノスに派遣したというのに……結果はあのざまだ。危うく軍事裁判沙汰だったぞ。
ともあれ、今回再びミノスに人員を送るとなった時、ふと君のことを思い出したわけだ。
メジェティクティくんならば、父親よりよほど優秀だからな。リラをミノスに届け、もとより我らサルゴンの物である数枚の図面と交換するだけなら、滞りなく果たせるだろう。
再び一族の名声をサルゴン中に轟かせるためにも、しっかり頼んだぞ。
ティティ
はい! 私はミノスの英雄譚を愛しており、幼少期から真の英雄的精神の何たるかを知りたいと思っていました。ミノスとの親善交流であれば、どうぞ私にお任せください!
ティティ
出立前、パーディシャーは表向きの綺麗事ばかりを並べていて、実際のところなぜ私が大使に選ばれたのかはわかりませんでした。
ですが、今にして思えば、何か問題が起きた時に、私であれば容易く処分できるからだったのかもしれません。
あの人が言う「数枚の図面」に、あれほど詳細な記録が含まれているだなんて……私は知りませんでした。
正直なところ、私はマーシャイェル家の再興なんて、少しも気にしていません。
私がミノスを訪れたのは、ずっと好奇心と憧れを抱き続けてきたこの土地を一目見て、ロマン溢れる伝説を追い求めたいと思ったから……
そして、父にまつわる答えを知りたかったからなんだと思います。
父が語った英雄の故郷とは一体どんな場所なのか、英雄的精神とは何なのか……それを理解し、探求したいと思ったからこそ、私はミノスへやって来たんです。
クサントス
……その答えは見つかったのか?
ティティ
はい、そう思います。クサントスさんはどうですか?
クサントス
……俺は……
パラス
クサントス。かつての私も、あなたと同じでした。
クサントス
パラス!? あなたまで……
パラス
私は、同胞が戦友を守るためにサルゴン人に刺し殺される様をこの目で見て、小さな村で負傷兵がやむを得ず四肢を断たれて泣き叫ぶ声をこの耳で聞いてきました。
憎しみは、私にも、あなたにも、あらゆるミノス人の心にも流れていたのです。
クサントス
……今でも……俺の心には……
パラス
わかっています。
ですが、考えたことはありますか? 我々がこれほどお酒を愛する理由を。
もしかすると、ほんのひと時の忘却をもたらしてくれることも、理由の一つなのかもしれません。
我々の心には、痛みをもたらす数多の出来事が渦巻いています。けれども、そのすべてを忘れ去ることは、裏切りと放棄を意味すること。ゆえに、美酒に溺れて束の間の忘却を貪るほかないのです。
ただ、その後……私はミノスを去ることを余儀なくされました。
騎士競技愛好家
やっと見つけた! あなたがパラスさんですよね? 医務室の人から、あなたはよくここでお酒を飲んでるって聞いたもので。
パラス
ええ、私がパラスですが……何かご用ですか?
騎士競技愛好家
あなたはミノスの方なんですよね? それに、ラケダイモンの競技大会に参加したこともあるとか。それなら……血騎士ディカイオポリスをご存知なのでは? もしかすると手合わせをした経験も?
パラス
手合わせしたことはありませんが……名前を聞いたことはありますよ。カジミエーシュで騎士競技に参加していたミノス人の感染者だとか?
ですが、どう言ったものでしょう。ミノスの「競技」はカジミエーシュのそれとは少し違っていまして……
騎士競技愛好家
それでも、力と武術を用いた腕比べという点では変わりありませんよね!
パラス
ええと……うーん……まあ、そうですね……
騎士競技愛好家
やっぱり! 強者には共通の理由があるんですよね! 血騎士があんなに強いのは、きっとミノスで授かった何かがあるからこそだと思うんです!
俺はずっと血騎士に会いたいと思ってたんですが、もう引退してしまったみたいで、結局会うことはできなくて……
でも、こうしてミノスの強者に会えただけでも感激です! サインをいただけませんか? 俺のTシャツでも、どこでもいいので!
パラス
……(黙って書く)
騎士競技愛好家
ありがとうございます! あなたってすごく親切な方ですね!
良かったらお聞きしたいんですが、ミノスの戦士には何か特別な訓練法があったりするんですか?
お酒が好きだと伺いましたが、それも訓練の一環だとか? もしかして、アルコールで血行を促進させて、瞬間的な爆発力を向上させてるんですか?
そういえば、医務室の人から、あなたはどこでも眠れると聞きましたが、きっとそれは体力の節約法なんですよね? 必要な時にだけ全身の機能を一気に引き出すためだとか?
そうか、だから血騎士はすごい爆発力を持っているんですね!
パラス
……あの、それは単なる私個人の話と言いますか……血騎士の訓練法は存じませんが、恐らく違うかと……
騎士競技愛好家
わかってますって、ちょっと想像してみただけですから。だけど、ちょっと興奮しすぎちゃいましたね。失礼になってないといいんですが。
パラス
……大丈夫です。あなたは本当に、ディカイオポリスがお好きなのですね。
騎士競技愛好家
はい! 鉱石病にかかったと知った時は、もう人生に希望なんてないと思いましたけど、血騎士が俺に勇気をくれたんです。
あの人の試合の録画テープは何度も見ました! 俺も身体を鍛えて武術を学んで、いつか感染者の騎士団に入りたいと思ってるんですよ。
そう、彼がカジミエーシュで道を切り開いてくれたからこそ、感染者たちも騎士競技の中に居場所を得ることができたんです! おかげで、耀騎士も返り咲く機会を得られましたしね。
血騎士と耀騎士の世紀の決戦は本当に素晴らしかったです! 最後に二人が一緒に表彰台に立った時なんて……あの日は俺も会場にいたんですけど、その場で泣いちゃいましたよ。
どうして泣いたのかは自分でもよくわからないんですが、未来に少し希望が見えたからかもしれません。
思うに、あの人こそが、あなたたちミノス人の言う英雄なんじゃないですか?
パラス
……彼は感染者ですから、ミノスの考えに照らすなら……
騎士競技愛好家
えっ!? もしかして感染者の英雄には、特別な称号が与えられるとか!?
パラス
……そのようなことはありませんが。とはいえ、彼が英雄であることは確かです。誰にも、その事実は否定できませんよ。
パラス
伝統は永久不変のものではないのですよ、クサントス。
英雄の物語は我々を定義し、形作ってきました。その一方で、英雄が我々の中から生まれ出るからこそ、我々もまた英雄を定義し、その意味を作り変えていくことができるのです。
私は、ミノスを去って初めて、そのことに気が付きました。
クサントス
……
ミノスの村人
おお、我らが勝利の女神のお戻りだ。
今回もまた、ひそかに国境を越えてきたサルゴンの騎兵隊を壊滅させたと聞いてるぞ。
ミノスの少女
村ではそんなふうに呼ばないでって言ったでしょ、恥ずかしいじゃない。
それは本来、パラスさんの称号なんだから……
ミノスの村人
皆を率いて勝利に導けるなら、俺らにとっては勝利の女神さ。パラスさんも、村を離れる時にこう言ってただろ?
「戦場でサルゴン人を威圧するのに使えるのなら、私の大それた称号など、どれだけ利用していただいても構いません」ってな。
俺たちに「勝利の女神」がいる限り、「勝利」がある限り、それはサルゴン人からすれば脅威になる。
ミノスの少女
そうね……去年、パラスさんが近くの村の人たちを率いて、サルゴンの辺境部族と『相互不可侵条約』を結んだ後も、時々サルゴンの不穏分子が攻め込んできてたけど……
私たちが勝てば勝つほど、そうやって攻め込んでくる数もどんどん減っていったもの。これも、「勝利の女神」の称号のおかげよね。
それに、戦ってる時に、もうダメだと思うことがあっても、今は自分がパラスさんの代わりに「勝利の女神」を務めてるって思うと、負けるわけにはいかないって踏ん張ることもできたから。
だからこの名前は、敵を威圧するだけじゃなくて、私たち自身を奮い立たせてくれるものでもあると思うの。
ミノスの村人
その通り。それこそが、「英雄」の名が持つ力なんだ。
パラス
アクロティ村……なんと懐かしい場所なのでしょう。
クサントス
……俺の故郷によく似ているな。
パラス
ミノスの村や町は、どこもよく似ていますよ。この土地が、我々を育んだのですから。
とはいえ、我々が一つの民族として結束しているのは、同じ土地に生きているからというだけのことではありません。それは、同じ英雄譚の元に心を一つにしているからでもあるのです。
オリーブの枝を見た時に、英雄フェイディピデスが如何にしてアテヌスからほかの都市へと駆け抜け、我らがサルゴン人に勝利したという報を伝えたか、それを思い浮かべるのは我々だけなのですよ。
彼がアテヌスのオリーブの枝を手に駆け抜けたからこそ、そのありふれた枝は我らの間で、勝利と希望の象徴となりました。
真に我らのものと呼べるのは、そういうものだと思います。そしてそれは、異邦人にも、侵略者にも、決して奪えぬものなのです。
我々が生きている限り、懸命に生き続ける限り、そうした物語を携えて、伝統を少しずつ変えていくこともできましょう。そうして英雄の伝説を語り継ぎ、ミノスの精神を受け継いでいくのです。
我々がいる場所こそが、ミノスなのですから。
クサントス
……
第一神殿の広場で、アテヌスの民は、サルゴンやほかの都市から訪れた賓客と共に、その奇妙としか言いようのない光景を目にした。
本来その戦闘は痛快であるはずだったが、櫂を持ったミノスの勇士の鮮血が、ケレセイラ像の持つリラの弦へと飛び散った瞬間――
その古きリラが、ざらついた音を立て始めた。その音はさながら、長い沈黙の果てにもう一度動き出し、ぎこちなく歯車を回し始めた機械のようだった。
そうして音が流れるにつれて、舞台上の三人は動きを止め、狂気に陥ったかのようにして、時に怒り、時に悲しみ、時に笑い、時に憂いを見せた。
やがて、この戦いを始めたミノス人が力尽き、己の身体を支えきれずに、彫像の台座の脇へと崩れるように座り込んだところで、舞台上の二人はようやく放心状態を抜け出した。
彼女たちは呆然と周囲を見渡してから、少し遅れて挑戦者の元へ駆け出すと、彼を支えようと手を差し伸べた。しかし、彼が応答する様子はなかった。
劇場を満たしていた喧噪も、叫び声も、声援も、怒号も止み、人々は次第に理解し始めた。今自分たちは、奇跡を目の当たりにしているのだと。
伝説においては、サルゴンの侵略以降二度と鳴らないとされていたリラが、本来あるべき場所へと戻り、人々に告げたのだ。
今ここに古き伝統が受け継がれ、英雄譚の新たな一ページが刻まれることを。
リラの音は悠々と、広場の上空に響き渡り続けている。
その音色の中で、クサントスは顔を上げた。
秋の陽光はあまりに眩しかったが、なぜだか眼前の光景は薄暗い記憶と重なって、イサコスを見送ったあの日へと彼を連れ戻す。
兄貴。遊撃隊は、サルゴン人に勝てると思うか?
俺たちは、百年以上も負け続けてきたけど。
渡し守
(うなずく)
俺は神託を受けてもいなければ、占いができるわけでもなく、お前と共にここを発つことすらもできぬ身だ。
それでも、俺にできることだけは約束しよう。
俺たちの村を、家を、田畑を、花畑を、守ってみせると。お前たちが勝利を得て戻った暁には、二人でお前の故郷であるアテヌスへ向かうこともできるだろう。
俺は渡し守の仕事を続ける。お前が話してくれたあの日から、俺はずっと思い描いてきたからな。日々デルフィ運河の朝日を眺めて船を漕ぎ、神殿へ働きに出るお前を送り届ける、そんな光景を……
……イサコス、聞いているのか?
兄貴……この冬のミノスは、ひどく冷えるな。
渡し守
ああ。だが問題はない。春になれば、今年は常よりずっと暖かくなるだろう。
イサコスに向けて返した言葉を、彼はようやく思いだした。
そして、それを聞いたイサコスが、暖かな笑顔を見せたことも。
愛する者を失った痛みと行き場のない怒りが、彼の記憶を曇らせ、何よりも大切なことを忘れさせてしまっていた。
だが、春が訪れ、戦争が終わり、生活が元の軌道へと戻れば、すべてはきっと良くなるだろう。
大地に残された傷はやがて癒えるものだ。ヘリア山頂の雪は解けて流れて、いつの日か花と葦とを彼らの故郷へ連れ帰るだろう。