支離滅裂な早朝

ティッピ
モリー、マイケルさんに頼まれたのは昨日が初めてじゃないでしょ?
ランクウッドに来てからそんなに経ってないし、あんたの性格なら、相手がよっぽどしつこく迫ってこない限り、自分の責任範囲を遥かに超えたことには絶対に手を出さないはずだもんね。
モイラ
……
ダルトンさんが事故に遭って班長がプロデューサーに解雇されて、突然小道具班を引き継ぐよう言われた次の日から……マイケルさんに声をかけられてたよ。
正規の手続きを飛ばして、誰にもバレないようにここを離れたいんだって言ってた。
ティッピ
それってつまり、グレータさんに知らせないまま、契約解除もせず区画離脱手続きも取らずにってこと?
でも主役なんだし、ここから逃げたら必ず誰かしらにバレるでしょ。そうなったら結局は違約金を払わないとじゃない?
モイラ
仮に……マイケルさんが何か大きな脅威にさらされているなら、たとえ後で違約金を払うことになるとしても今すぐここから離れたがると思う。
言われたの。小道具班は全ての工具を使えるし、区画全体の構造にも詳しいから、私なら……
ティッピ
あんたならどうにかできるはず。
モイラ
うん。
ティッピ
確かにそうかもね。でもマイケルさんの撮影はまだ終わってないんだし、もし彼が本当に逃げられたとしても、あんたが手助けしたってバレちゃったら……グレータさんは容赦しないでしょ。
モリー、今後ランクウッドでやっていけなくなるかもしれないって考えたことないの!
あんたのお姉さんがどれだけ悲しむか、考えたことないの!
モイラ
姉さん……
ティッピ
家族のみんな、あんたがランクウッドでチャレンジするのに反対してたけど、お姉さんだけはずっと応援してくれてたって言ってたっしょ?
だから、あんたが成果を上げなきゃいけないのは、家族に何かを証明するためじゃなくて……
モイラ
ただ姉さんを失望させたくないだけで、姉さんにはずっと喜んでいてもらいたい。
ティッピ……もう怒らないでくれる?
お願い!
ティッピ
あたしはただあんたが黙ってたことに怒ってるだけだよ。
あんたがマイケルさんに協力することはないのはわかってる。ただどうやって断ればいいかわからなかったんでしょ……あたしなら力になれたのに。
モイラ
わかったよ、ティッピ。あなたがこんなに怒ってるの、初めて見た……
ティッピ
……
モイラ
え、映画でも見る?
ティッピ
はぁ……
見る!
マリオン
……あたしを連れて、こっそり逃げ出したいって?
マイケル
そうだよ、ハニー。もうちょっとだけ一緒にいよう、それから急いで部屋に戻って荷物を取りに行こう、いいかい?
マリオン
たとえあの小道具師が方法を見つけて、区画離脱手続きを避けることができたとして……契約違反から逃れられるの?
撮影はまだ終わってないのよ。グレータがどんな女か知ってるでしょ、莫大な違約金を請求してくるわよ!
マイケル
そんなの構ってる場合じゃない! 契約から逃げるとかどうでもいい。あの殺人鬼から逃げられればそれでいいんだ!
ダルトンさんが死んだ、シェリーも死んだ……君と俺の順番が回ってくるまで、あとどれだけあると思ってる?
五年前のあの事故が起きた時、君も俺もローラを見殺しにしただろ……
殺人鬼はローラの恋人か、父親か、それか正義の使者を名乗る変人かもしれない……とにかく、そいつは当時の関係者を殺して回ってるんだ!
そいつは俺たちに懺悔を、贖罪をさせるつもりなんだ!
だからハニー、君をこの場所から連れ出す。俺たちはまだ一緒に長い余生を過ごさなきゃいけないんだ……
マリオン
あら、感動的ね。
ダーリン、あんたいつからそんなに愛情深くなったの?
マイケル
え?
マリオン
メラニーにウィンクしてる時や、セット班のアンナや総務班のミラとイチャついてる時……
何てことでしょう。あんたの頭の中には、あたしと長い余生を過ごすことがあったなんてね?
マイケル
そ、それ、今何か関係があるのか? 重要じゃないだろ。
マリオン
重要なのは――あたしは行かないってことよ、マイケル。
それに、あんたも逃げちゃダメ。
マイケル
……
マリオン
あたしがどんな思いで、あんたのためにグレータのチームで主演を演じるチャンスを勝ち取ったか分かってる? しかも一人三役、どれだけレアだと思ってるの!
このチャンスを上手く掴めれば、あんたはランクウッドで大ブレイクできるのよ!
マイケル
チャンスは今後もあるさ……
マリオン
あたしを見なさい、マイケル。
今回の『ミズ・デュポンの死』でのあんたの衣装は、メラニー――絶対的な主演女優の衣装よりも精巧で目を引くものよ……
あんたの香水も、ファッションウィークに参加する時のアイテムも、全部あたしの蓄えから出したものだし、ヴァルポに見せるためのフェイクの耳や尻尾だってあたしが直々に手掛けてるの……
あたしがいなくなったら、みんな気づくでしょうね。輝かしい姿でカメラの前に立っていたあんたという商品が急に……魅力的じゃなくなったことを。
付き合ってからの五年間、あたしはあんたに全てを捧げた。今じゃ蓄えも少なくなってきたし、年だって若くない……もう待てないのよ。
あんたを愛しているの、マイケル。あたしの愛を裏切らないで。
マイケル
それが――愛だって?
ダルトンさんが死んだあの日、メラニーさんがみんなの前で俺たちの関係を暴いたことを君は喜ぶべきじゃないか?
みんなから見れば、俺はスキャンダルばっかりのプレイボーイさ。で、君は全てを捧げておきながら、堂々と彼女とも名乗れず他人からからかわれる始末だ……
なんて哀れなんだろうな!
マリオン
だって実際そうでしょ?
マイケル
君も言っただろ、ただ商品に投資をしているだけだって……投資なら、損失は覚悟するものだ。
ダルトンさんが飲んだくれになってなければ、君がどうにか投資をしようとしたのは彼なんじゃないのか?
君は、寄生したくても、宿主を見つけられないただの虫けらだよ、マリオン。
君を見てると滑稽で笑いたくなる……まあもちろん、俺自身はそれ以上に可笑しいけどな。
マリオン
……
マイケル
話がこうなった以上、俺は一人で行く。君はここに残ればいい。
一つアドバイスしとこう。あのルシアンとかいう色男への投資をしてみたらどうだ。あいつは初めての映画撮影でチーム全員を驚かせた逸材だ。投資先としてのポテンシャルは申し分ない……
マリオン
あんたがここから一歩でも離れたら、すぐにグレータに告発しに行くからね。
マイケル
本当に頭がおかしい冷血女だな。あの殺人鬼が怖くないっていうのか?
マリオン
どうして怖がる必要があるの?
当時、ローラがどうして転落死したのか、あたしが知ったのは後になってからよ。
見殺しにしたのは、あんただけでしょ。
マイケル
……お前!
――
マリオン
マイケル、どこ見てるの?
激しい波のように湧き起った怒りが、一瞬で「ヴァルポ」を呑み込んだ。彼は楽屋の隅にある消防斧を見つめ、拳を握り締めた。
ティッピ&モイラ
あっ――
ティッピ
主人公たち、動力層に逃げ込むべきじゃないよ! 地上は操り人形だらけだけど、なんとかできるはずだって……だよね、モリー?
モイラ
私もそう思う。
移動都市の地下構造に入っちゃったら、空間が一気に狭くなるから、「ザ・レイス」に見つかったらどこにも逃げられないよ……
一人一人「ザ・レイス」に見つかって、ダクトに吊るされて、果てしない暗闇の中でゆっくりと死を待つしかない……
ティッピ
制作チームのインタビューに参加したことあるんだけど、人を吊るすシーンはクルビアの荒野に住むどっかの部族の儀式を参考にしてるんだって。懺悔とか審判とか、そういうやつ……
今のところストーリー展開はちょいとおバカだけど、でも動力層で撮影されたこのシーンはめっちゃ好きだな。
モイラ
どうして?
ティッピ
だって全部ロケ撮影なんだよ!
区画を借りるお金がなくなっちゃったらしくて、他の制作チームの撮影区画にこっそり忍び込んで、このシーンを撮ったらしいよ……スリル満載でしょ?
モイラ
あれ、待って……この映画、前にも映画館で見たけど、今のシーン初めて見た気がするよ?
ティッピ
当たり前じゃん、これは審査に出されたマスターフィルムのコピーなんだから!
モイラ
えっ――そんなに貴重な映像、どうやって手に入れたの?
ティッピ
それは……
まっ、筋金入りのホラー映画愛好家として、こういうのは必須スキルだよ!
モイラ
ティッピって、何か秘密があるよね……
前から気づいてたけど、映画のことにしろ、ランクウッドの業界内の色んなことにしろ、ティッピは詳しすぎるよ。スプレーアーティストってそんなに色々知ってるの?
ティッピ
もー、怒っちゃったもんね!
とっておきの宝物をわざわざ引っ張り出して見せてあげたのは、あんたに元気になってほしいと思ったからなんだよ。なのにあたしを尋問するなんて、うぅ……
モイラ
わかったってば。ごめんごめん、泣かないで、もう聞かないから。
ティッピ
映画に集中しようよ……モリーったら、いつも気を散らしてばっかり!
モイラ
バレちゃったか。
ごめんね、最近チーム内でたくさんのことが起きて、私……少し気を張ってて……
ティッピ
あたしがそばにいるでしょ!
モイラ
それもそうだね!
ティッピ
じゃあ、元気になった?
モイラ
うん!
ティッピ
モリー、聞いて。
あたしが何者だったとしても、このチームの中では、あんたのいっちばんの友達だからね!
たとえ外に殺人鬼がいようと、親友として、あたしが守ったげる!
仕事がうまくいかなかったら、ベストフレンドたるもの一緒に頑張るんだよ。スプレーアーティスト・ティッピと小道具担当のモイラはランクウッドのホラー映画ゴールデンコンビになるんだから!
もちろん、あたしたちがもっともっと仲良くなったら、家族を紹介してあげる……その時はあんたにとって、サプライズになるかショックになるかはわかんないけど!
モイラ
じゃあ……
じゃあその時は、私も姉さんにあなたを紹介するね!
三人で一緒にランクウッドについて語ろう。姉さんが私たちにリンゴを剥いてくれるよ。三十秒くらいでするする剥けちゃうんだから。きっとティッピは姉さんのこと好きになると思う!
ティッピ
じゃあ約束だよ!
旧式のテレビが明かりの消えた部屋に光源を提供し、二人の女の子の顔を照らす。奇妙で恐ろしげな音が響き渡っていたが、二人が明るく笑うのには何の差し支えもなかった。
二人は寄り添い合って、画面の中の慣れ親しんだ「恐怖」で外の恐怖に抗い、芽生えた友情の中で未来に思いを馳せていた。
なんとも得難く、静かな夜だった。
不運なスタッフ
今日のスタジオはどうしてこんなに暗いんだろう?
はぁ、先にモイラちゃんに聞いておくべきだったなぁ。あの子は毎日来るのが早くて、ブレーカーの場所に詳しいし。
小道具部屋はそんなに離れてないはずなのに、なんで着かないんだろう。まさか私、同じ場所をぐるぐる回ってるのかな……うっ、なんかおかしいよ……
ん? 何の音? 聞き間違いだよね?
澄んだ水滴の音が、ホーティンの疑問に答えるかのようにひっそりとしたスタジオ内で響く。しかし、そんな思いやりのある「行動」はむしろ、彼女にさらなる困惑と恐怖を与えた。
ホーティンは今いる場所の真上に水道管などないことをよく知っていた。しかし彼女が耳にした音はすぐ近くから聞こえてきていた。
不運なスタッフ
誰! 一体誰がそこにいるの!
また私をからかって、仕事終わりにその話を酒のつまみにするつもり?
い、今出てくれば、絶対に怒ったりしないから! まさかモイラちゃんまでいたずらに加担してるの? 若い子に何てことさせるのよ――
きゃっ――
ホーティンは地面に倒れ込み、腰の後ろに違和感を感じて自分が懐中電灯を持っていたことに気づいた。だがその物忘れを自嘲するよりも早く、甘い生臭さが鼻をついた。
彼女は恐怖を感じながらも立ち上がり、懐中電灯をつける――
一陣の風が吹き抜け、スタジオの高くに吊るされたロープが揺れる。ホーティンがよく知る二人も、そっと揺れている。争うことも口論することもなく。
マイケルとマリオン――常に制作チームの話題の種だった「恋人同士」が、互いに背を向けて死を迎えた。
懐中電灯の弱弱しい光に照らされた二人の顔が、表情が、体の揺れが、そして優美に舞う埃が、ホーティンの目にははっきりと見えた……
彼女はその光景にある種の、名状しがたい不気味さと……神聖さを感じた。
ふと、以前ティッピに誘われてホラー映画を見た時に言っていたことを思い出す……
クルビアの荒野に住むどこかの部族の儀式では、吊るすことは死者への審判を、罪ある生者への警告を意味すると。
照りつける太陽に晒されて死体がひび割れるまで、吊るされた者が十分な報いを受けたと皆が認めるまで、そしてロープが罪の重みに耐え切れなくなるまで――
どさっ!
不運なスタッフ
だ、誰か来て――!
ホーティンは、よろよろと外へ逃げる。彼女は思った――
なんとバカげていて不運な朝だろうか。