迷い人

ラフシニー
見送りはここまでで大丈夫だよ。この辺りはもう霊の守人の集落だから。
「放逐王」
私を目覚めさせたのはお前の姉だからな。私がうるさいと感じるのなら、炎を放って再び眠りに就かせてくれ。
ラフシニー
……
???
リード!
そう遠くないところで、金髪のペッローが駄獣の背からぴょんと跳び下りて、赤き龍のほうへ駆け寄ってきた。
彼女の背後には、即席の荷車が駄獣に引かれてついてきており、その上には長い木箱がいくつも積まれていた。
ラフシニー
――ブリギッド?
どうしてここに? 駄獣が引いているのは……
……棺!?
「放逐王」
……
ブリギッド
そうだよ。霊の守人のところまで連れて行ってほしいってネモスに頼まれたんだ。あの人たち、まだ遺跡にいるかな?
あれ、ひょっとして君の隣に誰かいる? なんだか嗅いだことのある焦げたにおいがするんだよね。それに、さっき話し声が聞こえたような……
「放逐王」
ふん。
ラフシニー
ううん、私一人だよ。
それより、この棺って……
ブリギッド
死んじゃった人が入ってるんだ。
でも、まだ動いててね。腕を掴んで止めようとしても、肩が外れてでも振りほどこうとしてさ。妄想の中の仇にでも襲い掛かってるのか、周りの人に噛みついてズタズタにしたがるの。
それと、テオのこと……ネモスがやっと見つけたんだ。でも……
ラフシニー
……
ブリギッド
なんだか、何もかもが決められた流れに従って動いてるような感じがするよ。サウィン祭が近づいていく中で、かがり火の炎が最高潮に達しようとしてるみたいな……
赤き龍はナ・シアーシャのほうを振り返った。その遠さにもかかわらず、彼女の目には紫の炎が描き出す影の輪郭がうっすらと見えていた。
ブリギッド
このままじゃ、棺が足りなくなっちゃいそう。
ネモス
どうかブリギッドさんが街の外へ無事辿り着けていますように……霧に邪魔されず、小道を抜けられていますように……
しまった、クランさんの部屋に使ってない武器が積まれっぱなしになってる……誰かに見られたら大変。
こっちは……燃料の余りと……爆薬? ラフシニー殿下が戻られた時、何かに使えるかも。
いや、その必要はないか。要塞の中にいた従者たちも全員、紫の炎が灯っていたし、あの貪欲な赤き龍はとっくに彼らを解雇してるし……
まるで……ラフシニー殿下が戻ってきたら、一対一で決着をつけようとしてるみたい。
あるいは……それも罠なのかも?
誰!?
……ローリーさん? どうしたんですか?
不機嫌な住民
あんたは……ネモスだな。
ネモス
ええ、そうですよ。今はクランさんの遺品を整理していたところなんです。御用がなければ、ひとまずここから――
不機嫌な住民
裏切者め。
ネモス
なっ、気でも狂ったんですか!?
ああ、そうでしたね……あなただけじゃなく、誰もがどうかしているんでした。
不機嫌な住民
お前は俺たちを裏切っ――
ネモス
それでも……命を奪う気にはなれない。皆、死人と変わらない状態なのに。
は、ははは……
とにかく、まずはこの人を本人の家まで連れて行かないと。誰にも気付かれないといいけど……
ネモス
ふぅ……
落ち着かない様子の住民
ネモス?
あ、ああ悪い、急いでるよな、じゃあ俺はこれで。
ネモス
あなたが持っているのは何ですか?
落ち着かない様子の住民
何でもないよ、じゃあな。
ネモス
それはニルスがエマにあげたネックレスですよね?
落ち着かない様子の住民
お――俺はパンをくれてやったんだぞ! こんな時はパンのほうがネックレスより大事だろ! だからあいつが自分からくれたんだ!
ネモス
自分から、ですか? そのネックレスは肌身離さず首にかけていたはずなのに――
落ち着かない様子の住民
……あんたには関係ないだろ!
友好的な住民
ネモス? 都市のダブリンはみんないなくなっちゃったと思っていたけど、あなたはまだ残っていたのね!
ネモス
……
友好的な住民
あら、あなたまで喋りも動きもせずに突っ立ってるだけの人になっちゃったの?
ネモス
そうなるのも時間の問題です。それより、なぜあの人たちの話を持ち出したんですか?
友好的な住民
今夜はいよいよサウィン祭でしょ。いなくなった人たちの家を見て回ってたんだけど、今夜の宴にぴったりな良いものが結構残ってたのよ!
ネモス
……サウィン祭? 宴?
友好的な住民
クランのことは――その、あの時の彼は力を使い果たしていたし、私も……
この話はやめにしましょう。とにかく見て、こんなにたくさんあるんだから、きっとみんな楽しめるわよ!
彼女は手にした袋をネモスに向かって広げてみせた。その中には、固まりかけたシスティミルクに、長い芽の生えたジャガイモと、肉がこそぎ取られた数本の骨が入っていた。
友好的な住民
待っててね、ネモス、それにクランも。きっと今までで一番素敵なサウィン祭になるはずだから……
ネモスは、その住民の姿が曲がり角の向こうに消えた頃になってようやく思い出した。彼女は元々ナ・シアーシャ近郊の農村出身だったということを。
二年前、ヴィクトリア人によるダブリンへのスパイ容疑の名目で父親が連行されたあの日、彼女はちょうどサウィン祭の準備をしていた。
都市内で起こり得る混乱について、ラフシニーにどれほど予想ができていたにせよ、今伝えられた内容は彼女の想像を遥かに超えていた。
ラフシニー
すぐに戻らないと。
ブリギッド
待って。この人たちを守人のところへ連れて行ったら、わたしも一緒に行くよ。
ラフシニー
ブリギッド、本当にいいの?
今のナ・シアーシャは危険すぎる。私が失敗したら、多分……誰一人生き延びることはできないと思う。
ブリギッド
そうだろうけど、それでも戻らなくちゃ。
ラフシニー
どうして?
ブリギッド
だって、昔はこんなじゃなかったから。
あの頃も、ナ・シアーシャには食べ物も着るものも足りてなかったけど、わたしが手紙を届けに行けば、みんな必ず水を一杯振る舞ってくれたんだ。
仲間だと思われてこそなかったけど、ノマドの伝説を語り聞かせた時には、鼻で笑ったりせずに真剣に聞いてくれたしね。
ましてや、この数日そうなってるみたいに……人に噛み付いたり、殴りかかったり……物語に出てくるような、目を覚まさせられた死人みたいな真似をする人なんかいなかった。
本当に都市が死んじゃったら、ノマドは誰に手紙を届ければいいっていうの?
生真面目な霊の守人
モラン?
モラン
……
生真面目な霊の守人
ナ・シアーシャからまた遺体が届いた。葬儀の準備をしなくては。
モラン
このままでは、またすぐに次も、その次も来てしまうでしょう……
本当に何もせずにいていいのでしょうか?
生真面目な霊の守人
すでに伝えた通り、霊の守人はどちらかに肩入れをすることも、自ら選択を下すこともない。
モラン
ナ・シアーシャの人もターラーの仲間でしょう? ターラー人の都市が急速に崩壊しかけているのを、黙って見ているつもりなんですか?
生真面目な霊の守人
あなたたちが赤き龍と共に戻ってきた以上、彼女がラヴラーハと同じ目に遭うのではないかと懸念していることは理解できる。
だが、ラヴラーハを破滅に追い込んでしまったのはこの我々だ。
モラン
それは……
生真面目な霊の守人
我々の先祖は、ターラー王城内で儀式を司っていた祭司だった。
ラヴラーハを王城内へ迎え入れる際、彼に心を動かされたその先祖は、アリルが明確な意思を示していないにもかかわらず、独断で事を進めてしまったのだ。
モラン
……
生真面目な霊の守人
ラヴラーハの死から七日後、先祖たちが彼のために返し火の儀を執り行ったことでターラー原野に広がる死の炎はようやく静まった。
その痛ましい過ちの教訓を決して忘れぬために、先祖たちは己の意志で王城を去り、ラヴラーハがかつて住んでいた牧場へと自分たちを追放した。それが霊の守人の始まりだ。
モラン
……あんなことを言って、本当に申し訳ありません。
ですが、リードさんはラヴラーハではありませんし、歴史は永遠に繰り返されるようなものではないのです。
仮に、歴史が繰り返されるだけのものであるのなら、リードさんはとうにナ・シアーシャの要塞で命を落としているはずでしょう。
それに、彼女の姉であるあの傲慢なリーダーさえ、ターラーをヴィクトリアの支配から解放したのですよ。
人の運命とは、似通うところが多くあれど、決定的な違いを持っているものです。
謎の女性
「人の運命とは、似通うところが多くあれど、決定的な違いを持っているものです。」
作家
……
謎の女性
私としては、この一文を書籍の帯に印刷して、ベストセラー記念の宣伝文句にでもすべきだと思いますよ。
もちろん、まずはこの物語を最後まで書き上げることが前提にはなりますが。
作家
私はこれで利益を得ようなどと思ったことはありません。
謎の女性
お金のためでないとしても、かなりの名声を得ることができるはずですよ。
作家
この物語の根底が……舞台となった場所が……そのすべてが、これは私が語り継ぐべき物語ではないということを示しているのです。
それに、この後の展開はどうするんですか?
謎の女性
それを聞きたいのはこちらのほうです。この後は、どうなるのですか? ラフシニーは戻ったのでしょうか?
作家
この先は、私が見たもの、信じたもの、語った言葉のすべてが食い違っているのです。私はそれで、物語の結末を失ってしまったんですよ。
ですから、できることならあなたにお願いしたいのです。鏡の中の人物と赤き龍の舞に、お好みの結末を添えてもらえませんか。
謎の女性
ふむ、私が語っても同じだということですか?
作家
ええ、そうです。どうぞお望みのままに。
作家はグラスを掲げると、半分以上減った苦いビールを揺らして、その女性と軽く杯を合わせた。
その苦みを再び喉に流し込みながら、彼はそこに、存在しない甘みの余韻が訪れるのをかすかに期待していた。
謎の女性
もしや、驚かせてしまったでしょうか? 急に少しよそよそしくなられたので、私の問いかけが無粋だったのかと気になりまして。
作家
いいえ。ただ、先ほどまでの会話はすべて取るに足らない雑談に過ぎなかったということを、お伝えしておきたかっただけです。あたならおわかりになるでしょう?
女性は美しい姿勢で腰掛けたまま、一言も返さない。作家は、影の中の相手がなおも微笑みを湛えているかどうかを見極めようとすることしかできなかった。
作家
何をお待ちになっているのですか? もうお酒が空になってしまいますよ。
謎の女性
私もあなたと同じ問題に陥ってしまったのですよ。
あなたの語る題材も創作も打ち止めになってしまうのなら、どうして私に赤き龍の最後の運命を書くことができましょう?
作家
それでも、私に語れるのはここまでです。たとえ結末が欠けた物語になってしまうとしても、でたらめな作り話で、自分自身も納得できないような結末を無理やり与えることはしたくありませんから。
あなたにも答えが見つからないのなら、ここに留まっていても仕方がないでしょう。早くこの場を立ち去るべきです。
謎の女性
あなたは本当に知らない、思い出せないだけなのでしょうか? あるいは最初から知ろうと、見定めようとしていないだけなのでは?
作家
――それは……
一体どういう意味ですか?
謎の女性
「結末を失った」のではなく、付け加えすぎた「創作」がご自身の目を曇らせてしまったのではないかということです。試しに私が一つずつ数え上げてみましょうか?
人々を暗闇へと誘う財宝。
たった一人で彫像を広場へと運んだクラン。
そして、黒い霧に関する描写のほとんどすべて――森に拒まれたブリギッドや、勝手に街へと戻ってきた食糧の荷車、迷い込んだラフシニー、さらには街の中の将校とエブラナにまつわる出来事まで。
そうした「創作」があなたの脳内で矛盾を引き起こしてしまったのなら、私には確かに、それを結末へと導く責任があるのでしょう。
では、今度は私が見聞きしたことを語るというのはどうでしょう?
作家
……
謎の女性
返事がないので、同意と受け取りますよ。
私の付け加える補足で、あなたにとって満足のいく結末を見つけ出せるとよいのですが。