脚部切断療法

イシドロ
……測程器か?
セスク
これが何だかわかるのか?
イシドロ
昔、船乗りたちはこれで船の速力や航行距離を測定し、航路の記録に用いていたという話だ。
セスク
へえ……こういうのに触ったこともあるのか?
イシドロ
……ああ。先生はたくさんのことを教えてくれたからな。
セスク
お前の先生ってのは、随分肝の据わった奴なんだな。
イシドロ
それで、あんたはずっとそうして後ろから話しかけてくるつもりなのか?
セスク
こんなこと、好きでやってるわけねえだろ。甲板長の言いつけなんだよ。お前から目を離すなって言われてんだ。
イシドロ
少し距離が近すぎるように思うが。
セスク
フンッ……
イシドロ
この音、聞き覚えが……
塩粒の流れる音を捉えたイシドロが、警戒して周囲を見渡すと、船員の背後に見覚えのある凹みが現れるのが目に入った。
イシドロ
よけろ、塩鱗獣だ!
セスク
いってえ、何すんだ!
塩鱗獣
キュイッ、キュイ……
セスク
こいつが飛び出してくるから俺を突き飛ばしたのか?
まさか、塩の下にでっかい鱗獣がいるとでも思ったんじゃねえだろうな?
イシドロ
うるさい……
セスク
でっかいやつが来る時は、地面がもっと激しく揺れるんだよ。こんなチビ助一匹なら、塩の凹みはほんの少しだけだ。
それに、こいつらはネネの同類だし、このちんちくりんがどんな被害をもたらすってんだ?
ったく、あのイカれババアと来たら、なんだってお前みたいな奴を置いておくんだか!
ネネ
フンス……
塩鱗獣
キュイイ……
イシドロ
こいつらが……同じ生き物だと?
塩鱗獣
キュイッ、キュイ……
イシドロ
この辺りには、塩鱗獣が何種類もいるのか?
セスク
ああ。大小ひっくるめて数十種類はいるな。
イシドロ
……あんたたちの使っている船の帆は革製だろう。あの皮は……
セスク
塩鱗獣のものだ。テントにも同じのを使ってる。
イシドロ
ならば、テントの外に干している肉は……
セスク
あれも塩鱗獣だな。
イシドロ
では、武器は……
セスク
塩鱗獣の骨を使ってる。
イシドロ
だったら、こいつらは……
ネネ
フンス……
塩鱗獣
キュイッ……
セスク
こいつらは例外だ。その必要がない限り、こいつらを傷つけたりはしない。
この鱗獣どもは、あのババアのお気に入りでな。捕まえて船で飼おうとしたこともあったが、群れから離すと元気がなくなっちまうから、結局は断念してたよ。
イシドロ
それなら、なぜこいつは船にいるんだ?
ネネ
フンスフンス。
セスク
ネネは身体が弱すぎて、群れの連中についていけなかったらしくてな。仲間とはぐれちまったのさ。幸い……ババアがこいつを拾ってやったわけだが。
塩鱗獣
キュウ……
ネネ
フンスフンス!
イシドロ
連中、もうここを離れるのか?
セスク
ああ、いつも通りな。あいつらは、一か所に長いこと留まったりはしねえんだ。
塩鱗獣たちは再び塩の下へと潜り、素早く遠くへ泳いでいった。
塩の砂漠には、複数のへこみが交錯しており、その模様はまるでひび割れた鏡のように見えた。
イシドロは興味津々で切り立った岩に登り、ひび割れが伸びていく方向を高所から確かめようとした。
そこに立ってみれば、巨大な亀裂がとてつもない速度でこちらの方向へと伸びてくるのが見えた。それは向かう先々で、塩礁と骨をことごとく飲み込んでいた。
その時、イシドロはようやく気付いた。あの塩鱗獣たちはただ去っていったわけではなく、逃げたのだということに。
ネネ
(焦ってグルグル走り回る)
イシドロ
いいや……これは「いつも通り」なんかじゃない。
セスク
何か見えたのか!?
イシドロ
いいから逃げろ!
その瞬間、地面が巨大な口の如くぱっくりと裂け開いて、必死で走る二人を飲み込まんとした。
焦燥感に駆られたセスクは足を踏み外し、崩れた地面の裂け目に足首を引きずり込まれて、凄まじい叫び声を上げる。
イシドロは彼の腕をしっかりと掴んだが、すぐに自然の圧倒的な力の前にはどうすることもできないと悟った。
二人が諸共に飲み込まれかけたその時、亀裂の広がりが不意に――奇跡的に止まった。裂け目は依然として船員の足首をきつく挟み込んでおり、外からはただ血まみれになっていることだけが伺える。
ルス
何が起こったんだ!?
取り乱す船員
地面が裂けて、誰かが落ちたみたいだ!
ルス
急げ、様子を見に行こう!
イシドロ
もう行かなければ。
セスク
戻ってこい、坊主! 逃がさねえぞ!
イシドロ
……
セスク
いや……頼む、一人にしないでくれ……
ネネ
フンス……フンス……
イシドロ
すぐにあんたの仲間が助けに来るだろう。
セスク
ど……どこへ行くつもりだ?
ネネ
(イシドロのズボンのすそを噛む)
イシドロ
わからない。だが、あんたたちに見つからない場所まで行くことになるだろう。
セスク
……だ、だめだ……行かせるか。
甲板長の……命令、なんだ。お前を……見張らないと。
ネネ
くぁーん!
フアナ
久しぶりね……
計画は順調に進んでるわ……
そうね、ある程度リスクを負うことにはなるけれど、それだけの価値はある。
いずれ私たちは帆を上げて、海の抱擁のもとへ帰ることになるわ。
あなたは喜んでくれるかしら?
洞窟の中、金属が石にこすれる音が徐々に大きくなって、細長い形のシーボーンがねじれた姿勢でゆっくりと這い出してきた。
その身体についた触手はそれぞれが武器を持っており、刃が石壁を引っかいて、耳障りな音を立てている。
シーボーンは緩慢な動作で塩鱗獣の肉に近づき、ゆっくりとそれを貪ったが、その目はフアナをじっと見つめていた。
フアナはそれと視線を合わせ、シーボーンが答えるのを静かに待っている。
だが、彼女は内心では、それが理性も人間性もまるでない単なる獣であることを理解していた。
フアナ
……
私たちは行くわ。どんな代償を支払ってでも、塩海を去るの。
フアナが身を翻して洞窟を離れていく。そうして、そこには食事を終えて、追いつめられた獣のように周りに身体をぶつけているシーボーンだけが残された。
絶えず石が転がり落ちてくる中で、そのうちシーボーンは出口を探すのをやめ、徐々に静かになっていった。
ルス
なっ……何が起きたんだ? あの坊主がやったのか!?
セスク
ち、違うんだ、俺がドジっただけで……でも、あいつに逃げられちまった……
ルス
んなこと構ってられるか! おい、誰か手を貸せ、セスクを引き上げるぞ!
セスク
ぐあああっ!! 足が!!
取り乱す船員
甲板長、セスクの足が……
ルス
何だ、言え!
取り乱す船員
こ、これじゃ助けられそうにありません! 船医を呼ばないと!
ルス
そんなもん、とっくに居なくなっちまっただろうが……
取り乱す船員
だけど、船医でもなけりゃ足を切るなんてできませんし、こんなに血が出てるもんを放っといたら死んじまいますよ!
セスク
嫌だ……こんな所で死にたくねえ……
助けてくれ、甲板長……!
ルス
セスク……くそっ……
???
俺がやろう。やり方はわかっている。
ルス
お前……
イシドロ
死なせはしないと約束する。
ルス
わかった……頼む。
イシドロ
ナイフの柄をくわえていろ。しっかりとな。
セスク
っ……
イシドロ
痛みはあるが、我慢してくれ。
セスク
うぐっ――――!
エリジウム
ああ、ソーンズ!
手配書の絵を描いた人は、どうして君をこんなふうに描いちゃったのかな?
ウィーディ
……これがソーンズさんだってこと、受け入れるの早すぎでしょ。さっきまではちゃんと理詰めで反論してたのに。
エリジウム
ソーンズは例の盗賊たちに脅迫されたり、はめられたりしたのかもしれないと思ってさ。あいつは口下手だから、きっとうまく説明できなかったんだよ。
シルバー
仮に、彼が本当にあなたの言うような罪のない善人なのであれば、盗賊どもの野蛮さや塩海の過酷な環境を思うに、今も生きているとは思えません。
エリジウム
そんな……その盗賊たちは、一体彼にどんなことを?
シルバー
奴らの手段を思うに……いえ、知らないほうがいいでしょう。
我々は死力を尽くして盗賊どもを追い出しましたが、それでも奴らは町から大勢善良な人を攫って行ってしまいました。
奴らのキャプテンは怪物そのものです。他人の心を腐敗させることができるのですから。
エリジウム
なんてことだ……
ハビエル
そろそろ飯を作……ん? 誰か厨房をいじったか?
(注意深くにおいを嗅ぐ)
いい香りだ……この缶の中からだな……
鱗獣の心臓を煮込んだやつか。フアナさんの得意料理じゃないか。
もうトロトロになってるし、火を止めないと。
シルバー
大いなる静謐が起きた時、アーロンの大半は海水に飲まれ、山頂のごくわずかな地域だけが難を逃れました。しかし、その後すぐに、飢餓による混乱が起きたのです。
海水が引く前に、あの海賊たちは船でここまでやってきました。彼らは混乱したアーロンに秩序をもたらすと言いましたが……
実際には、家を焼き払い、人を殺し、金品を略奪して、町民を彼らの残酷な支配のもとに服従させただけでした。
奴らが通った場所のすべてが燃やされて……
焦る船員
うわーっ!! 火を消せ、早く! 鍋が爆発したぞ!
ティーチ
クソッ、なんだってまた火事が起きてるんだい!?
ハビエル、この間抜け! 何度も言ってんだろ、その近眼野郎を厨房で働かせんなって!
近眼の船員
あああ~……あれって鱗油だったのか……すまん、よく見えなかったんだ!
ティーチ
どきな、ろくでなし!
――ハビエルはどうしたんだい? 早く来な! 消火の指揮をするよ!
焦る船員
火に塩をかけて消さないと!
おののく船員
うわっ! 俺の鱗獣革コートが燃えてやがる!! あれは最近縫ったばっかりなんだぞ!
飢えた船員
……こいつは……鱗獣の皮を焼いてんのか? いい匂いだなあ……
シルバー
仮に彼が生き延びていたとしても、もとより盗賊たちの生活環境は劣悪なものです。捕虜を優遇するとも思えませんし、ご友人はおそらく、今頃は飢えと渇きで苦しんでいることでしょう。
エリジウム
……
ウィーディ
エリジウムさん、大丈夫?
エリジウム
ああ、大丈夫だよ……審査官さん、続けてください。
シルバー
加えて言うのであれば、彼が盗賊たちからどんな刑罰を受けることになるかもわかりません。
奴らは、逆らう者を容赦なく、公然と処罰するのです。腹を切り裂き、手足を切断して……
ウィーディ
私刑をしているってことなの……?
エリジウム
は、腹を切り裂き、手足を切断……!?
セスク
あああああっ――ああああああ!
はぁ……はあ……
ルス
飲み物を持ってきてやれ!
セスク
ルス! ルス! 俺の足、どうなったんだ……?
イシドロ
ふぅ……安静にしていろ。
あんたの足は塩海に飲まれた。もう痛むことはない。
ルス
セスク、俺たちがついてるからな。安心しろ、治療は成功したし、お前は死なない。
セスク
うっ……うぅ……
イシドロ
足を切断しただけでは、治療とは呼べないだろう。
ルス
こいつがまだ生きてんだから、俺たちにとっちゃ治療も同然だよ。
イシドロ
……
エリジウム
……
ウィーディ
冷静になろう、エリジウムさん。現状は、ソーンズさんが盗賊に命を奪われた証拠なんて何もないんだから。
エリジウム
そんな可能性、考えたくもないよ。だけど……いったいどこに行けばあいつの手がかりが見つかるんだろう?
ウィーディは答えなかった。遠くには、幾人かの死体が町の外の旗竿に吊るされて、風に揺れている。
一羽の羽獣がその上に止まり、死肉をついばんでいた。
エリジウム
……
敬虔な町民
おや、お客様方。
奴らは執行官閣下が捕らえた盗賊です。教義に則り、絞首刑に処して――
落ち着いた町民
その後はほかの賊どもへの見せしめとして、死体をあの場に吊るしているのです。
エリジウム
……
盗賊の根城にいても死の危険があるし、町に戻ったら戻ったで、盗賊と見なされて確実に殺される……
ソーンズ……
ふらつく老人
なあ、お若いの。あんたが持ってるその紙、まだ使うのか?
エリジウム
いや……もう使いませんし、持っていっても構いませんよ。
ふらつく老人
ありがとう。おかげでやっと、ベッドに貼っつける材料が見つかったよ。
ん? この似顔絵は……
エリジウム
もしかして、この人を見たことがあるんですか?
ふらつく老人
もちろんさ。一晩泊めてやったしな。
ルス
数日後、船団を動員して塩海で行う塩鱗獣狩りの件ですが、あの坊主も狩りの人員に加えたいと思ってます。
ここ一ヶ月、俺たちは大きな被害を受けてきました。元いた船医と航海士は、みんな裁判所の連中に囲まれた時に殺されちまいましたし、坊主にその仕事を継がせたいんです。
フアナ
そうやって人手不足を解消しようというわけ?
ティーチの約束があったからこそ、坊やがサルベージ船に乗り込んで手伝いをすることを許したのよ。だけど今日、あの子は逃げ出すところだったでしょう。
なのに今度は、あの子を鱗獲船に加えたいって言うの?
ルス
フアナさん……あの坊主が、貴重な錬金術師だってことは知ってます。でも、あいつは凄腕の剣士でもありますし、医術だって齧ってるんです。鱗獣狩りに連れて行けば相当役に立ちますよ!
フアナ
それはあの子を手放すようなものよ。きっと隙を見て逃げ出すに違いないわ。
私は海賊なのよ? あの子をみすみす逃がすほど親切じゃないの。
ルス
お願いします、フアナさん。これまで何度も包囲されて、俺たちは散々人手を失ってるんです。
この船団で、あいつを必要としているのはあなただけじゃありません……俺たちだって、あいつを必要としてるんです。
フアナ
あの坊やは聞き分けのいい子じゃないわ。あんなにやんちゃな子をどうおとなしくさせるつもり?
ルス
あいつは、パスクアラとは面識なんぞありませんでしたが、裁判所に追われているあのガキを助けてやっていました。無事に町まで送り届けたあとも、何の見返りも求めちゃいません。
それに、本当ならセスクを見捨てて逃げることだってできたのに、あいつは戻ってきて、セスクを助けてくれたんです。
あいつは……本当は、親切ないい子なんですよ。すごく心の優しい奴なんです。
だから、俺たちがどれだけあいつを必要としているかを示しさえすれば、あいつはきっと、見て見ぬふりなんてしません。
フアナ
……
例の部隊から連絡はあった?
ルス
いまだに何も……ですから、これはこの先一か月の食料備蓄に関わることなんです。
フアナ
はぁ……
わかったわ。彼を連れて行きなさい。
ふらつく老人
あんたの友達ってのは、確か若い兄ちゃんだったな?
なかなか男前だったし、残念だなあ……まだあんなに若いってのに……
エリジウム
もうやめてください……それ以上言わないで!
僕、あいつを探してくるよ!
ウィーディ
えっ、エリジウムさん!?
エリジウム
ソーンズは今頃きっと、僕らの助けを待ってるはずなんだ……! 止めないでくれ!
この通信機を持っていて。君には町に残ってほしい。僕は塩海へ向かうよ。
ウィーディ
えっ……だけど……
エリジウム
何かあったらそれで連絡して! お互い助け合って――
安全にはよく気を付けよう――
ウィーディ
エリジウムさん!!
エリジウム
待ってろよソーンズ、今助けに行くからな!
ウィーディ
……
ふらつく老人
若いもんは、どうして人の話を最後まで聞かないのかねえ。
ウィーディ
ってことは、あなたが言おうとしてたことって……
ふらつく老人
ちょっと感傷に浸ってただけだよ。あの兄ちゃん、あんなに若いのにわざわざイベリアに戻って剣術を学ぼうだなんて。
ほかの国でのびのび過ごしているほうが良いだろうになあ。
ウィーディ
……
イシドロ
パンが焦げてしまっている……
まあ、食べられるだろう。
ルス
まったく、鍋を吹っ飛ばすとは、世話の焼けるガキどもめ……そのうち頭をひっぱたいてやる。
つっても、幸いそこまで大きな被害はなかったが。
イシドロ
(咀嚼する)
ルス
坊主、お前はなんだって炭を噛んでるんだ?
イシドロ
腹が減ったからだ。
ルス
そんなもんほっぽって、ついてこい。
鱗獲船に乗る前に、お前にはまだ学ぶべきことが山ほどあるんだからな。
イシドロ
鱗獲船? 何のことだ?