思い出からの墜落
「全ての出会いに、美しい結末があるわけじゃないのよ、アーミヤ。」
「物語の中には、唐突に終わりが訪れたり、聞けば夜も眠れなくなるようなものがある。そして……最後にはただ、深いため息をつくしかないような話もあるわ。」
「果てのない荒野で人々は出会い、それから別れる時がくる。だけど互いにすれ違ったその瞬間に……」
「互いの目を見て、きちんと別れを告げるべきかどうかは、誰にも分からないの。」
テレジア
どうぞ。
アーミヤ
テレジアさん、おかえりなさい!
テレジア
アーミヤ?
こんな時間なのに、まだ寝てなかったの? ケルシーに見つかったら叱られちゃうわよ。
アーミヤ
えっと……なんだか眠れなくて。
テレジア
一緒にいてあげましょうか?
アーミヤ
だ、大丈夫です! 他にお仕事があるんでしたら、私は一人で――
テレジア
ひょっとして、一日中ずっと私のこと待ってたの? 何かあったのかしら?
アーミヤ
いえ、なにも! みなさん……すごく優しくしてくれますし、授業も順調です。ケルシー先生から出された宿題も、全部終わらせました!
でも……
テレジアさんは最近とても忙しそうなので、邪魔しちゃいけないのは分かってたのに。どうしてだか今日は……とにかく会いたくなってしまって。
テレジア
……そうだったの。
アーミヤ、こっちにいらっしゃい。
テレジアはしゃがみ込んで、アーミヤをそっと抱きしめた。
テレジア
お待たせしちゃったわね。
アーミヤ
……いいえ。
前に、みなさんがどこかへ行ってしまった時、テレジアさんだけがここにずーっと立ち尽くしていましたよね……あの時の表情をいまだに覚えてるんです。その、私、よく分からなくて……
テレジアさんは何を心配しているんですか? みんな、私たちはもうすぐ勝てるんだって言ってますよ。
テレジア
そうよ、次々といい知らせが届いているわね。
私たちの戦士は、一つまた一つと町を攻め落として、戦場の制圧に成功してるの……私たちの故郷、カズデルへ着実に近付いているのよ。
だけど……
……
バベルの歩むべき道のりはまだまだ長いの。長すぎて……初めの頃に目指していた目的地に向かって進めているか、私にも分からないくらいよ。
テレジアは軽くため息をつくと、どこか遠くの方を見つめた。アーミヤがテレジアの視線を辿ると、そこには何も見えなかった。
テレジア
アーミヤ、バベルは決して「勝利」のために存在するわけじゃないわ。
勝利には傷がつきものよ。そしてその傷を癒すのは……私たちの想像よりもずっと難しいことなの。
……いいえ、そもそも本当に癒せるのかしら?
まるで水に溶けていく夢のようにか細い声で、テレジアはそう言った。霧らしき何かが立ち昇ると、束の間見せた笑みは段々と遠く、おぼろげになる。
その時小さなコータスの女の子は、ずっと自分の手を引いてくれていた彼女も、一緒にその霧の中へ消えてしまうのではないかと、ふと思った。
そこで一生懸命につま先立ちをして、手を伸ばした。少女の柔らかな指が、魔王の眉間に寄ったしわをほぐそうと、優しく撫でる。
アーミヤ
……
……大丈夫、きっと大丈夫です。
テレジアさんが前に言った言葉を、私ずっと覚えてるんです。
「いつの日かこの大地の一人一人が、落ち着いて静かに眠りに就けるようにしたい」って。
テレジア
……そうよ。その中には、あなたも私も含まれているわ。
さあ、もう寝なさいアーミヤ。将来のことはその時が来たら話せばいいわ。でも今日も夜更かししたら、本当に背が伸びなくなっちゃうわよ。
いつの日か、ロドスが様々な場所を堂々と駆け巡る時が来るわ。その時になってもあなたがまだおちびさんだったらどうするの?
アーミヤ
うう……
……お耳をピーンって伸ばせば、背が高く見えるでしょうか?
テレジア
……くすっ、ふふっ……
ねえ、もしかしてお部屋に戻りたくないの?
アーミヤ
ち、違います! 私は悪い子じゃありませんから! でも――
テレジア
はいはい。それじゃあ、ケルシーには内緒で、もう少し一緒にいましょう。
……最後にお話聞かせてあげたのは大分前よね?
アーミヤ
大丈夫です。前に聞かせてもらったお話を、全部覚えてますから!
「むかしむかし、大きな大きな砂漠に立ち向かう、布で作られた小人がいました。小人は誓いました。いつかこの砂漠を抜け、伝説に語られる希望の平原を見つけるんだ……」
でもテレジアさんは、いつも結末まで話してくれませんよね――
テレジア
それはね……
砂漠には恐ろしい物事がたくさんあるからよ。あなたが聞いたら、本当に眠れなくなっちゃうわ。
アーミヤ
私、怖くありません! それにテレジアさんのお話なら、きっと素敵な結末が待ってるはずですから。
テレジア
……ええ。
その砂漠はね……
まるでどこまでも続くかのように、とても広い砂漠でした。
布の小人はたくさんの冒険を経て、ついにその地へたどり着いたのです。彼の目的地、「希望の平原」はもうすぐそこにありました……
アーミヤ
その平原はどういうところなんですか?
テレジア
そこはね……誰もが「故郷」と呼びたくなるような、そういう場所よ。
アーミヤ
じゃあ、食べきれないくらいたくさんのキャロットパイがあって、船のお兄さんお姉さんたちも、みんな一緒ですか?
テレジア
そうかもしれないわね。
でもね、物語はいつもそう簡単にはいかないの。彼にはまだ乗り越えるべき苦難が待っていたのよ。
砂漠の夜はとても寒く、風も吹き続けていました。すると双月の下で、なにやら黒ずくめの影たちがこそこそ話をしているようです。しかし追いかけようとしても、彼らはふっと消えてしまいます。
アーミヤ
その黒ずくめの影って?
テレジア
とてもとても昔から残っている、絶望と悲しみのこだまよ。一度彼らに捕まってしまえば逃げることはできないの。
小人を止めるため、影たちはひそひそと話し合いながら、次々に罠を仕掛けました……
黒ずくめの影は、小人が旅を続けることを望んでいませんでした。そこで小人を引き返させるためにあらゆる手を尽くしました。
なぜなら、小人が砂漠を越えれば希望が広がってしまい、影は消えてしまうからです。
しかし小人はそんなことなど露知らず、目標を変えることはありません。
罠を掻い潜り、陰謀から逃れ……影たちの計略は全て無駄になりました。怒り狂った彼らは、もはや隠れることをやめ、布の小人との決戦に臨むことにしました。
すると押し寄せる影たちを前にした布の小人は、針と糸でできた槍を取り出して、彼らと――
アーミヤ
その影たちはどうして、絶望と悲しみのこだまになってしまったんでしょうか?
テレジア
それはね……
アーミヤ
鉱石病にかかって、体が痛くて眠れないんでしょうか?
もしそうなら、小人さんは彼らを治してあげられますか? テレジアさんとか、ケルシー先生がやろうとしているみたいに。
テレジア
……彼らを、治す?
アーミヤ
小人さんが影たちを治して、ええと……平穏と、喜びの影に変えてあげれば、みんなで一緒に希望の平原に行けますよね。
それとも影たちは生まれつき性格が悪いから、誰かを怖がらせるのが趣味なんですか?
テレジア
……いえ、もちろん違うわ。
影たちは……全身が傷だらけだということに小人は気づきました。その傷のせいで、今のような姿になってしまったのです。
アーミヤ
小人さんは、針と糸で傷口を縫って彼らを治せますか? テレジアさんみたいに!
テレジア
そうね……ひょっとしたらできるかもしれないわね。
アーミヤ
ふわぁ……
テレジア
あら、眠くなってきたの?
アーミヤ
い、いえ! それで、傷は治せたんですか?
テレジア
小人は何度も試しましたが、縫い目は荒く、醜くなっていくばかりです。しまいには、黒ずくめの影たちを怒らせてしまいました。
アーミヤ
そ、それで……?
テレジア
平穏と喜びというのは……そう簡単に手に入れられるものではないのかもしれない。だけど結局、彼らは小人を見逃してあげることにしました。
影たちは小人にチャンスを与え、先へ進む小人を見送ったのです。ですが……行く手は、大きな川に塞がれていました。
一体どれだけ広いのかもおぼろげでしたが、向こう岸が見えないことだけは分かりました。
希望の平原はきっとこの向こうにある。布の小人はそう思いましたが、近くに船はなく木の葉一枚すら落ちていません。
一体どうしよう? 知恵を絞って考えた小人は、泳いで渡れるか試してみることにしました。
アーミヤ
でも……小人さんは……布でできてるんじゃ……
テレジア
ええ。布でできた小人は、水に濡れれば体がどんどん重くなって、最後には川に沈んでしまうでしょうね。
でもここで諦めたら今までの冒険が全て無駄になってしまうわ。
布の小人はついに水の中に飛び込みました。すると、川の水は冷たく、塩辛くて、まるで涙のようであることに気づきました。
……この大地にはかつて希望の平原を目指した人がたくさん、たくさんいたのです。しかし彼らは皆、結局は失敗してしまいました。
そんな彼らの涙が集まって、この川が生まれたのです。布の小人は理解しました。かつてその夢のために涙を流した人が、こんなにたくさんいたということを。
……
アーミヤ
すぅ……すぅ……
テレジア
布の小人が泳ぎ続けていると、段々と自分の体に涙がしみ込んできているように感じました。
向こう岸なんて本当に存在するのでしょうか? 影たちの言葉は正しかったのかもしれません。その場所が「希望の平原」と呼ばれているのは、誰もそこまで辿り着けないからではないでしょうか。
人々が話す言葉はそれぞれ異なるし、心も通じ合うわけではないのだから。
故郷……「故郷」ね。
だけどそこが川である限り、最後に流れ着く場所がきっとあるはずだわ。
おやすみなさい、アーミヤ。
いい夢を。
アーミヤは自分がどうやって部屋に戻ったか覚えていなかった。その晩、彼女はとても安らかに眠った。
布の小人は向こう岸に辿り着けただろうか? あの話は結局、どういう結末を迎えたのだろうか?
どこからともなく川が現れて、こちら側と対岸とで繋がりが途絶えた。
アーミヤ
あっ! ドクター、いつからそこに?
みなさんを待たせてしまいましたか? ごめんなさい、すぐに……
……はい!
大丈夫です、ドクター。準備はできてます。
行きましょう、一緒に。
シージ
出発の準備は大方整ったな。我々は全員でブレントウードを離れねばならない。幸いこの骨骸には皆を乗せられるだけのスペースがある。
ホルン
私たちがこの町と「ライフボーン」を管轄下に置いたことは軍事委員会には知られているでしょうね。この骨骸の重要性は語るべくもありませんから。
もしかしたら反撃部隊が既にここに向かっているかもしれません。あるいはサルカズたちは今この瞬間も、私たちの動向に目を光らせているかも。
彼らの高速機動部隊――巫霊たちが上空にいるのは……霧の中から常にこちらを見つめる目があるようで、実に不気味です。
アーミヤ
これからの戦いは、ますます危険になるでしょうね。
シージ
それは皆承知の上だ。模範軍はロンディニウムへの反撃を諦めたりはしない。我々に他の道はないんだ。
ヴィクトリア人はあまりに長く我慢を続けてきた。
ホルン
幸い、こちらには骨骸があります。上手くいけば我々の一時的なアジトになりますし、怪我人や一般人たちの落ち着き先としても使えるでしょう。
シージ
ヘドリーさんいわく、あらゆる場所への「転送能力」まであるらしいしな。乗員にはちょっとしためまいの副作用が起こり得るそうだが。
貴重な助力であることには違いない。だが……
アーミヤ
……重要な輸送手段であるはずなのに、軍事委員会はどうして死に物狂いで守らなかったんでしょうか?
前線での負担が大きすぎて諦めざるを得なかったか、あるいはドゥカレ……あのブラッドブルードの大君の油断によるものかもしれませんが……
それよりもあり得るのは、ロンディニウム内で彼らが進めている計画が……外の事なんて気にしていられないような段階にまで発展したという可能性です。
大君の最後の儀式は、結局完成してしまいました。彼らが「ライフボーン」を放って他に目を向けているのは、そのことが原因かもしれません。
ヘドリーさんはすでに骨骸の意識と交渉を済ませています。相手は…「私たちの提案に従う」そうです。あの力があれば、いつでも戦場に戻れます。
ホルン
何より一番重要なのは、あれのおかげで飛空船とザ・シャードに近付くチャンスが得られることです。
このカードをうまく切ることができれば……降下作戦によってロンディニウム内部に直接奇襲を仕掛けられるかもしれません。
シージ
奴らの司令部を直接攻め落とすか。悪くない。気に入った。
ホルン
ザ・シャードの周辺はかなり厳重に守られてますし、軍事委員会の飛空船も、我々が彼らの頭の上に留まることを許したりはしないでしょう。
我々としては奇襲の糸口を探し出し、部隊がそこに辿り着いたら直ちに「ライフボーン」を離脱させるしかありません。
シージ
つまり、奇襲部隊の退路はないということか。
だがそれと同時に、アーミヤがずっと懸念していることも解明せねばならない――サルカズたちが一体何を企んでいる?
そして奴らの小細工をどうすればぶち壊せる?
我々だけで短期間のうちにザ・シャードを攻め落とすのは容易ではないだろうが……あの大都市には、まだ味方がいくらかいる。連絡を取らねば。
ホルン
得られている情報から察するに、ザ・シャード内部を守る戦闘員はさほど多くはないはずです。
あの指揮官と戦った経験から考えると、もしテレシスが……アーミヤさん、勝算はどれくらいあると思いますか?
アーミヤ
いえ、そもそも真正面から争うような事態はなるべく避けるべきだと思います。テレシスはそう簡単に倒せる相手ではありません。
それに現時点で最大の脅威は、強大なサルカズの英雄たちではなくて、彼らが画策して実現しようとしているビジョンの方です。
それを止めなければ、戦争を終わらせることはできません。
ホルン
たかだか数個小隊でそれを実現するのは不可能ですから、ヴィクトリア軍は依然として欠かせない存在と言えますね。
申し訳ありません……デルフィーンさん。
デルフィーン
……ここにいるのは、ウィンダミア公爵に尽くす諜報員であって彼女の娘ではありません。
気遣いは無用です。
ホルン
……ウィンダミア公爵が亡くなったことで、元々辛うじて保たれていたロンディニウム周辺の均衡が崩れました。もはや、大戦まであと一歩の状態です。
フッ。ほんの数週間前までは、公爵たちが一斉にロンディニウムへ攻め込む決断さえ下せば、サルカズたちの敗北は間違いないだなんて思ってたんですけどね。
この戦争は、余裕ぶって高みに座していた全員の想像を超えるような死闘になるでしょう。
シージ
奴らの自業自得だと言いたいのは山々だが、苦しんでいるのは前線の兵士たちと罪なき平民たちだ。
フェイスト
最後に勝つのは……俺たちか、模範軍か、それとも公爵たちか、誰だろうな?
ホルン
……
アーミヤ
……
フェイスト
ああ、わりい。作戦の前にこんなこと言うべきじゃなかったな。
シージ
気にするな。貴様らが懸念していることは分かる。
だが心配はいらない。自らの意志か、あるいは追い詰められてか。どちらにせよこの災厄の中で顔を上げたり、立ち上がったり、心地よい夢から目覚めたりする人々は、決して少なくないのだから。
そう、ここにいる皆だけではないのだ。
今は目の前のことに集中すればいい。戦場を抜けてロンディニウムへ反撃する方法と、ザ・シャードの砲撃を阻止する手段に。
アーミヤ
以前の通信によれば、ロドスの支援小隊も何部隊かロンディニウムに向かっているようです。
今の状況を考えると、ロドスの立場でしかできないことがたくさんあります。
ホルン
各位、異論はないようですね。それでは……
フェイスト
……
全員の視線がアーミヤに向けられる。
あなたはふと、少しの喜びと安心、そして高揚感と誇らしさを覚えた。
なぜなら、アーミヤの傍に立っているからだ。
アーミヤ
この戦争は今や膠着状態に突入しています。テレシスも何らかのさらなる強硬手段でもって、ヴィクトリアを引き裂こうと目論んでいます。
サルカズの復讐に正当性があるかどうか、貴族たちがヴィクトリアの重責を背負うかどうかは関係ありません。
もともと争いの絶えない地なんです。いつまでも問題を解決するために、相手を叩き潰すことしかできないのであれば、この地に未来を語る資格なんてありません。
聴罪師とテレシスは今まさにロンディニウムの心臓の上で、崩壊寸前の帝国に鉄槌を下しつつあります。
私は彼らの元へと向かい、それを阻止するつもりです。
あの「未来」のために。全ての人々の未来のために。
W
こんなに隙間が空いてるの、もったいないと思わない?
クロージャのところから手に入れたいっちばん強力な爆薬を、隅々まで埋められるわよ。
ハッ、あいつらいまだに「ロンディニウムへの奇襲作戦」なんてバカげた話してるけど、相手はあの軍事委員会なのよ? テレシスの奴が、どんな奥の手を隠しているか分かったもんじゃないわ。
イネス
だから?
W
直接爆撃してやるの。
イネス
何かと思えば。軍事委員会がこの骨骸を第二の飛空船として使うんじゃなく、必死に隠してたのはどうしてだと思う?
これ、かなりデリケートなのよ。巫術装置がなければ、巨獣の骨骸に残った生命力との接続がほぼ確立できないの。少しでも衝撃を受ければその場でスクラップになるかもしれないわ。
W
誰がこいつを使って爆弾を飛ばすなんて言ったのよ? こいつ自身を爆弾にするの。
どこへでも飛べて、いつでも好きな時にテレシスの頭上に現れる爆弾なんて、パーフェクトだと思わない?
イネス
……
W
何よ、まだこれを使ってあたしたち全員でカズデルに戻るなんてこと考えてるわけ? テレシスを片付けなきゃ、どこへも行けやしないわ。
だから、一番ストレートなやり方で問題を解決してやるのよ。
イネス
……はぁ。
W
文句でもある?
イネス
いいえ。ただ、そんなに緊張してるあなたの姿を見るとは思わなくて。
深呼吸のコツでも教えてあげましょうか?
W
はぁ?
イネス
いいから、作戦前にきちんと心の準備をしておきなさい。爆弾がいくつあったところで、あなたの気持ちの問題まで解決はできないわよ。
W
……だとしたら、量が足りないだけよ。
イネス
そうね。そういうことにしといてあげるわ。
W
……ふぅ。
イネス。
イネス
なに?
W
前に、リッチと会った時のことだけど……いや、やっぱりいい。忘れてちょうだい――
イネス
まだあのテレジアが本物かどうか考えているの?
W
……!
イネス
そのオモチャをどけなさい。あなたが説得すべき相手は私じゃないでしょう。
それに、あの時まがい物だの何だの好き勝手言ってたのも、私じゃないわ。
W
チッ……やっぱ気色悪いわ、あんたのアーツ。
イネス
影を読むまでもないわよ。自分がどれだけ長い間不安そうな顔してたと思ってるの。
W
……
イネス
次に彼女に会ったら、どうするつもり?
W
あれは偽物だって言ったでしょ。ぶっ殺しておしまいよ。
イネス
もしそうじゃなかったら?
W
救い出して、問いただすわ。
イネス
あれは、あのテレジアよ。
W
分かってる。
イネス
そうは見えないわね。あなたはテレジアと……「敵のリーダー」とどう向き合うか、まだ考えがまとまっていないでしょう。
うまくいかないわよ。自分でよく分かっているでしょう。
W
*サルカズスラング*、ちょっと気分が悪いだけよ! あたしが一番ムカついてるのが何だか分かる?
あたしね、色んなことを覚えてるの! 初めて爆薬の作り方を教えてくれたジジイの頭に生えた結晶とか、あんたとへドリーにかけられた懸賞金の額とか……
ドアと格闘する殿下とか、それから、あのドアにケルシーの髪を挟まれた時のことだって……
そんなクソどうでもいいことばかり、山ほど覚えてるってのに!
……思い出せないの――
どうしても思い出せないのよ。最後に殿下と会った時、いつ、どこで……何を話していたのか。
もちろん、まともな話なんてほとんどしたことないわよ。
あの頃は船にたくさん人がいたし、私はただの下っ端で、殿下はバベルの議長だもの。どうせくだらないジョークとか、軽い文句や愚痴だろうけど――
……
だけど……絶対に、「さよなら」じゃなかった。
だから今回はただ、それを伝えに行くの。そうすれば二度と忘れないでしょうから。
イネス
……
W
さてと、手下の傭兵どもに軍備の状況でもチェックさせに行ってこようかしら。大仕事の準備のためにね。
イネス
お好きにどうぞ。
だけど、もし自分ひとりで前に進めなくなって、誰か背中を蹴飛ばしてくれる人が必要だと思った時には私に言うこと。いいわね。
W
……そうね。
悪夢はもう、うんざり。あたしたちも、いい加減に前を向く時よ。
テレジア
……
テレシス
全ての準備は整った。飛空船はいつでも出航可能だ。
テレジア
ええ。
テレシス
もうすぐだ。じきに終わる。
テレジア
その前に、少し付き合ってくれるかしら? テレシス。
テレシス
……よかろう。
カズデル軍事委員会は、ロンディニウムのいくつかの区画にあるサポートエリアに、このような飛空船ドックを秘密裏に建設した。ここはその中でも最も大きく、飛空船誕生の地でもあった。
恐怖の戦争兵器、破滅の使者、空飛ぶ要塞……飛空船はそう見なされている。
だがこの船が建設された本来の目的を知る者はほとんどいない。それは、とある埋もれた秘密を探るためであり……
さらに言えば、永遠のくびきから逃れるためなのだ。
二人の兄妹が広大なドックの中を歩いていると、すれ違うサルカズはみな足を止め、敬意を表した。
こうやって肩を並べて歩いたのはいつぶりだろう? よくよく考えると、二人で一緒に越えてきた時間と比べれば、離れていたのはごく短い期間だったように思える。
しかし同時に、ずいぶん久方ぶりであるようにも思えた。
テレシス
何を考えている、テレジア?
テレジア
ふと思い出したの。カズデルが移動都市に変わった日に、二人でこうして城壁の上に立ってた時のことを。
誰もが歓喜に沸くはずだったその日に、雨が降ってきた。
これは良くない兆候だ、って誰かが言ったけど、雨の中でも魂の溶炉の炎がとても明るく燃えていたことを、今でもはっきりと覚えているわ。
それ以外にも、たくさんの思い出がふと……もう遠い昔の話ね。
テレシス
ああ。昔の話だ。
……カズデルからカズデルへ……目的地はもはや目前だ。我々の計画も、残すは最後の仕上げのみ。
後世の人々は偉大なる都市がこの大地にそびえる様を目の当たりにするだろう。サルカズは我らの宿願の通り、自らの運命を手中に握るのだ。
そなたの力が必要だ。
テレジア
ええ……分かってるわ。
テレシス
かつてそなたの敷く道を固く信じていた戦士たち、そしてあの「魔王」と呼ばれる子供が、今やそなたの前に立ちはだかっている。
テレジア
あの子たちは必ずやってくるでしょう。私はずっとそう信じているわ。
テレシス
どう向き合うかはもう決めたのか?
テレジア
迷いを抱いたことなんてない。ただ……この日の訪れが遅くなってくれることを願ってはいたけど、いざその時が来てみると、むしろ……
信じていたはずなのに、見くびっていたのは私の方ね。
テレシス、私はとても安心しているの。
私たちがこんな選択を下したにもかかわらず、あの子たちは変わることなく立ち向かってきてくれている。
強靭で、強大で、想像を超えるスピードで成長する彼らなら、最終的にはあなたの目の前まで辿り着くかもしれないわ。
ひょっとしたら今の彼らは、あの頃の何一つ成し遂げられなかった私よりも……ずっとずっと手強いかもしれないわよ。
テレシス
……せいぜい期待しておこう。
テレジア
それじゃ……私もそろそろ出発するわ。
テレジアが飛空船の舷梯を登っていく。テレシスはその場から動くことなく、静かにそれを眺めている。
テレシス
テレジア。
今回は、はっきりと別れを告げておくべきだろう。
テレジア
……
テレシス
……
テレジアは無言で手を伸ばし、テレシスのマントについたしわを撫でて整えた。
テレシス
……(古代サルカズ語)さようなら。
テレジア
(古代サルカズ語)さようなら。
その後、船の扉が閉じるまで。鋼鉄の分厚い影が彼らを覆い尽くすまで。
――二人が言葉を発することはなかった。
サルカズの魂たちからは絶えず鼓動が伝わってくる。テレジアはわずかに目を細め、その奔流に耐えた。
途切れることのない波のように押し寄せる無数のささやき声に埋もれ、沈み、息が詰まる。
中にもかつては、時折訪れるひとときの喜びが、楽しみがあったかもしれないが……それにも増して、どの声にも染み込むほどの苦痛が溢れていた。
テレジア
サルカズの魂よ……私の目にはいまだ対岸が映らない。今やほとんどの力を使い果たしてしまったというのに。
この大地には、その至る所に砕けた心が散らばっている。
なんとならば、私が操ることがかなうのがたとえ哀悼だけだとしても。今、この体を形作っているのが涙であったとしても……
私の櫂となり、舟となれ。
涙で涙を運び、苦しみで苦しみを押し上げる。
私たちも……出航の時よ。
Logosは手中の骨笛を眺めていた。そこに彫られた模様や、擦り減ってできた跡の一つ一つを彼はよく知っている。
母からこれを賜った幼少の頃は、まだ今のように多彩な音色を高らかには奏でられなかったことを覚えている。
ヘドリー
それがバンシーの骨笛か。実物を見たのは初めてだ。
そもそも傭兵をやるバンシーなんてなかなかいない。骨笛を携えた者などなおさらお目にかかれない。
だが骨笛に関する物語なら、いくつも聞いたことがある――
Logos
これは恐怖の象徴であり、その音色の意味するところは死の訪れである。
バンシーは死を告げ、それにより自ら甘んじて死と危難の化身となる。
ヘドリー
だがお前が骨笛を吹いているところはほとんど見たことがない。バベルの頃も、今のロドスでも。
あのブラッドブルードは……お前が血脈の力を拒んでいると責めていたな。
Logos
これはとうに鳴ったのだ。これ以上の旋律は無用である。
この地には死に関する隠喩が、すでに連綿と続く紙幅を埋め尽くすほど存在してはおるが――では、死の後には何がある?
左様、バンシーは死を告げる。なれど、それだけに過ぎぬ。
しかしながら、もし死が万物の終焉にあらず、虚無の他に弔鐘の後に残るものがあるならば、斯様な宣告にも意味などなかろう。
ゆえに、我らは骨笛を置き、骨筆を執ることにしたのだ。
新たな意義は即ち筆先より出ずる。然して古き過去も……ただ、筆先に留まるのみである。
なればこそ我らは今こうして共に立っておるのだ。
ヘドリー
……そうか。
アーミヤ
はい。死の向こう側……新生に向かって。
ケルシー
テレシスが何を企んでいようと、この戦争を歴史の繰り返しにさせるわけにはいかない。過去に幾度となく再演されてきた、サルカズを滅する烈火と化させるわけにはな。
これまで蓄積されてきた憎しみは、容易には消えないだろうが、この大地のあらゆる命を焼き尽くす悪炎となるのを止めることは可能だ。
その中には、全ての種族が含まれる。
アーミヤ
Dr.{@nickname}、私の手に掴まってください。
最後の戦いが……始まります。
巨獣の骨格は身体を揺らすと、再び歴史の中に潜り込んでいった。
時間の断片が濁った川底の気泡のように音もなく弾け、後にはなおも曖昧で朧げなままの残滓がある。
アーミヤは時空のさざ波が押し寄せては過ぎ去っていくのを感じていた。彼女に目を向けると、まつ毛がかすかに震えている。一体何を見たのだろうか?
一瞬の光影かもしれないし、瞬く間に消え去る幻覚かもしれない。
記憶と歴史の間にある距離は、常に我々の想像よりも遥かに遠い。
古代、そして現代。数多の光景が巨獣の下を掠めていく。
その中に身を置く人々は、往々にして時代の進歩や、後退、目前の災難や手中の幸福に感嘆するものだが……
高みから見下ろせば、それらの光景は実際のところ何も変わっていないのかもしれない。
それから、幻はよりいっそう奇怪に歪みだす――
一粒の種が、貪欲に養分を吸い取り続ける。逆巻き、嗚咽を上げながら、あらゆる虚妄の外見を引きはがそうとする。
人類の理解を遥かに超える造物は、ただ静かに待ち続けている。それがほんの一度の小さな胎動をするだけで、大地が砕け、結晶が蔓延るだろう。
ヘドリー
待て、何か妙だ。
これは巨獣の能力じゃない!
空が……空全体が赤く染まった!
――「ライフボーン」が暴走しているぞ! 本来の航路から外れたんだ!
襲撃か?
ホルン
全船室の入口を警戒! 飛行ユニットの奇襲に注意して!
デルフィーン
対移乗攻撃戦術は展開中です。非戦闘員の方は、避難用の船室まで退避してください。
W
傭兵は今すぐ全員散開して戦闘態勢! ムカつく雑魚どもを乗り込ませるんじゃないわよ!
アーミヤ
被害箇所について何か報告はありますか?
クロージャ
今調べてるところ……だけど……なんか妙だよ! なにこれ。どういうことなの?
設置した観測機器はどれも正常なデータを示してる。この骨骸はどこも損害を受けてないよ!
シージ
見張りから連絡があった。敵影はどこにも確認できないそうだ!
ヘドリー
墜落しているぞ! 制御が効かん!
W
*サルカズスラング*、一体何が起こってるってのよ!
この骨骸はあんたのお友達なんでしょ、ヘドリー! さっさとなだめてあげなさいよ!
シージ
航路はまだ調整できそうか? このまま戦場の中央に落ちるわけにはいかんぞ!
ヘドリー
今やっている!
W
全員掴まってなさい! 少なくとも、骨骸の隙間から放り飛ばされないようにね!
クロージャ
ドローンは全機出撃させたよ。全力で巨獣の背骨を引っ張って、落下の衝撃を多少は減らしてくれるはず。
だけど、過度な期待はしないようにね!
アーミヤ
落下の勢いが収まりません。この速度のままだと……
Logos
「言語の義よ、我らに翼を授くべし。」
「我が言の葉に命ず。支えよ。」
アーミヤ
効いています――
W
バンシーはそのまま呪文を続けて。ヘドリー、このまま進路を北に向けなさい!
あそこに峡谷があるわ。着陸地点としてちょうどいいはずよ!
ヘドリー
やってる。が、巨獣との接続がどんどん弱まってきてるんだ。これ以上指示できることは多くない。
ケルシー
Mon3tr。
Mon3tr
(興奮した雄叫び)
ケルシー
ドクターを守れ。衝撃に備えろ。
Mon3tr
(嬉しそうな鳴き声)
ケルシー
落ち着け、ドクター。大丈夫だ。
W
アーミヤ、そっちは――
アーミヤ
負傷者と一般の方の避難は終わりました。フェイストさんとロックロックさんが、車両を何台か固定してるところです。
W
分かった。イネス、あたしの部下たちはどうしてる?
イネス
一緒にいるわ。今は巫術の準備をしてるところよ。
もう少し時間が必要だけど、衝撃を半分くらいは抑えられるはず。
ヘドリーに伝えて。骨を埋めるのはここじゃないってね。
シージ
峡谷を目視で確認! まだ角度が足りん、このまま左へもう二十度傾けろ!
ヘドリー
これが最後の調整チャンスだぞ!
シージ
二十度! よし、もう大丈夫だ!
総員! 衝撃に備えて頭を守れ!
あとは幸運を祈れ!
ヘドリー
着陸まであと約十秒!
W
五、四、三――
二!
一!