別れの夜
p.m.6:30 ウェイの執務室
ケルシー
先ほど申し上げた通りです、ミスター・ウェイ。今から数えて32時間後、チェルノボーグの中枢区画は龍門に衝突します。
その識別コードはいまだ変わりません。つまり、チェルノボーグという移動都市の一部である中枢区画は、現在もウルサス領土の一部ということです。
チェン
その中枢区画を攻撃すれば、ウルサスへの宣戦布告になるということか……?
ウェイ
レユニオンがまさか、そんな手段でウルサスに戦争の口実を与えようとするとは……まるで夢物語だな。
ケルシー
その落ち着きようを見るに、ミスター・ウェイはウルサスを平和主義国家とでも考えているのでしょうか。
ウェイ
ウルサスの繁栄は富、領土と進歩への渇望により実現したものだ。
十数年前のウルサス帝国は、利益があると見積もれば、何の躊躇いもなく戦争を起こしていた。たとえ相手が大地そのものだろうと。
だが今のウルサスが炎国に戦争を仕掛けるだと?
ここ数百年、炎国は一度も戦争をしていない。だがそれは勝利する武力がないからという理由ではない。戦争を糧としている国家からすれば、炎国の繁栄がどこから来るものかは理解しがたいだろう。
大きな戦争が起これば、双方に損害が生じる。無論炎国とて、回復には長い時が必要となるが、元々内政問題を抱えているウルサスにとっては、より深刻なダメージとなるだろう。
ウルサスは最早、かつての巨大な怪物ではない。利益もなく大損害しかもたらさず、しかも敗北の決まった戦争を起こすのは、愚か者か狂人の所業だ。
ケルシー
ミスター・ウェイ。私の知る限り、どの国や都市においてもそのような輩は少なからず見受けられますが。
ウェイ
……問題を起こし得る、あらゆる要因を排除するのが私の責任だ。それはウルサス帝国議会とて同じだろう。
チェン
…………
ウェイ
その帝国議会からの返答が到着次第、我々は各方面に赴いて指揮を執り、チェルノボーグ中枢区画の稼働を止める。
その後のことは外交官たちに任せるとしよう。
我々の仕事は、危機の芽を摘むことだ。
ケルシー
つまり相手のことを信頼する、たとえそれがウルサスであっても、ということですか?
ウェイ
いいや、私が信頼しているのは利益だ。
立て続いた戦争が大きな教訓をもたらした。勝利により大量の資源を獲得しても、徐々に生まれるウルサス内政の腐敗に抵抗する術はなく……
彼らが征服した土地と民衆をうまく統合することもできなかった。反乱による痛みや、互いへの敵視という毒を同時に受け止めきれる国はどこにもない。
今のウルサス帝国は、強大な鎧をまとった死体のようなものだ。
ケルシー
利益が国策に勝る……それがミスター・ウェイ、あなたがウルサスが協定を守ることを信じる理由ですか?
ウェイ
私と帝国議会の議長の間に口頭や書面的な協定は何もないよ。ただどちらもわずかな理性を保っているだけだ。
フミヅキ、議会宛にメッセージを送ってくれ。いち早く双方の……
フミヅキ
(コホン)……
ウェイ
……フミヅキ?
フミヅキ
ここにもう一つメッセージがあります。あなた宛の。流しますね。
フミヅキ
ケルシー先生とアーミヤさん、それからチェン……あなたたちも聞いてあげて。
ウェイ
フミヅキ、いったい——
フミヅキ
最後までちゃんと聞いてくださいね。そうすれば考えを改めるはずです。
ウェイ
時間の無駄だと思うが。
フミヅキ
これ以上、支援者の悲痛な声を無視するなら、私たちは本当に孤立無援になりますよ。
録音
「ウェイ長官。このメッセージをお受け取りになりましたら、直ちに行動を起こしてください。」
ウェイ
これは……私のトランスポーターか。
録音
「ここからの内容はアーツにより暗号化されています。」
重厚な男性声
「ウェイさん、ウルサス第三及び第四軍がボイコットを起こしました。原因は特定できていません。」
「首謀者が誰なのかすら推測不能です。」
「やつらが議会の席で耳打ちしながら、私の無力さを嘲笑っているというのに、私はやつらの責任を追及できる証拠の一片すら掴めていません。」
「もしチェルノボーグで何かが起こるようであれば、どうか全力で阻止してください。さもないと、収拾のつかない事態になる恐れがあります。」
「あなたには、ボヤのうちに火を消す知恵と能力があります。我々の力が及ばない以上、あなたにお願いするほかありません。どうか速やかにご対応を——」
フミヅキ
ここまでが公式な報告です。
ウェイ
……最後まで聞かせてくれ。
フミヅキ
ここからは彼の独り言ですが……
ウェイ
彼は私のトランスポーターだ。聞かせてくれ。
重厚な男性声
「ヴィッテ議長に会えなかった上、連絡係のトランスポーターが、何者かの襲撃を受けて傷を負った。幸い命に別状はなかったが。」
「このトランスポーターはその日のうちにサンクト・グリファーブルクから抜け出した。秘密裏に便宜を図ってくれた人物がいたらしい。ウルサスでは内部勢力が牽制し合っているようだ。」
「私もあれから、道中で何度か襲撃を受けたが、様々な正体不明の人物たちに助けられてきた。」
ウェイ
ヴィッテの勢力か? 彼らを助けたのは……
重厚な男性声
「現在私はウラル地溝に潜伏し、その発信ポイントを使っている。この先何が起こるのか見当もつかない。」
「早く龍門に戻って、地元の茶が飲みたい。」
ウェイ
彼は今どこに?
フミヅキ
行方も生死も不明です。
ケルシー
帝国の議長様はただ傍観しているだけのように聞こえますね。
帝国議会はウルサスの中心にありますが、チェルノボーグの所在地はというと、ウルサスの辺境に当たります。
辺境は今でも、軍と残存旧貴族の勢力圏内にあります。
大反乱の後、軍は再び同じ行動に出る機会を失いましたが、感染者にはそれがありました。
監視下に置かれた全ての旧貴族に、チェルノボーグ事変を計画することは不可能でしたが、感染者には可能でした。
確かに、大多数の訓練されていないレユニオンの感染者程度では、軍事警察や、真相を知らされていないチェルノボーグ治安部隊には対抗できませんが――
天災が発生すれば、それが可能になる確率は上がります。エリアの分断が事前にできていなかったチェルノボーグは、天災を前にしてなす術もありません。
レユニオンは前もって都市に潜入し、武装組織の集結を防ぐ必要がありました。そして軍も彼らの潜入を黙認しました。
龍門の場合は、レユニオンの行動を予測し、近衛局と我々ロドスで彼らの撃退に成功しましたが、チェルノボーグは……
今日に至るまで、チェルノボーグ、あるいはウルサスの公式な声明は……一切出されていません。
答えは明らかです。
チェルノボーグに価値なしと判断したウルサスは、住民の生死を無視し、あっさりとそれをレユニオンに引き渡したのです。
既に鉱石病に感染し、元より生死の間を彷徨い続けている者たちは死など恐れません。彼らは天災に乗じて、すぐにこの都市を占拠しました。
フミヅキ
ウルサスはそもそも手を出す必要がありません。ただ道を譲ればそれで十分でした。
この一連の事件が進行するのを、ただ黙認すれば良かったのです。
アーミヤ
そうだとしても、天災に見舞われたチェルノボーグは、ただ資源の枯渇した、無価値な廃墟なのでは……
フミヅキ
だからこそ、感染者たちは自然と龍門になだれ込むでしょうね。陰でレユニオンを操るのが誰であれ、その真の目的は自ずと明らかです。
ウェイ
…………
命令。直ちに監察官たちを止めるのだ。必要ならば武力行使しても構わない。龍門は戦闘の準備を整え、あの中枢区画を確実に無力化させる。
中枢区画を止めるまでは、決して外部に情報を漏らすな。
アーミヤ
ウェイさん!?
フミヅキ
あなたは、自ら宣戦布告するというのですか?
ウェイ
フミヅキ、龍門で多くの経験を積んできたお前ならわかるだろう。ウルサスに戦争を仕掛けるなど、あの弟が決して許すはずはない。
……だがそうせざるを得ないのだ。我々が優位に立つためならば、この龍門の全てを差し出しても構わん。何が何でも先手を打たねばならないのだ。
ケルシー
戦争を起こせば、宣戦布告した側は必然的に他国から敵対視され、同盟を結ぶことも困難になります。
つまり先に宣戦状態に入った側は、孤立無援の状況に陥る可能性が高い。
アーミヤ
それに……真実がどうであれ、全ては戦争の終わった後にしか検証されません。それが一番の問題です!
ケルシー
国によっては真実はどうでも良く、ただ攻め入る口実が欲しいだけというケースもある……
それでも、適切な外交手段を用いることができれば、平和は実現可能なものだと私は信じます。
ウェイ
ケルシー君、君の助言には感謝する。
しかし、残念なことに、そもそもこの私とヴィッテとの間にあったパイプラインが、平和を維持するための最終防衛線だったのだよ。
敵が帝国第三軍だろうと、ウルサス皇帝だろうと、或いは我々にとって必勝の戦争であろうと、この戦争はいずれ起きる。和平への道はもはやどこにもないのだ。
この一連の行為について、ヴィッテが公式に抗議していないのは、それが彼の立場を危うくすることを意味する。彼は政治家だ、保身に走るのも致し方あるまい。
彼がそこまでの窮地に陥るとは、帝国の官僚機構は既に機能不全の状態にあるのかもしれないな。
ケルシー
二個の軍はウルサスに開戦を強要することはできても、ウルサス領にいない龍門はどうにもできません。こちらは衝突しようとする移動都市への対応さえできれば……
アーミヤ
今から市内の人を避難させるのは間に合いません!
ウェイ
中枢区画を停止させなければ、龍門は衝突により壊滅するだろう。それに伴って発生する領土争いは、さらに甚大な被害を生む。
アーミヤ
でもあの中枢区画を止めるには……
ウェイ
我々が艦砲を発射、あるいは特殊部隊を派遣し中枢区画の機関停止を行うしかない……が、それらを実行した瞬間、龍門はウルサスへ宣戦布告したことになる。
ヴィッテが実行するはずだった事態収拾への施策は、チェルノボーグの中枢部によって完全にシャットアウトされた。
全ての通信チャンネルを閉じ、識別コードの発信以外に何の交流も行わない孤城……この事態をどう解釈するのも勝手ということか。
君の言う通りだ、ケルシー君。行動を起こせるのはこの危機に直面している龍門だけだ。他の誰も助けてなどくれない。
ケルシー
ミスター・ウェイ、どうか考え直してください。もし開戦すれば、深刻な事態を招く結果になります。
ウェイ
戦争は軽々しく扱うべきものではないのは百も承知だが、それでも龍門にとっては、もう一つの結果の方がよほど深刻なのだ。
アーミヤ
…………
ウェイさん。ロドスは……
私が行く。
ウェイ
…………
ケルシー
…………
アーミヤ
えっ……チェンさん?
フミヅキ
チェン?
チェン
私が何とかする。
ウェイ
同じことだ。君は龍門の人間なのだから。
チェン
私が龍門を脱ければいいのだろう。
ウェイ
チェン、自身の負うべき責任を履き違えるな。
チェン
龍門に裏切り者が必要なら、私がなろう。
ウェイ、お前とお前の街——この上っ面だけを綺麗に飾り立てて、中身の腐り切った街にはもう……
うんざりなんだ。
お前がスラムに手を出したあの日から、私はもうこの街の人間ではなくなっていたんだよ。
ウェイ
こんな時に私を糾弾するというのか?
チェン
彼らが何をした? なぜあんな仕打ちを受けなければならなかったんだ?
ウェイ
……「彼らが何をした」か?
チェン、教えてくれ。彼らは何かしたのか?
レユニオンがどこからこの都市に潜入し、どこに潜伏したのか……
君はスラムの住民を信頼しているようだが、彼らは同じように君のことを信頼しているのか? その信頼はどうやって証明できる?
君の諜報員とリンの手下以外で、誰か一人でもいい。スラムの住民から「感染者が自分たちの居住区に侵入している」といった報告を受けたことはあるのか?
チェン
あれは状況の展開が早過ぎたんだ! 報告が上がらなかったのは誰のせいでもない!
ウェイ
ではそれ以外でも構わない。平時に君は、民間人からの情報を何か一つでも受け取ったことはあるのか?
チェン
…………
ウェイ
あるのか? ないのか?
チェン
ない。
ウェイ
一つもない。一人もいない。
君たちのことを信頼する者はいないのだよ。彼らは自分たちの日々の暮らしを守ってくれる鼠王や近衛局の警司なんかよりも、外からやってきた暴徒や感染者の方を信頼することに決めたのだ。
チェン
レユニオンに脅迫された可能性がある。連中が暴力を振るった痕跡があちこちに残っていた。
ウェイ
ならば聞くが、龍門は彼らに暴力を振るったことはあるのか?
彼らが支え合うことを咎めるつもりはない。
身近な感染者を支えるのではなく、敵視をし続けていたとしたら、スラムはとうの昔に崩壊していただろう。
しかし現状はどうだ? 彼らはレユニオンに抵抗することも、鼠王の手下と一緒に侵入を食い止めることも、君らに助けを求めることもできたはずだ。なのに……
チェン
彼らは——
ウェイ
そうだ。彼らは何もしなかったんだ。彼らのために数え切れぬほどの時間と労力を費やした君たちに、彼らが信頼を寄せたことは一度もない。
チェン
近衛局はもっと早くスラムに駐在すべきだったんだ!
ウェイ
近衛局の駐在を拒んだのも彼らだった。立ち入った何人もの局員を殺害したのも、な。
私とリンが手を尽くし、ようやくスラムに巣食う危険な犯罪者や、異国の悪徒を排除した時、犠牲になった戦士たちに祈りのひとつも捧げようとはしなかったのが彼らだ。
彼らを拒んだのは、龍門の方なのか?
どうなんだ? 教えてくれ、チェン。
チェン
…………
ウェイ
私の目を見て、答えてみろ!
チェン
問題の原因は彼らではない。
ウェイ
では誰の問題だと言うんだ?
何度も警告したはずだ。自身の考えと理想を持つこと自体は構わないが、責務を果たす上でそれらに影響されてはならないと。
近衛局に課された責務は龍門の守衛だ。そして特別督察隊の責務は近衛局員を護り、導くことだ。
君が力を尽くして守ろうとしているスラムは、既に龍門の抜け穴と化しており、それが龍門の急所になる可能性がある。
レユニオンに煽動されたスラムの感染者たちが、龍門攻防戦という茶番劇を仕組み、我々の目をチェルノボーグから逸らさせた。
我々がレユニオンに対抗するために練った戦術計画。それによって生じた防衛システムの空白が、真の敵に付け入る隙を与える結果を生んでしまったのだよ。
一方、スラム内の非感染者たちはどうだ? チェン、君の言う通り何もしていない。ただ一つ、見て見ぬふりをする以外はな。スラムの連中は感染者、非感染者の別なく、一様に同罪だ……
もし龍門が陥落すれば、その元凶は彼らに他ならない。
チェン
……違う。
ウェイ
何が違う? これが戦争の発端となり、市井の人々が戦禍に巻かれ血の海に溺れるような状況になれば、その責任は誰がとるべきだ?
これほど多くの災難が連鎖的に起きたのは、たった数エリアがその元凶……それに対し、我々がすぐ対策を打てなかったせいなのだ。
チェン
お前の言う対策というのは――
ウェイ
これは一体誰の問題だ?
チェン
…………
ウェイ
龍門が彼らを拒んだのか? いや違う。
彼らが龍門を拒んだのだ。
チェン
……だから彼らを見捨てろと?
ウェイ
利己的な心から生じる視野狭窄と無関心とが、彼らの身を滅ぼす。これ以上彼らを支える理由は私にはもうない。
チェン。我々は無数の過ちを犯した。
過ちは必ず起きる——起きて当然だ。我々がすべきなのは、それを挽回、あるいは然るべきタイミングまで一時的に凍結することだ。
私には不可能なことでも、それが可能な人間が必ず現れる。しかし今は為すべきことが……私にしか為し得ないことがある。
チェン
過ち? 為すべきこと?
……わかった。さっきからお前の言っていたことは全て理解した。
チェン
街に感染者が存在する、そのこと自体が過ちだ。それを一掃するのがお前の為すべきこと……そういうことなんだろう?
ウェイ
……頑冥不霊も甚だしいな。
チェン警司。これまで君と話したことを私は全て覚えている。今は君の為すべきことをしなさい。
チェン
いいだろう。ふっ……
ウェイ。私の為すべきこと、近衛局の為すべきこと、それは過ちを発見し、それを処理することだ。
さっきのお前の理屈で言えば、過ちは私自身ということになる。
あるいは、私もその過ちの一部である、とも言える。
なぜなら、私は感染者なのだから。
ウェイ
チェン――
フミヅキ
チェン!?
アーミヤ
チェンさん……
チェン
これ以上隠し続ける理由もない。
……この三年間、私が感染者であるということを、お前はずっと隠し通してきた。今、この街から感染者を排除するというのならば、私もその対象だ。
ウェイ
馬鹿なことを……!
チェン
私も「彼女」と同じ感染者だ。ここにいるべきではない。これ以上の過ちを犯すつもりはないし、私にはやるべきことがある——
「彼女」を止められるのは私しかいない。
「悔やむ必要はないさ、全部解っている。俺たちは絆を誓った兄弟だろう? 兄弟は互いを理解するものだ。」
——親友も。
チェン
感染者で、龍門の裏切り者。だからこそ相応しい。
「お前が憎い。あいつらも憎い……愛すべき人であるはずなのに、今はお前たち全てが憎い。」
——家族も。
チェン
こうなった以上、私たち全員、違えた道をそれぞれ前に進み続けるしかない。
「なぜ!? なぜ私なんだ? どうして私でなければならない? この座についた者に安息などあるのか? なぜ……どうして……」
幾人もの大切な人を、この手で傷つけてきた。
ウェイ
認めない。
今、この部屋から一歩でも踏み出せば、チェン……君は龍門の敵と見做され、再びこの地に足を踏み入れることは許されない。
君と私のこの10年間の努力が……全て水の泡になるんだぞ。
チェン
私の努力は……お前があんな真似をした時点で無駄になった。
まもなく龍門の街は火の海となり、戦争が始まるだろう。お前にはお前のやり方があるというなら、私にも自分の流儀がある。
ただお前と違うのは、私は誰かを「過ち」にするような真似は絶対にしない。
ウェイ
私はこの都市を陥落させるわけにはいかないし、君に無謀な特攻を許すつもりもない。
権力も地位も、所詮はただの道具に過ぎない。その道具を利用して土地を治めようとするなら、その土地の望みに従わねばならない。
チェン
ふん。笑わせるな……
ウェイ
自嘲するな、チェン。
チェン
なに……?
ウェイ
故郷を嘲笑うのは、己自身を嘲笑うのと同じだ。
私が君に色々なことを教えたのは、変えて欲しかったからだ。この土地を根本から変えて欲しかったんだ。この繁栄しているだけの、繁栄すること以外に何の取り柄もない土地をね。
チェン
それで何か少しでも変わったか? 本当に変えられると思うか? 私がやってきたことに意味はあったのか?
ウェイ
たとえ今はまだ変わらずとも、これから変わっていくようになる。
君がそうさせるのだ。
受付員
ま、待ちなさい! あなたたち、所属はどこですか?
今は入ってはいけません……警備! 警備員急げ! 執務室に侵入者が!
???
ウェイ殿、時間がない。我らに中枢区画潜入のご許可を。
ウェイ
――下がりなさい。
???
一言、「行け」とご下命を!
ウェイ
下がれと言っている!
チェン
ふっ、ふふ、はははは……
ウェイ、これがお前の正体か。私兵である黒蓑がこうも堂々とお前の執務室に出入りするとはな。
???
チェン警司、今は龍門の危機だ。
チェン
責任感あふれる言葉に聞こえるが……
お前たちの言葉は一つも信じられない。だがこいつに話があるなら好きにしろ。
???
ウェイ殿……我らは顔を変えて軽装で潜入、首謀者を暗殺した後、機関を停止、または進路変更させ衝突を阻止致します。事が成れば自ら命を絶ち、後顧の憂いを——
ウェイ
出ていきなさい!
???
閣下!
チェン
どうしたウェイ? 私かこいつらか、そんなに難しい判断なのか?
命を奪う決断は電光石火のくせに、救うとなると途端に優柔不断になるのか?
今もそうだが——
チェン
あの時もそうだったな。
では私は行く。別れの挨拶などするつもりはなかったが……
まぁいい。さらばだウェイ・イェンウ。
フミヅキさん。母があなたに取った態度を申し訳なく思っている。そして長い間、私に良くしてくれて本当に感謝している。あなたのことをずっと家族だと思っていた。
フミヅキ
……チェン!?
ウェイ
チェン!
チェン
近衛局の警司バッジも、お前に返さなくてはな。
ウェイ
――彼女を捕えろ!
チェン
ここでやるのか? いいだろう。ではどちらが裏切り者の道化役に相応しいか決めようじゃないか。
???
チェン警司、今は敵が目前まで来ているのだ!
チェン
そうだ。感染者の私は、生まれた時からお前たちの敵なのだ。
???
武器を仕舞われよ! さもなくば、手加減致しかねる。
チェン
誰かに手加減などしたことがあるのか?
???
……なに?
チェン
出来もしないことを、声高に吠えるな!
???
ウェイ閣下、ご注意を!
チェン
赤霄(せきしょう)、大気を震わせ!
「なぁイェンウ、これが竜殺しの剣なら、ドラコも獲物の中に入るのか?」
「入る? じゃあ私も気をつけた方がいいな、ハハ……」
ケルシー
あれは……アーツの奔流?
アーミヤ
先生、下がってください! あのアーツは私が食い止めます!
ケルシー
いや……エネルギーでできたシールドなど、あのアーツの前では紙のように引き裂かれるだけだ。
元より彼女の狙いは私たちではない。すぐにあのアーツの攻撃範囲から離れるんだ。
アーミヤ
は、はい!
ケルシー
アーツが広がり始めた。下がれ!
チェン
征けぇっ!!
???
————ぐっ……!
これが竜殺しの剣……あの刹那の間に鞘走るかよ!?
チェン
腕一本で受け止めただと!?
???
鋭いな……君の剣術は以前より遥かに熟練されている。
ケルシー
火で源石を鍛造する……赤霄、か。まだこんな武器が造られていたとは。
アーミヤ
先生、あの剣、もしかして対エネルギー系アーツ用に造られたものですか?
……最初、チェンさんが私にあの剣を見せなかったのも、敵同士になることを想定したから……でしょうか?
チェン
どけ!
???
ウェイ閣下、警司の決意は固いようです。我が実力では次の攻撃を受け止めることは難しいかもしれません。命がけになりますが……
我が命と引き換えなら、警司を龍門に留められましょう。五体満足とは参りませんが、死なせるようなことは……
ウェイ
――よせ。君は下がれ。彼女と直接対峙してはならん。
???
では、他の兄弟たちを呼びましょう。
チェン
援軍? させるか! 赤霄——
ウェイ
やめるんだ!
チェン
くっ……!
ウェイ
フェイゼ、君は雲裂ノ剣を使う気だな?
チェン
…………
ウェイ
忘れたのか? 君に剣術とアーツを教えたのは誰なのかを。
この手で君の剣士としての人生を奪いたくはないが、かと言って情に流されるわけにもいかない。
私に手を出させるな、チェン。
チェン
やってみるがいい、ウェイ。私の手には赤霄がある。
赤霄を私に継がせたあの日、この剣が自分に向けられる日が来ると想像しなかったのか?
だが……ウェイ、こいつでお前を殺しはしない。
ウェイ
…………
チェン
お前はこれまでずっと私を……私たちを守ってきたと思っている。そうだろう?
しかし、実際はどうだ? 母は鬱病で死んだ。タルラは攫われた。そして私は職務で鉱石病に感染した。
お前は、自分のやってきたこと全ては私を守るためだと思っているだろうが、それは罪悪感からか? それとも己の権謀に対する自負の顕れか?
ウェイ
……もうこれ以上、目の前で起こる悲劇を見たくなかったのだ。
チェン
ふざけるな!
チェン
ウェイ……この剣で倒すべき者と、護るべき者がいる。
もしも「彼女」が本当にこの龍門を滅ぼそうというのならば……!
ウェイ
ダメだ……君を行かせはしない。たとえ傷つけることになろうと。
チェン
お前や黒蓑を倒してここを出られるとは思っていない……
だがウェイ、出口はドアだけとは限らないぞ。
???
窓か!?
ウェイ
チェン、馬鹿な真似は止せ。この部屋が地表から何百メートルあると——
チェン
別にこれが初めてじゃない。
ウェイ
——!
チェン・フェイゼ! 「彼女」には会うな!!
フミヅキ
ああ……チェン……!
ウェイ
私たちと同じ過ちを繰り返してはならない!
もしもこれ以上、誰かがこの都市のために死なねばならないというならば、それは——
チェン
はぁ……
伯父さん……
チェン
いや……ウェイ・イェンウ。今、この瞬間から私とお前との間には恩義も恨みも無し、だ。
ガラスの割れる音が響き、チェンはビルから滑り落ちていった。
龍門の主は大声で咆哮し、黒蓑の男は放たれた矢の如く割れた窓に向かって跳び、虚空へと腕を伸ばした。無駄だと知りながら……
自らの決心を、ようやくウェイに叩きつけることができたせいか、落ちてゆくチェンの表情はとても晴れやかだった。