覆う雪のように
アロイジウス
……
いない、もういない。行き場を失い、助けを待つばかりの感染者は道中で見当たらなかった。
「私の決断は正しかった。」
「私の決断は正しかった。」
治療センターへ向かう道すがら、彼女は何度もそう確認した。
でも、これからどうすればいい? どうすればこの状況を長く維持できるの?
ヴィッテ
……わかりました。
アローダ、知っているとは思いますが、近衛軍の制服の胸元にあしらわれた赤色は、鮮血を象徴しているのです。
アロイジウス
……
戦場で無数の敵を屠った一人の兵士が、こぼれ落ちそうな内臓を布切れで押さえつけ、這いつくばって野営地へと戻った。帰還できなかった同胞に代わって、ひとときの勝利を味わうためだけに。
引き裂かれたシャツの布切れは、彼が息を引き取る頃には鮮血に浸され、徐々に硬化していく胴に密着していた……
ヴィッテ
よく覚えていますね。ですからこの件で、あなたが過剰に自責の念を覚える必要などありません。あなたは難事を前に、毅然と決断を下したまで。それ以外の何でもないのです。
アロイジウス
それでも、私が裁判を経ずに独断で彼を処分したのは事実で――
ヴィッテ
特殊な状況においては、軍人が事後報告を前提に権力を行使するのも珍しくないでしょう?
改めて軍事法廷の裁定を待つまでもありません。見る目のある者なら誰であれ、あなたが下した困難な決断を支持するはずです。
アロイジウス
ではこの場合も、プラトンの一族にも影響が及んでしまうのでしょうか?
ヴィッテ
今のあなたの報告には、彼の行動が一族の指示によるものだという内容は全く含まれていなかった、とだけ言っておきましょう。
しかし、だからといって彼らに何の処分も下されないと保証されたわけではありません。
アロイジウス
……どういう意味でしょうか?
ヴィッテ
あなたはまたしても「真相」を見ました。ですが今回も、それを組み上げて背後にある原因を探ることはなかったのでしょう?
ルーニン伯爵はあなたの父親との関係を通じ、小さな工房を持つだけの名誉市民から、わずか数年でサンクト・グリファーブルクの複数エリアに跨る紡績工場を持つ新興貴族へと成り上がりました。
これほど速い栄達だと、誰であれ本人の努力によるものだとは思えません。そして伯爵が頼りにしていた相手がかつての権勢を失い、それ以上の支援を行うことができなくなった時――
彼が反旗を翻して支援者を呑み込むにせよ、共倒れするにせよ、騒動の過程で所有者を変えた資源が、元より何も持たぬ人々のもとに渡ることはありません。
それこそが、今のウルサスが直面している最大の問題です。パンの総量がどれだけ多くとも、全ての民の腹を満たすことができないのです。
全員の腹は……満たせないのです。
アロイジウス
……
ヴィッテ
ですので、あなたが本当に心配すべきなのは、誰かがあなたの行動によって、突如として天上から谷底まで突き落とされることではありません。
もし今も何かを成し遂げたいと望んでいるのであれば、私の言葉の意味をよく考えてください。
アロイジウス
……
これ以上の人々が、ウルサスという巨大な機械を動かす燃料にされる前に、私たちは行動しないといけないわね。
……私が、行動を……
ヴェトチキ
アロイジウス、おねえちゃん。
ま、また来てくれたんですね。みんな、元気にしてます。心配いりません。
アロイジウス
「小枝ちゃん」。
ヴェトチキ
はい?
アロイジウス
将軍は?
ヴェトチキ
「将軍」? 誰のこと、ですか?
アロイジウス
……ヘラグさんはいる?
ヴェトチキ
は、はい。今は、小さな子たちと、一緒に、本を読んでます。
アロイジウス
小さな子? あなたより?
ヴェトチキ
わたしはもう、小さく、ないです!
あと、何ヶ月かで、わたしも――十六歳ですから!
アロイジウス
十六歳……もし貴族の子女なら、正式な継承権が与えられる年齢だわ。もう立派な大人なのね。
ヴェトチキ
でもわたしは、そうじゃないし、そうなりたくもないです。
アロイジウス
なら、自分の経験したことを語って、仲間のために公正な待遇を勝ち取れる場所に行きたいかしら?
ヴェトチキ
わたしたちが、証言を、できるってことですか?
ジュナーおねえちゃんが、言ってました。法廷は、そういうところだって。
アロイジウス
……いいえ、今回は証言じゃないわ。前に嘘をついたわけじゃなくて、まだその時ではないの。
「冬季臨時資源配給法」という法案が提出されたの。初めてサンクト・グリファーブルクで開催される市民議会で、それを採用するかどうかの投票が行われるのよ。
もしこの法案が採用されれば、この寒い冬に暖を取ることもできない民衆や、資源の枯渇で失業した労働者たちを助けることができるわ。
あなたはそれに先立って声を上げ、自分の経験したことを伝えて、多くの人々の賛同を得る――あなたなら、きっとこの提案を可決に導き、同胞を助けられるわ。
ヴェトチキ
だったら、わたし、行きます。
アロイジウス
でも、そのためには大勢の人の前に出なければいけないのよ。中には、これまで鉱区で見てきた「お偉方」たちと同じような、醜悪な人たちもいるの。
それに、とても危険な目に遭うかもしれない。感染者は未だに街を一人で歩くことも許されていないから、かなり目立ってしまうわ。もちろん私やヘラグさんがあなたを守るけれど――
ヴェトチキ
わたし――わたし、行きます!
わたしは行きます。危険でも、絶対に!
アロイジウス
……わかったわ。
少し考えさせてちょうだい。本来あなたにあるべき身分を、彼らから取り返す方法をね。
フョードル
戻ったか。
その表情、何かの確証でも得たのか?
ヴィッテ
ええ……内部告発の報告書を受け取りました。
ヴァシリーの娘から。
フョードル
アロイジウスか?
ヴィッテ
彼女の名を覚えていらしたのですね。
本人の言葉を借りれば……「そうした行動のすべてが、私の譲れない一線を越えました。父の暴挙により、さらに多くの民が被害を受けることを避けるため、私は選択しなければなりません」と。
この報告書、あるいは証言は、ヴォルキナ公爵を引き込み、主戦派との同盟を結ぼうとする彼の企みを暴くものです。これによりヴァシリーを停職処分とし、調べ上げて拘留することも可能です。
ですが現時点では、この背信行為を主戦派内部を突き崩す切り口として利用したところで、目の前の問題を根本的に解決するには至らないでしょう。それを踏まえますと……
ひとまずこの報告書、および関連する調査結果を封印し、後日のために残しておくべきだと考えます。
フョードル
これらの証拠であやつを抑え込めるのであれば、たかが副議長ごときがどう動いたとて、さしたる問題にはならぬだろう。
ヴィッテ
おっしゃる通りです。
フョードル
面白い……先日はカトルガ区の学生たち、そして此度は近衛軍の新世代か。我がウルサスの若者たちの多くは、すでに目を覚ましているようだな。
だが、あの頑迷で老い先短い古参や老人たちはどうだ? なぜ未だ源石の枯渇が示す矛盾と困難から目を逸らす? なぜ無闇に外へと矛先を向けようとする?
ああした連中こそ、ウルサスの持病のようなものではないか……一体いつから、ウルサスは己を内から蝕む病を克服する力を失ってしまったのだ?
ヴィッテ
陛下……確かに彼らを持病と見なすこともできますが、彼らはウルサスが生き長らえるための血肉でもあるのです。
喜ばしいことに、我々はこの国が育んだ新たな力を見つけました。未だ彼らは凍土を破れぬ新芽に過ぎませんが……少しでも、時間を与えられることを願っております。
フョードル
お前の言う通りだ……しかし「持病」か「血肉」か、その判断は誰が下す?
……そして、新芽が土を突き破って顔を出した時、余がそやつらの目に「ウルサスの持病」として映らぬと断言できるか?
ヴィッテ
……陛下?
フョードル
……
ヴィッテ、率直に申せ。このまま進めば「冬季臨時資源配給法」が可決される可能性はいかほどだ?
ヴィッテ
今後も陛下が人々の良識を信じ、それを頼りに法案を推し進めようとなさるのであれば、成功を収める確率は三割にも満たないでしょう。
以前も申し上げましたが、自らの利益を喜んで他人に譲る者などおりません。陛下は彼らの体面を保つためにご配慮なさっていることと存じますが、誰もが感謝するとは限らないのです。
陛下は、野獣の群れにお慈悲を押しつけておられるのやもしれません。
フョードル
……此度が最後だ。
なおも野獣どもが恩を無下にすると言うのなら、あやつらが「天賦の権力」を盾にテーブルに着く機会は、此度が最後になるだろう。
アーミヤ
ここを離れられるなら、ひとまずそうしましょう。少なくとも、まだこのエリアで警報は鳴っていませんから。
Mon3tr
真っ暗な場所をもうずっと歩いているが、Raidian、君の言う出口はまだか?
あるにはあるが、何も見えないようなものだ。壁と階段ばかりで、非常口の表示すらないし。
Raidian
素材の違いはわかる? ドアと壁は素材が違うから、色が同じでもすぐにわかるはず。
もう一度よく見て。だけど、無闇に触らないように注意してね。ドアには電流が流れてるかもしれないから。
Mon3tr
うん……
あっ、見つけたぞ!
Mon3tr
うわぁ、ここは……
外は夜が明けたのか? だがここは地下のはずだ。なぜ上から太陽の光が差し込んでいるんだ?
Raidian
吹き抜けみたいな構造になってるけど、今見えてる光は自然光ではないはずだよ。
こんな機密施設に、呑気に本物のガラスで天窓を作るわけがない。地上から見たら目立ちすぎるからね。
アーミヤ
クライニ・セーヴェルで訪れたあの研究所にどこか似ている気がします。もっとも、似ているのは建築様式だけですが……
ただ、雰囲気はまるで違っていて……
はい……
Mon3tr
それはいいことではないのか?
Raidian
街だって最初はそう見えたでしょ? だけど実際がどうなのかは、今ならもうわかってるよね。
まずはここの状況を探ってみよう。誰もいない道を探して案内するね。
アーミヤ
変ですね……廊下から出るためのドアが見つかりません。
まるで迷路みたいです。
Raidianさん、このまま人がいる場所を避けて進むのは無理かもしれません。
Raidian
人体によって発する電気信号の周波数は異なるけど、初めて感知する電気信号の情報だけでは、友好的な人かどうかまでは判断できないんだ。
アーミヤ
でしたら私たちは――
きゃっ!
Mon3tr
アーミヤ!
警戒する衛兵
三十分ほど観察させてもらった。お前たちが二階の廊下に突如現れてからな。だが明確な目的を持っているようでいて、一向にここを離れようとはしない。
どうやって潜入した? そして何を企んでいる?
アーミヤ
あの……聞いてください、私たちは――
警戒する衛兵
他の者に答えさせろ。
とぼけるな。議会から送られた研究員たちなら、とっくにラボに配属されている。彼らの身分を騙るつもりか?
先ほど、壁の外で爆発が発生した。お前たちはそれに乗じて潜入したスパイに違いない!
Raidian
言葉遣いに気をつけて。私たちはロドス・アイランド製薬。帝国議会から派遣され、「プロジェクト・ゼロ」の医療研究の協力に来たの。
これは陛下の印が押された勅令と、議会から発行された通行証。ゼルグラードに入った時の印もちゃんと押されてる。
そして私たちが歩き回ってた理由は、もちろん――
???
帰り道がわからなくなったからですね。
警戒する衛兵
……お前はどのラボの者だ?
???
私は第六ラボの責任者です。
警戒する衛兵
フン、第六ラボはすでに解体され、責任者もとっくに追放された。デタラメを――
???
こちらが私の身分証です。
警戒する衛兵
アリタ・ワルーエワ……
アリタ
私があなたの立場でしたら、相手の言葉を信じるかどうか判断する前に、他の人に確認を取ります。
たとえば、あなたたちの上官のジーナさん。研究所全体の警備責任者である彼女なら、第六ラボの最近の人員変更について知っているはずですから。
警戒する衛兵
……
背後の衛兵
隊長、どうします?
警戒する衛兵
ジーナ様に内線で聞くに決まってんだろ、早くしろ!
背後の衛兵
はっ、はい!
金髪の研究員は、こちらを振り向き一行を見回した。視線は少しの間だけあなたで留まり、最後はRaidianへと向けられた。
アリタ
案内の手配を忘れていたせいで手間取らせてしまいましたね。ここ数日は引き継ぎ作業で忙しく、頭が回っていなくて。実は、第四ラボはこの階ではないんです。
誤解が解けたら、私自ら案内いたしましょう。
Raidian
……ありがとうございます。でも、これまでで十分に研究の進捗状況については伺っていますから。
アリタ
全てのラボを一通り見てもらわないと。でないと、新第六ラボのプロジェクトが最も有望だ、と理解していただくことはできませんから。
警戒する衛兵
……
衛兵
隊長、ジーナ様に確認が取れました。新第六ラボの責任者は、確かにアリタという名前だそうです。
警戒する衛兵
……フン!
Mon3tr
アーミヤ!
警戒する衛兵
行くぞ!
アリタ
……
アーミヤ
あの……アリタさん――
アリタ
急ぎではありませんよね? でしたら、まずは私についてきてください。
焦る将校
ゴホッ――*ウルサススラング*!
くそっ、奴らは一体何者なんだ? なぜあれほど強力な攻撃ができる!?
慌てる兵士
この目で見ました、あれはたった一人のアーツです!
焦る将校
……何だと?
慌てる兵士
早く逃げましょう、隊長! 奴らはここまで、どの陣地もあっという間に突破してきたんですよ!
焦る将校
だめだ! ここは我々が死守するよう命じられた場所だぞ。ここから一歩でも引き下がろうとする奴がいれば、そいつの脚を切り落としてやる――
そう言い終わるより前に、紅色の閃光が将校の鼻先を掠め、背後の壁に激突した。瞬く間に燃え上がった炎が、この細長く薄暗い「工場」を照らし出す。
将校はその場に釘づけになり、必死の思いでぎこちなく後ろを振り返った。彼の汗ばんだ肌に、冷たい金属が触れるまで――
タルラ
そこまでだ。
もしお前たちにほんの僅かでも良識が残っていて、自らの所業にひとかけらでも罪悪感を抱いているのなら――
一度だけ機会をやる……道を空けろ。
空気を切り裂く矢の音が四方から押し寄せる。それは、絶望した守備隊による最後の斉射だった。
しかし燃え上がる炎は、次々と矢を呑み尽くす。矢に備えられた源石はすぐさま空中で弾け、琥珀色の火花となって砕け落ちた。
タルラはただその場で静かに佇み、その顔の上を光と影が目まぐるしく交錯する。兵士たちが彼女の行動の真意を測っているうちに、そう遠くないところから悲鳴が響き渡った――
一人、二人……倒れる兵士が増えるにつれ、悲鳴は呼吸とともに弱まっていく。そして最後は、剣を鞘に収める音だけがこだました。
クラウンスレイヤー
……そうだ、お前たちはこういうやり方だった。
レイド
ウルサス兵など気に留めるな。重要なのは、ここに研究員の姿が見当たらないことだ。
シルカ
こういう機密施設では、軍の緊急避難計画が周知されているはず。私たちの動きを察知して、研究員たちが先に撤退した可能性が高いわ。
タルラ
資料や手がかりを集めよう。これほど短時間で、すべての証拠を持ち去るなど不可能だ。
助力を頼みたい。
トゥーリン
では、私たちも手分けして探そうか。皆、何か見つけたらすぐに報告するように――急がなければ。
坑夫の隊は一斉に応え、その場から散開した。
クロージャは集団を離れ、先ほどまで戦闘が行われていた地面を見つめている――そこには、燃え尽きた跡が幾重にも重なっていた。
クロージャ
(小声)彼女と向き合うってこういう感じだったんだね、アーミヤちゃん……
トーニャ
クロージャ、何を言ってるんだ?
クロージャ
……あ、ううん、何でもないよ。
あたしたちも手伝おう、トーニャちゃん。キミが知りたい秘密がここにあるかもしれないし、例の奇病の特効薬だって見つかるかもしれないからね!
トーニャ
うん、もしあたしの妹に――
タルラ
どうした?
言葉を失った坑夫
先生……ああ、もう無理です、先生……
トゥーリン
どうした? 慌てないで、ゆっくり話してみて。
言葉を失った坑夫
許してください……お、俺は……
レイド
……俺が見て来よう。
レイドは言葉を失った坑夫の傍を通り過ぎ、その背後にある扉を押し開けた。
すると、鉄錆の匂いが彼の顔を襲った……血生臭さにも、あるいは水に浸かった鉄が高温で焼かれた際の錆の匂いにも似ており、他の何かが混ざっているようでもあった――
レイド
……懐中電灯を貸してくれ。
……
なっ!?
一同が光の照らす先に視線を向けると、そこには巨大なカプセルがあった。ガラスで作られ、大半が砕けてしまったそれからは……中を満たしていたものが、そのまま流れ出ていた。
ポタリ、ポタリ……それらは地面に流れ落ち、泥や砕石、そして乾いた黒い血の塊と混ざり合っている。
これは足の指で、その隙間にはまだ泥汚れがこびりついている。あれは背骨で、おそらく背の曲がった老人のものだろう。そして向こうにあるものは――
何かが転がり、レイドの靴先に軽く当たって、そこで止まった。
レイドが足元を見ると、それは――腫れ上がり、崩れた頭だった。一方の頬が地面に密着し、ゼリー状で薄い灰色の物質がこびりついている。二つの底なしの黒い空洞は、彼をじっと見上げていた。
レイドは目を閉じ、押し黙ったが、空洞の奥から何者かが覗き込んでいるような気がしてならなかった。立ち尽くし、呼吸をして、生きている彼を。
その感覚は、やがて誰かが嘔吐するまで続いた。
トーニャ
……うっ、これは……これは一体何なんだ!?
……こんなの……うぅ……
レユニオン構成員
う……うう……おえっ! ゲホッ、ゲホッ――
うう……お願いだ、レイド。光を消してくれ……
仲間の声にレイドはハッとして、その拍子に懐中電灯を握る手を大きく震わせ、奥深くを照らし出してしまった……そこには、さらに多くのカプセルがあった。
中が空のものもある。何者かが洗い、拭き、片付けたようで――下の台座までも美しく磨き上げられ、光を反射していた。
そして、中にまだ何かを収めているものもある。
油状の液体の中で、バラバラの死体から弱々しい光を放つ源石結晶が生えている。まるで砂地にひとかたまりずつ植えられた低い木のように。
レユニオン構成員
うう……クソッ! レイド、やめてくれ……やめてくれよ!
彼は泣き叫びながら、レイドの懐中電灯を奪おうとした。だがどれだけ力を振り絞ったところで、その強張った指を開かせることはできない。その間も、揺れ動く光の輪が研究所全体をなぞっていく。
他の面々が駆け寄り、理性を失った仲間を背後から抱きかかえて引き戻そうとしたが、彼は微動だにしない。さらに数人が加わり、全員で彼を引き摺ると、ようやくその足が地面に二本の跡を残した。
その他大勢は力なくその場にへたり込みながら、目の前の光景を無言で見つめ、涙がこぼれ落ちるに任せていた。
トーニャ
ねぇ、あっち……あれは何……?
虚ろな表情をした面々が振り向くと、その先を追うように懐中電灯の光が向けられた。
クロージャ
ガラクタ、かな?
クラウンスレイヤー
……あるいは、遺品と言うべきか。
丸められた寝具、壊れた器、半分齧られた硬そうな黒パン、さらには金歯まで――それらが部屋の隅に積み上げられていた。
その遺品の山に近づいた足音が、痩せ細った女性の影を落とす。
トーニャは遺品の山の前に跪き、冷えきったそれらを両手で裏返した――そして、彼女は見つけてしまった。気づいてしまった……絶対に見間違えるはずのないその布を。
つい先日まで、赤子を包んでいたおくるみ。赤い生地の端は何度も洗われて白くなり、そこには真新しい灰がうっすらと積もっていた――
それは、妹のおくるみだった。
彼女はそれを、生きているものを包むかのように両手でくるむと、ゆっくりと自分の頬に押し当てた。
空っぽのおくるみには、洗剤と汗の混ざり合った匂いがまだ残っていた。彼女はそれに顔を埋めると、肩を震わせながら、布に小さな染みをいくつも作っていった。
トーニャ
……あたしの妹……ニーナ、可哀想なニーナ……
トーニャは妹の名前を呼び続ける。そうすればニーナとずっと一緒にいられると信じているかのように。だが喉が詰まり、涙が口元まで伝い、彼女は掠れて濁った声を漏らすことしかできない……
タルラ
……
タルラは振り返らず、だらりと下げた両手を強く握りしめていた。込めた力で腕が震えるほどに。
壁に落ちた彼女の影もまた、ひどく重いものを背負っているかのように、わなわなと上下している。
不意に、その肩が下がった――荒れた、しかし力強い手が、彼女の肩を叩いたのだ。
タルラが振り向くと、褪せた紫色の瞳がまっすぐに彼女を捉えていた。その視線には、肩を叩いた手と同じ落ち着きがこもっていた。
タルラ
……トゥーリンさん?
トゥーリン
タルラさん、彼らにはあなたが、そして私たちが必要なんです。
トゥーリンは頷くと、自分の隊へと歩み寄った。その姿を見た坑夫たちは、何度か咳払いをして気持ちを落ち着かせようとする。
トゥーリンは優しい声で慰めの言葉をかけ、手を握り、抱擁を交わし、そしてへたり込む面々を引き起こした……坑夫たちは顔にまだ涙の跡を残しつつも、体の震えは次第に治まっていった。
その後トゥーリンは、もう一人の比較的に落ち着いている人物の傍へと近づいた――彼女は最初のカプセルを見つめながら、何やら思案に暮れていた。
トゥーリン
クロージャさん、何か気づきましたか?
このカプセル一つひとつに、ケーブルやパイプが繋がっていることはわかりましたが……私はその方面に詳しくなくて。軍が感染者を利用して何をしているのか、クロージャさんならわかるのではと。
クロージャ
……さっき調べてみたんだけどね。
見慣れない機械だけど、計器の数値が何を示してるかはわかったよ……
これをやった人たちは計測してたんだ。感染者が死んだら、どれだけの源石に変わるのかって……
タルラ
……彼らは感染者を「エネルギー」へと変換し、源石不足に対処しようとしているのだろう。
クロージャ
多分、そうなんだと思う……
トゥーリン
でもトーニャさんの妹は感染者ではありません。あの奇病にかかっただけなのに、どうしてここに彼女の遺品までが……
クロージャ
気づいたんだけど、ここにはあの奇病の患者も少なくないんだ。
最初のカプセルに残ってたこれを見てみて。腫れ物が潰れて、緑色の残痕だらけになってるでしょ? トーニャちゃんが言ってた奇病のはっきりした症状は出てるけど、鉱石病の痕跡は全然ない。
タルラ
第一軍が今もこの新しい病気を研究しているのは明らかだ。そしてこの病気は、ちょうどゼルグラードが感染者に対する新しい政策を打ち出した後に現れた。
石棺が感染症に似た症状を拡散する可能性があると言っていたな。もし感染者を集めた目的が、石棺研究に使うエネルギーを供給するためだとしたら、その奇病とやらも石棺と無関係ではないはずだ。
トゥーリン
……今すぐ、皆にこの「石棺」の真相を知らせないと。
第一軍は奇病を蔓延させて、人々の命を危険に晒しています。早く民衆を避難させなければいけません。
タルラ
ここでの出来事が軍に気づかれるのは時間の問題だ。奴らはすぐに行動を起こしてくるだろう。
だが市街戦で時間を稼ぎ、そちらの動きを援護する程度であれば、我々にもできる。レユニオンに任せてくれ。
トゥーリン
善は急げです。すぐに――
トゥーリンは、クロージャが小さく首を横に振るのを見た。彼女はただ、今も立ち上がることができないトーニャの傍に歩み寄り、手を差し伸べた。
トーニャ
……クロージャ?
クロージャ
ごめんね……あたし、誰かを励ましたりするのはあまり得意じゃなくて。
あっ……そうだ、サルカズを見たことがないって言ってたよね? あたしはカズデルで育った、由緒正しいサルカズなんだよ。
カズデルはゼルグラードよりずっと貧しい場所で、屋根のある家に住める子供は半分くらいしかいなかったし……大人になれるのも、半分くらいしかいなかった。
それでも、あたしたちはあそこを自分の家だと思ってた。
あたしたちは建物をたくさん建てて、食糧もいっぱい作った。それから、すっごい人が先頭に立って、鉱石病を和らげる薬を開発してくれたりもした……
みんなで力を合わせたおかげで、カズデルの生活はどんどん改善していったんだ……あたしたちはみんな、自分たちの家を大切にしてた。
トーニャはゆっくりと顔を上げ、目の前の外見と話が釣り合わないブラッドブルードを見つめた。その眼差しが、涙ぐむ彼女の眼差しと交差する。
クロージャ
ゼルグラードは……そんな家になれる場所じゃなかったのかもしれない。でもいつかきっと、キミたちも本当の意味で「家」って呼べる場所を見つけられるはずだよ。
トーニャ
……
トーニャはしばらく黙り込み、やがてクロージャの手を握って立ち上がった。
トーニャ
ここは、あたしが住んでる場所のすぐ隣だから……
あたしでも……連れて行ける……
あたしも一緒に行くよ……みんなを連れて、ここを離れよう……