ロマンスは死んだ
今語っていたのは……そう、サウィン祭の前夜、太陽がまだ空に浮かんでいた時間の話でしたね。
サウィン祭の夜は生と死を結ぶものだというのは、決して迷信ではありません。あるいは、遠い昔に迷信の枠を超越したのかもしれませんが。
ターラーの伝承によると、これまでこの夜には数多の偉業が為され、惨劇が起こってきたとされています。そうした伝承は、往々にしてあえて日付を曖昧にしたりはしないものです。
数多の伝説がその日に関わっており、ターラー人が未だわずかにでもその日に豊穣を祝い、炎を灯すことを覚えている以上、それは退屈な季節とはなり得ないでしょう。
それ自体が、神話を裏付ける最高の注釈なのです。
……ああ、それと、あなたの物語の登場人物には、もっと相応しい名前をつけさせていただきますが、きっと許してくださいますよね?
――太陽が西に傾いている。
この最後の対面をどう迎えるべきか、まだ決めかねているのだろうか?
冷ややかな幼龍
ラフシニー、また食事の時間を無視して部屋にこもっていたな?
温かみのある幼龍
父さん、怒ってた?
冷ややかな幼龍
今のところはまだ。だが、時間の問題だな。
温かみのある幼龍
すぐに行くから――
冷ややかな幼龍
テーブルの上に置いてあるそれは?
温かみのある幼龍
何でもない!
幼い赤き龍は自分の身体で姉の視線を遮ろうとしたが、まったくの無駄だった。
テーブルの上の小さな紙の箱には綿が丁寧に敷き詰められており、その上にまだかすかに温もりを残した小さな羽獣の死骸が横たわっていた。
羽獣の脚は生きているうちに折れてしまっていたようで、そばには厚紙で作った不完全なギプスと、数粒の麦が散らばっている。
温かみのある幼龍
毎朝窓辺に歌いに来てた子なの。どうしてこんなことになっちゃったのかな……助けたかったけど、でも……
冷ややかな幼龍
……
温かみのある幼龍
お願い、父さんには具合を悪くしただけだって伝えておいて。明日は時間通り食卓に行くから……今夜のうちに、この子は庭に埋めておくから。
冷ややかな幼龍
諦めるのか?
温かみのある幼龍
だってこの子はもう死んじゃったんだよ。
冷ややかな幼龍
そうかな。
羽毛の隙間から、冷たくなった羽獣の死骸に紫の炎が染み込んでいく。
二人が見守る中で、羽獣はゆっくりと起き上がった。折れたまま硬くなった足を綿に突き立てるようにして、強張った身体を支えている。
冷ややかな幼龍
さあ、こいつにどうしてほしい? 飛んでほしいか、あるいは歌でも歌ってほしいか?
温かみのある幼龍
だ、ダメ――こんなのおかしいよ!
冷ややかな幼龍
……
こうなるのが嫌なら、なぜ羽獣が生きているうちにお前の炎を使わなかった?
そうしていれば、こいつはもっと長く生きられたはずだ。凡庸な人間のやり方にこだわる必要などないことはわかっていただろうに。
温かみのある幼龍
だって、母さんが言ってたから。炎は飲み込んでおくようにって。ちゃんと隠して、誰にも見られないようにしなさいって……
冷ややかな幼龍
誰が見ると言うんだ?
幼龍は姉の目を見ないよう視線をそらしたが、結果として綿のベッドの上でぎこちなく立ち尽くす羽獣の姿が視界に入った。
羽獣の目には紫の炎が燃えており、その首をかしげる仕草さえもが姉にそっくりだった。
あるいは、私たちはまだ心の奥底で、叶いようもない願いを抱いているのだろうか?
気高い赤き龍
姉さん、血が出ているよ……ケガをしたの?
貪欲な赤き龍
大したケガじゃない。あの大公爵が寄越した密偵のほうが、よほど多くの血を流したさ。
気高い赤き龍
いま手当てするから……
貪欲な赤き龍
ワーウィック伯爵は?
気高い赤き龍
伯爵は……用事があって、出かけてる。
貪欲な赤き龍
そう、あの男はいつも用事があると言い、そしてお前はその言葉に納得していたな。
その「用事」で出ている間、伯爵はあの密偵がお前と詩について語り合うのを止めようとさえしなかった。
気高い赤き龍
私たちの素性や、伯爵の理想に関する情報は洩らしていないつもりだったけど……
貪欲な赤き龍
お前が余計な話をしないことなど、伯爵邸の誰もがわかっている。ワーウィック伯爵が確かめたかったのはそんなことじゃない。
気高い赤き龍
……
貪欲な赤き龍
理解したようだな。お前が密偵を逃がそうとも、伯爵には奴を闇に葬る手段が間違いなくある。一方で、私たちの身にはまた一つ細い枷が増やされるんだ。
気高い赤き龍
ごめんなさい、私……
貪欲な赤き龍
謝らなくていい。そんなことをしても無意味だからな。
かつては賑わいに満ちていた客間はがらんとしており、包帯を裂く音は空気を重たく感じさせていた。
貪欲な赤き龍
お前が近頃気に入っているシェイマス・ウィリアムズの詩、思い出せるなら、いくつかそらんじてくれないか。
気高い赤き龍は姉の怒りに触れないような詩を頭の中から探し出そうとした。それがターラーにまつわるものでも、戦士にまつわるものでも、あるいは古い伝承にまつわるものでも構わないからと――
だが浮かんできたのは、争いとは無縁の詩句だけだった。
気高い赤き龍
「大地は、不幸な偶然により結末を失った、馴染みのない伝説の一節に過ぎない。」
「そして私は、森に伝わる知識しか知らない、一人の吟遊詩人に過ぎない……」
彼女は姉の顔をこっそりと伺い見たが、そこには何の変化も見られなかった。ゆえに彼女は勇気を出して、続きを暗唱した。
そうして最後までそらんじた頃には、包帯にも綺麗な結び目がついていた。気が付けば、姉は詩の響きの中で深い眠りに落ちていた。
あるいは……?
気高い赤き龍
姉さん。
貪欲な赤き龍
ああ、ラフシニー。待ちくたびれたぞ。
新しくできた友人はどうした? はぐれ者の霊の守人と、活発なノマドの娘がいただろう。
お前さえいれば、障害はすべて取り除かれるはずだろうに。
気高い赤き龍
二人は街に来ているよ。でも今のところ、この問題は私たちだけのものだから。
貪欲な赤き龍
そうだな。
バルコニーは冷えるだろう。廊下で話すとしよう。
気高い赤き龍
この要塞は、ラヴラーハが命を落とした王城の模造品でしょう。その廊下で、ということは……姉さんは、あの不名誉な歴史を繰り返すことにそこまでこだわっているの?
貪欲な赤き龍
どうやらお前は、ターラーという言葉に対する理解をまた一つ深めたようだな。
だが、歴史が繰り返されないことには、それを打ち破ったと言うこともできまい?
見た目から二人を見分けるのは、至難の業でしょう。
けれど、どちらかが口を開けば、姉妹の区別はすぐにつくものです。
――己の興味の赴くままに話題を変えるのがエブラナで、常に礼儀正しいほうがラフシニーですね。
彼女は、物語の結末をとことん突き詰めて――
先生、話の腰を折るのはやめてください。今は物語の登場人物について話しているところですから。
気高い赤き龍
ごめんなさい、エブラナ。
貪欲な赤き龍
いいや。私は嬉しいんだ。ようやく誘いに乗ってくれたことが。
気高い赤き龍
それって、ダンスの誘いのこと?
そうだ。
私は、姉さんと最後まで一緒に踊ろうと思うけど……
教えてほしいんだ。前に会った時、自分のことを、待つことができない人間だと言っていたけれど……あれはどういう意味なの?
姉は微笑んで廊下の端に立ち、妹は壁に掛けられたランプのもたらす影の中で、両手を固く握りしめた。そうすれば、自身の動揺を姉に悟られることはないだろうと考えて……
それは哀れなことだった。本来ならば、この別れをもっと早くに終わらせることもできたはずだというのに。
気高い赤き龍
姉さんは……弱っているんだね。
死の炎には限りがあって、それを広めるたび姉さんも少しずつ蝕まれていくんでしょう。当時のラヴラーハのように……
貪欲な赤き龍
どうやらあの亡霊は、炎こそ私に似ているが、性格はお前のほうに近かったらしい。色々と助けられたようだな。
奴はもともと、ターラー全土が炎に包まれる光景を見たかっただけだろうに。
気高い赤き龍
あの人は無理をしていただけだよ……
姉さんと同じでね。
気高い赤き龍はついに影の中から抜け出し、前へと歩み出て、今にも倒れそうな姉の身体を支えた。かつてもそうしていたように。
貪欲な赤き龍
そうか?
結局お前は、幼い頃のように――自分の炎や運命について何も知らなかったあの頃のように、私を守るため前に立とうとしていたのだな。
本当に長い時が過ぎたものだ。
気高い赤き龍
私は今でも覚えているよ。隣に住んでいたマーフィーおばさんが亡くなった時のこと。姉さんはおばさんのことが嫌いだったけど、棺の中の綺麗な花を気に入って……
炎を使って、棺の中に横たわるおばさんの姿勢を変えてしまった。
私は花についた焦げ跡を見て、姉さんが怒られると思って……父さんと母さんに、私がやったと伝えたんだ。棺を開けてまた閉じた経緯まで、作り話を考えて……
貪欲な赤き龍
結局は叱られることになったがな。
我々の不運な両親には、家族の炎を隠すことすら手に負えなかったのだから、花束のそばについた焦げ跡など気にするはずもないというのに。
気高い赤き龍
……そうだね。
貪欲な赤き龍
お前がいつも、あと一歩踏み出せずにいたのはそのせいか?
気高い赤き龍
姉さんは、人生の中でしてきたあらゆる決断を、小さな頃の不幸な出来事一つのせいになんてする?
貪欲な赤き龍
……ふふっ。
気高い赤き龍
姉さん、お願いだから、今ならまだ間に合うと言って。
一緒に要塞の下の広場へ行って、みんなから炎を返してもらおう。
一緒にターラーの原野へ行って、姉さんのアーツで意図的であれ無意識的にであれ目覚めさせてしまった死者たちを、安らかに眠らせてあげよう。
元気が出ない間は、私が詩を詠んであげるよ。姉さんが眠りに就いてから、また目が覚めるまで、ずっと。
全部まだ間に合うはず、だよね?
貪欲な赤き龍
お前は口にしたことを必ず守る人間だ。その気高い心が、何があろうと約束を果たさせるからな。
だが、今語ったその光景は、本当にお前を幸せにするものか?
あるいは、それは両親を失った雪の夜をまだ経験していない頃のラフシニー・ダブリンを喜ばせるためだけの……美しい幻ではないのか?
気高い赤き龍
……
貪欲な赤き龍
確かに、詩というのは良いものだ。愛も、夢もまたそうだろう。けれどもう、夢から覚めるべき時だ。
私を殺せ。本気でこの混乱を解決したいと思うなら、それ以外に方法はない。
そののちに、あの冠を戴くんだ。そうすればお前は私となり、私はお前となる。
気高い赤き龍
できないよ。それだけは。
貪欲な赤き龍
ならば、細かいことは私が死んでからゆっくり考えればいい。
これ以上迷うな。
お前が戻ってきた時点で、私たちに残された選択は一つだけなのだから。
姉の口元が意味深に弧を描いた。
貪欲な赤き龍
踊ろう、ラフシニー。
気高い赤き龍
これが……姉さんが待ち望んでいたダンスなの?
貪欲な赤き龍
こういうダンスがあってもいいだろう?
妹は目を閉じると、今にも倒れそうな姉の身体に向けて、両手で槍を構えた。
鋭い穂先が赤き龍の身体を貫く。それでも彼女は、何も起きていないかのようにその場に立ち続けていた。そうして、妹の手が腰に回されると、ようやくゆっくりと倒れこんでいく……
……ダンスを踊り終えたかのように。
気高い赤き龍
うん……わかってた。
とっくにわかってたよ、姉さん。
でも、どうして今じゃなきゃいけなかったの?
貪欲な赤き龍
……では、いつなら良かったんだ?
よく晴れた昼下がりに、私と善悪を巡る議論をじっくりと重ねた末に、その槍をこの心臓に突き入れたかったとでも言うのか?
お前は戻り、私と共に踊ってくれた。それだけで十分だ。
気高い赤き龍
……私は、悲しみも憎しみも、正しい炎の中にくべれば、いつかは生きるための力に変わっていくと思っていたんだ。
貪欲な赤き龍
悲しみと、憎しみか……それを認めたようだな、ラフシニー。
気高い赤き龍
……
貪欲な赤き龍
だが、その気高さがついにお前を害するに至ったな。お前の炎はどうしたんだ?
気高い赤き龍
姉さんの炎をこんな形で終わらせるわけにはいかない。
貪欲な赤き龍
ふっ、それは……街の人々を思ってのことか?
気高い赤き龍
姉さんは死ぬことになるけれど、姉さんの炎は葬儀の場で……返し火の儀の中で消えるべきであって、今消えてはいけないから。
貪欲な赤き龍
それでも、お前はわざわざ死者の手を取って、内心の迷いや後悔を訴えるような真似などせず、もっと早くに燃え盛る炎で死を駆逐するべきだった。そうでなければ……
お前は今と同じように、すべてを救う最後の機会を……逃すことになるだろう。
気高い赤き龍は驚きのあまり手を放してしまった。姉の身体は、心臓を貫かれる前と変わらぬ冷たさのまま、床に崩れ落ちていく。
貫かれたその傷口からは、鮮血ではなく紫の炎が勢いよく吹き出した。それは瞬く間に廊下全体を埋め尽くし、要塞中へと流れ出していく。
気高い赤き龍はバルコニーへと駆け出したが、死の炎は彼女よりも速かった。
彼女の炎が一筋の光も放たぬ内に、紫の炎はナ・シアーシャ中へと燃え広がっていた。
以前彼女がここから街を見渡した時、市内の炎はまだまばらに灯っているだけだった。その後、再び街へ足を踏み入れた時には、紫の炎が街を冷たく染め上げていた。
そして今……
ナ・シアーシャは燃え盛っていた。これまでに見た、安らぎを得られぬ死者たちと同じように。